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20XX/07/08(金)
a.m.1:15「真相・前」
しおりを挟む鬼石堂安のあとについて行き、辿り着いたのは港だった。
波の満ちては引く音がする。青白い星がまたたく空は明るい。明るい夜空と暗い海だというのに、その境は曖昧だ。夜の海は底が見えないほど暗く、見ていると飲み込まれてしまいそうな危うさがある。
港には小さな船が泊まっていた。小型のフェリーで操舵スペースとわずかな甲板しかない。その傍らには人間がいる。灯りもなく、近付いてようやく姿が見えた。野球帽を被った、ジーンズにパーカーという出で立ちの、どこにでもいそうな青年だ。
「鬼石さん、遅かったね」
青年が親しげな様子で堂安に話しかけた。
「そう言うな。少しばかり面倒なことになっていたんだ」
「面倒って? その人が暴れでもした?」
その人、と言う青年の目が一風へ向く。
「まさか。俺が誠心誠意、心を込めて話したら、おとなしく着いて来てくれたぞ。なあ、一風ちゃん?」
母と弟の危険を仄めかす話を、脅し以外のなんと言うのか。飄々とした態度の鬼石堂安に腹が立ち、一風は鼻で嘲った。
「名前呼びと『ちゃん』付け、やめてもらえます? あなたと仲がいいと思われたくないので。わたしのことは月島さんって呼んでください」
「ああ?」
「やばっ! 鬼石さん嫌われてんじゃん!」
ケラケラと青年が笑う。堂安が「百花台(ひゃっかだい)!」と怒声を飛ばし、彼女はそこで青年の名前を知った。
「ごめんごめん。そんなに怒んないでよ。可愛い弟子なんだから」
「クソ生意気な弟子の間違いだろ」
「……弟子?」
一風が反応すると、百花台と呼ばれた青年が二ッと笑う。
「そう。鬼石堂安の弟子。一風ちゃん……あ、一風ちゃんって呼んでいい?」
「え? あ、まあ……」
「ありがと。で、一風ちゃんの弟くんも、鬼石さんの弟子なんでしょ? 俺にとっては弟弟子ってことになる。仲良くするから安心して!」
「仲良く……?」
話が読めない。ここにいない、もっと言えば、眠ったまま未だ目覚めない八雲と、何をどうやって仲良くするつもりなのだろうか。
一風が困惑を顔に出すと、百花台も不思議そうな顔で見つめてくる。話が通じていない。ふたりは顔を見合わせたまま首を傾げた。そして同時に顔を動かし、鬼石堂安のほうを見る。
「鬼石さん、なんも話してないの?」
「話は船に乗ってからでいいだろ」
「いいわけありませんよね。ここまでおとなしく着いて来てあげたんです。ちゃんと話してください」
睨むように鬼石堂安を見据えた。百花台も到底、師事する人へ向けるものではない呆れ顔をしている。
堂安は舌打ちをした。そして面倒だとばかりに口を開く。
「時代が移り変わるにつれて……ああ、そうだな……霊能者でも能力者でも、呼び方はなんでもいいが……その類の者たちは、神も仏もクソもない、科学や化学(ばけがく)が進歩し、人智を越えたモノの話をすればオカルトだと嗤う俗世にまみれていく中で、基礎的な力が衰えてきている」
その言葉を聞きながら、一風は木守鳴弓の話を思い出した。
『環音螺島で生まれ育った人間は高い能力を有しています。神に愛されているだけでなく、神の手足として動き、また、神を守る役目があるからです。外の、不浄に触れて俗世にまみれて生きている能力者の力は、私たちの持つ力と比べて、遥かに澱んでいます。ゆえに純度の高い、強い力を奪おうとしているのです』
鬼石堂安は純度の高い、強い力を欲しているのか。
だが生憎、一風にそんなものはない。
「環音螺島は異常だ。俗世から離れて閉鎖的な場所で生きると決め、子孫へ繋いできたからだろう。この島には能力の高い人間がゴロゴロいる。ここまで粒揃いの場所は日本中を探しても、なかなかないぞ」
「それで? わたしには関係ないと思いますけど」
