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3.元上司がルームメイトになりました
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「ちょっと待った! なんで隣に座るんですか! てか、服着てください」
「お前が座れって言ったんだろ」
篠井さんが不機嫌そうにため息をついて立ち上がる。
「誰も隣に座れなんて言ってません」
彼は私の言葉など気にも留めず、肩にかけたタオルで髪を梳きながら、いつの間にかキャリーバッグを運び込んだ部屋に行く。
数秒で戻ってきた篠井さんは、ネイビーのTシャツを着ていた。
下はグレーのスウェットのハーフパンツ。
当然だが、完全にオフモードで、見慣れないせいか落ち着かない。
かくいう私もパーカーにワイドパンツという楽な格好なわけだが。
「で? なんだって?」
篠井さんがテーブルを挟んで向かいに座る。
「本当に一緒に暮らす気ですか」
「ああ。おっぱいを触れなくても構わない」
篠井さんがニヤケ顔で言った。
「~~~っ!」
聞こえていたとは。
「冗談だ」
「はっ!?」
私は両手で胸を隠す。
「そっちじゃない。いい加減、俺をおっぱい大好き変態扱いするのはやめろ」
「変態かはさておき、好きなのでは?」
篠井さんが真顔をじっと私を見る。
「好きだと言ったら変態扱いで、違うと言っても説得力はないだろう? その質問については回答を拒否する。強いて言えば、常識の範囲内で、といったところだ」
「はぁ」
「じゃ、真面目な話だ。お前が言った通り、俺は行くところがない。探せばあるだろうが、安住の地ではない」
篠井さんはどんな楽園を探すつもりなのか。
普通にウィークリーマンションでいいのでは? と思ったが、ひとまず言わないことにした。
「この部屋は居心地がいいし、空いている部屋もある。そして、お前は高い家賃とストーカーと化した元彼に悩んでいる。以上のことから、俺が一緒に暮らすことが最善で唯一の解決策だと思われる。いや、断言できる」
やばい、篠井節が始まった。
四年経っても健在とは。
だが、このままやられっ放しの私ではない。
「篠井さんが提起した問題は解決するとしても、新たな問題が発生します」
「新たな問題とは?」
「周囲からの誤解と、私たちに新しいパートナーができた場合です。まず、間違いなくこのマンションの住人には、私たちが恋人同士だと誤解されるでしょう。兄妹の設定で押し通せなくもないですが、私としては篠井さんを『お兄ちゃん』と呼ぶのは不本意です。次に、新しいパートナーができた場合に、異性と同居している状況は致命的です。異性の友情が成立するか否かは個人によって賛否あると思われます。また、新たにパートナーができた場合、当然ながら同居は解消されることになります」
「うむ」と篠井さんが頷く。
「ですが、最大の懸念事項は、そもそもこの状況下で新しいパートナーに恵まれるかということです。出会いから恋人関係に至るまでには様々なプロセスがあるわけですが、根本的に異性の同居者がいる私たちが新たなパートナーを得るには、かなり強固な信頼関係を築けた相手でなければ、そもそも対象外と見なされるでしょう」
「なるほど。羽崎の状況を把握する能力と分析力は変わりないな」
「鬼篠仕込みですから」
「ヤメロ」
「失礼いたしました。とにかく――」
「――待て。議論に入る前に状況を整理し、意思確認をしたい」
「はい」
明らかに篠井さんの方が上からの物言いなのに、視線は私が彼を見下ろしていることに違和感をもち、ついソファからおりて床に座る。
無意識に正座してしまったが、もう上司と部下の関係ではないのだと思い出し、習慣とは怖いものだと思った。
「まず、俺たちにはそれぞれパートナーがいたが、昨夜その関係は解消された」
「はい」
「しかも、かなり手酷い手段によって」
「はい」
「正直、俺はしばらく新しい女はいらないと思ってる」
「……」
やはり、人は見かけで判断してはいけない。
彼は傷ついているのだ、深く。
お金がないわけではないだろうに、部下――元部下の家に住み着こうとするほど孤独を恐れ、太々しく風呂上がりのビールを楽しんでいたが、実は心は泣いているのだ。
飲まずにはいられないほど、女はいらないなんて強がりを言うほど、心は大号泣しているのだ。
ふと、とある絵本を思い出した。
『泣いた赤鬼』。
そうだ。私の目の前には今、赤鬼がいる。
