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四章 英雄の花嫁
67:ロヒピーラッカ
しおりを挟む何かが劇的に変化してしまうのではないかという不安な気持ちが、アメリアの頭の中か、心の中か、兎にも角にも、彼女の中のどこかにあった。だからこそ朝を迎えてすぐ、夫となったオリオンに頼み込み、重く、気だるい身体を引きずって旧リュール要塞の一番高い場所へ向かったのだ。
要塞は小さな山の傾斜を利用して築かれている。高い場所からは、二の廓も、三の廓も見下ろすことができ、麓のベオナ村も一望できた。流れの早い川は大きく蛇行しており、その急流の対岸には岩肌の渓谷がそびえている。
風に乗って、ベオナ村から牛とニワトリの鳴き声が聞こえた。アメリアの赤い髪が風に巻かれて大きく踊る。山に差す陽光は眩しく、急流は光を反射してキラキラ輝いていた。小さな虫の、渓谷に住まう野生の小動物の、鳥の囀りの、光の、温度の、香りの、全てが美しい。
(ああ、何も変わっていない……わたしはちゃんと、その全てが、愛おしい――)
アメリアは母譲りの緑の目を、柔く細めた。無意識のうちに涙がこぼれる。隣で目を見開くオリオンに何かを言う余裕もないくらい、アメリアは美しい大自然と対面することができた。
それから彼女は絵を描いた。
何もかもを意識の外に置いて、筆を動かし――その日と、次の日、また次の日の朝までキャンバスと向き合い――最後は倒れるようにして眠りについた。
目が覚めたのは、一日と半分が過ぎた今――昼の頃だ。
意識が浮上して身体を起こせば、彼女は広いベッドにひとりでいた。夫婦の寝室の窓には厚手のカーテンがかけられており、眩しい日差しは入って来ない。目を閉じて身体をベッドに沈ませれば再びすぐ眠れそうだが、なんとなく、そんな気にはならなかった。
ベッドサイドのテーブルに置かれていた水差しを手に取り、グラスに注いで口に含む。喉が渇いていた。グラスいっぱいの水を飲み干し、彼女は息を吐く。
(オリオン様は、いないのね)
どこへ行ったのかしら、と不思議に思いながらも、アメリアは寝室に備えつけられているベルを鳴らし、着替えを手伝ってもらうために侍女を呼んだ。
着替えだけのつもりだったが、結局、湯浴みやマッサージもしてもらった。気だるさはまだある。専任侍女のリサによると、オリオンはアメリアが目覚めるより少し前に、メルクロニア城へ向かったらしい。
リサが「お部屋で過ごされますか?」と聞いてきた。アメリアは少しだけ逡巡し、首を横に振ると、旧リュール要塞を見て回ることにした。
外観の武骨さと相反して、改装された内側はその辺の貴族の屋敷よりも調えられている。廊下に置かれた花壺や彫刻、壁に飾られた絵画は見事な拵えだ。置き物の華やかな色合いはもちろん、絵には祝福を意味する天の使いや獣などが描かれたものばかりで、統一感がある。おそらく今回の改装に併せて用意された物だろう。
じっくりと見て回るのは、この場所へ来て初めてのことだ。ゆっくりとした足取りで要塞の中を歩き回っていると――
「アメリア様。お目覚めになられたのですね」
「ラファエルさん?」
前から歩いてくるのは、結婚式で実父に代わり、オリオンの元までエスコートしてくれた画商――ラファエルだ。その日のような着飾った身なりではないのに、一歩進む度に隠しきれない優雅さが滲み出ている。
すぐ傍まで来た彼は、麗しい貌に微笑みを浮かべていた。
「あなたはいつでも突然現れるのね」
「昨日の夕に参りました。画家ルーカス=アストライオス在るところ画商のラファエル在り、ですよ」
柔い表情のラファエルと、微かに疲労の色を残したアメリアが見つめ合う。鈍い人間なら気付かないくらいの一瞬の沈黙が落ち――先に口を開いたのは、歳を重ねた彼のほうだった。
「何もお聞きにならないのですか?」
「何もっていうのは、ラファエルさんのこと?」
「気になりませんか?」
