28 / 52
20XX/07/07(木)
a.m.6:55「環音螺島の儀式」
しおりを挟む七月七日。
世間一般では七夕とされる日だ。笹に願いを書いた短冊を吊るして、紙の輪っかで飾り付けるのがポピュラーで、子供であれば『織姫と彦星の物語』を聞いたりするのだろう。重要なのは願いが叶うかどうかではない。子供を除き、誰も願いが本当に叶うだなんて信じていないのが普通だ。ただ笹を飾り、短冊に願いを書き、天の川を探したり、織姫と彦星の存在を思い出したりして、イベントとして楽しむ。七夕とはそんなもので、その程度で充分、価値がある。
午前六時五十五分、月島一風は霊峰の中腹付近――昨日下見に訪れた、檜舞台の前にいた。
儀式が始まる前に、会場の袖にある幕に覆われたスペースで、慣例に従って黒の着物に着替えた。着物姿で登山レベルの石段上りなんてできるはずもない。着物の上から背に家紋が描かれた白の羽織を纏う。それが、島民の先頭――檜舞台に一番近い場所に並ぶことを許された、四家の人間の正装だ。
(帯、締めすぎたかもしれない)
朝食を少なめにして正解だったと、そんなことを考えるくらいの余裕はある。嫌悪感が勝っているからか、神々廻が言うところの清浄な空気や厳かな雰囲気に飲まれてはいないし、緊張もしてはいない。
神々廻は一緒ではなかった。彼は熱中症の後遺症のせいで今朝も本調子ではなかったようで、家で留守番をしてもらっている……とはいえ、学校に忍び込むような真似をした彼のことだ。儀式に参加するために島の人間がほとんど出払っている状況で、おとなしくしているとは思えない。
一風が月島家を出発した時、母の彩乃はまだ起きていなかった。だから母のことは神々廻に任せてきたのだ。心配はしていない。おとなしく家で待機はしていないだろうが、母のことは見てくれると、短い付き合いではあるが分かっている。
儀式の開始は七時ちょうどだ。
遅れもしないし、早まりもしない。
すでに島民のほとんどは集まってきている。会場となっているスペースに入りきらない人間は、苔生した石段に並んでいるようだ。
地方の田舎に漏れず、環音螺島も年寄りが多く、当然、足の悪い人もいる。それでも儀式には自主的に、かつ、意欲的に参加していた。ここまでは辿りつけなくとも、行けるところまで、せめて観伏寺までは……と。そのため今日の観伏寺は忙しいに違いない。事実、夏目弥生の姿はこの場になかった。今現在、寺で島民の応対を任されているのだろう。
(それもそれで面倒そう)
つい溜め息をつきそうになるが、右隣に火河倫一郎(りんいちろう)がいるのを思い出して寸でのところで飲み込んだ。島長の興梠や医者の鷲頭と違い、厳格な老人だというのは島の共通認識だった。
四家に上下はない。
檜舞台と向き合う形で右から、月島一風、火河倫一郎、水海千天(せんてん)、木守鳴弓(めいきゅう)と並んでいる。一風以外の三人は全員、七十歳以上だ。名家の当主とだけあって風格のある人物ばかりで、正直、一風は浮いていた。ここに並んでいたのが八雲でも浮いていただろう。身体は大きいが、姉の贔屓目だったとしても、風格や威厳があるようには見えない。
(お母さんなら――)
彼女なら、堂々とこの場にいたはずだ。隣の厳格な老人など意に介さず、それどころか意識すらしないのかもしれない。月島彩乃は揺るがないのだ。凛として、自分というものを持っている。しかも並大抵の自我ではない、いっそ頑固と呼んだほうがいいような、確固たる自分を。
やがて――一風がぼんやり前を向いていると、檜舞台に夏目大寿が姿を現した。
舞台上に飾られた弓や刀などの武器や鎧兜の前を進み、中央に立った彼は白の狩衣姿で扇を手にしている。背を真っ直ぐ伸ばし、足音なく進んできた姿は島民の目には特別なものに映ったのだろう。後ろで少なくない数の人が、ほぅ……と感嘆の息を漏らすのが聞こえた。
夏目家の祖先は公家の人間だというのは有名な話だ。そこからどうして九州に浮かぶ孤島の住職を担う家系になったのか。環音螺島では小学生の時に郷土の歴史を学ぶ授業で履修する。
夏目がどれだけ偉大な家系か。島のために尽くしてくれているのか。夏目家以上に頼りになる存在はいないのだ、と。それはまるで美辞麗句を並べた冒険活劇とでも言うべきか……歴史は権力者の手によって、都合のいいように改変することが可能だと知るまでは、そうなのだと信じていた。
「っ……」
ハッと、目の前の舞台へ意識を戻した。
鼓と鐘の音を皮切りに、夏目大寿による舞がはじまる。笙と龍笛の音が続いた。大寿が深く、轟くような声で祝詞事を唱える。
風が、吹いた。
夏の朝の爽やかな風が木々を揺らし、その場に集まった島民の間を吹き抜ける。背後でざわめく声が聞こえたが、一風はもちろん、他の三家の当主たちも振り返りはしなかった。風が檜舞台を囲む幕と幟をはためかせ、大寿の狩衣の袖にも集まって大きく膨れる。
(六根清浄の……)
子供の頃に真剣に学んだことは、頭の中から消えてくれない。夏目大寿の声が紡ぐのがそれだということは、すぐに分かった。人間に備わった六根――目、耳、鼻、舌、身、意識の六つの感覚器官――を清浄にする祝詞事だ。生きる中で負った罪を雪ぎ、心身を清らかにすることで、神と繋がる準備ができる。
和楽器の音色の中でも、夏目大寿の声はよく聞こえた。彼に対していろいろ疑いを抱く前の自分であれば、ずっと聞いていたくなる声だと思っていたことだろう。今となっては、そんな気持ちも湧いてこない。
