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四章 英雄の花嫁
45:親子とは、家族とは
しおりを挟むメルクロニア城にローズハート男爵家の面々が到着したらしい。
らしい――というのは、アメリアは出迎えをしていないからだ。彼女の知らぬ間に実父と義母、異母妹とその婚約者は入城を果たし、しばらくしてアメリアに到着が告げられた。男爵家側が会うのを拒否したのか、辺境伯家側が気を遣ったのか、はたまた別の理由で知らされなかったのかは定かではない。
到着を知らされたのと同時、父親――レオル=ローズハート男爵がふたりで会えないかと言っていると聞かされた。
(ふたりで何を話すの?)
皮肉ではなく純粋にそう思いながら、アメリアは父親との顔合わせを了承し、用意してもらった応接室に入った。娘であるアメリアと同じ赤い髪の、良く言えば温厚そうな、はっきり言えば気の弱そうな顔は最後に見た時と変わらない。
落ちつかなかったのだろう。先に室内にいたレオルは出された紅茶に手をつけるでもなく、ソファに腰を下ろすでもなく、窓辺を行ったり来たりしていた。窓の向こうでは細い線のような雨が降り続いている。
「半年振りですね」
「アメリア……」
「お変わりないようで何よりです」
「お前も変わらないな。どこにいても緊張せず、自分のままだ。ここがどこだかわかっていないのか? ホワイトディア家の居城だぞ? メルクロニア城だぞ?」
顔を真っ青にしながら興奮している。器用なものだと眺めつつ、アメリアはソファに腰を下ろした。レオルは足こそ止めたが、窓際でまるで身体を抱くように腕を組んでいた。緊張と不安で、今にも爪を噛み出しそうだ。
最後に会ったのは彼女がオリオンと婚姻するため、ホワイトディア領へ出立する前だ。見送ってくれたが、親心というよりは、儀礼的に送り出した。冷たくもないが、温かくもない。追い出そうとしているわけでもなければ、名残り惜しいと思っているわけでもない――と、そんな雰囲気の別れだった。
窓の向こうは小雨が降っている。曇天の空は、遠くのほうがより暗くなっていた。あの雲が流れてきたら雨脚が強まるかもしれない。
レオルがアメリアを見る。この場にひとりでなくなったことで、少しだけ余裕を取り戻してきたらしい。
「――上手くやっているのか?」
「どういう意味です?」
「それは、いろいろな意味で、だ。オリオン=ホワイトディア様との関係や、北での暮らしは……順調か?」
「よくしてもらっていますよ。オリオン様にも、他の方々にも」
「……そうか。では――おめでとう、でいいのか?」
「ええ、いいですよ」
そう答えると、父親はもう一度「そうか……」と呟くように言った。そしてソファのほうへ歩いてくると、躊躇いがちにちょこんと腰かける。もう湯気が立たないくらいぬるくなった紅茶を啜り、レオルが小さく息を吐いた。
「オリオン様は、私たち世代の者にとって、憧れの英雄だ。私はそれほど武芸に秀でてはいないが、幼い頃は近隣の領地の友人たちと一緒になって、よく『英雄ごっこ』をしていた。剣を振り回し、竜だと言って丸太に跨ったりしてな」
「それはまた随分と面白おかしい光景ですね」
「今思えばそうだが、当時の男児は皆そうしていた。それもあって、そんな方に娘が嫁ぐのは光栄どころか、恐れ多いのだ……私のような、吹けば飛ぶような弱小領地の男爵風情が、このメルクロニア城に足を踏み入れ、こうして茶まで振る舞ってもらうなど……冷静になればなるほど胃が痛くなる」
自身の胃の上辺りを撫でる男爵に目を向けながら、アメリアは不思議だと言わんばかりの表情を浮かべている。
「子供の頃の話なんて初めて聞きました」
どうして今、父親であるローズハート男爵が自身の思い出話をするのか不思議だった。アメリアの言葉にレオルがはたと動きを止める。そして、まるで顔を隠すように少し俯き、カップに口をつけた。
「ああ、そうだったか」
微かに聞こえた声は、気落ちしているようでもある。けれど普段の父親の声音や様子など知りようもないアメリアには、その些細な変化に気付く術はなかった――
――父親との会話は続かない。アメリアはなんとも思わないが、レオルが気まずそうな顔をする程度の沈黙が流れる中、不意に控え目なノックの音がした。返事をすると扉が開き、リサが顔を出す。
「アメリア様、男爵様。温室でオリオン様と男爵家のご家族様がお待ちです」
「何? オリオン様がいらっしゃるのか? だったらお待たせするわけにはいかないからな。早く行かなければ」
席を立ったレオルは案内をしてくれと、急かすようにリサに迫った。彼が孤児だったリサを連れてきた張本人だからだろう。すでに男爵家の雇用から出たリサに指示を出す権限はないが、当然のように案内を命じていた。
