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幕章 ︎︎オリオン青年物語
71:過去編②:ホワイトディアの親子:Sideオリオン
しおりを挟むすぐに丸まろうとする書状を、アルタイルが手で広げたまま読み進めていく。補佐官の執務机に尻を乗っけたオリオンは、兄の手元を覗き込む形で、やや字体が崩れている書状の文面に目を通した。
手紙の差出人は、南部の辺境伯――ラスティ=メンドーサだ。
同じ王国に属しているとはいえ、南のメンドーサ領と表立った付き合いはほとんどない。辺境伯やその親族が王都に召喚された際、顔を合わせて挨拶をする程度だ。その程度の関係にも関わらず、援軍要請の書状が届いた。つまり、戦況が差し迫った状態であるということだ。
「南で戦が起きたのは知ってんな?」
兄弟の父である辺境伯――カノープス=ホワイトディアが口を開いた。
「メンドーサ領よりもさらに南にある国――クバル帝国が挙兵した。国境付近で、メンドーサの私兵とやり合ってるらしい」
「あの辺の国境は、確か……密林を越えた先の、砂漠の手前の大河ですよね?」
アルタイルの問いに、カノープスが「ああ」と鷹揚に頷く。
オリオンは兄が読み終えたばかりの書状を受け取った。改めて文面を読み直しながら、父と兄の会話に耳を傾ける。
「大河が正確な国境ってわけじゃねえ。あの河は曲がりくねってやがるしな。だから大河周辺を緩衝地帯ってことにして、帝国とは互いに不可侵っつーのが暗黙の了解だったわけだ」
「暗黙の了解? 条約を結んでいるわけではないんですね」
「大河どころか、砂漠や密林を間に挟んでるんだ。領地を狙って、仮に奪ったところで、統治は簡単じゃねえからな。兵を駐留させるにしても、環境に適応できるだけの地力を持った、決して少なくねえ人数を動員させなきゃならねえ。そうしてる内に奪還されて振り出しだ」
「環境に適応……」
「わかんねえか? 例えば、王国の連中が俺の首を獲って、この北の領地を奪い取ったとする」
唐突に聞こえてきた物騒な言葉に、オリオンは手元の書状から顔を上げた。
兄のアルタイルも、ぎょっとした顔で父を見ている。
「父上、それは、冗談が過ぎます」
「例えばっつたろーが」
カノープスが喉の奥で笑った。
「例えば、だ。敵が俺の首を獲って北部を奪い、兵を置く、あるいは自国民を住まわせたとする。その年の冬が終わる頃には、三分の二は死んでるだろうぜ」
これからますます厳しさを増す、ホワイトディア領の冬を想像し、オリオンは「確かに……」と声を漏らす。アルタイルも納得したように「一朝一夕で適応はできないでしょうね」と同意した。
「どちらにとっても、戦争で得られる利益より、出て行く分が多い。だから条約を結ぶまでもなく、互いに不可侵だった……と、その前提がある上で、それでも帝国は進軍してきたんですね」
兄が言葉を続ければ、父が頷く。
「均衡は破られた。今、南部は不安定だからな。国境を押し上げて、領土を切り取る自信があるってこったろう。現にメンドーサは追いつめられてる。ほとんど交流のないウチにまで、援軍を要請しなきゃならねえくらいの危機に陥ってやがる」
戦況は、ある日急に変わることがある。見境なく援軍を求めているところから察するに、メンドーサ領は戦況の急展開についていけていないようだ。
二年前まで、オリオンは寄宿学校のある王都にいた。
寮で相部屋だった友人が情報通だったこともあり、南部の状況については何かと聞き及んでいる。メンドーサ領がその頃から変わらない状況――もしくは、状況が悪化しているのなら、遠方にまで救援を乞うのは致し方ないのかもしれない。
当時メンドーサ領では反乱が起きる兆しがあった。
通常反乱とは、飢えや迫害の果てに実行されるものだ。南部は肥沃で、王国の食糧庫と呼ばれるほど豊かな土地である。極寒で、限られた食物しか育たない北部とは違う。飢えを知らず、満たされているはずの南の民が、何故、反乱を起こそうとするのか。学生だった頃のオリオンには理解できなかった。
