上 下
21 / 70
三章 贋作者騒動

another:ヴァルテンベルク家の夜会①:Sideノア

しおりを挟む

 王立学園を卒業したノア=クローバーフィールドは、王都のタウンハウスを離れて婚約者――プリシアと共に、しばらくローズハート男爵領に居住することになっていた。基本的に領地のことはローズハート家の身内に任せるのが慣例だが、次代の領主が何も知りません、住んだこともありません、では統治もままならない。そのため、数年間の期限付きではあるが、男爵領に居住するのだ。

 もっともノアは領地を管理人に任せっきりにするつもりはない。すぐには無理だろうが、代替わりをした暁には、自分で治めようと考えていた。プリシアが反対しないことはわかっている。管理人が治めるのも、夫が治めるのも、どちらも変わらないと考えているだろうから。

 ローズハート男爵領へ戻る前の、最後の夜会に参加した。学園の同窓生で、よくつるんでいた友人の婚約披露パーティーだ。爵位はあちらのほうが上だが、下位貴族を見下したところもなく、気軽に会話することができる。

 ヴァルテンベルク伯爵家のタウンハウス内にあるパーティーホールは、煌びやかに飾りつけられていた。頭上のシャンデリアは眩く輝き、壁には生花が飾られ、会場中に、ひと目見れば高級品だと分かる調度品ばかりが並んでいる。食事も一流の料理人が腕を振るったのだろう。輝かんばかりの料理の数々だ。

 ノアはプリシアと共にパーティー会場を訪れた。婚約者は目の覚めるようなオレンジ色のドレスを身に纏い、ピンクブロンドの髪に大きな花飾りをつけている。悪目立ちしそうな格好だが、本人がどうしてもこれを着るのだと言い張った。ノアは根気強く説得する気も起きず、自身は黒に近い濃い緑の装いをしている。

 会場についてすぐ、本日の主役であるふたりに挨拶をした。主役とだけあって忙しそうにしていたが、気安く言葉を交わしてくれる。あとで落ち合う約束をし、挨拶だけをして、ひとまずその場を離れた。

「さすがヴァルテンベルク家のパーティーね! 見て、あそこにいるの、デュロイ=マクスウェル侯爵家のジークフリート様だわ!」

 プリシアは目を輝かせながら会場を見回している。名だたる貴族たちの顔を見ては子供のように興奮し、はしゃいでいた。その様子を見て、顔見知りの同窓生の何人かが頬を染めている。鼻で笑ってしまうような話だが、天真爛漫で無邪気に見えるプリシアは、在学中、男子学生に想いを寄せられることが幾度とあった。

(俺には理解できないが)

 やがてダンスの時間になり、楽団が演奏を始める。王都でも有名な楽団で、どれだけの金を積んだのか頭の中で演算し、金はあるところにはあるのだなと、深い溜め息を漏らした。プリシアと三曲続けて踊って、パーティー会場をあとにする。彼女は友人を見つけたようで、ノアが会場を離れると言っても気にしていなかった。

 友人と落ち合うために、タウンハウス内の個室へ向かう。何度も足を運んだことがあるため、迷うことはない。

 扉を開ければ、よく見知った部屋の中にはビリヤード台やカードゲーム用の台、品のいいソファなどが置かれている。学生時代、何人かの友人たちとこの部屋によく集まっていた。その中心にいた人物――アイシー=ヴァルテンベルクはソファに腰かけてロックウィスキーを飲んでいたが、ノアを見て軽く手を挙げた。

「主役がもう来てるとはな」
「大事な相手との挨拶は終わったからいいんだよ。お前も飲むだろ?」
「ああ。一杯くれ」

 アイシーは伯爵家の当主の弟だが、男爵家の子息でしかないノアを見下したりはしない。彼が手ずから注いでくれたウィスキーが入ったグラスを受け取り、ノアは革張りのソファに腰を下ろす。グラスの中身を口に含めば鼻腔にスモーキーな香りが広がった。年代物の高級品だ。

「ついにアイシーも結婚か」
「ああ。そっちもだろ?」
「……だな」

 一緒にパーティー会場に来たプリシアを思い出し、ノアは顔を顰めた。その反応を見てアイシーがケラケラ笑う。

「憂鬱そうな顔するなよ。跡継ぎ作って、婿の地盤を確固たるものにしたら、男爵領をお前が統治していくんだろ? 俺、うちに余ってる子爵の爵位もらって、商売しようと思ってるんだ。こっちとそっちで、いろいろ上手いことやっていこうぜ」
「願ってもない話だな。ローズハート男爵領は田舎だ。君のところと提携できるなら心強い」
「田舎って言うけど、ぶっといパイプがあるだろ?」

