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20XX/07/08(金)
a.m.1:25「真相・後」
しおりを挟む百花台が八雲を引きずって船へ向かって行く。体格差のせいか重そうだが、乱暴には扱っていない。とはいえ、一風は彼らの前に出て道を塞いだ。
「なんで八雲を?」
相対するのは百花台だが、彼女の目はその奥の鬼石堂安と夏目弥生に向けられている。睨む一風とは反対に、ふたり――百花台も入れて三人は余裕の表情を浮かべていた。
鬼石堂安と夏目弥生が親しい仲なのは知っている。聞くところによると、堂安を環音螺島に招待したのが、夏目家に嫁いできた弥生らしい。男女の仲だったわけではないだろう。嫁ぎ先に堂々と愛人を連れてくるなんて、そこまでの昼ドラ展開ではないと信じたい。
ふふふ、と弥生が口元を隠して笑う。
「本当に何もご存知ないのね……強い力を持つ後継者も大事だけれど、今の自分を支える強い能力者も必要なのですよ。八雲さんは、ほら、素直な方でしょう? それでいて月島の魚もお持ちですし、雲仙(うんぜん)さんとふたりで堂安さんを支える柱になってくださいますわ」
雲仙――弥生は百花台をそう呼んだ。百花台雲仙。それがかの青年のフルネームなのだろう。
「八雲は、眠っています。目を覚ます、と?」
「ええ、安心なさって。島を出て行ってくれさえすれば、すぐに目が覚めますわ」
「どうして、言い切れるんですか?」
その問いに弥生は答えない。
けれど時に、無言だからこそ雄弁に語られることもある。
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「あなたが、子供たちを?」
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つまり、そういうことだ。
「どうして……まさか、大寿さんが、その子たちに手を出したんですか?」
「……なんですって?」
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「彼がわたくし以外に触れるはずないでしょう!!」
夏目弥生が激昂した。
美人が怒ると怖いと言うが、あながち間違いではないようだ。怒気を滲ませた形相で、ぎょろりと見開かれた目は血走っている。急変だ。語気は荒く、フーフーと激しい鼻息が聞こえてきそうだった。美貌の主の地雷を踏み抜いてしまったらしい。
「大寿さんに触れていいのは妻であるわたくしだけ! 少し優しくされただけで愛されていると勘違いして、色目を使うなんて下品にも程があるわ!!」
「色目って、子供ですよ……」
「あなた、初めての恋はいくつの時? 子供は人を好きにならないと? 子供は性の衝動に駆られないと? かつては初潮が来たら嫁いで子供を作っていたのよ。知識も発育状態も現代より遥かに遅れていた時代に! じゃあ、今の世の中に何も知らない純真無垢な子供がいるとして、それは何歳までかしら? 小学校に入って男女で区別される時にはすでに性の目覚めの片鱗はあるんじゃない?」
彼女は自分が何を言っているか、自覚しているのか。口調も変わっている。冷静さを欠いているのなら、おそらくこちらが素だ。血走った目が一風を見据えている。心底忌々しいとばかりに、憎悪を込めて。
一風は息を飲む。
(分からない)
何がここまで、彼女に常軌を逸した言葉を吐き出させているのか。気持ち悪い。生理的に受け付けない。絶対に友達にはなれないタイプだと、一風は顔を顰める。
「大寿さんの、妻はわたくしよ」
夏目弥生が一歩ずつ、一風に近付いてきた。
「わたくしなの。あなたじゃない」
「ええ、そうですよ。わたしじゃなく、あなたです」
そんなの分かり切っていることだ。
「それなのに、どうして? あの人の心の中にはあなたがいるの? 月島一風。彼はいつまで初恋を引きずっているの?」
「……さあ。それは彼本人にしか分からないことです」
「それで、あなたの心はあなたにしか分からない? あなたの中にもまだ大寿さんがいるんでしょう? 婚約者がいるから何? 彼は結婚してもあなたを心の中に住まわせてる! それだけでも腹立たしいのに、あなたの中にも彼が――っ! 冗談じゃないわ!! わたくしの夫なの! わたくしのものなの!」
