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四章 英雄の花嫁
64:旧友の襲来:Sideオリオン
しおりを挟む結婚式を挙げて、三日後――。
「オリオン=デイヴィス=ホワイトディア!! 君はなんということをしてくれたんですか!!」
旧リュール要塞に滞在するオリオンの元に、激怒した旧友が訪ねてきた。竜騎士と共に飛竜に同乗し、夕日を背負って飛来した友人――ティグルス=メザーフィールドは、貴族令息の嗜みとして身につけた槍を手に、美麗な貌を憤怒に染めていた。
それは紛れもない殴り込みである。
普段から冷静沈着、有知高才の男が声を荒げて激昂していた。話が通じなさそうな旧友に詰め寄られるのは、長い付き合いの中で、その日が二度目だ。
一度目はまだお互いに若かりし頃のこと。寄宿学校を卒業したあとのオリオンは、辺境伯家の次男として惜しげもなく武才を振るい、若気の至りか、白竜のクィーンと共に戦場で好き放題暴れ回っていた。
敵国に単騎で乗り込んで戦果を挙げたオリオンは、英雄となって帰還した。そんなの元へ、ティグルスは今日のように槍を片手に詰め寄ってきたのだ。他の者たちが称賛し、英雄を崇めているのをよそに、彼だけは『そんなに死に急いでいるのなら友人として願いを叶えてさしあげましょう!』と、激怒していたのを覚えている。
「まあ、待て。落ちつけ、ティグルス」
「これが落ちついていられますか? 我が槍の錆にしてさしあげましょう!」
「いい歳したジジイが無理をするでない。腰を悪くするぞ」
「それを君が言いますか! いい歳をしたジジイが、よくもまあ恥知らずな真似をしましたね!? この好色ジジイ!!」
「そう言うてくれるな。とりあえず中に入って話そう。槍は置いていけ。そなたの腕では私には勝てぬ」
「刺し違える覚悟です」
「物騒だのう。いらん覚悟をするでない」
オリオンはティグルスの手から槍を奪うと、オロオロと様子を見守っていた竜騎士に渡した。メルクロニア城で訓練を見ていた若い騎士で、おそらく無理矢理ティグルスに連れてこられたのだろう。帰る前に上官に宛てて一筆書いてやろうと言えば、ホッとしたように感謝の言葉を口にした。
グチグチと文句を漏らすティグルスを応接室に案内し、使用人に気持ちを落ち着けるハーブティーを持ってくるように頼んだ。
改装したばかりの室内には真新しいテーブルやソファが置かれている。まだ客を入れたことも、大事な話をしたこともない空間の雰囲気は軽く、使い込まれた部屋独特の空気は感じられない。
ソファに腰を下ろして向かい合うと、ちょうど使用人がハーブティーと菓子を運んできた。テリーザがメルクロニア城から派遣した使用人は誰もが有能な人材で、過不足なく働いてくれている。下がっているように言えば、応接室にはオリオンとティグルスのふたりだけが残った。
爽やかな香りのするお茶を口に含み、オリオンは旧友を見る。言葉を覚えるよりも早く感情を制御する術を身につけた、と評されるほどの男だというのに、今は不機嫌さを隠そうともしていない。歳を重ねてなお気品が溢れる美麗な貌には、オリオンへの不満が見て取れた。
(式から三日か……ふむ、思うていたよりも足止めができたようだのう)
結婚式が終わってメルクロニア城へ向かったティグルスには、鍵を渡していた。それはバラリオスからメルクロニアへ来て以来、アメリアが描き溜めた絵を保管している部屋の鍵だ。それを渡しておけば、彼女の絵に惚れ込んでいる旧友は夢中になり、いくらかの足止めになるとわかっていた。
そして、その程度の思惑は、冷静さを取り戻したティグルスに容易く看破されるであろうこともまた、織り込み済みだ。想定では一日以上の時間を稼げればいいと考えていたが、事を起こしてみれば三日稼げた。
「オリオン=デイヴィス=ホワイトディア」
ティグルスはカップに手も触れない。じっとオリオンを見据えていた。それでも声を荒げないところを見ると、若い竜騎士を拉致する形で襲来し槍を振り回さない程度の落ち着きは取り戻しているようだ。
「確かに僕は、終生の友である君に『好色ジジイ』になってくれと頼みました。孫ほど歳の離れた令嬢を娶り、夫となって庇護してほしいと、この僕が君の元へ話を持ち込んだことは事実です。しかし――」
「誠の意味で夫婦になるとは思っていなかった、か?」
「ええ。白い結婚のまま君は死んでくれると思っていましたよ」
「随分な物言いだな」
「言葉を選んでいないだけです。貴族らしく不明瞭な言葉で罵倒することもできますが、君を相手にそうする必要はありませんからね」
正面の男は怒りの感情をそのままオリオンへ向けてくる。ホワイトディアの名を冠する自分を相手にこのような態度を取れる人物はそもそも少なく、歳を重ねるにつれてますます少なくなった。