アメリアに向けられる彼の瞳からは、落ちついた色が見て取れた。自分のことを聞いてほしいのか、聞いてほしくないのか。そのどちらとも取れる声音に、彼女は小さく首を傾げる。
「僕が何者なのか、アメリア様が知りたいとおっしゃるのであれば、正直にお答えしますよ」
気品を漂わせた彼が、どこか誘うような色合いを瞳に潜ませて言う。彼女はそんなラファエルに目をまたたかせ、次いで、くすくすとおかしそうに笑った。
「べつに教えてくれなくてもいいわ。あなたは画商のラファエルさん。わたしの大切な理解者で……お友だち……? だもの?」
「お友だち、ですか」
「その表現が違うと思うのなら、ごめんなさいね。ラファエルさんも知っているように、わたし、人同士の関係性の名前にあまり詳しくないの」
「謝らないでください」
祖父と孫ほど歳の離れた彼は、優しい顔をしている。
「嬉しいものですね。年齢を越えて尊敬し、憧れてやまない方に、お友だちだとおっしゃっていただけるのは……父や祖父でも良かったのですよ?」
「父や祖父? ……ラファエルさんがそっちのほうがいいのなら、それでもいいわ。でもね、わたしにとっての『父』や『祖父』っていうのは、わたしの中でそんなに大きな存在ではないの。だから、あえて関係性に名前をつけるのであれば、お友だちがいい。そう思ったのよ」
ラファエルの存在は、実父やふたりの祖父よりも遥かに大きい。それなのに、あえてラファエルを『父』や『祖父』の位置に下げようとは思いもしなかった。
「なるほど。そうでしたか。では、改めて……アメリア様が『お友だち……?』と疑問を呈す形ではなくなるように、正式に、僕とお友だちになってください」
「ええ、もちろんよ」
アメリアとラファエルは顔を合わせて笑みをこぼす。和やかな雰囲気が流れるその場所に――
「お友だちのお友だちなら、私めともお友だちになっていただけますかぁ? 偉大なる女王陛下ぁ」
ゆったりと間延びした声が響いた。
ひょっこりと廊下の曲がり角から顔を出したのは、オリオンやラファエルと同年代くらいの男性だ。白いコックコートを身に纏っているところを見ると、メルクロニア城から派遣された料理人なのだろう。
ニコニコ笑いながら近付いてくる料理人に、ラファエルが呆れたような表情を浮かべていた。
「リーフパイ、いい歳をしてまだそのような喋り方をしているのですか?」
「はあ、すみませんねぇ。育ちが良くないものでぇ」
「育ちの問題ではないでしょう。五十年近く辺境伯家に仕えているのです。学んでいて然るべき、ですよ」
「寛大な主人に恵まれましたぁ」
「『恵まれましたぁ』じゃありませんよ」
会話の応酬にアメリアは右、左と交互に視線を動かす。随分と気心が知れた仲のようだ。リーフパイと呼ばれた彼が言っていたように、ふたりは友人関係なのだろう。
「ラファエルさん、こちらは?」
「ああ、申しわけございません。アメリア様。この男は――」
「リーフパイと申しますぅ。よろしくお願いしまぁす」
「リーフパイさん……?」
随分と美味しそうな名前だ。
「アメリア様、リーフパイは偽名ですよ」
「……え?」
お菓子の名前なんて珍しいとは思ったが、まさか嘘だとは思わなかった。リーフパイと名乗った老人を見れば、悪びれた様子もなく肩を竦めている。
「偽名って言い方は悪意がありませんかぁ? あだ名ですよぉ、あだ名ぁ。私めは何を隠そうパイが大好物でしてねぇ。本名がリーフなので、仲間内ではリーフパイと呼ばれていたのですぅ。それが長い時間をかけて、すぅっかり浸透してしまいまして、今では得も言われぬ美味しさを持つ菓子の名を名乗っているのですよぉ」
ほっほっほ、とリーフパイが楽しげに笑った。
「それにぃ、偽名だなんだと『ラファエル』に言われるのは、ねぇ?」
「ほう?」
「昔は『様』をつけて呼んでいましたけどぉ、今となってはただの画商なわけですしぃ……ほっほっほ、貴方を呼び捨てできたりぃ、オリオン様の花婿姿を見れたりぃ、長生きはするものですねぇ」