どちらかと言えば、一風は人智を越えたモノの話を聞いてオカルトだと嗤う側の人間だ。しかも、嗤うだけでは飽き足らず忌み嫌っている分、世間一般よりも過激派に分類される。
話の真意が掴めない。
「ははっ! 話に聞いていたけど、一風ちゃんって本当に何も知らないんだね。あ、世間とかそういうことじゃなくて、むしろその反対――こっち側のこと」
おかしそうに笑う百花台の顔は、人を苛立たせる鬼石堂安の笑い顔と似ていた。間違いなく師匠の悪い影響を受けた弟子の姿だ。
「要するに、一風ちゃんの身体に流れてる血は、大事に大事に、あの島で長い間ずっと守られてきた貴重なものだってこと。一風ちゃんには見る力も、聞く力も、触る力も発現しなかったみたいだけど……そういう人の次の代は、ものすごいのが生まれる確率が高いんだよね」
「……は? 次の代って、まさか……」
「たぶん想像した通り。一風ちゃん、鬼石さんの子を生んでよ」
「無理」
考えるより先に口が動いた。
一風は頭が痛いとばかりにひたいを押さえる。何度も何度も腹を立て、好きと嫌いでは後者のほうへ針が振り切っているような相手と、子供を作る行為など絶対にしたくはない。
百花台がケラケラ笑った。
「無理だって! じゃあ鬼石さんじゃなくて、俺の子は?」
「年下は趣味じゃないから」
「やばっ、俺もフラれた!」
何が面白いのか、百花台は笑い続けている。暗く静かな港に青年の笑い声が響く中で、ふと、エンジン音が聞こえてきた。
「車……?」
「フン、やっと来たか」
鬼石堂安が呟く。
車のヘッドライトが見え、だんだん聞こえるエンジンの音が大きくなってきた。そして視認できてからすぐ――車は港に入って、一風たちのいる場所に停まった。
ライトを付けたまま、車から降りてきたのは――
(夏目弥生……)
深夜だというのに、運転席から降りた夏目弥生は、一部の隙もなく着物を身に纏っていた。夜の寂しげな港に似合わない、華のある雰囲気を醸し出しながら、彼女はゆっくりと近付いてくる。
「遅かったな」
自分が百花台に言われたことを、鬼石堂安は弥生へ告げた。
「しかたないでしょう? 老体とはいえ、それなりに手強い相手でしたの。そのおかげで、わたくしの可愛い子が三匹も消えてしまいましたわ。また呼び出すために、しばらくは力を溜めておきませんと……」
「あいつは?」
「後部座席にいますわよ」
「そうか。おい百花台、連れてこい」
「りょ!」
三人はそこに一風などいないかのように、自然な空気で話している。
指示された百花台が車へ近付き、後部座席のドアを開けた。そして何かゴソゴソしたかと思うと――中にいた人物の上半身を持って、引きずり出した。
「……ぇ……」
一風は目を見開く。
百花台が腕の下に手を回し、踵を引きずりながらつれて来たのは……月島八雲だ。百花台よりも大きな身体の弟が、診療所にいるはずの弟が、ずるずると目の前に引きずられてくる。
「な、なんで……?」
動揺する一風の耳に、女性の笑い声が届いた。
「あら? まだ聞いていませんの? 一風さんと八雲さんは、今日をもって環音螺島を去っていただきます。儀式の隙をついた、鬼石堂安に攫われて。よろしいですわよね?」
「何を勝手に、言ってるんです?」
「問題がありまして? 一風さんは故郷がお嫌いなのでしょう? 八雲さんにしたって眠っているのなら、島でも外でも同じこと……ああ、お母様でしたご心配なく。環音螺島の民を守るのは、夏目の役目。わたくしが責任を持って、最期の時まで看取りますわ」
うっそりと笑いながら、弥生が言う。
「あら、そういえば、まだ重箱をお返しいただいてませんでしたね。でも、どうぞお気になさらず。なんの憂いもなく、出て行かれてくださいな」
車のヘッドライトを背に、着物の似合う美女は、決定事項だとばかりに言葉を紡いだ。人好きのされるにこやかな顔で……その目には、ありありと侮蔑と、勝者の高慢さを浮かばせながら――。
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