「確信犯でしょう? 僕がアメリア嬢の絵を見ている間に、何もわかっていないあの子を手籠めにした。違いますか?」
「確信犯ではない。そなたを足止めしたのは事実だが、仮初ではなく、誠の夫婦となることを選んでくれたのは彼女だ」
「馬鹿おっしゃい。アメリア嬢が愛や恋はもちろん、感情の機微に疎いことは君もわかっているはずです。何かの変化があったとしても、半年やそこらで君と男女の仲になることを望んだと言うのですか? そこに、オリオン=デイヴィス=ホワイトディア。君の誘導はまったくなかったと言えますか?」
歯に衣を着せぬ物言いの、明確な追及だ。旧友の真っ直ぐな目に射抜かれる。瞳に浮かんだ怒りの感情とオリオンを非難する色は、それだけ彼がアメリアという人間に強い想いを抱いていることの証明に他ならない。
結婚式のエスコートも、そうだ。慣例であれば父親が花婿の元へ娘をつれて行くのだが、アメリアをエスコートする役目を、ティグルスは実父から奪った。
裏でどうこう画策していようが、表ではきちんと慣例を守ることが大切である。そうすることで貴族の品位は保たれるのだ――という言葉は、王国の貴族社会で多方面に向けて暗躍する、メザーフィールド侯爵家の人間がよく口にするものだ。
彼自身もその教えを軸に生きてきたに違いない。それにも関わらず、目の前の男はなんの躊躇もなく表に出て、慣例を足蹴にした。六十年近く浸っていたこれまでの価値観を捨ててしまえるほど、大きな感情をひとりの女性へ向けているのだ。それこそ長年の友人を敵視し、糾弾するほどには――
「誘導がまったくなかったとは言えぬ。だが強制はしていない。彼女に選んでもらわなければ意味がないのだ」
「まさか君がそれほどアメリア嬢に骨抜きされるとは……誤算もいいところです。わかっているのですか? 余程のことでもない限り、君も、僕も、あの子を残して逝くことになるのですよ?」
残すべきものはたくさんある。人脈、財産、誰にも邪魔されない権力――しかし、果たして男女の愛など残して逝くべきなのだろうか。いずれその時が来ても彼女はまだ若く、画壇では賞賛を浴びる立場に成っているはずだ。未来のある若者の枷になるだけではないか、と――ティグルスは静かに言葉を続けた。
彼の言うところを、オリオンとて考えていないわけではない。全て考えた上で、結婚式の夜を彼女と共に迎えたのだ。
「わかっている。それでも……いずれ私が逝く時、隣には妻となった彼女にいてほしいと思うてしまったのだ」
オリオンは紅玉の瞳を細める。
「若い頃は己がこの歳まで生きるとは考えておらなんだ。戦場で暴れるだけ暴れ、そこで骸と成り果てると思うていたからのう。なんの因果か辺境伯となり、妻子を持たぬ決断をしてからは、アークトゥルスたちに看取られる最期になろう、それならば上々の人生だと考えていた」
「そこでアメリア嬢と出会い、最期を託したいと思うほどの情を抱いたと? そしてそれを実行するために踏み出した……君という人は、王の座を退いても気質は当時と変わりませんね」
ティグルスが眉間の皺を揉むように指を動かす。頭が痛いと言わんばかりの彼の態度に、オリオンは肩を竦めた。
「辺境伯とはいえ、実質、君は北の地の王でした。王なんてものはね、傲慢で強欲な生き物なんですよ」
「それは偏見であろう。私欲に囚われる権力者ばかりではない。世界を見れば清廉潔白な賢王とているではないか」
「清廉潔白? 魑魅魍魎が蠢く貴族の社会で頂点に君臨し、清廉潔白な政を行う王ほど傲慢で強欲なものはありませんよ。それは魑魅魍魎共を踏み潰し、己の信ずる政を行っていることなのですから」
「そういう見方もできんことはないが、私がそうだと言いたいのか?」
オリオンが首を傾げて尋ねる。ティグルスはふんと鼻で笑った。
「君が辺境伯だった頃、家臣の多くは妻を娶り、子を成すように進言しました。しかし君は決して受け入れず、自身の思うまま甥に辺境伯の爵位を返したでしょう? 施政者としてはいかがなものかと、僕は未だに思っていますよ」
「何? まだそのような小言を言うのか」
「もちろん、君の決断を否定はしません。けれどその手のことは多々ありました。辺境伯となってからも戦場へ赴いたり、なんの根回しもなく甥と南の姫の婚約を承認したり――」
「ああ、もうよい。それ以上言うでない」
苦々しい顔でティグルスの言葉を制す。さんざん喋って喉が渇いたのか、そこでようやく旧友の彼はカップに手を伸ばし、ぬるくなったハーブティーに口をつけた。優雅に飲んで、音もなくテーブルに戻す。
「君の優先順位が親族に傾いていることは、皆理解しておりました。だからこそ、傲慢さも強欲さも表面化していませんが――君は、この長い人生の中で己の望みを全て叶えてきたでしょう?」
「棘のある言い方をするものだな」
「今回もそうです。アメリア嬢を欲し、手に入れた。やはり未だに君の気質は王のソレですよ」
「手に入れた、か……」