機嫌よくほくほくしているリーフパイに、隣でラファエルが溜め息をつく。この男には何を言っても響かないと言わんばかりで、もう諦めているらしい。
そんなふたりを見ていると、リーフパイがふとアメリアと目を合わせて微笑んだ。
「それに、女王陛下にもお目通りが叶いましたしねぇ」
「さっきから何度か口している、その『女王陛下』っていうのは……?」
「北の王であるオリオン様の伴侶であらせられるのですしぃ、女王陛下で間違いないでしょう?」
「リーフパイ、彼はすでに王の座を退いていますよ」
首を傾げるリーフパイに、ラファエルが言った。
「ほっほっほ、私めの王はひとりだけですからぁ」
「そういうことはあまり大きな声で言うものではありませんよ」
「私めがこういう考えだというのはぁ、みぃんな知っていますからぁ」
再びの溜め息混じりの忠告も、やはり、リーフパイには響いていなさそうだ。
「でも『女王陛下』はやめてほしいわ。普通にアメリアと呼んでくれる?」
「お望みとあらば、アメリア様と呼ばせていただきますぅ。ところで、アメリア様、お腹は空いていらっしゃいませんかぁ?」
「お腹……?」
アメリアは自身の腹部に手を当てる。最後にきちんとした食事を摂ったのは、記憶にある限り、結婚式の日の夕食だ。おそらく何も口にしていないということはないだろうが、少なくとも記憶にはない。
「お腹、空いているのかしら?」
「ではぁ、お腹いっぱいですかぁ?」
「いっぱい……ではないわね」
一日と半分ほど眠っていたこと、目覚めて歩き回っていたこともあり、満腹感はなかった。
「ではではぁ、リーフパイの特製ロヒピーラッカをぉ、食べに参りましょう」
「ロヒピー……?」
「ロヒピーラッカですぅ。米という穀物とぉ、グラブラックスとぉ、ゆで卵を重ねたパイ包み焼きですよぉ」
「グ、ラブ……?」
聞き慣れない名前の連続に、アメリアはぱちぱちと翡翠の目をまたたかせる。
「グラブラックスですぅ。生の鮭を塩と少しの砂糖、黒胡椒、白胡椒、ディルなどのスパイスや香辛料で漬けたものですねぇ。漁師が保存食として作っていたのが起源なんですよぉ」
まるで子供に話して聞かせるように、リーフパイは面倒な顔ひとつせず、優しい表情と声で説明してくれた。
「盛り付ければ鮮やかなオレンジ色でぇ、スモークサーモンと似ていますがぁ、これがまた違った美味しさでしてぇ。オリオン様も好物なんですよぉ」
「そうなの?」
「はぁい。ロヒピーラッカは、固く絞ったヨーグルトと塩コショウを焚いた米に混ぜてぇ、パイ生地に乗せるんですぅ。そこにぃ、グラブラックスとぉ、好みの大きさに刻んだゆで卵を順に重ねてぇ、パイ生地で包み焼きにしまぁす」
料理人の彼は、ひと言ひと言を区切りながら、身振り手振りを交えてロヒピーラッカの作り方を口にする。アメリアは頭の中でまだ見ぬロヒピーラッカなるものを想像していた。
「焦がさないように焼き上げるとぉ、切った時に綺麗な断面になるぅ、ロヒピーラッカの完成でぇす! ヨーグルトにスパイスや香辛料、レモンなんかを混ぜたソースをかけたりぃ、溶かしバターをかけたりしてぇ、食べたりするんですよぉ。オリオン様はぁ、バターのほうがお好きですぅ」
「そうなの?」
「ええ、信じてくださぁい。オリオン様の味覚はばぁっちり把握していますぅ。何せ私めはそれを見込まれてぇ、オリオン様の小腹埋め係として派遣されておりますからねぇ」
「小腹埋め係? 初めて聞く役職ね」
「正式なものではありません。この男が勝手に言っているだけです」
ラファエルが溜め息を漏らすのは、もう何度目だろう。いつも優雅で上品さを隠しきれないラファエルが、同年代の男に振り回される様子は、なかなか珍しい。
「オリオン様はぁ、たくさんお食べになるでしょう? 一日三食では足りずにぃ、鍛錬後の補食であるとかぁ、午後のティータイムであるとかぁ、夕食前のつまみ食いだとかぁ、深夜の軽食であるとかぁ――」
リーフパイが指を折りながら例を挙げていく。
