3 / 10
本編
2_持つべきものは頼れる恩師
しおりを挟むフェルナンド・バーバリー、二十三歳。
彼は、私の父が領主をしているサースロック伯爵領に隣接する、小規模な領地を治める子爵家の三男だ。同じ年に生まれたこと、家業が密接に関わる両家の仲を深められること、その他諸々の事情が重なって、彼は男児のいない我が伯爵家に婿入りすることになっていた。
婚約したのは十五歳の時。それからすぐ、十六歳から十八歳の間、私たちは王都にある魔法学園に通って、これまでの幼馴染としての関係ではなく、婚約者としての新たな関係を築き、今に至る……と思っていたのだけど、現実はこれ。
何が悪かったのだろうか。
卒業してすぐ結婚すれば良かったのか。だけどフェルナンドは学園に残って研究を続けたいと言っていたし、私も家業を学ぶのに忙しくて、すぐに結婚という気は起きなかった。幸いにも両親は健在で、跡継ぎを急いでいなかったこともあり、私たちは五年間の婚約期間延長を決めたのだ。
その五年の果て、婚約者は神聖王国魔法学園の講師の職を得て、教え子に邪な感情を抱き、盛大なやらかしに加担して断罪されてしまったというわけだ。あーあ、何やってるのよ、ホントにさ。
「ま、今となっては元婚約者なんですけど!」
「そうでしょうね。異性関係に問題のある人間を家に入れるわけにはいきません。相手が格下の家柄であればなおさらです。貴族はメンツで生きる者……情に絆され、甘い処罰をして、他家に舐められでもしたらおしまいですよ」
「正論すぎてぐうの音も出ません、教授」
神聖王国魔法学園。
魔力を持つ貴族の子女は、十六歳になる年から三年間、この学園に身を置くことが義務付けられている。国を動かす貴族の子女に教育を施す立場から、学園の指導者というのは大変名誉な職業で、権力に対して強い影響力を持っていた。
そんな学園の魔法薬学の教授であるシグルド・シーガイア氏は、私の恩師にあたる人物だ。年齢は三十三歳。教授陣の中では若手といえる年齢だった。つまりそれは彼が優秀だということの証明に他ならない。
学園の研究室に押しかけた私を、彼は嫌そうな顔をしながらも中に招き入れてくれた。整頓されているけれど、物が多いせいで雑多な印象を受ける空間だ。皮のソファに積まれていた本を床に移動させて空いた場所に腰を下ろし、私は例のパーティーの顛末を話す。残念ながら、教授が淹れてくれた紅茶を楽しむ余裕はなかった。
卒業後、教授と手紙のやり取りはしていたけど、こうして実際に顔を合わせるのは久し振りだ。今から五年前、私が学生だった頃と外見はあまり変わっていない。
教鞭を執る以外は研究室にこもっているせいか、相も変わらず、不健康そうな青白い肌。研究者用の白衣を纏った身体は細く、背が高いこともあってひょろりとした印象だ。蛇を彷彿とさせる神経質そうな顔立ちも、不機嫌そうに見える眉間の皺も、あの頃と同じだ。
「彼も愚かなことをしたものです。きみとの婚約を反故にし、子爵家の三男が伯爵家に婿入りできる幸運を自ら手放すとは」
「あ、そういえば彼、実家から勘当されたそうですよ」
我が家で謝り倒していた彼の両親が言っていた。昔からよく知るふたり――おじさまとおばさまが平身低頭、謝罪する姿を見るのは、なかなかに居心地が悪かった。その一方、私の両親は呆れ果てているのか非常に淡々としていて……まあ、もっとも、今後の取引に厳しい条件を科していたから、それなりに怒ってはいたのだろうが。
「勘当ですか。自業自得ですね。伯爵家との繋がりを足蹴にした上、怒りを買ったんです。少し考えれば、そうなることくらいわかりそうなものですが」
「確か、学園も解雇されたとか」
「当然でしょう。教え子を異性として見る教師に、我が子を預けたい貴族がいるものですか。そこそこ優秀な彼が、そこまで考えが及ばなかったとは思えません。貴族という身分をなくし、職を失ってもなお、魔法薬学者として大成できる自信があったのでしょうな」
「ええ。自信過剰なところがありましたから」
冷たいかもしれないが、フェルナンドがこれからどうやって生きていくか、それは私の考えるべきことじゃないのだろう。幼馴染みで元婚約者ではあるけれど、お互いの家や私を裏切った相手に甘い顔はできない。彼の軽率な行動のせいで、領民にまで被害が及ぶ可能性もあった。貴族としての自覚がなさすぎる。上に立つ者の影響力がどれほどのものか想像したこともないのか。
「許すことはできませんが、フェルナンドのことはもうどうでもいいんです……いや、良くはないんですけど、それよりも問題なのは、私がキズモノの令嬢になったってことですよ。はっはっはー」
