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蛇顔男の長い足
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しおりを挟むその年の新入生は問題児揃いだと最初に嘆いたのは、占い学を受け持つ女性の教授だった。曰く暴力沙汰を起こしてばかりの辺境伯令息、曰く異性を誘惑しまくる侯爵令息、曰く自称異世界人の不思議系公爵令嬢、曰く授業をボイコットしまくる伯爵令嬢、曰く――。
「多数の教授陣からの要請を受けて、学園としては問題児……げふん、個性溢れる生徒たちにマンツーマンで教師をつけることにしてね。君にもひとり担当してもらうことになったから、よろしく頼むよ」
魔法薬学の准教授であるシグルド・シーガイアは、神聖王国魔法学園のトップに呼び出され、唐突にそんな辞令を発布された。いかに天才的な頭脳を持つ彼であっても理解までに数十秒を要し、断るという選択肢は莫大な研究費を盾に潰され、気付けばその日の夕方に担当の生徒と顔を合わせることになった。
研究室に呼び出した生徒の名は、メルティ・フィンハート。魔法と名の付く学問に携わる者なら知らない者はいないとされる一族――魔法生物の飼育、繁殖、素材の生成などで有名なサースロック伯爵家の一人娘だ。魔法薬学の研究を行っているシグルドも彼女の家とは何度か取り引きしており、高価な値段に見合った上物の素材を回してもらったことがある。
入学して早々に授業をボイコットしまくる問題児だが、意外にも彼女は素直に呼び出しに応じ、時間通りに研究室へやって来た。真新しい制服に身を包んだメルティは、まだ幼さを残した理知的な顔立ちの少女だ。ただ、つまらなさそうな表情と気力を感じさせない目が、貴族の令嬢らしからぬ雰囲気を醸し出している。
「メルティ・フィンハート。今日は何故、呼び出されたかわかりますか?」
「たぶん、授業に出ないからですよね」
「わかっているなら話は早い。各教科の教授陣が頭を抱えています。明日からはきちんと授業に出るように」
「どうしてですか?」
素直に呼び出しに応じはしたがシグルドの言葉を聞く気は微塵もないらしい。微かに首を傾ける彼女の目は冷ややかで、あくまでもボイコットをやめる気はなさそうだ。
「貴族の子女がここへ通わなければならないのは将来のためですよね? 同じ派閥の家や家の利益になる相手との顔繋ぎや、伴侶探し、家を継げない子の就職先を探したり……細かい筋は違うけど、大きなくくりで言えばそういうことです」
「それを理解していながら、人付き合いも勉学をも避ける理由がわかりません。ただ怠惰に時間を消化することが、君のためになるとでも?」
「ためになるとは思いませんが、マイナスになっているとも思いません」
「……ほう、続けてください」
十六歳。年齢の枠組みとしては子供だが、その年頃の少年少女は、何も考えることができず、大人に与えられるものだけで成長しているわけではない。考えがあるのであれば耳を貸す。
シーガイア准教授は神経質で厳しそうな相貌だと常々生徒や保護者たちに言われているが、醜く怒鳴り散らしたり、意見も聞かずに叱責したりはしない。少なくとも学園に指導者として身を置く現状では、研究者である以上に教育者であらねばならないと思っていた。
「王国中の貴族がおとなしく全寮制の学園に子女を差し出すのは、それが家や個人にとって利になるからです。でも、全ての家や個人にとって利になるかと問われれば、私は否と答えざるをえません」
「それは君にとって利にならないと言っているのでしょうか?」
「私は将来フィンハート家を継ぎます。そのために必要な技術や知識は領地にいたほうが学べるんです。サースロック伯爵領には魔法生物に関する膨大な知識も、実地で学ぶ機会も山ほどある。第一人者と謳われる人に師事することだって、あからさまに言えば、コネでなんとでもなります!!」
堂々と、本当にあからさまに言い放つメルティ・フィンハートに、シグルド・シーガイア准教授は目蓋をピクピク震わせてひたいを抱えた。彼女の言いたいことがわからないでもない。サースロック伯爵領ほど魔法生物学に特化した場所は大陸中探してもないだろう。至高の地で学びたいと思う気持ちは、決して咎められるべきものではない。
「サースロック伯爵家はどこの派閥にも属していません。それに今後、仮に商売を拡大するにしても、研究の規模を大きくするにしても、同業他社がいない以上、よその顔色を窺う必要もない。私には婚約者もいますし、人付き合いをして、顔を繋ぐ必要なんてないんです」
言いたいことは全て言い終えたのか、少女はふぅと小さく息を吐いた。好き放題主張できて気分が高揚しているようで、まろい頬が微かに赤く染まっている。ひととおりの話を聞いたシグルドはフッと笑った。
「君のことがよくわかりました」
「じゃあ、もう帰ってもいいですよね?」
「ええ、どうぞ。君のように傲慢で、驕り高ぶった子供に何を言っても仕方ないでしょう。そのまま自分が正しいと信じて疑わず、三年という長い月日を無駄にすごしなさい」
「……は……?」
メルティが目を丸くする。奇しくもこの瞬間、気力もなく冷え冷えとしていた彼女の目の色が変わった。何を言われたか理解しようとしているのか沈黙が続く。
研究者である以上に教育者であらねばならないと思っていても、シグルドの根幹は研究者だ。芽が出ないとわかった理論に執着していつまでも縋りついたりしないように、切り捨てるという選択ができるタイプだった。
「私が……傲慢ですか? 驕りたかぶってる……?」
「そうですね。財力も権力も持つ上級貴族らしい考え方だと思いますよ」
「そんなこと――」
「この学園にいる教育者たちは誰しもが一流の研究者です。それこそ、わざわざ後進を育てて教鞭を振るったりせずとも、己が思うままに研究をしていれば大きな功績を残せるほどに。それだけの人材が揃っている学園で、何も学ぶことなどないと言う。それが傲慢でないとするならば、君はさぞや優秀なのでしょうな」
少女が唇を噛み締める。
「きっとこれまで、君が手に入れられない物はなかった。君が望んで叶わないことはなかった。だから不満なのでしょう? 思うままにできない、学園という檻に閉じ込められた気分なのでは?」
「それじゃあまるで、私がワガママ言ってるだけみたいじゃないですか……!」
「主張があるのなら声にすればいい。けれど君はそうせず逃げました。貴族の子女が三年間学園に通うのは義務です。君は学園には来ていますから、不満を覚えながらも義務を放棄するほどの度胸はなかったんでしょうね」
義務を放棄する度胸はない。声を上げる度胸もない。だけど不満はある。だからさもアウトロー気取りで授業をボイコットしている。不満だ不満だと敵対心を抱きながら、用意された食事を摂り、柔らかいベッドで眠れる、何不自由ない毎日を送っている。だけど何も恥ずかしいことではない。それは十代の若者特有の、流行病のようなものだから――と、いうような話をシグルドは落ちついた口調でした。
メルティ・フィンハートは多感な時期の貴族令嬢だ。シグルドの言葉で内面を言い当てられたことが気恥ずかしくて、感情が昂り、涙を流して研究室を飛び出したことは言うまでもない。
そして、問題児のひとりを号泣させた准教授としてシグルド・シーガイアは冷血漢であるという評判はますます広まり、翌年、彼が教授に昇進した時には積極的に近付こうとする生徒は、ひとりを除いて誰もいなくなっていた――。
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