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蛇顔男の長い足
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しおりを挟む――シグルド・フィンハートはソファに座って長い足を組む。長い沈黙のあと、フェルナンドがやつれた顔で口を開いた。
「……メルティは、元気にしていますか?」
「ええ、つつがなく。ですが彼女は私の妻です。名前を呼ぶのはお控えいただきたいものです」
「ッ……す、すみません……!」
「謝罪はけっこうです。それよりも今日は何用でここへ?」
「あっ、はい、実はこれを見ていただきたくて……ッ!!」
そう言いながら彼が懐から取り出したのは、ボロボロの羊皮紙の束だ。シグルドは手渡された羊皮紙を開いて目を落とす。どうやら魔法薬に関する論文らしい。流すように読んでいる間、フェルナンドは延々と喋り続けた。いつ思いついたか、どうすれば実証できるのか、その口は止まらない。
紙の束はところどころ破れたり字が滲んだりして読みにくかった。それでも全ての内容に一応目をとおしてテーブルにそれを置く。シグルドは深く息を吐いて目頭を手で覆った。
「どうです、教授? 私を解雇したのは学園の損失でしょう? これを学園側に渡して、私が復職できるように取り計らってもらえませんか? 私は代えがたい人材なはずです。貴方に次ぐ若さで教授になれる可能性もあったほど! 最優秀新人賞だって獲って、華々しく教員になって、学園の人間や生徒、保護者からの信頼もあって――!!」
「もういい、わかった」
静かな声音の中にある、威圧感。それに押されるかのように、落ちぶれた青年は言葉を囀るのをやめた。
「よくわかりました。どうやら君は何も理解していない」
「は……?」
「何故、自分が落ちぶれてしまったのか、君はわかっていませんね。いいえ、そもそも最初から理解していなかったのでしょう」
「な、何を言っているんです? わ、私は……!!」
「君程度の研究者なら掃いて捨てるほどいます」
「え……」
フェルナンドが目を見開いて固まる。
「何を……だって、私は……最優秀の……」
「新人賞は新人賞。毎年のように該当者がいて、なかなか募集のない学園教員の椅子が空くのを待っています。日々研鑽を忘れず、貪欲に知識を追い求める者たちが列を成しているんですよ」
「で、でも……!! 私は、その列の中から、一度選ばれています! それは私が優秀で、学園の人材として相応しいからに他ならない!!」
「その発言に至るところが、始まりを理解していないと言っているんです」
唾を飛ばして吠える若人を前に、シグルドはやれやれと言わんばかりに首を振った。足を組み替えて肘置きに肘をつく。細められた鋭い眼光の目が、かつての教え子、かつての部下を見据えた。
「君程度の人材が採用されたのは、本人の能力にとある要因をプラスすると、他の応募者よりも学園に利があると判断されたからです」
「とある、要因……?」
「魔法生物に関して世界屈指の技術と知識を誇る、サースロック伯爵家次期当主の婚約者」
「ぁ……」
「学園は教育機関であると同時に研究機関です。サースロック伯爵家と太い繋がりを持てることを加味すれば、他の応募者個人の才能など、どれだけ輝くものがあっても霞むでしょう」
「そ、んな……じゃあ、私は……」
現実を知った青年の顔から血の気が引く。手足が震えていた。今の彼を唯一支えていたのは元エリートの矜持だ。自分の才能を妄信する自惚れだ。それが仮初の物だったと突き付けられ、儚く崩れ去る。
「メルティが、いたから……私は採用されたんですか? 論文が、私の理論が、評価されたのでは……?」
「……君は論文を書くのが上手い。それは事実でしょう。けれど、それだけです。今回の論文にしても机上の空論が多い割りには、妙な説得力がある。つまり、君にあるのは研究者としての才能ではなく、作家としての才能ということです」
「作家……」
「君が問題を起こさなければ、幾人もの研究者が共同執筆者として君を指名していたことでしょう。あるいは領主の夫として、この領地で発見や研究を記録する役目を担っていれば、フィンハート家の名声がさらに高まっていたはず。ああ、メルティは君に夢見がちなところがあると言っていましたから、小説家として大成できていたかもしれませんね……もっとも、今となってはありえない未来の話ですが」
フェルナンドが力なくうなだれた。頭を抱えて、肩を震わせ、嗚咽を漏らし始める。彼に向けるシグルドの目には哀れみが浮かんでいた。
元教え子の落ちぶれた姿になんの感情も抱かないほど、シグルドは冷血漢ではない。もしもフェルナンドが最初からシグルドを訪ねて来ていたら、国外の知り合いに紹介状を書くくらいのことはしていただろう。
けれどフェルナンドは、妻のメルティを訪ねて来た。謝罪するつもりがなかったことはわかりきっている。事実、彼はシグルドに対してひと言の詫びもない。こんな哀れな姿を幼馴染の前に晒して、何を言うつもりだったのか。立場が下の婚約者のために頭を下げて回っていた、優しい彼女に。
侍従の独断行動がなければ、初産を控える身重の妻は幼馴染の転落人生を目の当たりにして、少なからず同情していただろう。もしかすると放り出してしまった罪悪感すら抱くかもしれない。彼女の心にわずかでも傷を残す可能性があるなら、夫として排除しなければならないだろう。
「金輪際、サースロック領に足を踏み入れることがないようにして下さい」
「……その場所は、私のものだった……」
「ええ、そうです。君が捨てた場所ですね」
「もう……戻れない……っ」
「行動には結果と責任が伴います。だからこそ慎重をきっさねばならない。時間を戻す魔法などないのですから――バルト、お客様がお帰りです」
外に控えているであろう侍従に声をかければ、扉を開けてバルトが入ってきた。彼は力なくうなだれるフェルナンドの腕を容赦なく掴むと、引きずり出すようにして研究室を出て行こうとする。シグルドはその背中に声をかけた。
「バルト」
「はい」
「彼に着替えと少しばかり金を用意してあげなさい」
「!! ですが……」
「バルト。二度言わせるつもりですか?」
「ッ、いえ、承りました」
彼らが部屋を出て行き扉が閉まると、シグルドは深く溜め息をつく。
「私らしくないな……」
自分の感情を整理するのが子供の頃から得意だった。常に冷静でいられるのは自分のことがよく理解できているからだ。けれど今、自分の感情がよくわからなくなっている。果たして今、フェルナンドに相対していた自分は冷静だっただろうか。必要以上に厳しく、冷たく接してはいなかっただろうか。
だとすれば、その理由は?
一瞬でも彼女と彼が共にある未来を想像してしまった。家を追放されてなお、男は彼女を訪ねて来た。それは彼女であればどうにかしてくれるかもしれないと、期待していたからだ。裏切っても手を差し出してもらえると信じているかのような行動に、ふたりの間の強い繋がりを見た気がした。
「男の嫉妬、か」
シグルド・フィンハートは自分らしくない感情だと思いながらも、フッと小さく笑みをこぼす。無性に、彼女の顔が見たくなった。シグルドは研究室を出ると、足早に愛する妻の元へ向かうのだった――。
end
//本編、番外編含めてこちらで完結です。蛇顔ヒーローにするのなら番外編を蛇足と名付けたい!という身も蓋もない気持ちで書きはじめたラスト4話。じわじわと好評いただいたようで、HOTランキングにも入らせていただくことができました。たくさんの方にお気に入り登録、閲覧していただけてとても嬉しいです。ありがとうございました。
20230105 32
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