44 / 89
6.ひとりになりたい
3
しおりを挟む昔から何をやっても中途半端で、自分に自信がなくて、そんな自分が嫌いだった。
大人になって、そういう自分と折り合いをつけて生きてきたけれど、結局本質なんて変わっていなくて、それを隠すのが上手くなっただけ。
和輝と付き合えるようになっても、結婚が決まっても、子供を産んでも、ずっと不安で自信がなかった。
自信のなさを隠すように、家事や子育てを頑張った。
いい奥さん、いいお嫁さん、いい母親になりたくて頑張った。
だけど……。
どんなに頑張っても、私は私の望む女になれない。
広田さんにはなれない――。
湯船がすっかり冷めるまでお風呂で粘って、それから子供たちの部屋を覗いて、和輝はまだ起きているのだろうかと気まずさを感じながら寝室のドアノブに手をかけた時、夫の声が聞こえた。電話中らしい。
こんな遅い時間にどうしたのだろうと思いながら、そっとゆっくりドアノブを下ろす。
「――だから、心配ないから――」
珍しく、夫が苛立っている。
何を言われたのか、はぁっと投げやりにため息をつく。
「――誤解されるようなことはなにもないし、受注先が決まればもう――だから、聞けって。仕事の件は、紹介はするけどその先までは――」
和輝はドアに背を向けてベッドに座っていた。私のベッドの方を向いて。
私は静かに寝室に入り、後ろ手にドアを閉めようとした。
「――落ち着け、響子! 大丈夫だから」
響子――――。
「昔のよしみで世話をしたが、これ以上は――、だから! なんでそうなるんだよ。うちのはお前とのことなんて気にしてないし――」
うちの……、か。
夫の声で元カノの名前を聞いた瞬間、例えば私の頭のてっぺんからつま先まで糸が張ってあったとしたら、それが、ピンと張ったその糸が、切れ味抜群のハサミでプツンと切られた気がした。
その途端、さっきまで考えていた色々なことが、どうでも良くなってしまった。
閉まりきっていないドアを開け、寝室を出る。
夫が私に気づいたかは、わからない。
ただ、元カノとの会話は続いていて、私はそれを聞きたくなかった。
夫が、私の名前を呼ばない夫が、他の女の名前を呼ぶのを、聞きたくなかった。
カタンと物音がして、娘の部屋を覗いた。
ベッドの下に、タブレットが落ちている。
見ながら寝ちゃダメだって言ったのに……。
いつもは寝る前に預かるのだが、今日は忘れていた。
タブレットを拾い、机の上に置こうとして、一枚の用紙が目に入った。
和葉のまあるい字で『お父さんとお母さんが、私のお父さんとお母さんになるまで』と書かれている。後は憶えのある質問。
予備の質問表だろうか。
私はそれを手に取り、部屋を出た。
階段を下り、食卓でその表を眺める。
そして、ペンを手に持った。
娘の質問の下に、答えを書き込んでいく。
『初めて会った時の感想は?』
運命かも!
『どっちが最初に好きって言ったの?』
言ってない。友達に押されて付き合いだしたから。
『どこが好きで結婚したの?』
顔、真面目、優しい、嘘をつかない、慎重なところ、時々ビックリするようなドジをする、私の話をきちんと聞いてくれる、細かいことを気にしない、穏やか、私のご飯を残さず食べてくれて文句も言わない、手が大きい、手が温かい、姿勢がいい、私の名前を呼ぶ声。
書くスペースがなくなって、ここまで。
『嫌いなところは?』
優柔不断、都合が悪いと笑って誤魔化す。
これは和葉にも答えた。
12
お気に入りに追加
292
あなたにおすすめの小説

王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
【本編完結・番外編不定期更新】
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます
愛すべきマリア
志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。
学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。
家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。
早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。
頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。
その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。
体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。
しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。
他サイトでも掲載しています。
表紙は写真ACより転載しました。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

夫に捨てられた私は冷酷公爵と再婚しました
香木陽灯
恋愛
伯爵夫人のマリアーヌは「夜を共に過ごす気にならない」と突然夫に告げられ、わずか五ヶ月で離縁することとなる。
これまで女癖の悪い夫に何度も不倫されても、役立たずと貶されても、文句ひとつ言わず彼を支えてきた。だがその苦労は報われることはなかった。
実家に帰っても父から不当な扱いを受けるマリアーヌ。気分転換に繰り出した街で倒れていた貴族の男性と出会い、彼を助ける。
「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」
「自由……」
もう自由なのだとマリアーヌが気づいた矢先、両親と元夫の策略によって再婚を強いられる。相手は婚約者が逃げ出すことで有名な冷酷公爵だった。
ところが冷酷公爵と会ってみると、以前助けた男性だったのだ。
再婚を受け入れたマリアーヌは、公爵と少しずつ仲良くなっていく。
ところが公爵は王命を受け内密に仕事をしているようで……。
一方の元夫は、財政難に陥っていた。
「頼む、助けてくれ! お前は俺に恩があるだろう?」
元夫の悲痛な叫びに、マリアーヌはにっこりと微笑んだ。
「なぜかしら? 貴方を助ける気になりませんの」
※ふんわり設定です

忙しい男
菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。
「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」
「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」
すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。
※ハッピーエンドです
かなりやきもきさせてしまうと思います。
どうか温かい目でみてやってくださいね。
※本編完結しました(2019/07/15)
スピンオフ &番外編
【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19)
改稿 (2020/01/01)
本編のみカクヨムさんでも公開しました。

私と彼の恋愛攻防戦
真麻一花
恋愛
大好きな彼に告白し続けて一ヶ月。
「好きです」「だが断る」相変わらず彼は素っ気ない。
でもめげない。嫌われてはいないと思っていたから。
だから鬱陶しいと邪険にされても気にせずアタックし続けた。
彼がほんとに私の事が嫌いだったと知るまでは……。嫌われていないなんて言うのは私の思い込みでしかなかった。

【完結】婚約者と養い親に不要といわれたので、幼馴染の側近と国を出ます
衿乃 光希
恋愛
卒業パーティーの最中、婚約者から突然婚約破棄を告げられたシェリーヌ。
婚約者の心を留めておけないような娘はいらないと、養父からも不要と言われる。
シェリーヌは16年過ごした国を出る。
生まれた時からの側近アランと一緒に・・・。
第18回恋愛小説大賞エントリーしましたので、第2部を執筆中です。
第2部祖国から手紙が届き、養父の体調がすぐれないことを知らされる。迷いながらも一時戻ってきたシェリーヌ。見舞った翌日、養父は天に召された。葬儀後、貴族の死去が相次いでいるという不穏な噂を耳にする。28日の更新で完結します。

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。
かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。
ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。
二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる