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2.噂
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あの、と声をかけられて見ると、店員さんが立っていた。
課長は直と林海さんの食器を片付けてもらい、勝手に席を移動したことを詫び、ホットコーヒーを二つ注文した。
「いつから聞いていたんですか?」
「赤ちゃんがお腹空いた、ってとこから」
最初からじゃない、と思った。
「尾けてきたんですか?」
「人聞き悪いこと言うなよ。昼間、お前にこの店の話をしたら食いたくなったんだよ」
その割にはパスタを注文してないじゃない。
「で? お前はしてんの?」
「はい?」
「妊娠」
「……」
「ま、ヤることヤってりゃ、可能性はゼロじゃないよな」
直もそう思ったから、否定はしなかった。
事実、この一か月内に、セックスをした。
だからこそ、わからない。
直は、二股なんて器用なことができる男じゃない。と思う。
実際にしていたのだけれど、例えば、一度だけの間違いだった可能性はないだろうか。
酔った弾みでも、林海さんに迫られて流されたでもいい。たった一度の間違い。
どうしても、私と林海さんとの付き合いを同時進行させていたとは思えない。思いたくない。
林海さんを抱いた翌日に私を抱くなんて、気持ち悪い――!
胸の前で腕を交差させ、自分の身体をぎゅっと抱く。
「なぁ」
課長が頬杖を突き、じっと私を見た。
「そんなに好きだったか」
「……っ」
ゆらっと視界がぼやけて、まずいと思った。
気づかれたくなくて、俯く。
タイミングよく店員さんがコーヒーを持ってきて、私は熱いカップを両手で持ち、慎重に口づけた。
熱い液体に、喉が焼けるようだ。
お腹が痛い。
生理の予感。
「帰るか」
「……はい」
そう言った後も、私と課長はコーヒーを飲んでいた。
無言で。
言葉を発したら涙が溢れそうだったから、良かった。
店内は寒かったのに、一歩外に出ると蒸し暑い。
日本の北とはいえ、八月だから当然だ。
「あち」と課長もワイシャツの首元を緩める。
「ありがとうございました」
店の前で、私は課長に言った。
林海さんのパスタも私のコーヒーも支払ってくれたから。
「今度は、もっとちゃんと奢らせろよ」
「え?」
「普通に、飯」
「いつもごちそうになっていますが」
「ランチミーティング、でな?」
「はい」
ミーティングと言っても、課長は経費申請をしていない。
「ランチじゃいけない店、付き合えよ」
「焼肉……とか?」
課長がぷっと笑う。
おかしなことを言っただろうか。
あ、お寿司!?
「お前、可愛いな」
「はいっ!?」
綺麗、とお世辞を言われることはあっても、可愛いは初めてだ。
しかも、長年一緒に働いている上司だ。
そう言った意図が読めない。
「林海だったら『美味しいお酒が飲みたいですぅ』とか言いそうじゃね?」
裏声で林海さんの口真似をするもんだから、思わず吹き出してしまった。
「木曽根」
「はい?」
「今日は、何も考えずに眠れ」
「え?」
笑いを堪えて手を口元に当てたまま見ると、課長は真顔だった。
「明日も仕事だ。泣き腫らした顔はまずい」
今日は木曜日。
せめて別れを告げてくれたのが明日ならば、浴びるほど飲んで、泣けたのに。
「辛ければ休め、とは言ってくれないんですね」
「言うわけないだろ。あんな男のためにお前の仕事まで引き受ける義理はない」
「林海さんにやらせたらいいですよ」
課長は直と林海さんの食器を片付けてもらい、勝手に席を移動したことを詫び、ホットコーヒーを二つ注文した。
「いつから聞いていたんですか?」
「赤ちゃんがお腹空いた、ってとこから」
最初からじゃない、と思った。
「尾けてきたんですか?」
「人聞き悪いこと言うなよ。昼間、お前にこの店の話をしたら食いたくなったんだよ」
その割にはパスタを注文してないじゃない。
「で? お前はしてんの?」
「はい?」
「妊娠」
「……」
「ま、ヤることヤってりゃ、可能性はゼロじゃないよな」
直もそう思ったから、否定はしなかった。
事実、この一か月内に、セックスをした。
だからこそ、わからない。
直は、二股なんて器用なことができる男じゃない。と思う。
実際にしていたのだけれど、例えば、一度だけの間違いだった可能性はないだろうか。
酔った弾みでも、林海さんに迫られて流されたでもいい。たった一度の間違い。
どうしても、私と林海さんとの付き合いを同時進行させていたとは思えない。思いたくない。
林海さんを抱いた翌日に私を抱くなんて、気持ち悪い――!
胸の前で腕を交差させ、自分の身体をぎゅっと抱く。
「なぁ」
課長が頬杖を突き、じっと私を見た。
「そんなに好きだったか」
「……っ」
ゆらっと視界がぼやけて、まずいと思った。
気づかれたくなくて、俯く。
タイミングよく店員さんがコーヒーを持ってきて、私は熱いカップを両手で持ち、慎重に口づけた。
熱い液体に、喉が焼けるようだ。
お腹が痛い。
生理の予感。
「帰るか」
「……はい」
そう言った後も、私と課長はコーヒーを飲んでいた。
無言で。
言葉を発したら涙が溢れそうだったから、良かった。
店内は寒かったのに、一歩外に出ると蒸し暑い。
日本の北とはいえ、八月だから当然だ。
「あち」と課長もワイシャツの首元を緩める。
「ありがとうございました」
店の前で、私は課長に言った。
林海さんのパスタも私のコーヒーも支払ってくれたから。
「今度は、もっとちゃんと奢らせろよ」
「え?」
「普通に、飯」
「いつもごちそうになっていますが」
「ランチミーティング、でな?」
「はい」
ミーティングと言っても、課長は経費申請をしていない。
「ランチじゃいけない店、付き合えよ」
「焼肉……とか?」
課長がぷっと笑う。
おかしなことを言っただろうか。
あ、お寿司!?
「お前、可愛いな」
「はいっ!?」
綺麗、とお世辞を言われることはあっても、可愛いは初めてだ。
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そう言った意図が読めない。
「林海だったら『美味しいお酒が飲みたいですぅ』とか言いそうじゃね?」
裏声で林海さんの口真似をするもんだから、思わず吹き出してしまった。
「木曽根」
「はい?」
「今日は、何も考えずに眠れ」
「え?」
笑いを堪えて手を口元に当てたまま見ると、課長は真顔だった。
「明日も仕事だ。泣き腫らした顔はまずい」
今日は木曜日。
せめて別れを告げてくれたのが明日ならば、浴びるほど飲んで、泣けたのに。
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「言うわけないだろ。あんな男のためにお前の仕事まで引き受ける義理はない」
「林海さんにやらせたらいいですよ」
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