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しおりを挟む初夏――。
キリシア侯爵家自慢の庭園には、色とりどりの花が咲き誇り、手入れが行き届いた木々の隙間からは柔らかな木漏れ日が差し込んでいる。白のクロスが敷かれたテーブルには芸術品のようなスイーツと紅茶が並んでおり、年若い令嬢たちによるティーパーティーが開かれていた。
主催しているのは侯爵家の長女キュニィ。ミルクティー色のふわふわの髪と、秋空を溶かしたような青の目を持つ、小柄な少女だ。今年十八歳になった彼女だが、顔にはまだ幼さが残っている。ふくふくとした薄いピンクの頬っぺたは、詰め込んだタルトのせいで膨れ、食べるのに忙しいようだ。
通常、貴族の令嬢が頬張って食べるのは行儀が悪いとされる。しかしキュニィにしてみれば、崩れやすいタルトをフォークで小さくし、皿の上でボロボロにしながら食べるほうがよっぽど美しくない。片手で摘まめるような小ぶりなタルトもあるにはあるが、カスタードクリームをたっぷりつめて、何種類ものフルーツで飾った物のほうが美味しいに決まっている……という持論を、自分が主催するお茶会の時は、繰り広げていた。さすがに招待された場所で、自分ルールで振る舞ったりしないが。
キュニィのお茶会に招待されるのは、気心の知れた仲のいい令嬢ばかりだ。子供の頃からの付き合いで、小動物のような外見も相まってか、キュニィを妹のように可愛がってくれている。そのため、貴族の女の戦場ともいえる社交界で、貴族令嬢としては少しばかり変わっているキュニィを悪し様に話すこともなかった。
少女たちの笑い声が弾ける。明るく、和やかな時間が流れる中に――乱入者。キリシア侯爵家の執事に伴われて、ひとりの青年が現れた。
「キュニィ」
「? ふぁへふ?」
「食べながら喋るな」
どこか色っぽい、甘い顔立ちの青年は呆れたように言う。肩の上で真っ直ぐ切り揃えた金色の髪が風になびき、陽光が反射してキラキラと輝いていた。
キュニィは来訪者に首を傾げながらも、口の中のタルトを飲み込み、濃い目に淹れてもらった紅茶をひと口。カスタードクリームをさっぱりといただける組み合わせに、顔を緩ませてくふくふと笑う。
「おい、キュニィ」
再び呼ばれた名前に、彼女は青年の顔を見る。
「なーに? アレスもお茶会に来たかったの?」
「そんなわけあるか。ちょっと聞きたいことがある」
「聞きたいこと? 何かしら……?」
青年の名はアレス・シャレード。シャレード侯爵家の嫡男で、キュニィとは生まれた頃からの付き合いである。親同士が親友で、ふたりは、いわゆる幼馴染みの関係だ。男女の幼馴染みは、年頃になると疎遠になっていくものだが、彼女たちは珍しく、今でも先触れなく隣り合う領地――家を行き来していた。
だから今回、キュニィはアレスが唐突に現れても驚かず、何しに来たんだろうなと首を傾げるだけだった。お茶会に招待されている面々も、ふたりの関係を知っているため、動揺することはない。一番古い付き合いの伯爵令嬢に至っては、給仕にストロベリーケーキを切り分けさせていた。
「キュニィ、お前、エミリーを苛めているのか?」
エミリー。
アレスがその名を口にした瞬間、ティーパーティーの空気が張り詰める。
「エミリーって? だぁれ?」
緊張感が漂う中、キュニィだけは何もわかっていないようだった。秋空を融かしたような大きな目を、きょとんと丸くしている。
「とぼけるな。男爵令嬢のエミリー・パズワーだ」
「エミリー・パズワー様……んー……初めて聞くお名前だけど、わたしが、その方をいじめているの? どうして?」
「嫉妬したんだろう?」
秀麗な顔を歪め、アレスがフンと鼻を鳴らす。
「嫉妬? 何に嫉妬するの?」
何を言っているのかわからない。キュニィはきょとん顔のまま首を傾げる。
「それはあれだ。俺と仲がいいから……」
「アレスと、そのエミリー様が仲良しだと、わたしが嫉妬するの? どうして?」
