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7.15年目のホンネ
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しおりを挟む「うん。インフルエンザなんだから、今日は帰れないだろ」
「でも、和輝は――」
夫が振り向く。
「――荷物、持って」
荷物なんて呼べるほどのものはない。
パジャマはホテルにあるだろうと持ってこなかったし、化粧道具はポーチに入ったまま。
簡単に化粧をして、ポーチをしまう。
「これだけ?」
ちょっと遠出する時の、いつものトートバッグとショルダーバッグ。
和輝はトートバッグを肩に掛けると、私の手を握って歩き出した。
手を繋ぐのなんて、何年振りだろう。
そんなことを考えながら、少しくすぐったい気持ちで夫の後に続いた。
チェックアウトして二日振りに外に出ると、やはり風が強かった。
ごわごわの髪がメデューサのように四方八方へと舞う。
やっぱり、切ろうかな。
「あ!」
繋いでいない方の手で、風に舞う髪を押さえつけながら、思い出して声を上げる。
和輝が何事かと振り返った。
「どうした?」
「美容室、忘れてた」
「美容室?」
和葉の卒業式は次の土曜日。
その前にと、美容室を予約していた。
今日の午後。
ショルダーからスマホを取り出して画面をタップするが、真っ暗なまま。
「あれ?」
「充電、切れてるだろ」
「え?」
そういえば、ホテルに来てから充電していない。
昨日の夜、和葉と電話したのがスマホを使った最後だ。
「柚葉のお母さんもうちの母さんも心配してたぞ」
「え? お義母――さ――?」
強風に目を開けていられず、私は髪を押さえたままギュッと目を閉じて風上に背を向ける。
同時に、風を感じなくなる。
「とにかく、車に行こう」
耳元で囁かれ、ドキッとした。
夫が風除けになってくれたのだ。
思いがけず抱きしめられるような格好になり、今更ながら恥ずかしくなる。
さっきから、自分が自分でないようだ。
最近、昔のことを思い出すことが多かったせいだろうか。
気持ちまで、二十代の、和輝に憧れ、手が触れるだけで呼吸が苦しくなっていた頃に戻ってしまったようだ。
ホテルの正面の道路を渡り、駐車場の端に停まっている車に乗り込む。
潮風に吹かれ、髪がバリバリいっている。
私は髪をゴムで一つに束ねた。
「今、何時?」
夫がエンジンをかけると、モニターに地図と時刻が表示された。
十一時四十七分。
私は自分のスマホを車に接続しっ放しになっている充電器に差し込む。
「美容室に行くのか?」
「ううん。キャンセルの電話しなきゃ」
予約は十三時。
今から車を走らせても間に合うかどうか。
そもそも、私は今インフルエンザということになっているのだから、美容室に行って家に帰るわけにいかない。
由輝はともかく、和葉は気づくだろう。
スマホの電源が入ると、美容室にキャンセルの電話をした。
そして、車が走り出す。
「どこに行くの?」
「温泉」
「温泉!?」
「その前に美容室を探すか」
「かず――」
タイミング良くか悪くか、ぐぅーっと私のお腹が鳴った。
「飯だな」
海沿いを五分ほど走り、夫は車を止めた。
「ここ……」
「憶えてる?」
珍しくスマホで検索したり私に聞いたりせずに店を決めたと思ったら、付き合っていた頃に来たことがある洋食店。
店の横の駐車場の一番端に、店に向かって正面から停める。
夫がハンドルの上に両腕をおき、抱きかかえるようにもたれた。そして、顔だけ私に向ける。
「なぁ、柚葉」
「なに?」
「明日、家に帰るまで、たくさん話をしよう」
「え?」
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