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20章 緩やかに侵食する黒

20-8 黒の軍勢 ※アスア王国の宰相視点

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◆アスア王国の宰相視点◆

 今日の雲行きは怪しかった。
 黒い雲が王都を覆っている。
 雨が降ると、視界が悪くなる。
 ただでさえ魔獣が王都を囲んでいるのに、商人が近づけなくなる。

 アスア王国の暫定政府は、王都の王城を中心に動いている。国民にとっては何が変わったのかと疑問を呈する者も多い。
 実際、自分の仕事もこの状況になってからほとんど変わらない。
 身分も報酬も保証されていないので辛いと言えば辛いが、この苦境を乗り切ることが先決だ。
 避難所でもボランティアで動いている者が数多くいる。
 それと同じことだろう。

 私の執務室で、事務官が書類を持って来た。

「宰相、もうそろそろアスア王国の建国記念日ですね」

「ああ、そういえば。忙しくて忘れていたな。式典等も今年は一切計画しなかったから頭から抜け落ちていた。ギバ共和国のように、アスア王国からアスア共和国にでも国名を変えれば少しは国民の意識も変わるだろうか」

「王族が一人もいないのに王国を名乗るのもおかしい話ですからね」

 私もその言葉に頷く。
 国王も王族も誰一人として見つかっていない。遺体さえも残されず、消息さえも途絶えたままだ。
 長い付き合いの彼らだ。
 できれば、どこか遠くで見つからずに生き延びてくれれば、と私は思う。この願いは一生、口には出さないが。

 国民は彼らに責任を負わせたがっている。
 彼らのうちの一人でも処刑を見なければ、アスア王国が終わった気になれないようだ。
 処刑せずに労働力として使用すれば、少しはこの机の上が片付くだろうと思ってしまうのは、私が国民の感情に寄り添えないためか。
 国民はこの今の状況の怒りを、逃げた国王に向けている。
 そもそも国王が英雄を神聖国グルシアに派遣さえしなければ、今も英雄が最凶級ダンジョンを抑えられており、この国は平和だったと思っている。国王が孫娘との結婚さえ画策しなければ、と。

 たった一人を犠牲にし続けて、国民は平和を貪るのだ。疑問にさえ思わずに。
 だが、それは。
 いつか破綻していただろう。
 この国の長い歴史は、英雄に支えられてきた。
 英雄はこの国の最高権力者ではない。それなのに、英雄がいないとこの国は回らないのだ。

「宰相、王都の南門の門番から、魔物襲撃の異常の知らせが来ました」

 警備の者が走って来て、私に告げる。

「異常?魔物による外壁の襲撃はいつものことじゃないのか」

「は、それが、どうやら黒い魔物が壁に体当たりすると、その魔物が消えてそこの壁が黒くなっているとか」

「壁が黒く?」

 南門はいつも多くの魔物に攻撃されている。
 が、魔物は王都の外壁に阻まれて侵入できない。門や外壁に体当たりすることがあるが、しばらくすると距離を置く、その繰り返しだった。

 行動の変化は、何かしらの前兆だ。

「外壁の耐久性に変化がないか、魔術師に調査依頼を」

「わかりました。すぐに手配して、南門に向かわせます」

 バタバタと慌ただしく警備の者が走っていく。耐久性と言ったことで事の緊急性がわかったようだ。外壁が崩れれば、この王都が魔物の手によって陥落する。

「さて、諸君、我々は避難の準備を」

 執務室にいる事務官たちは全員、え?と私を見た。
 私はかまわず書類を収納鞄に詰め始める。せっかく仕上げた書類をもう一度書く余力は私にはない。

「外壁が崩れても、王城には城壁もありますし、ここが一番安全では?」

「魔物がまず狙うのはこの王城だ。王都の結界はこの王城によって支えられている。知能がある魔物がいるのならば、一番ここが危険だ。王城の次に安全な建物は建国記念講堂か。避難民の受け入れ先にもなっているが、あそこはまだ部屋の空きがあっただろう。すぐに必要な物を王城から回収し、移動を開始する。王城の敷地にいる避難民、並びに王都南側の住民は家に閉じ籠るか、北側へと避難を誘導しろ」