『裏で先導する者がいるんですよ』
そう言ったのは、寮で相部屋だった友人だ。
『満たされている者が蜂起するとしたら、十中八九、宗教絡みでしょうね。信仰心は人間を変えますから。良い方向にも、悪い方向にも――』
友人は小難しい説明をしてくれていたが、遠く離れたよその領のことだと、話半分で聞いていた。ぼんやりと覚えている内容を思い出しつつ、手に持っていた書状を机に置く。
オリオンは口を開いた。
「救援要請は王都や東西にもしていると書かれています。王都は援軍を出さないんでしょうか?」
「ん? おお、そうだな。しばらくはゴネて出さねえだろう」
「何故です? メンドーサ家が差配する領地とはいえ、王国も国土を切り取られるのは不本意ではないのですか?」
「南は裕福だからな。中央は辺境の力を削いでおきてえのさ。領地を切り取られたところに駆けつけて、颯爽と取り戻してやりゃあ、でけえ恩も売れるしな」
父が眉を顰め、フンと鼻を鳴らす。
「中央の連中にとっちゃ、辺境はいつまで経っても違う国なんだろうよ……蛮族と一緒くたにされたウチは、いつまで経っても蛮族。そういう風潮は何十年経っても消えやしねえ」
「クソヤロウ共ですね」
「オリオン。口が悪いぞ」
ついこぼれた悪態を兄に窘められ、オリオンは口を噤んだ。
中央の貴族たちの考えが、父の言う通りだというのは、寄宿学校時代に嫌というほど実感している。中央の貴族令息のほとんどが、辺境と呼ばれる地域の子息たちを見下し、侮り、蔑んでいた。身体が大きく、武に優れたオリオンに表立って敵対する者はいなかったが、裏で何かと言われていたのには気付いている。
もちろん、全ての学生がそうではない。オリオンと相部屋だった侯爵子息は、中央や辺境などの分け隔てなく交友関係を広げていた。もっとも、純粋な交友関係ではなく、彼にとって利用価値があるかなどの非常に利己的な基準があったようだが。
だが、少なくともオリオンは生涯の友を得たと思っている。ゆえに卒業して二年が経った今でも、頻繁にではないが、手紙のやり取りをしていた。
「なんにしても、王都の援軍が到着する頃には、南は大打撃を受けてるだろうよ。領内の反乱に、帝国の挙兵……収穫期が終わってんのが、不幸中の幸いか。アルタイルよ、どう見る?」
「……西は西で敵を抱えています。東は情勢こそ落ちついていますが、送れる戦力には限りがあるかと。あそこは海上戦にはめっぽう強いですが、地上戦はあまり得意ではありませんしね。帝国の戦象部隊を相手取るのは厳しいかと」
「戦象部隊……?」
「なんだ? オリオンは見たことねえのか?」
飛竜と同じく、強大な戦力である、戦象。普通の象とは違い凶暴で、肉食の獣であるらしい。直接見たい気持ちはあるが、その辺に生息している生き物ではない。オリオンは「文献では見たことがあります」と言いながら、好奇心が滲む眼差しを父に向けた。
「戦象は飛竜よりもデカいぜ。飛竜に乗れるのが専門職の人間だけのように、戦象に乗れるのも限られた人間だけだ」
こんな風に、とカノープスは身振り手振りを交えて戦象の話をする。
「象の背中に土台置いて、壁と屋根をつけて、そこから戦象の左右の牙に結んだ綱を引いて操るんだ」
「壁と屋根、ですか?」
「ケツが痛くならねえように、座るとこに布や枕を敷いたりしてだな……ありゃ鞍っつーよりも、小屋って言うほうがいいか」
「小屋……」
「分厚い皮膚に覆われた身体に、固い蹄……戦象は歩かせて前進するだけでも、どえらい兵器になる。倒すのは困難だ。止めるには戦象本体よりも、騎乗者を狙うのが定石だわな」
「なるほど……」
そこまで聞けば、戦象の背に小屋を乗せる理由もわかる。弓矢などで騎乗者が狙い撃ちされないためだろう。巨体の象の背は当然、地面から離れている。左右と後ろの三方を板の壁で囲み、屋根までつければ、そう簡単に撃ち落されることはない。