聞きながら、改めて思い返してみれば、確かにオリオンはよく食べる。お茶の席に出された菓子はもちろん、夜中の食事に誘ってくれたり、彼自身が作った料理を振る舞ってくれたこともあった。
「我らが王はぁ、夕食前には戻るとおっしゃっていましたからねぇ。飛竜に乗ったあとのオリオン様の胃袋はぁ、夕食まで待てないですぅ。その前に軽く何かつままれるでしょうから、このリーフパイ、小腹埋め係としてロヒピーラッカを用意していたわけですぅ。たぁくさん焼いたので、アメリア様も食べましょう!」
料理人の彼は「ついでにラファエルもどうぞぉ」と笑い、ラファエルは「あなたとアメリア様をふたりきりにするはずないでしょう。あることないこと吹き込まれては困りますからね」と何度目かわからない溜め息をついている。
親しい友人同士の空気を感じ、彼女の口元が綻んだ。きっと、彼の誘いに乗ってロヒピーラッカというものを食べに行けば、楽しい時間を過ごすことができるだろう。話している内にお腹も空いてきた。
(オリオン様のお好きな料理……)
アメリアは答えるために、口を開き――
――およそ一時間後。
アメリアは旧リュール要塞の高い場所へ足を運んでいた。昼を過ぎた時間、遠くの空を照らす日はまだ明るく、夕暮れ前の仄かな黄色に彩を変え始めるまで時間がかかりそうだ。これから太陽は光をだんだんと弱めていって、やがて夕日へと変わるだろう。
彼女は絵を描くために足を運んだ――のではなく、オリオンが帰ってくるのを待っていた。キャンバスも絵の具も持ってきていない。後ろにはラファエルがいて、アメリアの背越しに同じ方向を見つめている。
「彼が戻るのは夕食の前です。まだしばらくは帰ってきませんよ」
後ろからかけられた声に、アメリアは振り返って苦笑した。
「わかっているわ。でも、いいの。オリオン様が帰還なさるのを待つわ」
「長くなりそうですね。日傘を用意させましょうか」
「ごめんなさい。気を遣わせてしまって……」
「いえいえ、かまいませんよ。ルーカス=アストライオスの『刹那~メルクロニアの黄金城~』を預からせていただきましたからね」
「ええ。絵のことは任せるわ。ラファエルさんの好きにして。それが一番いいもの」
アメリアは表情を緩ませてそう言うと、再び視線を前へ向ける。武骨な灰色の要塞の高い場所は、常に強い風が吹いていた。冬もこれが吹くのだとすれば、雪山の肌を攫った風はさぞかし冷たいことだろう。
「――――――」
「……え?」
風が強く吹き、ラファエルの声が上手く聞き取れなかった。思わずまた後ろを振り向けば、彼が隣に歩いて来てくれる。
「よく聞こえなかったわ。なんて言ったの?」
「アメリア様にとって、彼が大切な存在になっているようで、安心しましたと……そう申し上げました」
ラファエルの表情は穏やかだ。オリオンがアメリアを見つめるのはまた違う、慈愛と優しさ、安堵の滲んだ眼差しだった。
「わたしね、大切にするって決めたのよ」
アメリは微笑む。ラファエルも微笑んだ。
「ええ。わかっております。先ほど――リーフパイの誘いを断った時、アメリア様の気持ちの一端を窺い知ることができました」
――リーフパイに軽食に誘われたアメリアは、グリーンアイをそっと細めて、首を横に振った。
『オリオン様のお好きなものなら、あとで一緒に食べたいわ』
その言葉にラファエルとリーフパイは顔を見合わせる。そして眩しいものを見るかのような視線をアメリアに向けたのだった――
強い風に、アメリアは艶のある赤い髪を手で押さえる。
「アメリア様、ご存知ですか?」
「なぁに?」
「美味しいものを分け合いたいと思う相手がいるのなら、それはその人にとって、大事な相手である、ということをです」
「そうなの、ね……うん……うん、ええ、考えてみれば、そうかもしれないわ」
これまでの人生で、食事という行為に重きを置いていなかった。ゆえに時間をかけることなく、活動する身体を維持できる程度の食事しかしてこなかったのだ。しかしオリオンと出会い、彼に頼ることになって以来、アメリアの食事の時間は遥かに増えていた。
