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5.交際を申し込まれました
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しおりを挟む「前に、駅のホームで見かけたんですけど、違いましたか?」
「いえ」
「送らせてください」
須賀谷さんは手早くカップを片付けた。
店を出て、駅に向かう。
カフェ以上に会社の人の視線が多い場所で、彼と並んで歩くことになろうとは。
「あの、須賀谷さんはどの辺にお住まいですか?」
「あ、東Sです」
東Sは路線が違う。
家の場所によっては地下鉄の可能性もある。
「え? 方向違いますよね」
「気にしないでください」
カフェで話した時から、どうも彼とは会話がかみ合っていない時がある。
遠慮したり気を遣って言葉を選んでも気づかない人は一定数いるけれど、その一人だろうか。
彼のペースに飲まれてはいけない。
それは、既にかなり痛い思いをして学習した。
「気にします。それに、人目も気になります。ここは会社の最寄り駅ですし、噂になるのは困ります」
こうしてはっきりと言うことで、可愛げがないとか説教染みていると興味を失くされたら、それはそれで構わない。
半端に親しくなってから、思っていたのと違うとか、そんな人だと思わなかったと、勝手に幻滅される方が嫌だ。
卓の時もそう思えていたら良かったのに……。
「そっか。そうですよね……」
それまで眩しい輝きを放っていた若いイケメンが、よく漫画で見るような垂れ耳と垂れ尻尾を装着して項垂れる。
いや、装着しているように見えるだけだが。
とにかく、私の言葉にしょげている。
これは、卓にはなかった『仔犬化』の技!
男性に対して『可愛い』と思った経験がない私だが、まさか今日、初体験するとは。
こんな風に肩を落とさせて、悪いことをしてしまった感が半端ない。
だが、ここで折れると、家まで送られる流れになる可能性がある。
それは、困る。
「あの、適度な距離で――」
言いかけた時、バッグの中のスマホが震えだした。
途切れないところを見ると、着信だ。
私は話を切り替えるチャンスと思い「すみません」と断ってスマホを取り出す。
篠井さんからの着信だ。
「はい!」
『羽崎? 今帰って来たから冷蔵庫の中のおでんに入れて良さそうなもの全部突っ込もうと思ってんだけど、いいか?』
なんて大雑把で豪快な表現。
「入れるからには食べてくださいね」
思いがけない何かを入れる可能性を考慮して、念を押す。
『おう。あ、冷凍庫の餃子は?』
「水餃子の方ですよね?」
『水餃子?』
「市販の袋入りのがあります」
少し身体を捻って須賀谷さんから顔を背けていたのだが、視線を感じてちらりと見ると、思いっきり見つめられていた。
悪いことをしているわけではないのだが、気まずい。
『あ、あった! 了解。まだ、遅くなるか?』
「いえ。今から電車に乗ります」
『そっか。気をつけてな』
「は――」
「――電車が来ましたよ、夏依さん」
ぎょっとした。
いきなり名前で呼ばれたことにも、通話中に声をかけられたことにも。
私が〈終話〉をタップし、スマホをバッグに戻すより先に、須賀谷さんがずいっと顔を寄せてきて驚いた。
思わずスマホを落としてしまうも、バッグの中に入って良かった。
「恋人、じゃないですよね?」
怒っているようにも聞こえる低く威圧的な口調で言われて、少し怖いと思った。
表情は微笑んでいるが、それすらも。
が、恋人でもない彼に対してやましいなどと思う理由などない。
私は、背筋を伸ばした。
「違います。ゆ――うじんです」
「一緒に暮らしてるんですか?」
「はい。ルームシェアというものを――」
「――ああ! 今、流行ってますよね」
須賀谷さんが爽やかイケメンの表情に戻る。
「あ! 電車、乗りますね。では失礼します!」
失礼を承知で軽く頭を下げるなり走り出した。
ちょうど到着した電車に乗り、ドアに背を向けたまま走り出すのを待つ。
ドッドッドッと鼓動が大きく早い。
電車を降りても走り出したのは、早くおでんが食べたかったからだと自分に言い聞かせた。
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