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3.復讐計画
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話しながらすっかりパンを平らげた課長が、ごみをまとめてテーブルの端に置いた。
すでに課長のカップは空で、私の手を付けていない冷めたコーヒーを飲む。
そういえば、課長は棚の前の方に置いてあったブルーのカップを使わなかった。クリーム色の私のカップとお揃いのものを。
わざわざ、ブルーのカップをずらして、奥の真っ白なカップを使った。
「木曽根。一昨年の忘年会のこと、憶えてるか?」
「……はい?」
毎年、忘年会はやる。が、年末年始の休暇に備えて忙しさが三割増しの最中《さなか》での開催なので、正直記憶には残っていない。
みんな、久しぶりに腰を落ち着けて食事ができると喜ぶが、飲んで食べたら体力も気力も尽きて、きっちり二時間で解散なのだ。
わたしもそうだ。
久々のコンビニ食以外の食事で胃を満たし、程よく酔って、気づけば自宅のベッドで寝ている。
一昨年……。
曖昧な記憶を辿るよりも、事実を並べてみる。
「林海さんが来た年ですよね」
「そうだな」
「最初から最後まで課長の隣を離れませんでしたよね」
「そうだったな」
事実を述べただけなのに、なぜか課長はムスッと唇を捻る。
「他になんかありましたっけ?」
「……憶えてないか」と、小さくため息をつく。
「ま、いいや」
「え、いいんですか?」
「そのうち、な」
そう言われると気になる。
シャツのボタンを一つ外して「酔っちゃいましたぁ」と課長にしな垂れかかる林海さんを想像し、課長の問いの答えの糸口を探す。
あの時私は……。
山倉さんが見かけによらず酒豪で、飲み比べみたいなことした気がする。
考え耽っていると、ぬっと伸びてきた手に髪を一束すくい上げられた。
「木曽根」
「はい?」
課長が少し身を乗り出すから、私と彼との距離が縮まる。
「俺のメリットは、ふたつ」
「……ふたつ?」
「ああ。まずひとつは、林海専務の失脚」
「失脚……? 私が課長と付き合うことと何の関係があるんです?」
林海専務は昔こそ凄腕営業マンだったらしいが、今は黒光りした革張りの椅子にふんぞり返っているばかり。
現役時代のたたき上げ精神はどこへやらで、すっかり金と権力に骨抜きだ。
きらり絡みでは色々と黒い噂もあるけれど、会社の不利益になるようなことはしでかしていないし、なぜか次期副社長との声も上がっている。
我が社は世襲制ではない。
一族とあれども、それなりの業績がなければ出世はできない。表向きは。
そして、副社長の椅子には一族以外の者が座る。
親族内での醜い争いを避けるために、そう決められているらしい。
「専務は、わりと本気で社長の座を狙っているらしい」
「……正気ですか」
「さあな。だが、もちろん、そんなことはさせない」
「まぁ、できないでしょうね」
「それでも、俺の邪魔にはなる」
「だから、私と付き合うことにする?」
「専務のアキレス腱は娘だ。で、娘の――」
「――ああ、なるほど。私は囮ですか」
途中で口を挟んだ私に、課長がニヤリと笑って見せる。
私はきらりには邪魔な存在だ。
直の気持ちに余程の自信がなければ、未練のある元カノと同じ職場だなんて、誰にとっても邪魔だ。
きらりは私を辞めさせようとするだろう。
父親を使ってか、取り巻きを使ってかはわからないが。
子供染みた嫌がらせに私が屈するとは思われていないだろうから、仕掛けるなら仕事絡みだ。
そしてそれは、課長からしたら自分の手を汚すことなく設置できる罠。
「自分の囮としての価値を知っている囮なんて、これ以上の適任はいないだろ?」
悔しいが賢い。
「それで、専務に私を大切な女性、だなんて言い方をしたんですね」
「いや? そこは事実を述べたまでだ」
「……はい?」
「俺のメリットのふたつめは、お前だよ」
握られたままの私の髪に、課長がそっと顔を寄せた。そして、視線だけ上げて私を見る。
「お前が欲しい」
そう言うと、髪にキスをした。
意味が分からない。
なのに、鼓動が勝手に早くなる。
不可抗力だ。
