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蛇顔男の長い足
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しおりを挟む懐かれてしまった。
「こんにちは、シーガイア教授。鎧水蛇の鱗が実家から届いたんですけど、水薬の実験に付き合ってもらえませんか?」
「……またですか。毎度飽きずによく来ますね」
なんの心境の変化があったのか、呼び出しのあとから、メルティ・フィンハートに懐かれている。授業に出るようになった彼女は、教科によってムラはあるが、それなりに優秀な成績を修めているようだ。
問題児を更正させた。教育者としてまだ若い彼を心配していた教授陣からの信頼が、その件で厚くなったのは記憶に新しい。上司――前任の魔法薬学の教授は元教え子の成長を特に喜んだ。そして昨年『安心して椅子を譲れる!』と、後任にシグルドを推薦して知識追求の旅に出た。タイミングよく、発表した論文が評価されたこともあり、シグルド・シーガイアは学園創立以来、最年少で教授職に就いたのである。
若い教授だと舐められないように、生徒にはこれまで以上に厳しく指導した。融通の利かない厳格で冷淡な人物だと噂されても否定しない。理不尽に威圧したり、怒鳴ったりなどはしたことがなかったが、それでも子供たちには遠巻きに接せられるようになった。
そんな中、メルティ・フィンハートは、実家から魔法薬学の材料が送られてくる度に研究室へやって来る。最初は自習をするからと、魔法薬学の教室の使用許可を求めてきた。学生だけで調合を行うことはできないと伝えれば、だったら監督してほしいと頼まれ、貴重な素材をちらつかされて引き受けることに。何度か続けている内にだんだん高度な魔法薬を生成するようになり、自習の場所は教室から研究室に移った。
「調合の手順は調べてきていますね?」
「はい、一応は。だけど先日、鎧水蛇を使用する魔法薬の作業工程を、一部見直すべきだって論文が発表されましたよね? それを試してみたいなって思うんですけど、どうでしょう?」
「比較したいのであれば、元来の手順、新規の手順と、二種類調合する必要があります」
「ご安心ください。複数回分の調合量にあたる鱗を持ってきました!」
「惜しげもなく、ですか。貴重な素材なのですがね……」
魔法薬学に関してメルティは才能に恵まれていた。家業の影響か素材に詳しく、下処理や扱いが丁寧だ。その薬には素材のどの成分が必要なのか、どうすれば抽出できるのかを理論的に、まれに直感的に導き出せている。彼女はシグルドの解説をよく聞き、わからない部分はすぐに質問し、自分の知識と反する点があれば忌憚なく意見を述べた。
生徒の自習を監督する教授……という立場が、ただの建前に成り果てるまで、そう時間はかからなかった。メルティが最終学年に進級する頃には、共に時間を過ごし、魔法薬の研究をする対等な相手として、彼女を認めていた。
ちょうどその頃だったか。メルティが一度、自分の婚約者だという青年を研究室につれて来たのは。
フェルナンド・バーバリーは真面目で優秀な生徒だ。天才ではなく、カリスマ性があるわけでもないが、入学以来コツコツと努力して結果を出し続けている秀才として、教授たちから評価されている。
「彼、魔法薬学に興味があったそうなんです」
「ほう、そうなのですか?」
「あ、はい。これまでにいくつか論文を書いたりしてて……もしよろしければ、教授にご意見をいただけたらと……」
「いいでしょう。添削してお返しします」
「っ、あ、ありがとうございます!」
緊張していたのだろう。目的を達した彼はわかりやすくホッとすると、いささか引きつったままの顔でメルティに笑いかけた。彼女も肩をすくめて笑い返す。
「だから言ったでしょ。心配しなくても教授はちゃんと受け取ってくれるって。生徒の論文をつき返すような人じゃないよ」
「……うん。もっと早く訪ねてれば良かった。一年も無駄にしてしまったよ」
「しょうもない噂を信じるからでしょ。講義以外では生徒と関わらない冷血漢なんて、デマカセもいいところだよ」
「メルティ!」
本人の前で言わないでと、フェルナンドが慌てた。メルティはごめんごめんと謝りながらも笑っていて、そこからはふたりの気心の知れた親しさを感じる。ここは貴族の子女が集まる学園だ。婚約している者同士の関係を、学生の頃も教員になってからも、嫌というほど見てきている。だからこそ、彼女たちが良好な婚約関係にあることは、言われずとも理解した。
フェルナンドが退出したあと、いつものように彼女と魔法薬を調合した。いつものように、調合したつもりだった。誰にも言えない。調合用の鍋の底を、生まれて初めて焦がしてしまった、なんて。
秀才フェルナンド・バーバリーの論文は、非常によく書けていた。数度手直しをして発表すると、魔法薬学会により最優秀新人賞を授与された。そして、それを含めて好評価されたフェルナンドは望んだとおり、卒業後、神聖王国魔法学園の魔法薬学教授の助手として採用されることが決まったのである。
やがて卒業を間近に控えた、最後の自習日。彼女は言った。
「フェルナンドのこと、よろしくお願いしますね」
「これはこれは、殊勝なことですな。聞くところによると、学園の教授陣全員に挨拶をして回っているとか」
「ま、私って一年生の時は問題児でしたからね。その頃のお詫びに回るついでに、婚約者殿のことを頼んでいるってわけです。『以前は大変失礼いたしました。夢見がちなところがありますが、まだ年若い彼のことをくれぐれもどうかよろしくお願いします』って」
「嫁ぐ相手ならともかく、婿に来る相手のためによくやりますね。婚約者の鑑のような振る舞いだと、賞賛されていましたよ」
「人は変われば変わるものですね」
「……自分で言うんじゃありません」
「はーい」
出会った頃は少女だった彼女も、今では女性的な雰囲気をまとっている。とはいえ、これまでの関係のせいで立派な淑女に見えるかと問われれば、言葉を濁してしまうだろうが。
サースロック伯爵領の後継者と、いずれ魔法薬学界の権威になるであろう第一人者。その肩書きがある限り関わりがなくなることはないだろう。それでも、これまでのような付き合い方でなくなることは、わざわざ言われなくても、どちらもわかっていた。
「シーガイア教授、どうかお元気で」
「フィンハート君も息災で」
そんなありきたりな、どこにでも転がっていそうな言葉でふたりは別れた。その後の関わりは取引の要件だけをしたためた手紙のやり取りだけ。
次に顔を合わせるのは、それから五年後のことだった――。
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