「は、はい」

 知能ある魔物。行動が変わるということは、何かが変わった。
 この王都を完全に陥落させたいのなら、王城の結界を崩した方が楽に事が運ぶ。
 警備や護衛がこの王城にもいるが、最凶級の魔物と戦い続けられるかというと難しいだろう。
 ならば、私は人的被害の少ない方を選択する。
 魔物の狙いがまず人間ではなく王城なら、王城を守るという決断はしない。
 この決断は最後にこの王都を捨てる危険性がはらんでいるが致し方ない。王都の代わりの候補地は神聖国グルシアに近い都市になるだろう。その決断は外壁が本当に崩れてしまってからでも遅くはない。
 アスア王国の王都が魔物によって蹂躙されれば、本当にアスア王国という国はなくなるだろう。
 王都はこの国の象徴だ。どの都市でも魔物による被害はあるが、外壁内に限っては王都は魔物による被害は出ていない。その王都がなくなってしまえば、国民の支えは一気に失われるだろう。
 それでも、私は肉壁を作って王城を守るという選択肢をとることはない。

「王城には誰一人残らないように指示を出せ。時間は数刻もないだろう。とにかく王城の城壁の外へ出ることが先だ」

 事務官たちが急いで、関係各所に散らばっていった。
 私も必要な書類を戸棚から収納鞄に詰めていく。
 王城の自室にある自分の服や荷物は後でも良いだろう。屋敷に帰ればどうにかなる物だ。
 失われてはいけない書類や書籍を詰めていく。

 最後に執務室の確認をする。
 とりあえず重要な書類等の詰め忘れはなさそうだ。

 机の上の塔の置き物と目が合った気がした。。。塔に目など書かれていないはずだが。。。
 これも忘れないようにしないとな。
 神聖国グルシアとの重要な連絡手段だから、何かあったときのために。

 私は急いで一枚、手紙を書いた。塔の口に咥えさす。今更ながら塔に口があるわけもないのだが、なーんか口っぽい切れ込みがある気がする。私が手紙を差し出すと、あーんと口を開ける気がするのだが。。。
 彼宛の手紙は一度も消えた試しはない。
 けれど、なんとなく今回は書いた方が良いような気がした。
 黒い魔物が王都の外壁を崩すだろうと。狙いは王城であると。

 宛先はアスア王国の英雄ザット・ノーレン。
 我が国が誇る英雄だ。


 そう、我々の国は宗教国家ではない。
 だから、神に祈らない。
 祈る先は英雄だ。

 英雄にとっては苦痛だっただろう。
 人間の身で、神と同じ仕事を頼まれるのだから。
 英雄というのが犠牲だとわかっていても、私もつい英雄に祈ってしまう。
 我々に救いをと。




 他の場所の書類も収納鞄に入れていたら、かなりの時間が過ぎていた。
 事務官たちが説得しきれなかった者たちは、警備や護衛の手を借りて、建国記念講堂へと引き摺って行く。
 とりあえず王城での指示をし終えた私は、手紙を咥えたままの塔の置き物を手に持って、私も城外に走っていこうとした。そこで、先程外壁の耐久性を魔術師に調べさせるように言った警備の者が急いで戻ってきた。

「宰相っ、大変です。魔物の体当たりで黒くなった壁は大変脆くなっていて危険だそうです。その部分には後から後から魔物たちが体当たりを繰り返しており、外壁に穴が開くのも時間の問題かと」

「やはりな。王城からの避難を強制的にしている。警備の者も順次建国記念講堂へと移動しているから、キミもこれから一緒に行くぞ」

「ええっ、王城が一番安全ではないのですか?」

「魔物に知能があるのならば、防衛の要の王城が一番危険なんだ。私はキミたちに魔物と戦えとは言えないさ」

「あ、ああ、それは大変ありがたいことですが」

 ごにょごにょ、と言葉を濁した。
 警備の者も己の実力は把握している。
 人間相手には強くとも、最凶級の魔物相手には数分も持たないことに。
 アスア王国の騎士団だって最凶級の魔物には役立たずなのだから。

 生きていれば、やり直すことができる。
 それならばいくらでも逃げようではないか。
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