無駄に顔のいい男が自分を見つめて「お前が欲しい」なんて言えば、大抵の女の心臓は急加速するだろう。
すでに課長のカップは空で、私の手を付けていない冷めたコーヒーを飲む。
そういえば、課長は棚の前の方に置いてあったブルーのカップを使わなかった。クリーム色の私のカップとお揃いのものを。
わざわざ、ブルーのカップをずらして、奥の真っ白なカップを使った。
「木曽根。一昨年の忘年会のこと、憶えてるか?」
「……はい?」
毎年、忘年会はやる。が、年末年始の休暇に備えて忙しさが三割増しの最中《さなか》での開催なので、正直記憶には残っていない。
みんな、久しぶりに腰を落ち着けて食事ができると喜ぶが、飲んで食べたら体力も気力も尽きて、きっちり二時間で解散なのだ。
わたしもそうだ。
久々のコンビニ食以外の食事で胃を満たし、程よく酔って、気づけば自宅のベッドで寝ている。
一昨年……。
曖昧な記憶を辿るよりも、事実を並べてみる。
「林海さんが来た年ですよね」
「そうだな」
「最初から最後まで課長の隣を離れませんでしたよね」
「そうだったな」
事実を述べただけなのに、なぜか課長はムスッと唇を捻る。
「他になんかありましたっけ?」
「……憶えてないか」と、小さくため息をつく。
「ま、いいや」
「え、いいんですか?」
「そのうち、な」
そう言われると気になる。
シャツのボタンを一つ外して「酔っちゃいましたぁ」と課長にしな垂れかかる林海さんを想像し、課長の問いの答えの糸口を探す。
あの時私は……。
山倉さんが見かけによらず酒豪で、飲み比べみたいなことした気がする。
考え耽っていると、ぬっと伸びてきた手に髪を一束すくい上げられた。
「木曽根」
「はい?」
課長が少し身を乗り出すから、私と彼との距離が縮まる。
「俺のメリットは、ふたつ」
「……ふたつ?」
「ああ。まずひとつは、林海専務の失脚」
「失脚……? 私が課長と付き合うことと何の関係があるんです?」
林海専務は昔こそ凄腕営業マンだったらしいが、今は黒光りした革張りの椅子にふんぞり返っているばかり。
現役時代のたたき上げ精神はどこへやらで、すっかり金と権力に骨抜きだ。
きらり絡みでは色々と黒い噂もあるけれど、会社の不利益になるようなことはしでかしていないし、なぜか次期副社長との声も上がっている。
我が社は世襲制ではない。
一族とあれども、それなりの業績がなければ出世はできない。表向きは。
そして、副社長の椅子には一族以外の者が座る。
親族内での醜い争いを避けるために、そう決められているらしい。
「専務は、わりと本気で社長の座を狙っているらしい」
「……正気ですか」
「さあな。だが、もちろん、そんなことはさせない」
「まぁ、できないでしょうね」
「それでも、俺の邪魔にはなる」
「だから、私と付き合うことにする?」
「専務のアキレス腱は娘だ。で、娘の――」
「――ああ、なるほど。私は囮ですか」
途中で口を挟んだ私に、課長がニヤリと笑って見せる。
私はきらりには邪魔な存在だ。
直の気持ちに余程の自信がなければ、未練のある元カノと同じ職場だなんて、誰にとっても邪魔だ。
きらりは私を辞めさせようとするだろう。
父親を使ってか、取り巻きを使ってかはわからないが。
子供染みた嫌がらせに私が屈するとは思われていないだろうから、仕掛けるなら仕事絡みだ。
そしてそれは、課長からしたら自分の手を汚すことなく設置できる罠。
「自分の囮としての価値を知っている囮なんて、これ以上の適任はいないだろ?」
悔しいが賢い。
「それで、専務に私を大切な女性、だなんて言い方をしたんですね」
「いや? そこは事実を述べたまでだ」
「……はい?」
「俺のメリットのふたつめは、お前だよ」
握られたままの私の髪に、課長がそっと顔を寄せた。そして、視線だけ上げて私を見る。
「お前が欲しい」
そう言うと、髪にキスをした。
意味が分からない。
なのに、鼓動が勝手に早くなる。
不可抗力だ。
無駄に顔のいい男が自分を見つめて「お前が欲しい」なんて言えば、大抵の女の心臓は急加速するだろう。
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