一方の指示されたリサは、ちらりとアメリアへ目を向けてくる。さも男爵に雇用されているかのように指示を受ければ、現在の雇い主――婚姻後はアメリアとなるが、今の段階ではオリオンである――を軽んじることになりかねない。
アメリアは小さく頷いて席を立つ。そしてリサの案内で、レオルと共に温室へと向かった――。
メルクロニア城の温室に足を踏み入れるのはアメリアも初めてだ。屋敷の温室や庭園といった場所には、その家の女主人の趣味嗜好がよく表れる。屋敷の内部を整えるのは女主人の仕事であり、権利だからだ。それは夫など、貴族の世界では強い立場を持つとされる男性側であっても、侵せば非難される領域である。
テリーザ=ホワイトディア――現在、北の辺境領でもっとも身分の高い女性が調えた温室は、華やかで眩しく、甘い香りの立ち込める場所だった。彼女の出身が南の辺境領だからだろう。寒さ厳しい北の大地とは思えないほど、大きく、色鮮やかな温暖な気候で育つ花々が咲き乱れている。天候に恵まれ晴れていれば、なお美しかったはずだ。
土が跳ねないように地面には緑の芝が張られ、通路にはレンガが敷かれていた。その上を進んで行くと、鳥籠のような形をしたガゼボが姿を現す。繊細な装飾と細工が施され、花園に急に現れた鳥籠は、ある種の神秘的な雰囲気を醸し出していた。
ガゼボの中に、すでに席に着く人たちの姿が見える。最初に目に入ったのは、ひと際大きなオリオンの背中だ。その向こうに、数年振りに見る義母と異母妹、その婚約者の姿があった。
アメリアとレオルの到着に最初に気付いたのは、オリオンだ。こちらに背を向けていたのにも関わらず、彼は後ろを振り返って穏やかな顔で目を細めた。
「おお、アメリア嬢、ローズハート男爵、来たか」
オリオンが席を立って近付いてくる。そしてアメリアの前に手を差し出した。エスコートしてくれる、という意味だろう。彼女は大きな手の平にそっと手を重ね、緊張で固まった父を背にガゼボの中へ進んだ。
義母のマーガレットはオリオンの姿を目で追っていた。何を考えているのか表情からは読み取れない。ただ彼女の目だけは凛々と燃え、強い意志を感じさせる。その感情が向いているのはオリオンのほうで、相変わらず、マーガレットの視界にアメリアは映っていないらしい。
ふと視線を感じてそちらを見る。義母とよく似たピンクブロンドの髪が眩しい異母妹のプリシアが鋭い目で睨んできていた。これまでの関わりは薄弱で、数年振りに顔を合わせたというのに、何故睨まれているのか不明だ。
エスコートされたまま席へ着くと、オリオンが隣に腰を下ろした。ようやく動き始めたレオル=ローズハート男爵も夫人の隣――オリオンの正面に座る。落ち着くために紅茶が入ったカップを手にしたが、緊張で震え、カチカチとソーサーとぶつかって音を立てていた。使い物にならないと判断したのか、マーガレットが口を開く。
「オリオン様、先ほどのお話の続きをしてもよろしいでしょうか?」
「ん? ああ、経由地の話だったのう。だがそれは辺境伯から退いた私にどうこうできる問題ではないぞ。アークトゥルスに話すとよい」
「ご謙遜を。長きに渡り北の地を守り続けていらっしゃった御老公様です。今でも貴方様をお慕いする方は多いことと、マーガレット=ローズハート、僭越ながら愚考いたします。ぜひオリオン様にほんの少し、事業を後押ししていただけましたら幸甚の至りですわ」
オリオンが整えた顎のヒゲを撫でた。
アメリアが来るまでに、事業についての話をしていたようだ。義母が積極的に話をし、父は緊張が解けないまま座っているところを見ると、主導しているのはマーガレットなのだろう。
紅茶にミルクを注いでスプーンで軽く混ぜる。カップを手に取った時、前から視線を感じた。アメリアは顔を上げてそちらを見る。視線の送り主はプリシアかと思ったが、意外にも目が合ったのは妹の婚約者だ。
ノア=クローバーフィールド。ローズハート男爵領の隣にあるクローバーフィールド男爵家の三男で、子供の頃に異母妹の婚約者となった、二歳下の青年だ。今思えばその頃――アメリアが十歳の頃にはもう、彼女が長子相続の慣例から外され、男爵家を継げないことは決まっていたのかもしれない。
(そうでなかったら、爵位のない男爵家の三男と、男爵家の次女を子供の頃から婚約させる理由がないもの)
王国の貴族において爵位を持たない者、継げない者同士が結婚することはほとんどない。あるとすれば、余程大きな利権が絡んでいるか、名ばかりの貴族になっても構わないと思えるほどの愛を貫いているか、爵位がなくても生活できる資金を持っているか、他の貴族に見下されないような才能があるか――特別な理由が必要だ。