(何年も大事にしていた想いが、数日で消えることもあるのね)
恋慕の情を込めた目では見つめられない。
けれど祝詞事を唱え終わり、和楽器の音色に合わせて優雅に舞う、夏目大寿の姿には素直に驚いた。流れるような繊細で優美な動きは、一朝一夕で身につくものではないはずだ。研鑽を積んできた成果なのだと、感心する――とはいえ。
彼女にとって、微塵も興味のない儀式だ。
長い一日がはじまったなあ、と。今朝四時半に起きた月島一風は、高校生の時に習得した特技、誰にもバレないように欠伸をすること、を実行する。人知れず欠伸を噛み殺しながら、檜舞台を眺めていたのだった――。
2
お気に入りに追加
72
あなたにおすすめの小説
マンドラゴラの王様
ミドリ
キャラ文芸
覇気のない若者、秋野美空(23)は、人付き合いが苦手。
再婚した母が出ていった実家(ど田舎)でひとり暮らしをしていた。
そんなある日、裏山を散策中に見慣れぬ植物を踏んづけてしまい、葉をめくるとそこにあったのは人間の頭。驚いた美空だったが、どうやらそれが人間ではなく根っこで出来た植物だと気付き、観察日記をつけることに。
日々成長していく植物は、やがてエキゾチックな若い男性に育っていく。無垢な子供の様な彼を庇護しようと、日々奮闘する美空。
とうとう地面から解放された彼と共に暮らし始めた美空に、事件が次々と襲いかかる。
何故彼はこの場所に生えてきたのか。
何故美空はこの場所から離れたくないのか。
この地に古くから伝わる伝承と、海外から尋ねてきた怪しげな祈祷師ウドさんと関わることで、次第に全ての謎が解き明かされていく。
完結済作品です。
気弱だった美空が段々と成長していく姿を是非応援していただければと思います。
最終死発電車
真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。
直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。
外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。
生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。
「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!
皇帝癒し人~殺される覚悟で来たのに溺愛されています~
碧野葉菜
キャラ文芸
人を癒す力で国を存続させてきた小さな民族、ユニ。成長しても力が発動しないピケは、ある日、冷徹と名高い壮国の皇帝、蒼豪龍(ツアンハウロン)の元に派遣されることになる。
本当のことがバレたら、絶対に殺される――。
そう思い、力がないことを隠して生活を始めるピケだが、なぜか豪龍に気に入られしまい――?
噂と違う優しさを見せる豪龍に、次第に惹かれていくピケは、やがて病か傷かもわからない、不可解な痣の謎に迫っていく。
ちょっぴり謎や策謀を織り込んだ、中華風恋愛ファンタジー。
軍艦少女は死に至る夢を見る【船魄紹介まとめ】
takahiro
キャラ文芸
同名の小説「軍艦少女は死に至る夢を見る~戦時下の大日本帝国から始まる艦船擬人化物語~」(https://www.alphapolis.co.jp/novel/176458335/571869563)のキャラ紹介だけを纏めたものです。
小説全体に散らばっていて見返しづらくなっていたので、別に独立させることにしました。内容は全く同じです。本編の内容自体に触れることは少ないので大してネタバレにはなりませんが、誰が登場するかを楽しみにしておきたい方はブラウザバックしてください。
なお挿絵は全てAI加筆なので雰囲気程度です。
あやかし雑草カフェ社員寮 ~社長、離婚してくださいっ!~
菱沼あゆ
キャラ文芸
令和のはじめ。
めでたいはずの10連休を目前に仕事をクビになった、のどか。
同期と呑んだくれていたのだが、目を覚ますと、そこは見知らぬ会社のロビーで。
酔った弾みで、イケメンだが、ちょっと苦手な取引先の社長、成瀬貴弘とうっかり婚姻届を出してしまっていた。
休み明けまでは正式に受理されないと聞いたのどかは、10連休中になんとか婚姻届を撤回してもらおうと頑張る。
職だけでなく、住む場所も失っていたのどかに、貴弘は住まいを提供してくれるが、そこは草ぼうぼうの庭がある一軒家で。
おまけにイケメンのあやかしまで住んでいた。
庭にあふれる雑草を使い、雑草カフェをやろうと思うのどかだったが――。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
転生したら、現代日本だった話
千葉みきを
キャラ文芸
平安時代の庶民である時子は、ある日、どこに続いているのかわからない不思議な洞窟の噂を耳にする。
洞窟を探索することにした時子だが、その中で、時子は眠りに落ちてしまう。
目を覚ますと、そこは、現代の日本で、時子はひどく混乱する。
立ち寄った店先、喫茶マロウドで、紅茶を飲み、金銭を払おうとしたが、今の通貨と異なる為、支払うことが出来なかった。その時、隣で飲んでいた売れない漫画家、染谷一平が飲み代を払ってくれた。時子は感謝を告げ、一平に別れを告げその場を去ろうとするが、一平はその不思議な通貨を見せてくれと、時子を引き留める。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる