絵描き令嬢は元辺境伯の愛に包まれスローライフを謳歌する

(旧32)光延ミトジ

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四章 英雄の花嫁

48:ティーハウス

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 窓が開け放たれた部屋の中に、午後のやわい空気が入ってくる。

 温室でプリシア=ローズハートが倒れて数日が経った。

 アメリアは結婚式当日の流れを確認しながら、ミモザが唇を尖らせながら語る話に耳を傾ける。どうやら異母妹は病の床から完全に復活し、婚約者のノアを引きつれては毎日のように城下の街へ出かけているらしい。

「はあ、そうなのですね」

 話して聞かせてくれているのが、何故か自分を慕ってくれている相手のため、彼女は相槌を打つが、あまり興味が惹かれる内容ではなかった。

 倒れた異母妹の見舞いには行っていない。表向きは熱に浮かされたゆえの妄言ということになっているが、あの日、プリシアが喚いていた言葉が本心であることくらいはさすがのアメリアもわかっている。だからわざわざ異母妹の元へ足を運び、火に油を注ぐような真似はしなかった。

 結婚式における教会での席順をミモザの母――テリーザがテーブルに広げた紙面を使って説明していく。

 この時アメリアは初めて、自身の母親の実家であるケイト=スペード子爵家の人間が参列することを知った。慣例的に招待状を送りはしたが、まさか本当に来るとは思わなかったのだ。紙面上の字を見る。産みの母の生家ではあるが、ローズハート男爵家の縁者以上に関わりのない相手だ。なんの感慨もない。

 アメリアはケイト=スペードの文字から目を離した。彼女にとってはなんでもない確認作業のひとつだったのだが、正面のテリーザはそうは思わなかったようだ。あえて何ごともなかったかのように目を逸らした、とでも誤解されたのだろう。痛ましげに、その美貌を歪めた。

「アメリア様、気にする必要なんてないわ」
「ええ、そうよ。あんな人たちのことなんて……!」

 正面のテリーザだけでなく、隣に座るミモザまでも柳眉を歪めている。どうやらなんのことだかわかっていないのはアメリアだけらしい。ただふたりの淑女が抱く不快感の矛先が向けられているのがどこなのかは、なんとなく察しがついた。

「まったく……」

 夫人が静かな怒りを滲ませている。

「アメリア様のご親類を悪く言いたくはないけれど……男爵家も子爵家も何を考えているのかしら? 結婚式のためにホワイトディア領へ来ているということを、両家は忘れてしまっているようね」
「花嫁に挨拶もしないで計画書だとか、予算だとか、事業の話ばっかりするなんてありえないわ!」
「本当に。でも安心なさい。躍起になってその手の話をしたところで、アークトゥルスは結婚式が終わるまで返事もしなければ関心も示さないわ。彼にとって、大事な叔父様の、大事な結婚式だもの」

 関わりが薄くとも花嫁の親族であるため見逃されているけれど、内心では腹立たしく思っているのだと、テリーザは碧の目を細めて微笑んだ。

 辺境伯家に睨まれた弱小貴族。常識的に考えれば生き残れるはずがない。それでも現状見逃され、このままとんでもないことさえしでかさなければ、潰されることはないだろう。生死を分ける細く張り詰めた糸。本人に意図はなくとも、それを握っているのは間違いなく、アメリアだった。

 ぎゅっと、指先がぬくもりに包まれる。ぬくもりの元を見れば、ミモザの白く嫋やかな指がアメリアに触れていた。そのまま手を取られる。彼女の両手はアメリアの手を包み込むように握り締めた。

 そして彼女は母によく似た顔で微笑み――

「ねえ、アメリア。例え血は繋がってなくても、あんな人たちよりわたくしたちのほうがあなたの――」
「ミモザ=ホワイトディア」

 ミモザの言葉をテリーザが静かな声音で遮った。彼女の口元には柔らかな笑みが湛えられ、慈愛に溢れた碧の目がミモザに――ミモザと、アメリアに向けられている。

「その言葉を言うべき方はあなたではなくてよ?」
「あ……そうですわね。大叔父様を差し置いて、わたくしが口にしていいことではありませんでしたわ!」

 にこやかな母娘を前に、アメリアは話についていけず首を傾げた。だが自分ひとりが理解できていないことに不満はない。白鹿の淑女たちが微笑めば、その場は和やかであたたかい空気に包まれる。それは慣れない温度ではあるが、居心地の悪さを感じるものではない。

 そのまま穏やかな時間が流れる――かと思われた。しかし、こののちにミモザが発したひと言に、アメリアは目をまたたかせることとなる――

 ――今日の分の結婚式の支度を終え、アメリアはミモザとテリーザのふたりと分かれて部屋へ戻った。そしてその後、部屋まで迎えに来たオリオンに連れられて城を出ると、彼が昔から通っていたというティーハウスへ足を運んだ。