 友人はニヤリと笑って、ぐっと顔を寄せてきた。あまりの距離の近さに顔を後ろに背ければ、アイシーは再び笑いながら、元の場所へ戻って行った。

「隠すなよ。聞いてるぜ? 北の辺境伯領と繋がりができたんだろ?」

 それがノアの義理の姉になる女性――アメリア=ローズハートのことを言っているのだと、すぐにわかった。鮮やかな赤い髪と、こちらを見透かすような緑の目を思い出す。北へ渡った彼女は、今頃どうしているのだろうか。元々関わりは薄かった。だが、個人の力ではひと目会うことすら叶わない場所に行ってしまったのだと思うと、言いようのない寂莫を覚えた。

「よく知ってるな」
「情報は金なり、ってな。正式な婚約式があるまでは、そんなに出回らないだろうけど、そのあとはかなりの話題になるぞ」
「そうだろうな。確かに、近年稀に見るぶっといパイプだ」
「北の市場は測り知れないからな。上手くやれば一攫千金も夢じゃない」
「……そう上手くはいかないさ」

 北のホワイトディア辺境領にどれだけの価値があるのか、それを知らない商売人はいない。例え商売をしていなくても、王国の北側に領地を抱えている貴族で、ホワイトディア家を無視できる者はいないだろう。いるとするなら、余程の愚鈍さだ。何せ北は、ひとつの国と言っても過言ではない。

 王国の中枢よりも強大な力を持っているであろう、辺境領だ。これからノアが婿入りする家には、北の辺境領の中心にほど近い場所にいる人物との関わりができた。しかもその人物の妻という、濃い、繋がりだ。

 普通であれば色めき立つものだが、現男爵――レオル=ローズハートは、積極的な交流をしようとしていない。向上心がないのか、権力志向ではないのか、もしくはこれまで無視し続けてきた娘への罪悪感か……。

「姉妹仲悪いんだっけ?」
「ほぼ一方的にな。あいつが目の敵にして、見下してるだけだ。お義姉様はなんとも思ってないんじゃないか」
「ふーん。じゃあ、お前は?」
「え?」

 アイシーの言葉に、ノアは目をまたたかせた。

「だーかーら、お前自身はどうなんだって聞いてるんだよ。義理の姉になる……なんだっけ? 名前……」
「アメリア様だ」
「そうそう、アメリア。アメリア=ローズハート。その人とノアは険悪なのか? 関係性はどうなんだ?」
「俺は……普通だ。別に悪くもないし、すごく仲がいいってわけでも……」

 特に五年ほど前、彼女が領地に引っ込んでからは、会うこともなくなった。だがそれ以前、まだ彼女が王都のタウンハウスにいた頃は顔を合わせる度に、言葉を交わしたりしていた。もっとも、そう頻繫ではなかったが。

「お前がそんな感じなら、向こうもそうなんだろ? 特に可もなく不可もなくな関係なら、話してみればいい。事業提携、商品提供、売買ルートの確立……英雄の妻なら口利きもできるさ」
「……かもな」
「なんだその返事? 乗り気じゃないのか?」
「よく分からない。今さらどのツラ下げてって気もするし、チャンスを逃すのも馬鹿馬鹿しい気もする……」
「なんだそれ」
「いろいろ複雑なんだよ」

 仮に、ノアがアメリアと連絡を取り、それがプリシアの知るところになれば面倒なことになるのは間違いない。

 婚約者の彼女は、異母姉を馬鹿にし、見下し、嘲笑しているが、内心に抱いているのは別の感情だろう。代々のローズハート男爵は、みんな真っ赤な髪をしている。赤を持たない当主となり、正当性を疑われるのを恐れているのだ。相手を下げなければ安心できない、どこまでも追いかけてくる劣等感……おそらく、プリシアはその手の感情を抱いていると、ノアは考えていた。

「複雑か? 本人が複雑に考えてるだけで、実は意外と単純な答えだっていうのは、よくある話だぞ。うちだってそうさ」
「ヴァルテンベルク家?」
「そう。考えてみろよ。当主の兄さんに嫁も婚約者もいないのに、弟の俺が婚約披露パーティーなんてやってるんだぜ。変だろう?」
「まあ、そうだな。よっぽどの理由がない限り、上から順にっていうのが、王国貴族の慣例だ」
「じゃあ、どうして我が家はそうじゃないと思う?」
「それは……」

 ノアは腕を組んでヴァルテンベルク家について思考する。

 ヴァルテンベルク家は王国内でも歴史ある伯爵家で、現当主はアイシーの兄だ。歳は三十前……名門を率いて行くには若い。今でそうなのだから、当然、爵位を継いだ時にはもっと若かった。先代――友人の父は、八年ほど前に夫人と共に馬車の事故で亡くなったと聞いている。つまり彼の兄が伯爵になったのは、二十代前半の頃だ。若すぎる継承は一族内の不和を呼ぶ。もしかするとその時に一族を纏めるため、傍系の人間と、なんらかの、例えば結婚や後継者に関する取り引きをしたのかも――