そして、今日に至っては――自ら、彼との食事の時間を願った。
「オリオン様、早くお帰りにならないかしら」
お腹が空いたわ、と――アメリアが漏らした声は、風の音の中に消えていく。渓谷の傾斜を撫でて吹きすさぶ、強い風だった。
(あ――)
遠くの空で、何かが光る。
聞こえるはずがないのに、飛竜の翼が風を切る音が聞こえた気がした。
「オリオン様――」
光がだんだん近付いてくる。白竜の銀の鱗が太陽を反射しているのだろう。微動だにできないまま、彼女は前方を見つめていた。白の女王と、彼女に乗る英雄――夫の姿が、次第に大きくなってきて――
「これはこれは、早いお帰りですね」
隣でラファエルが驚きだとばかりに呟く。アメリアはその言葉に何かを返せるだけの余裕がなかった。彼女の意識はただ真っ直ぐに、オリオンへと向けられている。
気のせいだった、飛竜の翼が風を切る音が本当に聞こえてきて――
「アメリア? ここで何を――」
クィーンの背から飛び降りたオリオンが、紅玉の目を見開きながら近付いてきた。一歩の歩幅が大きい。待っていればすぐに傍まで来てくれるはずだ。だが、アメリアの足はその場に留まらず、彼に向かって動き出していた。
すぐに、ふたりの距離が縮まる。
「おかえりなさいませ、オリオン様。あの、わたし――」
いろんな気持ちが込み上げてきた。言いたいこともある。けれども、どれを選んで表に出せばいいのか、咄嗟の判断ができない。それでも開いた口は、彼女の意図せぬままに動く。
わたし、お腹が空きました――と。
オリオンはわずかに困惑の表情を見せたが、すぐに合点がいったとばかりに美しい目を細めると、大きく広げた両腕でアメリアを抱き上げた。
急に地面から足が離れ、彼女は両手をオリオンの肩につく。だがそんなことをしなくても、腰と太腿の裏を支えてくれる腕はたくましく、不安定さは微塵もなかっただろう。
いつもと反対に、アメリアはオリオンを見下ろしていた。彼の熱のこもった目に、自分の姿が映っている。力強く、安心できる腕の中に閉じ込められ、あの日の夜を思い出し――アメリアの頬が赤く染まった。
「お腹が空いた、というのは、その……」
「うむ。私も腹が減った。厨房に何かつまめるものがないか、探しに参ろうか」
「厨房には、ロヒピーラッカがありますよ」
「何? そうなのか?」
「はい。一緒に食べたくて、お待ちしていました」
ふ、とオリオンが笑う。
「待たせてしまってすまぬのう。詫びに、私が手ずからそなたに食べさせよう」
冗談か、本気か。読めない声音と笑みで言うオリオンに、アメリアがした返事は――『大丈夫です』か、『お願いします』か……答えを知るのは当人たちと、複雑そうな、けれどどことなく安堵の表情を浮かべる、画商の老人だけだった――。
四章END
//五章『隠し孫?篇(仮)』の執筆のため、しばらく更新はお休みさせていただきます。三章から間が空いての更新となりましたが、たくさんの方に読んでいただき、本当に嬉しいです。多くのコメントやエールなど、執筆中の励みになりました。
四章。ここへきてようやくタイトル詐欺を回収でき、ホッとしております。結婚まで長かったと、書いてる本人も思っていました。大きな事件があったわけではありませんが、アメリアの家族に関する価値観を掘り下げたり、感情面の成長を描けたりできて満足です。
オリオンも連載開始の当初に予定していたよりも、随分積極的にアメリアを求め出しました。英雄の最後の恋(愛)を、今後も大事に書いていければと思います。
改めまして、最長の章に長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。
20230608 32
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