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4.合鍵
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しおりを挟む「梓?」
「え?」
物思いに耽っていて、課長の話を聞いていなかった。
「どうした?」
「いえ」
出社前にカフェにいると、課長がやって来た。
ブラックコーヒーを注文し、私の隣に座った。
カウンターチェアーに腰かけていても踵が床に着くなんて、足が長くて羨ましい。
「で? 片付けは終わったのか?」
「はい」
「まさかと思うが、荷物を返すつもりじゃないだろうな?」
「……え?」
金曜、課長に週末の予定を聞かれ、一日は家事、一日は片付けをすると答えた。
先週末は寝込んでいたからできなかった。
課長は手伝いを申し出てくれたけれど、断った。
直への気持ちを整理するためにも、一人でやりたかったから。
おかげで、吹っ切れた気がする。
不思議と涙が出なかったから。
課長の前で、十分すぎるほど泣いたからだろうか。
とにかく、直の荷物を袋に詰め、思い出の数々を箱に詰め、大掃除の如く部屋を磨いた。
直とお揃いで使っていたカップは、二つとも箱に詰めた。一つを返すのも、一つを使い続けるのも違う気がした。
茶碗と箸も、そうした。
ただでさえ多くない食器が、ずいぶん少なくなった気がした。
着替えにと置いてあったスーツ一式とスウェット上下、髭剃りや本なんかは返すつもりでまとめてある。
「荷物を交換するとか言って二人きりで会うとか、許さないぞ」
「そう言われましても……」
課長の言う二人きりの定義が曖昧だが、まさか社内で渡すわけにもいかないだろう。
「俺が届けてやるよ」
「はい?」
「天谷への荷物。話したいこともあるし」
「……どちらもお断りします」
「なんで」
わかりやすくムッとした表情。
「なんで、は私のセリフです。なんで課長が――」
「――皇丞」
「え?」
「お前も名前で呼べって言ったろ」
「呼べません」
「天谷のことは名前で呼ぶくせに?」
ヤキモチと言えば可愛いものだが、課長の眼光鋭い様はそんなレベルではない。
だからと言って、素直に彼を名前では呼べない。
「天谷くんとはそもそも同期ですし――」
「――そろそろ行くぞ。早く飲め」
勝手な男、と思った。
勝手にやって来て勝手に隣に座り、勝手に始めた話なのに勝手に終わらせる。
「お先にどうぞ」
ふいっと顔を背け、わかりやすく不機嫌さを声に出すと、ふっと鼻で笑われた。
それから、頬に落ちてきた髪を指ですくわれ、耳に掛けられる。
「お前くらいだよ。俺に、そんなツンケンすんの」
横目でチラリと見ると、肩肘で頬杖をつく課長が、ふわりと笑って見せた。
「やっぱり変な性癖がありそう」
「試してみる気になったか?」
「お断りです」
「梓」
手の平にのせたままの一束の髪を軽く引っ張られ、反射的に課長を見た。
笑顔は消え、真剣そのもの。
「妊娠してなかったこと、言うなよ」
「え?」
「まだ、安心させてやるな」
言おうと思っていたわけではないけれど、聞かれたら答えていたと思う。
「嘘をつく必要はない。ただ、誤魔化せ」
素直に頷いた。
課長の言うとおりだ。
わざわざ、私を裏切った彼の幸せ指数を上げてやる必要なんてない。
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