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9章 不穏な風が舞い込む

9-4 誤爆 ※グレイシア視点

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◆グレイシア視点◆

 弟のヴィンセントに会うのは久々だった。
 聖都で神官をやっているという情報を最後に、最新の情報を手に入れることを放棄していた。
 ノエル家は兄弟姉妹が多く、神官の兄の情報や、ちょっと問題のある子の情報が耳に届く。表面上いい子で真面目だったヴィンセントの話題は限りなく少ない。


 神聖国グルシアのダンジョンでアスア王国の英雄が亡くなったことは魔族の中でも話題になった。
 新英雄が『蒼天の館』のギフトを持っているのは、譲られたのではなく奪った説が有力だった。宗教国バルトの強奪の剣を手に入れたという情報も流れてきていたからだ。

 シアリーの街に冒険者レン、本名ザット・ノーレンがいるというのも聞いていた。
 魔族のように白髪、ただ、臙脂色の目である。容姿はあの英雄とは似ても似つかないという。
 英雄であれば良かったが、どこもそれほど騒いでない。
 英雄が生きていたとなれば、アスア王国だって黙っていないだろう。
 同一人物である可能性は低かった。




 夫のエーフィルが詳細も聞かず、神聖国グルシアに飛んで行ってしまったので、久々の里帰りをすることにする。
 彼の場合は誤解のないように説明の順番を考えて連絡しなければならないのに、新しい従者にそれをきちんと教育することを怠った。後で彼の教育係の従者にはお灸をすえねばなるまい。
 実際に経験する方が早いとは言っても、従者たちも人の命を何だと思っているのか。本当に最悪の状況になれば、シアリーの街が吹き飛んでいてもおかしくなかった。魔族もそれにつき従う者たちも、金と自分たちがすべてなのだ。他人はお金を出すためだけの道具でしかない。
 だから、平然と言ってのける。お金を出さないから守らなかったんだと。

 今回のことは我が夫には良い薬になっただろう。
 首輪は屈辱だと思うが、何を言っても止まらない彼が悪い。
 そして、自分より強い者が存在するということをはっきりと自覚してほしい。
 彼はまだ夢を見ている。
 あんなにも明確に負けたのに、まだ自分が勝つと思っている。

 夫のことは好きだ。
 だからこそ、まだ間に合う。
 彼がもう少し他人の話を冷静に聞けたのなら。
 彼にはもう少し違う未来が待っているだろう。




 ヴィンセントがこの地にいて驚いた。
 彼は幼い頃、出会ったばかりのエーフィルのことが大好きだった。
 私がエーフィルと結婚することを聞いて、この世が終わったような顔をされたのを覚えている。

 けれど。
 ノエル家で一番魔力量が多いのはヴィンセントだ。
 もし、ヴィンセントが女だったら、魔族の嫁に選ばれていたのはヴィンセントだったのだろう。
 年齢差なんて魔力量に比べるとささやかな問題だ。魔族の結婚相手は異性が選ばれる。重要なのは魔族の子供が産まれること。
 確かに魔族内では同性同士で婚姻している者もいる。魔族も自由恋愛をする。
 けれど、他から迎える者は必ず異性だ。


 今はレンが一番だよ

 ヴィンセントがレンに言ったとき、彼の初恋が完全に終わったことを知り、ホッとした自分がいた。
 ヴィンセントがレンと一緒にいるときの甘い表情はすべてを物語る。恋人だと紹介されなかったのが少し悲しいぐらいだ。

「ヴィンセントー、アンタ、いい人ができたのなら実家に紹介しに来なさいよー」

「、、、ヴィンセント、お姉さんは酒に弱いの?」

 レンがヴィンセントに聞いている。
 絡み酒ではないのだが。
 夕食時に嫌いでなければと酒を一杯勧められた。食事を作ったのもレンである。いきなり増えた珍客に対応してくれた。
 内臓を損傷しているため病人食を用意されたエーフィルの分は私が持って行こうとしたが、角ウサギのツノが嬉々として持っていってくれた。
 ああ、飼い犬に餌をやりたいんだと、遠い目をしながらレンが説明してくれた。

 この家にはヴィンセントとレンと王子しかいない。従者や料理人も家で雇っているような人たちがいない。
 本当ならレンもこの家にいてはいけない人物なのだろう。
 ここは生贄を育てる家だ。大神官になるためには必ず通らなければならない試練のようなものだ。
 魔族と結婚した私はすっかりそのことを忘れていた。
 だから、酒に弱いの?と問われるのである。
 この試練中は実家に帰るどころか、近くの街にすら出られない。家族が遊びに行くことだって禁じられている。神官の兄がいて知っていたはずなのに、左遷されたのかと聞いてしまった。生贄候補の家は神聖国グルシアの各地に点在している。何かあったときにすべての候補が亡くなることを防ぐためだ。

 それでも、実家に紹介に来てほしいと思ったのは私の正直な気持ちである。

「いつ実家に帰ってくるのー?来年ー?来るときは連絡してよ。私も帰るから」

「は?何で?」

「弟の門出を祝いたいお姉ちゃんの気持ちがわからないのー?」

「残念ながら姉であったことはないから」

 私とヴィンセントの会話に、ニマニマしているレンがいる。そんなに微笑ましい会話かな?

