偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~

深冬 芽以

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4.大人の事情

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「お疲れ様です」

 秘書室に戻ると、一斉に視線を浴びた。

「室長、お疲れ様です」

「社長がお戻りです。冷たいお茶をお願いします」

「はい」

 今年、秘書課にきたばかりの角田すみたさんが、秘書室を出て行く。

 今日は忙しかった。

 いつもより早く出社し、準備をして社長を迎えに行き、取引を考えている工場を視察する予定だった。

 ところが、社長宅では険悪なムードで社長と寿々音さんが睨み合っていた。

 孫をどちらが先に抱くかで言い合いになったのをきっかけに、驚くほどくだらないことを持ち出し始め、収拾がつかなくなったらしい。

 俺は二人に、自分の子供のせいで社長夫妻が会社を傾かせたら、梓ちゃんが責任を感じて皇丞と離婚すると言い出すかもしれない、と言ってみた。

 三分後には社長は車に乗り込み、寿々音さんは笑顔で見送った。

 だが、この時点で既に予定を十五分オーバーしていた。

 十分前には到着するはずが、ギリギリ一分前に到着することとなり、そうなると悪いことは重なるもので。

 社長が素材について聞くと、責任者が異常な速さで瞬きし始めた。

 こうなると見過ごせない。

 原材料の資料を見せて欲しいと頼むと、ベテランだが気の弱そうな責任者は汗をかきながらそれをメモし、資料の提出には時間がかかると言った。

「三日くらいかな?」なんて軽い口調で言われ、社長が眉をひそめたのを見て、俺は「ご縁がなかったようですね」と言った。

 慌てても、遅い。

 彼が何を隠しているのかはわからない。わかりたくもない。

 そんなこんなで、工場を出たのは予定より一時間遅くなり、もう一件の視察は急遽常務に頼み、次の訪問まで早めの昼食をゆっくりとって時間を潰す羽目になった。

 社長の機嫌が直ったのは良かったが、俺としては損をした気分だ。

 ようやく帰社したのは十四時五十分。

「又市《またいち》さん、常務にお会いできますか?」

 俺の前任の社長秘書で、現常務秘書の又市さんは立ち上がり、当然のように言った。

「はい。お待ちです」

「十分後に社長室にお越しいただけるよう、お願いしてください」

「畏まりました。室長、如月さんですが、体調不良により早退されました」

 席にいないから専務室にいるのだろうと思っていた。

「東雲専務には了承を得ているとのことですので、私が室長への連絡を頼まれました」

「そうですか」

「体調が悪そうには見えませんでしたけどね」

 鹿子木が吐き捨てるように言った。

 彼女は自席で封筒にラベルを貼りながらリストのチェックをしている。

 ゆっくり、ゆっくりと。

「普通に仕事してたのに、電話がきた途端に体調が悪いとか言い出すなんて、不自然じゃありません?」

「鹿子木さん! 憶測で――」

「――ああいう堅そうな人ほど、わっかい男にハマって身を亡ぼしたりしそうじゃないですか」

「男?」

「鹿子木さん、言葉に気をつけなさい!」

 又市さんが一喝するが、鹿子木は全く表情を変えない。

 退職を前に、恐れるものがないからだろう。

「パートで働きたいとか、フレックスとか、男と一緒にいたくてじゃないんですか? そんな女のわがままを聞くなんて、専務もどうかしてますよ。あ! もしかして男って専務だったり――」

「――黙れ」

 言ってからハッとした。

 職場で、感情的になるなど許されない。

 なのに、俺が発した声、言葉は、責任者として部下に注意するためのものじゃない。

 俺は眼鏡のブリッジを上げ、小さく息を吐いた。
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