最後の男

深冬 芽以

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5 恋愛ごっこ

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「今日休ませた分の給料と、当面の食費」

 中身を見なくても、わかる厚み。十万くらい入っている。

「なくなったら言って」

「……わかりました」



 十万これがなくなるのと、関係が解消されるの、どっちが早いか……。



「あんたの都合のいい時に、自由に来てもらって構わない」

「はい」

「あんたから何か条件はないのか?」



 条件……。



 条件次第では、課長はこの提案を取り下げるかもしれない。



 取り下げて欲しい……?



「『あんた』って呼ぶの……やめてください」

「わかった。あん――あやも、課長呼びやめろよ」

 驚いた。

「私の名前、知ってたんですね」

「普通に知ってるだろ」

「近藤さんの名前は?」

「え? あーーー……、るい……だか、るなだか?」

「普通に知ってるんじゃないんですか?」

 課長はバツが悪そうに目を逸らす。

「全員なんか覚えてられるか」

 その横顔を、可愛いと思ってしまった自分に驚いた。

 そして、私の名前を知っていてくれたことを、嬉しいと思った。

「うっかり会社で呼んじゃいそうだな」

「それはやめてください」

「ま、いいだろ」

「良くないです」

「敬語もヤメロ」

「わかりまし――。……わかった」

「よし。で? 彩は俺の名前、知ってんの?」

「……溝口さん」

「なんでだよ」

「……智也ともや……さん?」

「さん、とかいらないから」

 名前を呼ぶだけで、こんなに恥ずかしいと思わなかった。呼ばれることも。

 男性に名前で呼ばれるのはいつ振りのことだろう。

「名前くらいでそんなに照れるか?」

 自分でも気がつかないうちに、課長にバレバレなほど顔が赤くなっていた。

「男の人に……名前で呼ばれたことがあまり……ないので……」

「元夫は?」

「子供が出来てからは『ママ』とか『お母さん』とか『お前』って呼ばれてたので」

「そういうもんか?」

「うちは……そうでした」

 それは、元夫に限ったことではない。

 私も、子供が出来てからはあの人を『パパ』か『お父さん』としか呼ばなかった。

 今更だけれど、そういう些細なことが積み重なっていったのだろう。

「じゃあ、俺が呼んでやるよ。彩」

 本当に、恋人のよう。

「恋人らしくなってきたな」

 か――智也が、私が思ったことを言った。
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