素直に泣けない赤鬼――鬼篠だ。
「すみません」
私は胡座をかいて腕組みしている、鬼篠に言った。
「お前が座れって言ったんだろ」
篠井さんが不機嫌そうにため息をついて立ち上がる。
「誰も隣に座れなんて言ってません」
彼は私の言葉など気にも留めず、肩にかけたタオルで髪を梳きながら、いつの間にかキャリーバッグを運び込んだ部屋に行く。
数秒で戻ってきた篠井さんは、ネイビーのTシャツを着ていた。
下はグレーのスウェットのハーフパンツ。
当然だが、完全にオフモードで、見慣れないせいか落ち着かない。
かくいう私もパーカーにワイドパンツという楽な格好なわけだが。
「で? なんだって?」
篠井さんがテーブルを挟んで向かいに座る。
「本当に一緒に暮らす気ですか」
「ああ。おっぱいを触れなくても構わない」
篠井さんがニヤケ顔で言った。
「~~~っ!」
聞こえていたとは。
「冗談だ」
「はっ!?」
私は両手で胸を隠す。
「そっちじゃない。いい加減、俺をおっぱい大好き変態扱いするのはやめろ」
「変態かはさておき、好きなのでは?」
篠井さんが真顔をじっと私を見る。
「好きだと言ったら変態扱いで、違うと言っても説得力はないだろう? その質問については回答を拒否する。強いて言えば、常識の範囲内で、といったところだ」
「はぁ」
「じゃ、真面目な話だ。お前が言った通り、俺は行くところがない。探せばあるだろうが、安住の地ではない」
篠井さんはどんな楽園を探すつもりなのか。
普通にウィークリーマンションでいいのでは? と思ったが、ひとまず言わないことにした。
「この部屋は居心地がいいし、空いている部屋もある。そして、お前は高い家賃とストーカーと化した元彼に悩んでいる。以上のことから、俺が一緒に暮らすことが最善で唯一の解決策だと思われる。いや、断言できる」
やばい、篠井節が始まった。
四年経っても健在とは。
だが、このままやられっ放しの私ではない。
「篠井さんが提起した問題は解決するとしても、新たな問題が発生します」
「新たな問題とは?」
「周囲からの誤解と、私たちに新しいパートナーができた場合です。まず、間違いなくこのマンションの住人には、私たちが恋人同士だと誤解されるでしょう。兄妹の設定で押し通せなくもないですが、私としては篠井さんを『お兄ちゃん』と呼ぶのは不本意です。次に、新しいパートナーができた場合に、異性と同居している状況は致命的です。異性の友情が成立するか否かは個人によって賛否あると思われます。また、新たにパートナーができた場合、当然ながら同居は解消されることになります」
「うむ」と篠井さんが頷く。
「ですが、最大の懸念事項は、そもそもこの状況下で新しいパートナーに恵まれるかということです。出会いから恋人関係に至るまでには様々なプロセスがあるわけですが、根本的に異性の同居者がいる私たちが新たなパートナーを得るには、かなり強固な信頼関係を築けた相手でなければ、そもそも対象外と見なされるでしょう」
「なるほど。羽崎の状況を把握する能力と分析力は変わりないな」
「鬼篠仕込みですから」
「ヤメロ」
「失礼いたしました。とにかく――」
「――待て。議論に入る前に状況を整理し、意思確認をしたい」
「はい」
明らかに篠井さんの方が上からの物言いなのに、視線は私が彼を見下ろしていることに違和感をもち、ついソファからおりて床に座る。
無意識に正座してしまったが、もう上司と部下の関係ではないのだと思い出し、習慣とは怖いものだと思った。
「まず、俺たちにはそれぞれパートナーがいたが、昨夜その関係は解消された」
「はい」
「しかも、かなり手酷い手段によって」
「はい」
「正直、俺はしばらく新しい女はいらないと思ってる」
「……」
やはり、人は見かけで判断してはいけない。
彼は傷ついているのだ、深く。
お金がないわけではないだろうに、部下――元部下の家に住み着こうとするほど孤独を恐れ、太々しく風呂上がりのビールを楽しんでいたが、実は心は泣いているのだ。
飲まずにはいられないほど、女はいらないなんて強がりを言うほど、心は大号泣しているのだ。
ふと、とある絵本を思い出した。
『泣いた赤鬼』。
そうだ。私の目の前には今、赤鬼がいる。
素直に泣けない赤鬼――鬼篠だ。
「すみません」
私は胡座をかいて腕組みしている、鬼篠に言った。
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