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10章 理不尽との戦い

10-9 それでも、なお温かい手を乞う

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 温室をソイファ王太子殿下とともに後にする。
 先程、案内に来た使いの者が部屋まで誘導した。

 ソイファ王太子殿下の部屋と隣である。
 ソイファ王太子殿下は俺に宛がわれた部屋に当然のように入ってきた。
 そして、当然のように夢幻回廊を広げる。

「オルト、よく我慢したな」

 頭を優しくポンポンされた。
 俺は涙が溢れ出ていた。

 手放すのは悲しいものだ。
 女性を跳ね除けてまで欲しくないのなら、それまでだ、と言う人がいるかもしれないが、一生その人や子供に恨まれながら生きていくのか?
 それでイーティと幸せに生きていけるのか?
 うしろめたさを一切感じずに生きていけるほど、俺は図太くない。
 幸せに必ず影を落とす。
 お金で解決できたと言っても、それは書面だけで、当事者の感情はどこにもついていってないだろう。

 この後、イーティとその女性が幸せになろうとも、幸せにならなくとも、それはもう俺が手放した先の話だ。
 その子供にとってはイーティが父親なのだから。

「皆が幸せになることなんかないんだな」

「そうだな」

 ソイファ王太子殿下が簡単に同意する。
 皆と言っても、全世界の人間が、ということではない。
 せめて幸せになってほしいと願う人物だけでも、と思うがうまくはいかない。

 幼い頃、俺は他に誰もいない部屋でいつも声を押し殺して泣いていた。
 どれだけ泣いても、誰も慰めてくれないのを知っている。
 兄が貴族学校に入学する前は当たり前のように存在していた兄上の手。
 それ以降の兄上の手は、いつも遥か彼方で、ごく稀に伸ばしてくれる程度になった。

 いつしか、俺は泣くのをやめた。
 泣いても仕方ないことを知った。
 泣いても誰も助けてくれないことを痛感した。

 それは俺だけの不運ではない。
 助けを求めても救われない者たちは大勢いる。
 そうやって、自分を慰めて。


 ああ、それでも。
 俺が温かい手を得るのはそこまで難しいことなのか。
 別に恋人や家族ではなくとも、友人でも何でもいい。
 辛いときにそばにいてくれるだけで、俺はどれだけ救われるか。

 たとえ、それが国を救うための打算的なものであったとしても、義兄として仕方なくそばにいるだけだとしても、そこにいてくれるだけで嬉しいのに。

 かなりの長い時間、静かにソイファ王太子殿下は俺の横にいた。
 本当なら国に帰って、仕事を進めたかっただろうに。




「オルト、このまま一緒に寝てやりたいし、イーティ・ランサスや帝国の悪口を言い合いながら一夜を過ごすのも楽しそうだが、残念ながらここは帝国。別室で寝ざる得ない」

 オルレアとソイファ王太子殿下はまだ結婚していない。
 そして、ソイファ王太子殿下には正妃となる女性がいなくなった。
 側室と先に一夜を共にするわけにはいかない、公には。

 ソイファ王太子殿下の夢幻回廊内にオルレアがいるから、、、これ以上は無粋な話になるから言わないが、ソイ王国で何をしていてもバレはしないのである。
 そして、夢幻回廊は時間をとめることが判明したので、男女でそういう行為をしたとしても子ができることもない。

 俺がオルレアとして入国していなければ、そこまでの対処をしなくても良かったのだが。

「すまない、ソイファ王太子殿下」

「いや、ここはありがとうだろ、義弟殿」

 ニヤリと笑うソイファ王太子殿下。
 そんな顔も様になってしまうのはさすが王族。王族だから何もかも様になるわけではないのだが。

「そうか、ありがとう、ソイファ王太子殿下」

「、、、ここは義兄上殿と返してもらいたかった」

 悔しそうな表情のソイファ王太子殿下。
 だから、義弟殿って言ったのか。

「、、、残念ながらその返しは思いつきませんでした」

 残念そうにソイファ王太子殿下はきちんと扉から出ていった。
 この部屋から空間転移魔法で国に帰ることも可能だったはずだが、帝国に自分の部屋へと戻ったアピールした。


 広い部屋に一人になると、寂しさがこみあげて来る。
 決着をつけるということはこういうことだ。
 夢にさえ見ることができなくなる。余計に寂しくなるから。

 イーティと幸せになれたら、一緒に何ができるだろうと。
 したいこと、やりたいこと、すべてが流れていく。

 誰が悪いわけではない。
 運が悪かっただけだ。

 俺が何も言わなければ、イーティは俺には何も言わず、婚約をそのままにしていたのだろう。
 帝国は最強の盾を手に入れたかったのだから。
 その手を取らないことに決めたのは、自分だ。