「どうしてって……俺を取られると思って……?」
「???」
ますますわけがわからない。キュニィもわかっていないが、言葉にしていくうちにアレスもわからなくなってきたようだ。幼馴染みたちは顔を見合わせたまま、ふたりで困惑した表情を浮かべた。
「ねえ、アレス。わたしたち、婚約してたかしら?」
「してるわけないだろ」
「じゃあ、知らない間に恋人同士だったとか?」
「そんなわけあるか」
「じゃあじゃあ、どうして、アレスが取られると思ってわたしが嫉妬するの?」
「そ、それは……お、俺たちが、幼馴染みだから、だ?」
アレス・シャレードという青年。侯爵家の嫡男であり、その見目の麗しさから、金の貴公子などと呼ばれているが、中身は少々あれだった。日光には当たりません、重い物は持ちません、性別は同じでも騎士団の筋肉達磨たちとは別の生き物です……という風貌であるが、実際、趣味は剣術と筋トレ、男友達と遊ぶの最高、勉強って何をどうやるの? という、子供の頃から成長しない男である。
キュニィとアレスは、似た者同士の幼馴染みだった。キュニィが周囲から妹のように可愛がられているとするなら、アレスは弟のように可愛がられていた。さすがに身体が成長してからは、表立って可愛がられることもなくなったが、幼少の頃は同年代か少し年上のの少女たちに、それはもう、愛でに愛でられていた。
ティーパーティーに参加している令嬢たちは、キュニィを昔からよく知る面々だ。ゆえに当然、アレスのことも昔から知っている。だからこそ唐突に訪れて、よくわからない因縁を吹っ掛けているのを抗議するわけでもなく、黙って見ているのだ。
「幼馴染みって、友達よね?」
「友達……まあ、友達だな」
「友達に新しい友達ができたら、普通、その新しい友達に嫉妬するものなの?」
「そんな普通があるか」
「うん、わたしもないと思うわ。その友達が唯一の友達だっていうなら、ちょっとは執着するんだろうけど……わたし、お友達なら他にもいるし……」
「そうだ、な……?」
何故アレスが苛めだなんだと、おかしなことを言ってきたのかは不明なままだが、話は終息の気配を見せてきた。
「うん、そうよ。だからわたし、嫉妬なんてしないわ。その、エミリー・パズワー男爵令嬢は、何か勘違いしてるんじゃないかしら?」
「………………」
ついに黙りこくったアレスに、キュニィはくすくす笑って、控えていた使用人に目配せをする。使用人は視線だけでキュニィの意図を把握し、テーブルに椅子をひとつ手早く追加した。
アレスはキュニィに何を言われるより前に、運ばれてきた椅子に座る。目の前に淹れたての紅茶を出されて、彼は静かに口をつけた。手入れされた庭園のティーパーティーで令嬢たちに囲まれる姿は、まさしく金の貴公子のそれだが、付き合いの長い面々が見惚れるなんてことはなく、むしろ微笑ましげな顔をしている。
「アレスは知っているでしょう? わたし、あなたの恋人や婚約者にはなりたくないの」
「……ああ」
「わたしはね、あなたのお義母様になりたいわ。ねえ、アレス。おじさまは、いつになったらわたしを後添いに迎えてくれるのかしら?」
キュニィ・キリシア侯爵令嬢の初恋が、アレスの父――ガーラン・シャレード侯爵であることは、社交界ではそこそこ有名な話だ。本人も否定せず、キリシア家の当主である彼女の父親も否定しないことから、内定しているのだと実しやかに噂されている。
「わたし、もう十八歳になったわ。この国では立派な大人よ。わたしを早くお嫁さんにしてくれるようにって、おじさまに言ってくれる?」
「……伝えておく」
「ふふ、うれしい。ありがとう、アレス」
ミルクティー色の髪を揺らし、くふくふ笑うキュニィは幼い顔立ちをしている。それでも頬を染めて目をとろけさせたその顔は色っぽく、誰がどう見ても、恋する女のソレだった。
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