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3.元上司がルームメイトになりました
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私はキャップを外す前にペットボトルを首筋に当てて、火照りを逃がす。
思った以上に冷たく感じて、自分が酔っていたのだと思い出した。
「香里とは――」
プシュッと缶を開ける音が耳元で聞こえる。
「――営業先のダブルブッキングで知り合ったんだ。平謝りする営業先には見向きもしないで、俺に時間を譲れと言ってきた」
「それで、どうしたんですか?」
ゴクゴクと喉を鳴らしてビールが篠井さんの体内に落ちていく。
「レディファーストを主張するのは仕事以外にしてくれ、と言った」
「ほう」
「で、気に入られた」
「は?」
「名刺とプライベートの番号を渡されて、その日の夜に食事した」
「……」
ドラマや漫画のようだな、と思った。
そこで、ハッとする。
「それはワンナイト――」
「――ヤッてねぇ」
「ソウデスカ」
なんだ、つまらない。
「それも、香里に火をつけた理由のひとつだったな」
「?」
「ホテルに誘われると思ってたから、意外だったそうだ。あとになって聞いたが」
元カノはワンナイト目的だったのか。
いや、『ワン』とは限らないか。
「それから何回か会って、恋人関係がスタートした」
これだけ聞くと、元カノが篠井さんにご執心だったようだ。
もしかしたら、彼女は一目惚れだったのかもしれない。
「それは、篠井さんも元カノさんを好きだから、ですよね?」
「そうだな。そうだと思う」
「曖昧ですね?」
「居心地が良かった。ベタベタすることも、束縛することも、強要することもなくて、とにかく楽だった」
「それは……楽そうですね」
卓が正反対だったから、それがどんなに素晴らしいことかよくわかる。
「だろ? こう言うとお前はまた話を大きくしそうだが、俺にとっては、一緒にいて苦ではないどころか楽で、セックスの相性も問題なく、仕事に集中できる、なんてこの上ない好条件な女だ。香里から結婚しないかと言われた時、この関係が続くなら結婚も悪くないと思った」
条件、というと聞こえは悪いが、同感だ。
そんな文句なしの相手なら、私も思ってしまうだろう。
「だが、引っ越して一週間で出張になり、戻ってみたらアレだ」
一緒に暮らしたのは、わずか一週間だったのか……。
しかも、元カノからのアプローチとプロポーズの末の関係だったとあれば、裏切られたショックもひとしおだろう。
あの現場しか見ていない私でも思う。
なぜ?
「俺に飽きたんなら、はっきりそう言う女だと思ったんだけどな」
「今のお話を聞くと、私もそう思います」
「だろ? てことは――」
篠井さんがビールを飲み干し、缶を握り潰す。
「――ただの好きモノだったってことかね」
「……」
「ま! とにかくだ。そういうわけで俺は新たな出会いは求めない。だから、俺のことは気にしなくていい。だが、さっきの羽崎の発言からすると、羽崎は新たな出会いを求めていく、ってことで間違いないか?」
「そう……ですね」
裏切られた翌日に、あっさり次の男を探す宣言をした私は、薄情だろうか。
篠井さんもそう思って、確認しているのではないか。
「よし。なら、ルールを決めよう」
「え?」
「羽崎の幸せを邪魔するつもりはない。かと言って、今の状況でお前を一人にするのはやはり心配だし、正直新たな住まいを探すのも面倒だ」
面倒って、言ったな。
そんなことは気にも留めず、篠井さんが右手の人差し指を立てた。
「俺は、自分がここに住んでいることを誰にも話さない」
「?」
中指も立てる。
「そして、羽崎に新しい恋人ができたらすぐに出て行く」
「はぁ……」
薬指も立った。
「一緒に暮らしてお互いに無理だと思った時も、すぐに出て行く。どうだ?」
「どう……って――」
「さっきはちょっとノリで言ったとこもあったんだけどさ? マジでこの部屋、居心地良くて気に入ったんだよ」
自分の部屋を居心地いいと言ってもらえて
悪い気はしない。
私、チョロいな……。
ふっと笑うと、私も人差し指を立てた。
「家事の一切は各自ですること」
中指を立てる。
「部屋の中は裸でうろつかない」
薬指も立てる。
「お互い、元サヤには戻らない」
「元サヤ?」
「はい」
「それが条件か?」
「はい」
「なんで?」
「だって、今の話聞いたら、ヤですもん。いくら美人のナイスバディな元カノさんでも、篠井さんはあの人とじゃ幸せになれませんよ」
「……まぁ、な」
篠井さんが視線を彷徨わせ、フイッと首を傾げて顔を背けた。
「……?」
心なしか、顔が赤い。
本当に酔ったのだろうか?