 オリオンが姿を現すとすぐに個室に案内され、紅茶と共に軽食と菓子が運ばれてくる。三段重ねのティースタンドには、下の段から具材が違う数種の小さなサンドイッチ、小ぶりだが繊細な飾りつけのケーキ、クロッシュで保温されたスコーンが順に乗せられていた。

 落ちついた雰囲気の内装の中、微かに音楽が聞こえてくる。遠くの部屋でヴァイオリンを演奏しているようだ。アメリアは紅茶に口をつけ、小さく息を吐いた。

「美味しい紅茶ですね」
「店主がこだわっておるからのう。各地を練り歩き、美味い茶葉を見つけては送りつけてくるそうだ」
「では、店主はいつも留守なのですか?」
「うむ。今は妻と息子夫婦が中心となって経営している。サンドイッチも絶品だぞ。何せこだわりの強いその店主がひと口食べた瞬間あまりの美味しさに衝撃を受け、サンドイッチを作った女性にプロポーズしたという逸話があるほどだ」
「ということは、レシピは奥様のものなのですね」

 アメリアはキュウリのサンドイッチを手に取り、口に運んだ。柔らかいパンに挟まれたキュウリは薄く、なんなく噛み切れる。パンに塗られたバターの香りと、味つけされたキュウリの塩味、ワインビネガーの酸味が絶妙だった。自然とふた口目を食べてしまう。

 正面の席に座ったオリオンが目尻に皺を刻んで微笑んだ。

「美味かろう?」
「はい。すごく」

 飲み込んで頷けば、オリオンもキュウリのサンドイッチを手に取った。アフタヌーンティー用の小さなサンドイッチは彼が持つとますます小さく見える。そのまま眺めていると大きな口に吸いこまれるように消えていった。そして彼の手が今度はエッグサラダのサンドイッチに伸びる。

 気持ちがいいくらいの食べっぷりだ。アメリアは紅茶にミルクを注ぎ、スプーンで掻き混ぜて飲む。ミルクにもこだわっているのだろう。茶葉の香りを邪魔しないだけでなく、より香ばしさを感じられるようになる。紅茶を飲んで胃が温まってくると、自然とふたつ目のスモークサーモンのサンドイッチに手が伸びた。

(これも美味しい)

 空腹だったわけではないのに、珍しくアメリアの食が進む。とはいえそれは少しずつ、だ。小さなサンドイッチをゆっくり噛んで飲み込み、紅茶で喉を潤す。時折、オリオンとの会話を挟めば、彼女のティースタンドの下段はなかなか空かない。その間にオリオンはティースタンドの中段を制覇しようとしていた。

 その様子を見ながら、アメリアは気になっていたことを尋ねる。

「オリオン様、今日はどうして、ここへお誘いくださったのですか?」
「ん? ああ、伝えておらなんだか」

 オリオンは「すまん、すまん」と笑い、アメリアのティースタンドに残るサンドイッチへと視線を向けた。

「結婚式後のパーティーで、このティーハウスのサンドイッチが料理のひと品として並ぶことになっておる。城の者は私が昔から足繁く通っていたのを知っていて、選出してくれたのだろう」

 懐かしげな表情を浮かべるオリオンを見つめる。ティースタンドへ向けられていた彼の目がアメリアのほうを見た。視線が絡むと、オリオンが表情を緩める。

「当日の主役は忙しい。移動やら挨拶やら衣装の支度やらで、食事どころではなくなるであろう。この絶品のサンドイッチを食べずして、バラリオスへ戻るのはもったいないと思わぬか?」
「それほど召し上がりたかったのですね」
「食い意地が張っていると笑うか?」

 冗談めかした物言いにアメリアは首を横に振った。口元が自然と緩み「いいえ」と軽やかな声が紡がれる。

「本当に、絶品のサンドイッチですから」
「そうであろう、そうであろう。ゆえにそなたにも食べさせたかったのだ」
「そのためにお誘いくださったのですね」

 オリオンが小さく笑って紅茶のカップに唇を寄せた。アメリアも紅茶を飲む。華美な装飾のない、木目の壁が美しい落ち着いた雰囲気の個室。どちら茶葉の香ばしさを楽しむその瞬間だけ、ふたりの間に沈黙が落ちた。

 ほう、と短く息を吐き、先に口を開いたのはアメリアだ。

「改めて、ホワイトディア家の強大さを、実感しました」
「ん? 何があった?」
「ミモザ様とお話ししていて、婚約者の方も参列してくださると……」
「デンホルム殿だな」
「ええ。王国の第四王子殿下にあらせられる御方です」

