婿入りしてくるはずの男と婚約破棄したので新しい婚約者を調達したいと思います。目星はついているのでご安心ください。

(旧32)光延ミトジ

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蛇顔男の長い足

1_ある男の話_sideシグルド

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 シグルド・シーガイアがサースロック伯爵家に婿入りし、シグルド・フィンハートと名を改めてからおよそ八ヶ月が経った――。

 もともと彼は、頭の回転が速く、高度な知識と経験、才能が必要とされる教授職に就けていたほど有能な男だ。次期当主の夫としての仕事も早々に覚え、今では周囲に厚く信頼されるまでになっている。

 婚約期間中から学園側に打診していたとおり、婚姻後、教授の職は辞した。義理の両親や学園側からは『栄誉ある仕事なのにいいのかい?』『職を手放すのは当分先でもいいんだよ?』『後進のため、どうか教授として残ってほしい』などと引き留められたが、本心はどうであれ『サースロック伯爵領にいたほうが自分の研究に集中できますので』との建前で、シグルドはにべもなく教授職の継続を断った。

 同じ敷地内の別邸に用意してもらったシグルドの研究室は、学園にあった部屋とよく似ている。用意したのが妻のメルティだからだろう。適当に見えて意外と細かいところのある彼女のことだ。机の高さがどうだとか、日当たりがどうだとか、収納用の棚の段数はどうだとか、注文をつけていたに違いない。そう考えるとおかしくて、シグルドは目を細めて喉の奥で笑う――その時、不意に研究室のドアがノックされた。

「シグルド様、バルトです。お忙しい中、恐縮でございますが、今少々お時間よろしいでしょうか?」
「ええ、かまいませんよ。どうぞ入ってください」

 入室を促すと、中に入って来た侍従のバルトがきっちりと頭を下げる。まだ年若い素朴な顔立ちの青年だ。バルトの一族は代々フィンハート家に家宰として仕えている。将来的には彼も父の跡を継ぎ、使用人を統率する立場になることが決まっていた。つまりシグルドとはこれから長い付き合いになる人物だ。

 そんな相手ではあるが研究室に足を運ぶのは珍しい。有毒物質を取り扱ったりなど、危険な研究を行うこともあるため、使用人を含めて研究室への立入は制限されている。それは別邸内の研究室と称しながら、その実、別邸そのものが研究室だと言っても過言ではない。

「それで、どうされました? ……まさかメルティに何か?」
「あっ、いえ、そうではありません。お嬢様は朝食のあと、奥様と魔法生物の畜舎のほうへ足をお運びになっています。夕食はシグルド様と共にしたいと仰っておられました」
「ほう、畜舎ですか……」

 初夜で見事に懐妊し、現在は身重になっている妻を心配すれば、バルトは慌てたように否定した。あとふた月もすれば出産だというのに、今日もメルティは好きに行動しているらしい。義母が一緒であれば無理はしないはずだが、それでも心配なものは心配だ。

「彼女は妊婦だという自覚が薄いようですね。もう歩くのも億劫でしょうに……夕食の件は承りました。研究もひと段落ついたので、しばらくは彼女と過ごします。あまり無茶して動き回らないように隣で見張っておきますよ」
「シグルド様がご一緒なら、私たちも安心です」

 と、一瞬和やかな雰囲気になりかけたところで、年若い侍従は表情を変えた。貴族はもちろん、貴族の家に仕える人間は表情から感情を読み取られないようにしなければならない。まだ若い彼はその辺りが完璧ではないらしく、不満や怒りの感情を抱いているのだと察するのは容易かった。

「実は、お嬢様に会いたいと押し掛けて来た男がいるのです」
「メルティに? その男、押しかけて来たということは、彼女と約束をしているわけではないのですね?」
「はい。いきなりいらっしゃいました。しかし私はお嬢様に来客をお伝えするよりも前に、シグルド様の元へ参りました……どうしてもお嬢様に会わせたくないのです! これは完全に私の独断です。あとでいかような処罰でも受け入れます! ですが、どうか――ッ!!」
「バルト、落ちつきなさい」
「っ……は、い……取り乱してしまい、申し訳ございません、でした……」

 かつて教え子たちにしていたように、威圧的に、端的に言葉を放つ。若い彼らの世代には非常に有効で、バルトは冷静さを取り戻した。気まずそうな顔をしながらも言いわけせず謝罪する辺りは父親の教育の賜物だろう。

「処罰云々は置いておきます。何故このようなことをしたのか説明しなさい」
「……面会を求めて来た、その男が、フェルナンド・バーバリーだからです。今は家を出されて、ただのフェルナンドですが……」

 フェルナンド・バーバリーは妻の元婚約者で、シグルドにとっては元教え子であり、元部下でもあった青年だ。現在幽閉中の元王太子と修道院に送られた元男爵令嬢が引き起こした騒動に加担した責任を追及され、彼は生家からも学園からも追放された。これまでなんの音沙汰もなく、すっかり忘れていた人物だが、今さらなんの話があってメルティを訪ねて来たのか。

 シグルドは腹の底がざわつくのを感じながら、若き侍従の判断に内心感謝した。しかし独断を一度でも許せば、今後の関係で禍根が残る可能性がある。貴族と使用人の立場をはっきりさせるためにも、後ほど処罰は必要だろう。もっとも本人に自覚と反省はあるようだから、厳しいものにするつもりはなかったが。

「バルト、彼をこの部屋へとおしてください。その際に私が研究室で待っていると伝え、彼が何か要望するようでしたら叶えるように」
「……え?」
「いいですね?」
「あっ、はい、かしこまりました!」

 バルトが慌てて研究室を出て行く。

 やがて、そう時間が経たないうちに彼は戻ってきた。うしろには見覚えのある顔の青年をつれている。外すように指示を出せば、バルトはフェルナンドを残して研究室を出て行った。

「教授……」
「かけなさい」
「は、はい……」

 おずおずと、フェルナンドがソファに腰かける。妻と同い年ならば二十四か、二十五か。それにしては髪や肌に潤いがなく、くすんでいた。記憶の中の姿よりもやつれており、頬や目蓋を見ても随分と老けた印象だ。着ている物にも金をかけていないのか、上着やズボンの裾はほつれ、靴も汚れている。

 かつての、美しい相貌の秀才は、いない。落ち着きなく目を泳がせるフェルナンドを見据えながら、シグルドは十年ほど前のことを思い出す。

 それはまだ、彼や妻が学生だった頃のこと――。



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