メンドーサ家が手こずるはずだ。
王都と東西に援軍を要請したが、結果は芳しくない。そこで南の領主は、ほとんど交流のない北のホワイトディア家に援軍を求めたのだ。
おそらくあまり期待はしていないのだろう。だがなりふり構っている状況ではないと判断したのかもしれない。このままでは領地が帝国か、あるいは、恩を着せようとしている中央の貴族――もっと言えば、王家に切り取られてしまう。
では北の人間に借りを作ってもいいのかと言えば、そうでもない。単に両者よりはマシだということだ。
遠く離れた、風土も何も違う地を統治するのは難しい。極寒の北部に生きている人間が、非常に温暖で環境も慣習もまったく違う地を手にしたところで、できることは限られる。向こうは、ホワイトディアに領地を切り取られる可能性は低いと判断したのだ。
ホワイトディア側にしてみても、領地などではなく、相応の謝礼を受け取ったほうがいい。
「まあ、なんにしても戦象の相手は面倒だ。戦いに慣れてねえなら余計にな。メンドーサ家が謝礼を奮発するはずだぜ」
書状には援軍に対する謝礼の話があった。詳細は詰める必要があるが、決して少なくない量の食料を融通するというものだ。
北部の寒さは厳しく、限られた食料しかない。長距離の輸送の手間を考慮したとしても、戦力を対価に南部から食料を入手するのは悪くない話だ。
アルタイルが苦笑を漏らした。
「父上は、私とオリオンに意見を聞かせろと言いました。ですが、もうすでにお心を決めているのではありませんか?」
「まーな。これから本格的な冬がくれば、最前線は睨み合いだろ? ウチもあっちも動けなくなって戦況が落ちつく。戦象部隊を止めるくらいの援軍は、送っても問題ねえ」
「そうは言いますが……オリオン」
にやりと笑う父を前に、兄は頭を抱える。そして代わりに言ってやれとばかりに、オリオンの名前を呼んだ。彼は頷き、小さく息を吐く。
「規模に関係なく、飛竜部隊が王都の上空を飛べば、問題にされますよ」
問題になるのではない。問題にされるのだ。
反乱を起こすのか、蜂起するのか、などと難癖をつけられかねない。王都――中央の貴族は、地方だ、辺境だと蔑みながらも、隙を見つけては足を引っ張ろうとする。普通その行為は下にいる人間が、上にいる人間に対して行うべきものだろうと、オリオンたちは辟易していた。
「中央の連中には好きに言わせとけ」
カノープスが赤い目を細める。
「戦果を挙げれば問題ねえ。南部を救ったって実績がありゃ、ゴチャゴチャ言いたい連中も黙らざるを得ないだろ? 中央が出せねえ援軍を、王国のために、代わりに出してやんだからよ」
兄弟は顔を見合わせた。
「オリオン、見ろ、この顔。父上は出陣する気だ」
「援軍を出すにしても、父上が出ることはありえませんよ」
「ああ?」
不満げな顔のカノープス=ホワイトディアを前に、兄弟は呆れて溜め息をつく。ふたりは腰を上げるとカノープスが座す正面に進んだ。座った父を見下ろす形で立ち、アルタイルが白銀の髪を掻いた。
「何を不服そうにしているんですか。当然でしょう? 自国ならいざ知らず、いったいどこに、王自ら援軍に駆けつける国があるんです?」
「俺は王じゃねえぞ。辺境伯だ」
「そう呼ばれるのを一番嫌っている人が何を言っているのか……援軍の将は叔父上たちのどなたか、腕利きの騎士に任せましょう。なんなら、私が出ますよ。最前線は落ちつくでしょうし、その間ならホワイトディア領を空けても――」
「俺が行く」
オリオンは兄の言葉を遮って言った。
アルタイルが「お前が?」と眉を寄せる。カノープスは楽しげに「へえ?」と口の端を持ち上げた。
「俺が行きます」
改めて、彼はそう言い切った。