「兄弟がいるって良いよね」

 そう言うと、レンは王子の頭を撫でた。王子は少し寂しそうな表情である。

「王子、比べるものではないけど不幸自慢ならまだまだ俺が勝つから大丈夫だ。来年の春まではのんびりと養生しておけ」

 それは励ましになるのか?
 もう一匹の耳が垂れた角ウサギが食堂に現れると、王子は角ウサギを抱いて自分の部屋に戻った。

「可愛いなー、王子ちゃん。でも、生贄候補なんでしょ?」

「それは俺がどうにかするから、貴方は何も聞かないでください」

 レンに線引きされた。お姉さん悲しい。

「えー、義弟になるんでしょー。お義姉さんと呼んでー」

「レンに絡むな。この酔っぱらいはたった一杯で」

「、、、ノエル家の家系って酒に弱いの?」

「個人差がある」

 ボソッと嫌々ながらヴィンセントが答えた。
 そういや父は強いな。酒豪だと言われる英雄と飲んでも引けは取らないだろう。

「義弟と言っても、俺は同じ年齢なんだが」

「は?」

 このレンは何と言った?

「俺はグレイシアさんと同じ年齢で」

「ええええええーーーーーーーーーーーーーっっっ」

 今日一驚いた。角ウサギ二匹が何事かと食堂を覗きに来ちゃったよ。すぐ戻っていったけど。

「さ、三十四歳?このピチピチお肌で?嘘でしょ。ヴィンセントより若く見えるのに」

 いや、英雄は三十四歳だったはずだ。確かに自分と同じ年齢だったと記憶している。レンの頬をブニブニ触っていたら、ヴィンセントに叩かれた。クスン。。。

「もうそろそろ三十五になりますが」

「ううっ、その美肌の秘訣を教えてください」

「いやー、ギフトが奪われて若返ったとしか言いようがなく、、、」

 何でギフトが奪われて若返るんじゃ。。。奪われて、、、ってやっぱり奪われていたんかい。ついポロっと真実が口から出てきてしまうよね。。。

「レンはアスア王国には帰らないの?」

「戻ったところで、この姿では誰もわからないでしょう。その上、ギフトがない人間では役に立ちませんよ」

「そうだけどさー。何もしない新英雄よりは確実にいてほしい存在よね。エーフィルにだって勝つぐらいだし」

 あの国は英雄のギフトが無ければ英雄とは認めないだろう。けれど、魔族に勝つ人間をそのまま放逐するほどアスア王国は無能なのか。
 横で聞いているヴィンセントが渋い顔をしている。
 それもそうか。
 英雄がアスア王国に戻ったら、二度と神聖国グルシアには来ない。ヴィンセントと添い遂げることはないだろう。

 表情が豊かになった弟に、安心した。
 が、その相手が英雄であることに不安になる。英雄を愛してやまない弟分のことが心配になる。

「レンはククーとどこで知り合ったの?」

「ここで」

 レンにごくごく普通に答えられてしまった。アスア王国じゃないのか?

「え?ここで?」

「ククーは行商人としてここにいろいろな物資を運んでくれるんだ。そのときにレンとも会った」

 レンがヴィンセントの返答に頷いている。

「にしては、仲良さそうに話していたけど」

 出会いからの時間の長さではないのか?
 レンがこの場にいないククーと普通に会話しているのにも驚いたのだが、ヴィンセントより近しい会話をしているような気がしたのだ。

「それは俺の担当諜報員だったから」

 にこやかに答えられた。その答えはよくわからない。諜報員とは仲良く話さないだろ?

「他国の諜報員なんて、ストーカーみたいなものでしょ。まあ、あの子は貴方の本物のストーカーだけど。仲良くできる要素があったの?」

「、、、ククーも、聖教国エルバノーンの人形遣いの爺さんも、他の諜報員も、アスア王国の人間に比べたら何十倍も俺に協力的だった」

 レンの目は遠く、憎しみを湛えるようでもなく、悲しみを訴えるでもなく、ただひたすら遠いものを見る目になってしまった。
 酒を一口含むと、レンはその表面に目を向ける。

「直接的に会ったことはなかったが、当時から俺はククーにも助けられていた。いつか礼を言いたいと、酒を酌み交わすことができればと俺も願っていたよ」

 俺も。
 その笑みは反則だ。
 ヴィンセントが妬くには充分だった。
 レンは酒を飲んでいるのに、ヴィンセントが椅子を真横にズラしてレンを抱きしめてしまった。ヴィンセントは一口も酒を飲んでいないはずなのに。

 レンはヴィンセントを気にせず飲んでいるので、いつものことなのだろう。仲がよろしいようで。

「ごちそうさま。私はエーフィルを看ることにするわ」

 私は立ち上がった。

「グレイシアさん、もしツノがお邪魔でなければ、そのまま居させてあげてください。数日で飽きると思いますので」

 レンが私に言った。彼が丁寧な口調になると、寂しくなってしまうのはなぜだろうか。
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