「はい、時間切れ」
「……制限時間があるとは聞いてない」
「ないとも言ってないし、難しく考えすぎてるようだからな。言っただろ? 答えは意外と単純だって」
「じゃあ、その単純な答えはなんなんだ?」
「ズバリ、兄さんは女嫌いだ」
「……は?」
「女を抱く気になれないらしい。とはいえ別に、男が好きだってわけでもないみたいだけどな」

 女が嫌い。だから結婚しない。

 確かに、単純明快な理由だ。

「でもそれだと、跡継ぎはどうするんだ?」
「俺の子供を養子にするか、自分が退くタイミングで俺に譲るってさ」
「あっさりしてるな」
「あの人は基本的に何にも興味ないんだ……あっ、そうでもないか。二年くらい前から、なんとかって画家の絵を熱心に集めてる。兄さんが芸術に興味あるなんて、最近まで知らなかったよ」

 そう言うと、アイシーはグラスのウィスキーを煽った。

 ちょうどその時だ。部屋のドアがノックされた。アイシーが返事をすると、ヴァルテンベルク家の使用人が頭を下げて入室してくる。

「なんの用だ?」
「いえ、アイシー様ではなく……ノア=クローバーフィールド様、ヴァルテンベルク伯爵がお呼びです」
「……俺を?」
「おいおい、なんで兄さんがノアを呼ぶんだ? つーか、名前を知ってるって……会ったことあったっけ?」
「見かけて挨拶をしたことはあるけど、ちゃんと喋ったことはない」

 ノアは戸惑うが、当主の実弟であるアイシーも困惑しているようだ。なんでだと言わんばかりに首をひねっている。

 何故呼ばれたかは謎だが、無視するわけにもいかない。ノアはグラスを置いてソファから立ち上がった。それに続いてアイシーも腰を上げる。

「俺も行く。なんの話か気になるしな」
「そうか、助かるよ」

 一対一で向き合うより、友人がいたほうが心強い。ノアはアイシーと共に部屋を出て、自分を呼んでいるヴァルテンベルク伯爵の元へ向かうのだった。



しおりを挟む
感想 158

あなたにおすすめの小説

[完結]いらない子と思われていた令嬢は・・・・・・

青空一夏
恋愛
私は両親の目には映らない。それは妹が生まれてから、ずっとだ。弟が生まれてからは、もう私は存在しない。 婚約者は妹を選び、両親は当然のようにそれを喜ぶ。 「取られる方が悪いんじゃないの? 魅力がないほうが負け」 妹の言葉を肯定する家族達。 そうですか・・・・・・私は邪魔者ですよね、だから私はいなくなります。 ※以前投稿していたものを引き下げ、大幅に改稿したものになります。

【完結】高嶺の花がいなくなった日。

恋愛
侯爵令嬢ルノア=ダリッジは誰もが認める高嶺の花。 清く、正しく、美しくーーそんな彼女がある日忽然と姿を消した。 婚約者である王太子、友人の子爵令嬢、教師や使用人たちは彼女の失踪を機に大きく人生が変わることとなった。 ※ざまぁ展開多め、後半に恋愛要素あり。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

貴方が側妃を望んだのです

cyaru
恋愛
「君はそれでいいのか」王太子ハロルドは言った。 「えぇ。勿論ですわ」婚約者の公爵令嬢フランセアは答えた。 誠の愛に気がついたと言われたフランセアは微笑んで答えた。 ※2022年6月12日。一部書き足しました。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。  史実などに基づいたものではない事をご理解ください。 ※話の都合上、残酷な描写がありますがそれがざまぁなのかは受け取り方は人それぞれです。  表現的にどうかと思う回は冒頭に注意喚起を書き込むようにしますが有無は作者の判断です。 ※更新していくうえでタグは幾つか増えます。 ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

側妃契約は満了しました。

夢草 蝶
恋愛
 婚約者である王太子から、別の女性を正妃にするから、側妃となって自分達の仕事をしろ。  そのような申し出を受け入れてから、五年の時が経ちました。

【完結】僻地の修道院に入りたいので、断罪の場にしれーっと混ざってみました。

櫻野くるみ
恋愛
王太子による独裁で、貴族が息を潜めながら生きているある日。 夜会で王太子が勝手な言いがかりだけで3人の令嬢達に断罪を始めた。 ひっそりと空気になっていたテレサだったが、ふと気付く。 あれ?これって修道院に入れるチャンスなんじゃ? 子爵令嬢のテレサは、神父をしている初恋の相手の元へ行ける絶好の機会だととっさに考え、しれーっと断罪の列に加わり叫んだ。 「わたくしが代表して修道院へ参ります!」 野次馬から急に現れたテレサに、その場の全員が思った。 この娘、誰!? 王太子による恐怖政治の中、地味に生きてきた子爵令嬢のテレサが、初恋の元伯爵令息に会いたい一心で断罪劇に飛び込むお話。 主人公は猫を被っているだけでお転婆です。 完結しました。 小説家になろう様にも投稿しています。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。