「当主である父上が領地を離れるのは問題です。同じく、後継者である兄上に、遠く離れた土地で何かあればそれも問題でしょう? 次男の俺なら、まあ……あれですし、援軍としての格を損なわない。だから、ここは俺が」
死ぬつもりはないが、戦いの場では、何が起こるかわからない。命の保障などないのだ。戦場という場面では、命が非常に軽くなる。かつて王国だった地の、覇者の血筋であっても。
言葉を濁したが、オリオンが何を言おうとしたかはわかったのだろう。アルタイルが神妙な顔で、見据えてくる。
「私や父上が死ぬのは問題で、お前なら問題ないということはないぞ」
「わかってる。そんなつもりはさらさらないから安心してくれ」
「だったら、いいが……」
「アルタイル、そう重く受け止めんな」
「父上……」
「こいつは北の男だ。なんだかんだ言いながら、戦象とやり合ってみてえのさ。俺やお前を差し置いてひとり楽しもうって腹だ」
だろ? と、続けたカノープスは、愉快そうな表情を浮かべてオリオンを見た。決してそれが全てではない。だが、その理由がないとも言えないため、彼は咄嗟に口を噤んだ。父はそんな息子の反応を、肯定と捉えてしまったらしい。
「ほらな?」
「オリオン、お前ってやつは……父上をどうこう言えないじゃないか……」
違う。そうじゃないんだと、オリオンは否定しようとした。だが、兄から向けられる目は、どこまでも生温かい。おかしそうにケラケラ笑う父の声を聞きながら、二十歳の青年は、苦い顔で視線を逸らすことしかできなかった――
――その後、ホワイトディア領から、南のメンドーサ領への援軍派遣が、正式に決定した。
若手の有望株の飛竜騎士を中心に結成された部隊で、率いるのは領主の次男オリオン=ホワイトディアである。彼は三十人の飛竜騎士と斥候、後方支援の衛生兵など、およそ五十人規模の同胞と共に、南へ向かうこととなった。
「オリオン、覚えておけ。あくまでも防衛戦への援軍だ。どさくさに紛れて帝国に攻め込んでやろうなんて考えるんじゃないぞ」
兄は最後の最後まで、オリオンが暴走しないように釘を刺してくる。
「いいな? 防衛に徹しろ。こちらから手を出したら最後、コトは南部だけの問題じゃなくなる。国を挙げての、いつ終わるかもわからない戦乱の時代に入るぞ」
「そのほうが南部にとっては良さそうだけどな。中央が援軍を出し渋れなくなる」
「むやみに戦禍を広げる必要はない。防衛に徹して敵を追い払い、緩衝地帯をこちらが実効支配する名目を手に入れる……その辺りが、この戦いの落としどころだ」
オリオンよりも長く、それもひとところの戦地に留まっているアルタイルだからこそ、思うところがあるのかもしれない。兄の言葉はとりあえず頭の中に置いておくことにし、彼は戦いへ向かう支度を終えた。
出立の間際――
「初孫と子供が生まれたばかりなんだ。俺のことは気にせず、城で楽しく過ごされてください」
そんな生意気なことを、オリオンは両親と兄夫婦に言い残した。戦場へ向かう高揚感と、婚約や結婚を迫る女性陣から逃げられる解放感が、自然と彼の口を動かしたのかもしれない。
「オリオン=デイヴィス=ホワイトディア!!」
格式も伝統もあったものではない言葉に、怒声を挙げたのは、母か義姉か。聞こえないフリをして、相棒――白竜のクィーンの背に飛び乗った。
「オリオン!!」
父の声がして、何かが飛んできた。
「っ!?」
顔面に向かってきたソレを咄嗟に掴む。見ると、それは銀色の懐中時計だった。ホワイトディア家の、白鹿をモチーフにした家紋が彫られている。
父の顔を見れば、口の片端を器用に持ち上げていた。カノープスの口が動く。声は聞こえないが、父は何かを言っていた。口を読んだオリオンが、笑みをこぼす。
冬が本格的に厳しくなり始めた、その日。オリオンは遥か南の地を目指して、ホワイトディア領から飛び立った――。
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