オリオンはティグルスの言葉を繰り返し、小さく溜め息を漏らした。長い足と腕を組んで、いじけているような、気まずそうな表情で旧友から顔を逸らす。
「なんです、その反応は?」
「アメリアの中でもっとも大きな存在の男は私だ」
「へえ、それはそれは」
「……だがやはり、彼女の一番は絵なのであろう。夜が明けて目覚めたアメリアは開口一番、なんと言ったと思う?」
「君たちのそういう話を、僕が聞きたいと思っているんですか?」
彼が顔を正面に戻すと、ティグルスは嫌そうな顔をしていた。だがオリオンは話をやめることなく、白銀の前髪を後ろに掻き上げて口を開く。
「『旧リュール要塞で一番きれいな景色が見える場所へつれて行ってください』と言いおった。身体も辛かろうに高い場所へ上り、山の傾斜に築かれた要塞と眼下に広がるベオナ村を見下ろしてのう。川の急流と渓谷を共に見つめ――涙を流したのだ」
「涙……?」
「新たな感情を知り、選択した上で相手に身を預ける……私が考えていたよりも遥かに、アメリアにとっては大きな変化だったのであろう。そうしたことで、自身の感性や、言葉に表せない何かが変わってしまったのかもしれない。うつくしい世界の光を目に映すことができなくなっているのではないか――そんな不安があったらしい」
「っ、結論はどうだったんです? 彼女は尊いものを失っては――」
「おらぬ」
焦燥に駆られた旧友に、彼はきっぱりと言い切った。
アメリアが流した涙は、安堵の涙だ。太陽の輝きも、渓谷の荒々しさも、流れる川の音も――全てがうつくしいと泣いていた。そんな涙を見てしまえば、彼女の身体を気遣って、休みなさいとは言えない。その日から、昨日、今日の朝とアメリアは筆を動かし続け――今は倒れるように眠りについている。
「苦惜しいのう。英雄ごときでは、彼女に絵の才を与えた天とやらに、まだ遠く及ばぬらしい。彼女を手に入れた? まだまだ足りぬ」
「これまで全て手に入れてきたのです。最後にひとつくらい、手に入らない焦燥の中でみっともなくお足掻きなさい」
「……そなた、楽しげに言うておるだろう?」
「楽しいものですか。僕はね、君が彼女に手を出し、好色ジジイを実現させたことを死んでも許しませんよ。父性とはそういうものです」
「何が父性だ。妻も子もおらぬではないか」
「血の繋がりはなくとも、僕は彼女の実父より、よほどあの子を大切に思っていますよ」
「ローズハート男爵家か」
オリオンはヒゲの上から顎を撫でた。
「男爵は、エスコート役の変更を反論なく受け入れたと聞くぞ」
「小さく弱い男爵家ではなく、メザーフィールド侯爵家ゆかりの人間が後ろ盾にいるのだと、周囲に思わせるほうがアメリア嬢のためです。最後の最後で家の利益よりも彼女の利益を優先した……とはいえ、その程度の父性と比べて、僕が負けるはずありません」
「そなたも人のことをどうこう言えぬ程度には、傲慢な自信家だのう」
否定はしませんよ、と同じ歳には見えないほど麗しい老人が、口元に綺麗な弧を描く。腹立たしさよりも、自身のほうが強い想いを抱いているという優越感が勝っているところを見ると、結婚式以降に男爵家の人間と接触はないようだ。
レオル=ローズハート男爵はともかく、利益至上主義の夫人は激怒していることだろう。式場のロンダーク神殿で見たマーガレット=ローズハートは、怒りを押し殺すのに必死の形相をしていた。
「ティグルスよ」
オリオンは旧友の名を呼ぶ。
「明日、私は一度メルクロニア城へ戻らねばならぬ。そなたにはここへ滞在し、アメリアの様子を見ていてほしい。任せてもかまわぬか?」
「頼まれるまでもありません。アメリア嬢のお顔も拝見したいですからね」
「今は眠っておる。夕食にも起きてくるかはわからぬぞ」
「そういう発言は、アメリア嬢の事情を知らない者の前でなさらないように、釘を刺しておきますよ。まるで彼女が好色ジジイに抱き潰されてしまったかのように、周囲に誤解を与えますので」
ティグルスの忠告に、オリオンは目をまたたかせた。そして意味を理解すると、鷹揚に頷く。
「うむ。気をつけよう」
「そうなさってください。それで、明日は朝に発たれるのですか?」
「いいや、急ぐつもりはない。会う約束をしているわけではないからのう。もっとも向こうは私に会いたくて、会いたくて、焦燥に駆られているのであろうがな」
「焦燥感を煽っているんですね。よろしい。もっとやっておしまいなさい」
今頃メルクロニア城で焦っているのであろう、ローズハート男爵家の人間を思いながら、ふたりの老人はくつくつと喉の奥で笑った。いくつになっても、友人と一緒だと子供染みたことをしてしまう。そして総じてそれは愉快なものだ。
ハーブティーがワインに変わる時間になっても、ふたりの会話は途切れることなく続いていたのだった――。
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