しかしローズハート男爵家とクローバーフィールド家にそれはない。どちらも地方の弱小貴族だ。近隣の領同士で協力し合わなければ、ちょっとした災害で総倒れにしかねないような力しか持たない。
協力関係にある各家の後継者に伴侶を嫁がせる。そうすることで生き延びてきた家で、上の兄姉を差し置いて、三男と次女を結んだことはない。次女、次男以下は結婚適齢期までに必死に爵位を持つ相手か、裕福な家の相手を探すのが通例だ。
ノア=クローバーフィールド――アメリアがローズハート男爵を継ぐことになっていれば、彼が伴侶だった可能性は高い。もっともそんなことを今考えたところで、現実は何も変わらないのだが。
紅茶を飲む。目の前にはスイーツスタンドがあったが、お菓子に手を伸ばす気にはなれない。
アメリアの隣に座るオリオンに向けて、マーガレットが男爵領の展望を熱弁している。資金や人手に関する問題、解決法など、現実的な計画を話すのと同時に、相手をおだてて自尊心をくすぐるような物言いを混ぜ、巧みな話術と交渉だと言わざるを得ない。
(まるで彼女が領主のようね)
マーガレットの隣で、父はカップを両手に持ったまま、チラチラとオリオンを見ていた。それは見る人が見れば、恋する少女のようだと笑ったことだろう。
そして事業計画案を熱烈に語られているオリオンはといえば、考えの読めない表情でフルーツが乗ったタルトを食べていた。アメリアの手の平に乗るくらいの大きさのタルトを、オリオンが大きな口を開けて食べる。一見、テーブルマナーを無視した粗野な振る舞いに思えるが、正面に座ったマーガレットはほうと息を吐き、レオルは興奮したように目を輝かせた。
話が進まない。
その中で動いたのはプリシアだった。
「お母様、あたし、温室を見てきたいわ!」
「……プリシア、今は大事な話をしているの。それはあとで――」
「いやいや、かまわんよ。テリーザが調えた自慢の温室だ。ぜひ見てくるといい」
「ほら、オリオン様もこうおっしゃってるわ。ね? いいでしょう?」
プリシアの言葉にマーガレットはひたいを押さえる。勝手を許したくはなさそうだが、オリオンが許可を出した以上、彼女が娘を引き留めることはできないだろう。そんなことをすればオリオンの言葉を振り払ったと受け取られかねない。
「――わかったわ。よく見て、勉強させていただきなさい」
マーガレットは危険を冒すよりも、プリシアを自由にさせることを選んだ。オリオンが頷く。
「侍女に案内させよう」
「ありがとうございます!」
年齢よりも幼い顔立ちのプリシアが、はにかむように笑った。ピンクブロンドの艶やかな髪がふわりと揺れる。彼女が髪をひと房耳にかけると、白く小さな耳がちらりと覗いた。プリシアは隣に座る婚約者の腕を引く。
「ノアも一緒に行きましょう?」
「え? いや、ここに残って話を――」
「一緒じゃなきゃイヤなの」
ノアはプリシアの奥にいるマーガレットに視線を投げた。義母になる女性はまばたきをして返事をし、ノアは「わかった。一緒に行くよ」と席を立ち、プリシアに手を差し伸べる。彼女は機嫌良さそうに笑いながら、婚約者の手を取って立ち上がると……アメリアを見た。
「お姉様も行きましょう?」
「……え?」
「久しぶりに会ったんだもの」
にこりと笑う異母妹が何を考えているのかわからない。旧交を温め合うような姉妹関係ではなかった。ゆえに困惑する。
「ねえ、お姉様、いいでしょう?」
父と義母、異母妹の婚約者の視線が突き刺さる。どうやら戸惑っているのはアメリアだけではないようだ。それでもプリシアの言葉を諫めないのは、彼女の言葉が表向きおかしくないことだからだろう。久しぶりに会った姉妹が時間を共にするのを止めるとなれば、それだけの理由があるとつまびらかにするのと同義である。
男爵家側も不仲が露見していないとは考えていないはずだ。しかし調査の上で把握されていることと、自ら明らかにし肯定するのとは、意味合いが変わってくる。
アメリアは小さく息を吐き、オリオンを見た。
「少し、席を外します」
「私を義両親殿の元に置き去りにするつもりか?」
気まずくて泣いてしまうかもしれんぞ、と冗談を飛ばすオリオンに、アメリアは小さく笑みを向ける。行かないという選択肢を作ってくれたのだとわかった。けれど彼女はそれを選ばず「すぐ戻りますから」と言って、席を立つ。
話があるのなら、聞こう。アメリアは笑みを張り付けた異母妹と、彼女の婚約者と共に、温室を見て回ることにしたのだった――。
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