叫びながら接近してくる弥生の気迫に押される。
身体を鍛えた筋肉の塊のような大男より、目の前の美貌の人妻が恐ろしい。話が通じない相手だと分かるからだ。何を言っても届かない。否定も肯定も、都合のいいように解釈されるだろう。同じ言語を操っているとは思えない。
一風は目の前にいる女が、自分と同じ人間には見えなかった。
「あなたひとりでも許せないのに、あの下品な子供たちの中にも大寿さんが住み続けることになるなんて……ダメよ!! そんなの認められないわ!」
「だから、沈めたんですか?」
だから、沈めて、殺したのか。
言葉にするのもおぞましかった。
夏目弥生が笑う。
「だって、あなたみたいにはいかないでしょう? あの子たちは島から出ない。この島で生き続ける。環音螺島の住民はこの島で生まれて、この島で死んでいく。これからずっと、大寿さんの傍で、大寿さんを想って、生き続ける……わたくしの彼に、よこしまな気持ちを向けながら! だったらもう、殺すしかないでしょう? だって、それ以外に排除する方法はないもの!」
「……狂ってる……」
「ふふふっ、分かっているわ」
弥生の白魚のような手が、一風の頬を撫でた。
「だって、愛ってそういうものだもの」
あまりにも美しく、綺麗な微笑みを浮かべて言うものだから――一風は思い切り、自分の頬に触れていた手を叩き落とした。
気持ち悪い。不快感が身体中を這い回る。寒気がした。嫌悪感だ。何人も子供を殺して、重傷を負わせて、その中には自分の弟もいて……この距離なら殴れる。手を振りかぶって顔面を打ちつければ、少しはスッとするのだろうか。一度じゃ足りないのなら、美貌が崩れてしまうくらい何度も殴れば――
「本当はあなたも殺すつもりだったけれど……わたくしの可愛い蛇たちが、あなたには触れられなかったの。ここまで異能や怪異の影響を受けない人間はめったにいないわ。受けていたら……今頃、池の底よ」
「蛇って……」
「今、あなたの首を絞めている、可愛い子たち……でも、なんの影響も出ていないわね。八雲さんは抵抗したけれど、まだまだ若い。才能だけでどうにかできるほど、わたくしの力は弱くないの。ああ、でも安心して。堂安さんの元で学べば、一流の霊能者になれるわ」
一風は首に触れようとして、ハッとする。
完全に飲まれていた。ありもしない話をそれっぽく話されて、目に見えないものを信じさせようとする。ふと、視野が広くなった。目の前の弥生しか見えていなかったが、その後ろにいるニヤケ顔の鬼石堂安や、今の内に八雲を運ぼうと船へ近付いていく百花台の姿も見える。
「人殺しのペテン師か」
子供を殺した人間の話も、ペテン師――詐欺師の話も、耳を傾けるようなものではない。
「蛇がどうのと言うけれど、相手は子供……女性ひとりでも池に投げるのは可能ですよね」
「あなた、何を――」
「八雲は身体は大きいけれど、不意を突けば――」
なんとでもできる。
オカルトは、百歩……否、千歩譲っていいとして、子供に手をかけるのはダメだ。犯人と、どこまで関係しているかは不明だが、その関係者と……逃避行なんてできない。できないし、弟にそんなことはさせない。
船の傍にいた百花台に向かって走り、両手が塞がった無防備な青年を突き飛ばす。やっぱり不意をつけば意外といけるものだ。そんなことを考えながら、一風は八雲の身体を引きずって――暗い海へ飛び込んだ。
(ごめん)
死ぬかもしれない。
(ごめん)
死なせるかもしれない。
自分ひとりで跳びこめば良かったのかもしれない。でも、自分が死んだあと、あの犯罪者たちにいろいろ吹き込まれて、八雲が騙されたりするのは嫌だった。勝手だというのは分かるけれど、あんな人たちと一緒にいさせたくない。
弟を、置いていけなかった。
底が見えないほど、暗い海だ。一風は自分よりも大きな弟の身体を抱いたまま、沈んでいく。
(ほらみろ。やっぱりカナヅチだ)
魚もいない。龍もいない。蛇もいない。式神の犬もいない。神だっていない。そんなものはないのだと、海の底へ沈む身体が証明している。
彼女の口元に、笑みが浮かんだ。
その時――
(……?……)
混濁しはじめた意識の端で、あぶくが……こちらに伸ばされる、まるで、いつか頭を撫でてくれた父のような、大きな手が、見えたような気が――。
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