思った以上に冷たく感じて、自分が酔っていたのだと思い出した。
「香里とは――」
プシュッと缶を開ける音が耳元で聞こえる。
「――営業先のダブルブッキングで知り合ったんだ。平謝りする営業先には見向きもしないで、俺に時間を譲れと言ってきた」
「それで、どうしたんですか?」
ゴクゴクと喉を鳴らしてビールが篠井さんの体内に落ちていく。
「レディファーストを主張するのは仕事以外にしてくれ、と言った」
「ほう」
「で、気に入られた」
「は?」
「名刺とプライベートの番号を渡されて、その日の夜に食事した」
「……」
ドラマや漫画のようだな、と思った。
そこで、ハッとする。
「それはワンナイト――」
「――ヤッてねぇ」
「ソウデスカ」
なんだ、つまらない。
「それも、香里に火をつけた理由のひとつだったな」
「?」
「ホテルに誘われると思ってたから、意外だったそうだ。あとになって聞いたが」
元カノはワンナイト目的だったのか。
いや、『ワン』とは限らないか。
「それから何回か会って、恋人関係がスタートした」
これだけ聞くと、元カノが篠井さんにご執心だったようだ。
もしかしたら、彼女は一目惚れだったのかもしれない。
「それは、篠井さんも元カノさんを好きだから、ですよね?」
「そうだな。そうだと思う」
「曖昧ですね?」
「居心地が良かった。ベタベタすることも、束縛することも、強要することもなくて、とにかく楽だった」
「それは……楽そうですね」
卓が正反対だったから、それがどんなに素晴らしいことかよくわかる。
「だろ? こう言うとお前はまた話を大きくしそうだが、俺にとっては、一緒にいて苦ではないどころか楽で、セックスの相性も問題なく、仕事に集中できる、なんてこの上ない好条件な女だ。香里から結婚しないかと言われた時、この関係が続くなら結婚も悪くないと思った」
条件、というと聞こえは悪いが、同感だ。
そんな文句なしの相手なら、私も思ってしまうだろう。
「だが、引っ越して一週間で出張になり、戻ってみたらアレだ」
一緒に暮らしたのは、わずか一週間だったのか……。
しかも、元カノからのアプローチとプロポーズの末の関係だったとあれば、裏切られたショックもひとしおだろう。
あの現場しか見ていない私でも思う。
なぜ?
「俺に飽きたんなら、はっきりそう言う女だと思ったんだけどな」
「今のお話を聞くと、私もそう思います」
「だろ? てことは――」
篠井さんがビールを飲み干し、缶を握り潰す。
「――ただの好きモノだったってことかね」
「……」
「ま! とにかくだ。そういうわけで俺は新たな出会いは求めない。だから、俺のことは気にしなくていい。だが、さっきの羽崎の発言からすると、羽崎は新たな出会いを求めていく、ってことで間違いないか?」
「そう……ですね」
裏切られた翌日に、あっさり次の男を探す宣言をした私は、薄情だろうか。
篠井さんもそう思って、確認しているのではないか。
「よし。なら、ルールを決めよう」
「え?」
「羽崎の幸せを邪魔するつもりはない。かと言って、今の状況でお前を一人にするのはやはり心配だし、正直新たな住まいを探すのも面倒だ」
面倒って、言ったな。
そんなことは気にも留めず、篠井さんが右手の人差し指を立てた。
「俺は、自分がここに住んでいることを誰にも話さない」
「?」
中指も立てる。
「そして、羽崎に新しい恋人ができたらすぐに出て行く」
「はぁ……」
薬指も立った。
「一緒に暮らしてお互いに無理だと思った時も、すぐに出て行く。どうだ?」
「どう……って――」
「さっきはちょっとノリで言ったとこもあったんだけどさ? マジでこの部屋、居心地良くて気に入ったんだよ」
自分の部屋を居心地いいと言ってもらえて
悪い気はしない。
私、チョロいな……。
ふっと笑うと、私も人差し指を立てた。
「家事の一切は各自ですること」
中指を立てる。
「部屋の中は裸でうろつかない」
薬指も立てる。
「お互い、元サヤには戻らない」
「元サヤ?」
「はい」
「それが条件か?」
「はい」
「なんで?」
「だって、今の話聞いたら、ヤですもん。いくら美人のナイスバディな元カノさんでも、篠井さんはあの人とじゃ幸せになれませんよ」
「……まぁ、な」
篠井さんが視線を彷徨わせ、フイッと首を傾げて顔を背けた。
「……?」
心なしか、顔が赤い。
本当に酔ったのだろうか?
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