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2.噂
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しおりを挟むこの状況でそんなことを考えているなんて知ったら、また課長に「さすがだな」と笑われそうだ。
部屋には専務一人だった。
応接用のソファに座るように言われて、課長と並んで座る。
黒革のソファは硬かった。
「木曽根くん。きみは実に優秀だと聞いた。ならば、呼ばれた理由もわかっているね?」
娘のきらりは専務が四十歳の時の子供で、待望の我が子への溺愛が異常であることは周知の事実。
だから、金を積んで特別枠で大学に入学させたとか、人事に手を回して広報課に配属させたとか、男とトラブるたびに立場と金で解決してきたとかいう噂は、限りなく事実に近いと誰もが思っている。
そして今、専務のお言葉でその裏付けが取れるというわけだ。
まさか私が身をもって噂の真偽を確かめることになるとは……。
「きみの恋人だった天谷くんが私の娘に心変わりしてしまったことは、きみには認めがたい屈辱かもしれないが、男女の仲とは誰にも予想できないものだろう? きらりの妊娠前にきみを異動させてあげられなかったことは、私の不徳の致すところだ」
目の前のズラ専務は何を言っているのだろう。
専務が植毛かカツラだろうというのも噂の一つだが、今回、その真偽は確かめようがない。
それはさておき、専務の言葉が単なる親バカ発言だとしたら、きらりが言ったであろう、直が勝手にきらりに惚れて私と別れ、絆されたきらりが直を受け入れ妊娠したことを、私が恨んでいる、といった作り話を信じているのだろう。
今日耳にした噂をつなぎ合わせると、結果として私がきらりに直と別れるように脅しただの、暴れただのということだ。
不自然に黒々とした髪を優しく撫でつけ、専務が微笑む。
「聞けば、きみは入社以来広報一筋だというではないか。視野を広げるためにも、異動は必要ではないか? それに、お腹が大きくなっていくきらりと一緒に働くのはツラいだろう?」
そもそも娘さんはお腹が大きくなってまで働くつもりですかね?
「きみに異動経験がないせいで、東雲課長とのあらぬ噂もあるそうじゃないか。天谷くんの心変わりは、その噂も原因のひとつじゃないのか?」
直と付き合っている時は、噂も下火になっていましたが?
専務がわざとらしく、コホンと咳払いする。
「とにかく、だ。きみの心情を慮って、私と東雲課長とできみの意向に沿った形で異動を――」
「――待ってください」
黙って聞いていた課長が、ご機嫌にお喋りしていた専務の言葉を遮った。
「木曽根を手放すつもりはありません」
「なに!?」
課長が私の異動に協力的だと思っていたらしい専務は、わかりやすく眉間に皺を寄せた。
「専務のおっしゃる通り、木曽根は優秀です。専務のお嬢さんが妊娠による体調不良や産休を取られることも考えると、彼女を手放すのは相当な痛手です」
長い足の上で手を組み、課長が強気な口調で言った。
「しかしだな。課長とのあらぬ噂もある以上、きみたちが別部署に――」
「――では、私が異動します」
「なっ、何を言っているんだね。役職者がそんなに簡単に――」
「――取締役就任前に他部署を経験するのも悪くないでしょう。各部署に問題がないか、調査にもちょうどいいですし。父からも現場でなければわからない問題こそ重要だと言われていますし」
課長はいつも、社長のことを『社長』と呼ぶ。決して、社内で『父』という表現はしない。
誰かが『課長のお父さんは――』と言って話を振っても、だ。
公私混同しないためのけじめではないかと、私は勝手に思っていた。
なのに、今は『父』と言った。
そして、その単語に反応したのか、専務がグッと顎を引き、押し黙った。
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