「キズモノですか。どちらが有責か、はっきりしていると思いますがね」
「関係ありませんよ。こういう時の女って立場は弱いものなんです。婚約破棄された女も婚約破棄した女も、次を見つけるのは簡単ではありません」
今思うと、私はパーティー会場で婚約破棄を申し渡されたアイリス嬢を心配できるような立場ではなかった。観衆の一部になって、野次馬根性丸出しでワクワクしていたけれど、あの時すでに私は騒動の渦中にいたのだ。
アイリス嬢は新しく王太子に選ばれた第二王子と、仲睦まじくしているらしい。相変わらず王妃を約束されたままの彼女を、キズモノの令嬢と嘲笑う馬鹿はいないだろう。結局のところ、彼女は傷なんて負わなかった。むしろアイリス嬢のメンツはクリアコーティングされてピッカピカだ。
「私、もう二十三ですよ。結婚適齢期が十八歳前後のこの国で、今から婿探しをするなんて、だいぶ無理難題すぎません?」
「深刻そうに聞こえないのは何故でしょうね」
「楽観的だと笑います?」
「いいえ。サースロック伯爵家といえば、神聖王国内有数の資産家であることはもちろん、大陸規模でも他に類を見ないほどの魔法生物の権威ですから。婿入りを熱望する者は少なくないでしょう」
世界中に魔法生物と呼ばれる生き物が存在しているが、それらを捕獲あるいは保護して、飼育、研究、繫殖させて多くの成果をあげているのは、世界中を見ても我が家くらいなものだ。サースロック伯爵家は広大な土地と資金、優秀な人材を手にしていて、遥か昔から家業としてそれらを行っていた。
魔法生物――例えば一角獣やケルベロスなどの、爪や角、唾液をはじめとする分泌物は魔法薬の材料として高値で取り引きされている。神聖王国では過去数度、国家事業として飼育を行おうとしたが、ことごとく失敗。その際の投資を回収できず赤字に終わったのは有名な話だ。
「婚約の申し込みがあったのなら、さっさと受けるといい。次は間を空けずに結婚してしまいなさい」
「わかってませんね」
「はい?」
「教授は賢い方ですが、ぜんっぜん……もう一度言いますが、ぜんっぜん、わかってません!」
きっぱり言い切れば、彼は不可解そうな顔をした。
「同年代の優良物件はすでに売約済みなんです。つまり、今申し込んできているのは、何か問題があって売れ残っていた面々ってことです」
「なるほど。キズモノにされた娘であれば、落ちぶれて腐っていくだけの穀潰しでも受け入れざるを得ないと、足元を見られているのですね」
「ざっくり言うとそうです。次世代の次男以下を狙う手もありますが、その辺りに手を出したら結婚までに時間がかかって、今回の二の舞になりかねません。それに面白おかしく噂されるのは目に見えてます」
「君もバーバリーも年下好きだ、と?」
「噂雀はその手の話が好物ですから」
今回の騒動については緘口令が敷かれている。けれどあれだけ多くの貴族が集まる場所で披露された愚行は、いわゆる公然の秘というもので。そして大っぴらに話しはしないが、民衆にとって貴族の愚行ほど面白い与太話もないわけで。愚か者たちへの断罪も含めて、誰もが知る醜聞となっていた。
多くの人の間で交わされる度に真実は歪曲する。噂好きの雀たちは嘘とも真ともわからない話に花を咲かせていて、また新しい醜聞が出るまでは今回の話題を引っ張り続けるだろう。
「教授、どうして私が現状、そこまで深刻に鬱々としていないと思います?」
「さて、わかりかねますな」
「……考える気もなかったでしょう?」
「貴族の考えなど、私に理解できるはずもありません」
「そんな風に言いますけど、教授だって貴族の出じゃないですか」
「領地も持たない男爵家の六男など、その辺の平民と変わりません。家を出されるまで、生活の水準で言えば裕福な商人や平民より下でしたよ」
「それでも、貴族は貴族です」
「あえて分類をするのであればそうでしょうね」
「だったら何も問題ありません」
私はにっこり笑って立ち上がると、教授の隣にそそくさと移動する。彼は眉間の皺を深くして怪訝そうな顔をしたが、わざわざ追及する必要もなく、気付かなかったフリをすることにした。
→
51
お気に入りに追加
867
あなたにおすすめの小説

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
王子の片思いに気付いたので、悪役令嬢になって婚約破棄に協力しようとしてるのに、なぜ執着するんですか?