 俺には父親がいても上司のような存在であり父親と呼べる存在ではない。
 父親が普通にいるのならいた方が良いと思うのはおかしいことだろうか。
 それでも、恐ろしいほど後悔している。
 けれど、黙っている選択肢は俺にあっただろうか。 


 ポンっとベッドにソイファ王太子殿下が降ってきた。

「公には別室で寝ているから良しとしようではないか」

 ソイファ王太子殿下が夢幻回廊を広げる。

「一晩、泣いている者を放置するほど俺も鬼畜じゃないからな」

「ソイファ王太子殿下、」

「ふふふ、ここは義兄上だろ。甘い菓子を持ってきてやったぞ。ってコレはお前たちのじゃないっ」

 緑の魔法の盾以外にも二枚の魔法の盾がソイファ王太子殿下の持って来たお菓子にたかる。
 彼らは通常運転だ。口もないのに頬にいっぱいに詰め込んでいる。

「ソイ王国の王都で贈られたケーキが食べたいなあ」

「そうか、確かあそこのケーキは」

 我がままを言ってみる。
 夢幻回廊でのソイファ王太子殿下にとっては何の他愛もない要求だ。
 それでも、叶えてもらえることが嬉しいのは事実だ。

 紅茶と数種類のケーキが出てきた。

「これ、食べたことない」

 おそらくソイファ王太子殿下が美味しいと思ったその店のケーキなのだろう。

「本来ならば酒を飲んで憂さ晴らし、というのも良いかもしれないが、オルトはまだまだ若い。それに、今回は酔って忘れるということでもないのだろう。食べたいケーキがあるなら何個でも出してやるぞ」

「嬉しいなあ、義兄上」

 と返したら、ソイファ王太子殿下が照れた。
 魔法の盾がソイファ王太子殿下に甘えている。そのケーキ、我も我もと。

「こいつらの方が甘え上手だよな。オルトから生まれたものなのに。まあ、ウィト王国自体、俺からしたら不思議国家なのだから」

「不思議国家?」

 ウィト王国に最強の剣と最強の盾がいることが不思議なのか?

「お前の兄も友人も、お前がそばにいてほしいときにいないだろ。確かに貴族は体裁を重んじるが、平民のスレイぐらいお前の横にいても良かったんじゃないか。今でこそ奴もお前を追いかけてきたが、うちの国の冒険者たちの方がツラは悪いが一緒にいて居心地がいい奴らだろ」

「その通りだけど」

 一緒にいてほしいと願っても、隣には誰もいない。
 ウィト王国にいる間はそれが当たり前のことだとさえ思っていた。
 最強の盾は結婚しない。生涯の伴侶も得ることができない。
 バーレイ侯爵家当主の最強の剣に気に入られなければ。

 けれど、イーティが横にいてくれるかもしれないと期待してしまった。

「うちの国の身分制度はウィト王国よりも厳しいものだが、身内と認めた者には熱い情をかけてしまう。だからこそ、実力不足のS級冒険者が生まれてしまったわけだが、悪い例ばかりではない。ま、スレイもあの連中のなかにいれば毒されてくるだろう」

 ウィト王国での友人たちの貴族への働きかけもまた必要なことだった。
 それは俺にもわかる。
 それもありがたいことだと俺にもわかるのだが、あのとき俺が欲しかったものは。

「それにオルト、そばにいてくれ、って言わないとわからないこともあるんだぞ。特に愚鈍な相手には」

「言ってもいいのかなあ。いい迷惑じゃないのか」

 温かい手が頭を撫でてくれる。

「今のスレイやグジたちに言ったら泣いて喜ぶぞ。反対に期待を持たせないでくれって泣いて叫ぶぞ」

「期待?」

「イーティ・ランサスの凄いところはお前に言葉で伝え、きちんと行動に移した。言動が伴う奴は信頼できる。ただ、今回は縁がなかっただけだ。今のお前はウィト王国に縛られなくてもいいのだから、お前の縁は世界中に散らばっている」

「、、、そうか」

 世界は広がっているのか。
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