 将来はミモザ=ホワイトディアと婚姻し、爵位を得ての臣籍降下が決まっているとはいえ、直系の血を継ぐ王族だ。本来のアメリアであれば、例え男爵家の家督を継いでいたとしても、尊顔を拝すことができないほど尊い身の上の人物である。

「王族の方が参列してくださると改めて聞いて、恐れ多い気持ちよりも、あまりにも規模が大きすぎて実感が湧かなかったというか……」

 結婚式の支度を行う中、ミモザは話のついでとばかりに『あと何日かすればわたくしの婚約者がくるわ。紹介するわね!』と告げてきた。彼女にとってはなんでもないことのようだった。

 そして、その基準は彼女だけでなく、ホワイトディア家の人間全てに当てはまるのだろう。個人として話していると忘れてしまいそうになるが、目の前にいる彼は、その最たる人物と言っても過言ではない。

「王族と聞けば遠い存在のように思うであろう。だが、ひとりの人間として見れば、なかなか真面目で朴訥とした若者だ。偉ぶり驕った、傲慢さというものはない」
「……少し、気が楽になりました」
「言葉と顔が一致しておらぬようだが、まあ、実際に会ってみなければわからぬか。いずれ身内となる相手だ。そう構えずに顔を合わせる日を待つと良い」
「身内……」

 彼女にとってピンとこない言葉だった。家族と似たような意味合い、だろう。家族ではなく親しい者。例えば世話になっている画商のラファエルや、出会って以来身の回りの世話をしてくれているリサ、バラリオスで顔馴染みとなった数人……思い浮かぶのはその程度だ。

「家族でなく、身内という距離なら、上手く関係を築けるのでしょうか」
「家族では近すぎるか?」
「というよりも、よく、わからないので……わたしの知る家族の形は、ローズハート男爵家と、ホワイトディア辺境伯家だけです。違いすぎて……参考に、できないのです」

 ローズハート男爵領に移る前、家にいた頃のアメリアは空気だった。実父も義母も彼女に関心はない。異母妹は何故か敵意を向けてきながらも触れようとはせず、アメリアはそこに存在しないように扱われていた。

 ホワイトディア辺境伯家の家族の形は、アメリアの知らないものだった。あたたかく、信頼関係があり、言葉にせずとも互いへの敬意と好意が伝わってくるような、不思議な形だ。そして何よりも不思議なのは、そこに自分自身が受け入れられようとしているということだった。

『だってあんた、家族を大切にする方法なんて知らないでしょ? そもそも家族がなんなのかすらわかっていないのに?』

 温室で投げられた異母妹の言葉が頭から離れない。

『人間に、他人に興味なんてないくせに……そんな人が、誰かを大切にしたり、愛したりできるとでも思ってるの!? それはただの見よう見まねで、本当の意味で大切にできてるわけじゃないんだから!!』

 アメリアは喉を潤そうとカップを持ち上げたが、ミルクが混ざった紅茶を飲むことはせず、そのままテーブルへ戻した。

「きっと、わたしも同じだったんです」

 静かに、アメリアの声が空気を震わす。

「家族をいないもののように扱っていたのは……嫌いという感情こそ向いていませんでしたが、無関心でした。絵を描ければそれだけでいい。向こうがわたしと関わらないのと同じくらい、わたしも――」
「それは違う」

 彼女の言葉を低い声が遮った。

「同じではないぞ。関心を持たぬことと、敵意を向けること、陥れ排除に動くこと、それはまったく違うものだ」
「そう、なのでしょうか?」
「それに家族の形というものに、決まった形はない。家の数だけ、人の数だけあるのだ。ゆえに間違いや正解を、第三者が語ることはできぬ。重要なのは、そなた自身がどのような関わりと繋がりを『家族』の形に当てはめたいのか、だ」

 紅玉の瞳がアメリアを映している。真っ直ぐな目に見据えられ、視線を逸らすことができない。彼にとって――否、ふたりにとって大事な話なのだろう。

「アメリア嬢。遠くない内、私とそなたは夫婦に……ひいては家族となる。それゆえに考えなければならぬのだ。私たちがどのような形の家族となるのか、をのう」
「どんな、形か……」
「答えはすぐ出るやもしれぬし、長い時をかけて見つけねばならぬやもしれぬ。それでもこれはどちらかひとりが考えるのではなく、ふたりで話し、心を通わせ、導き出さねばならぬことだ」

 共に考えよう、と。

 右も左もわからない。答えなど到底、想像できるものではない。それでもアメリアは、オリオンの提案を苦だとは、微塵も思わなかった――。



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