いりん
恋愛
婚約者の王子が好きだったが、
たまたま付き人と、
「婚約者のことが好きなわけじゃないー
王族なんて恋愛して結婚なんてできないだろう」
と話ながら切なそうに聖女を見つめている王子を見て、王子の片思いに気付いた。
私が悪役令嬢になれば、聖女と王子は結婚できるはず!と婚約破棄を目指してたのに…、
「僕と婚約破棄して、あいつと結婚するつもり?許さないよ」
なんで執着するんてすか??
策略家王子×天然令嬢の両片思いストーリー
基本的に悪い人が出てこないほのぼのした話です。
最愛から2番目の恋
Mimi
恋愛
カリスレキアの第2王女ガートルードは、相手有責で婚約を破棄した。
彼女は醜女として有名であったが、それを厭う婚約者のクロスティア王国第1王子ユーシスに男娼を送り込まれて、ハニートラップを仕掛けられたのだった。
以前から婚約者の気持ちを知っていたガートルードが傷付く事は無かったが、周囲は彼女に気を遣う。
そんな折り、中央大陸で唯一の獣人の国、アストリッツァ国から婚姻の打診が届く。
王太子クラシオンとの、婚約ではなく一気に婚姻とは……
彼には最愛の番が居るのだが、その女性の身分が低いために正妃には出来ないらしい。
その事情から、醜女のガートルードをお飾りの妃にするつもりだと激怒する両親や兄姉を諌めて、クラシオンとの婚姻を決めたガートルードだった……
※ 『きみは、俺のただひとり~神様からのギフト』の番外編となります
ヒロインは本編では名前も出ない『カリスレキアの王女』と呼ばれるだけの設定のみで、本人は登場しておりません
ですが、本編終了後の話ですので、そちらの登場人物達の顔出しネタバレが有ります

二度目の婚約者には、もう何も期待しません!……そう思っていたのに、待っていたのは年下領主からの溺愛でした。
当麻月菜
恋愛
フェルベラ・ウィステリアは12歳の時に親が決めた婚約者ロジャードに相応しい女性になるため、これまで必死に努力を重ねてきた。
しかし婚約者であるロジャードはあっさり妹に心変わりした。
最後に人間性を疑うような捨て台詞を吐かれたフェルベラは、プツンと何かが切れてロジャードを回し蹴りしをかまして、6年という長い婚約期間に終止符を打った。
それから三ヶ月後。島流し扱いでフェルベラは岩山ばかりの僻地ルグ領の領主の元に嫁ぐ。愛人として。
婚約者に心変わりをされ、若い身空で愛人になるなんて不幸だと泣き崩れるかと思いきや、フェルベラの心は穏やかだった。
だって二度目の婚約者には、もう何も期待していないから。全然平気。
これからの人生は好きにさせてもらおう。そう決めてルグ領の領主に出会った瞬間、期待は良い意味で裏切られた。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
婚約破棄されて辺境へ追放されました。でもステータスがほぼMAXだったので平気です!スローライフを楽しむぞっ♪
naturalsoft
恋愛
シオン・スカーレット公爵令嬢は転生者であった。夢だった剣と魔法の世界に転生し、剣の鍛錬と魔法の鍛錬と勉強をずっとしており、攻略者の好感度を上げなかったため、婚約破棄されました。
「あれ?ここって乙女ゲーの世界だったの?」
まっ、いいかっ!
持ち前の能天気さとポジティブ思考で、辺境へ追放されても元気に頑張って生きてます!
【完結】リクエストにお答えして、今から『悪役令嬢』です。
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
恋愛
「断罪……? いいえ、ただの事実確認ですよ。」
***
ただ求められるままに生きてきた私は、ある日王子との婚約解消と極刑を突きつけられる。
しかし王子から「お前は『悪』だ」と言われ、周りから冷たい視線に晒されて、私は気づいてしまったのだ。
――あぁ、今私に求められているのは『悪役』なのだ、と。
今まで溜まっていた鬱憤も、ずっとしてきた我慢も。
それら全てを吐き出して私は今、「彼らが望む『悪役』」へと変貌する。
これは従順だった公爵令嬢が一転、異色の『悪役』として王族達を相手取り、様々な真実を紐解き果たす。
そんな復讐と解放と恋の物語。
◇ ◆ ◇
※カクヨムではさっぱり断罪版を、アルファポリスでは恋愛色強めで書いています。
さっぱり断罪が好み、または読み比べたいという方は、カクヨムへお越しください。
カクヨムへのリンクは画面下部に貼ってあります。
※カクヨム版が『カクヨムWeb小説短編賞2020』中間選考作品に選ばれました。
選考結果如何では、こちらの作品を削除する可能性もありますので悪しからず。
※表紙絵はフリー素材を拝借しました。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる