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本編
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しおりを挟む深呼吸を一回。
私は本題を切り出す。
「私が今日、ここへ来たのは教授にお願いがあるからです。教授……いえ、シグルド・シーガイア様。私と結婚して、サースロック伯爵家に婿に入ってください」
「……は?」
ポカンとしたその顔は初めて見る。冷静で厳しくて、学問に全て捧げている男の間の抜けた顔というのは、なかなか高レアリティなのでは?
「君は、何を……」
「ですから、求婚しています。教授に」
「謹んでお断りさせていただきます」
険しい顔でバッサリ切り捨てられる。けれど傷ついたりなんかしない。こういう反応をされることは想定済みだ。
「どうしてですか? 教授は独身ですし、身持ちも固いので異性関係の問題も起きないでしょう? 恋人や婚約者がいないことも確認済みです」
「私と君では歳が離れています」
「たった十歳です。貴族では珍しいことじゃありません」
「……家格が違います」
「我が家は気にしません。それに教授ご本人の功績を鑑みれば、充分すぎるほどにつり合いは取れています」
神聖王国魔法学園の教授としてではなく、シグルド・シーガイアの名前は、ひとりの研究者として有名だった。今の今まで結婚もせず、残っているのが不思議なくらいの優良物件だ。
「私は教え子に手を出す気はありません」
「元、です。それにそんなことを言ったら、教授は平民としか結婚できないじゃないですか。この国の貴族は学園に通うことが義務なんですから」
「私と君が結婚しても、面白おかしく噂の種になるだけです。フェルナンド・バーバリーに続き学園の人間が教え子に手を出した、しかも相手はバーバリーの元婚約者だ、と。君は噂の渦中から脱するタイミングを逃しますよ」
「教授とならかまいません」
「馬鹿なことを」
「魔法薬学の研究者と、その素材を取り扱うサースロック伯爵家がくっついたところで、そこに不自然さはないでしょう? その点は教授にとっても悪い話じゃないはずです。貴重な素材、高価な素材、流通させられない素材……教授が望む材料は全て手に入りますよ」
「そういう問題ではありません」
ふむ……。
私としては悪くない交渉のカードを切ったつもりだった。教授にしてみればかなりそそられる取引材料に違いないと思っていたのに、再びバッサリいかれてしまうとは。
というわけで放つ、第二の矢。
「じゃあ、責任を取ってください」
「……一応聞きましょう。なんの責任を取れ、と?」
「フェルナンド・バーバリーは教授の部下です。生徒に恋慕の情を抱くまで是正されなかったのは上司の責任……監督責任を取って、私と結婚してください」
「こじつけもいいところですね」
「それだけ必死ということです」
教授は頭痛がするとばかりに頭を押さえて溜め息をついた。
「君は昔からああ言えばこう言う。よくもまあ、そこまで堂々と無理のある持論を展開できるものですね」
「なんとでも仰ってください。それで教授は、私と結婚して婿入りしてくださるのですか? それとも、哀れな元教え子を見捨てて、せっかくこれまでに築いてきたサースロックとの円満な関係を壊してしまってもいい、と?」
「脅迫にまで及ぶとは……。そこまでして私と夫婦になりたいんですか?」
「はい。とっても」
即答したら教授が黙り込んだ。蛇のような細い目が、私の真意を探るかのようにジッと向けられる。いくら探られたところで痛い腹はない。
やがて、教授は小さく息を吐いて口を開いた。
「いいでしょう。条件は追って折り合わせるとして、ひとまず、君の求婚を受け入れます」
「ありがとうございます! 折り合わせるも何も、教授が出される条件は全て呑むつもりです。その身ひとつで来ていただいてかまいませんので!」
「破格ですな」
「当然です。それだけのお願いをしているんですから……っと、でも……」
「なんですか?」
気持ちがはやるあまり、大事な確認をし忘れていた。いっけなーい。てへっ、と笑えば怪訝そうな目を向けられた。仮にも求婚を受け入れた相手に向ける目ではなかったが、二十代にもなって、していいような笑い方じゃない自覚はあるので文句は言わないでおく。
「あの、確認なんですけど、教授は生殖能力に問題ありませんよね?」
「……は? 貴族の娘が何を口にしているんですか」
「普段、魔法生物の繁殖に携わっているので、その辺の羞恥心は薄いんです。それに大事なことですよ。これは跡継ぎを儲ける前提の結婚なので……」
「私の生殖能力に不安がある、と?」
「だって教授……細いし、青白いし……なんというか、無理に性行為に至ったら寿命を縮めそうと言いますか……」
「ほう」
あ。まずった。
教授が、口の端をつり上げて笑う。目はまったく笑っていない。こ、これは、私が学生だった頃、魔法薬学の授業中に馬鹿な生徒がふざけて鍋を暴発させた瞬間に見せた、怒っている時の顔だ。
「私の生殖能力に問題はありませんよ、ええ。なので、初夜を楽しみにしていてください」
当時、馬鹿なことをしでかした、その男子生徒は涙目で語っていた。冷たい笑顔を向けられてタマがひゅんっとした、と……。
あれから数年が経ち、彼が言っていたことを本当の意味で理解する。
「お、おお手柔らかにお願いしマス……」
ないタマが、ひゅんっとした――。
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