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黒に戻りし時

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 さあ、髪が黒くなる。
 紅い悲劇を象徴する髪が黒に戻る時が来るんだ。
 殺、もうすぐ幸せになれるんだ。
 俺様たちはもう辛い人生を送らなくてすむ。
 早く、幸せに……。


~~~~


「ゴホッゴホッ!」

「殺……咳が止まらないって大丈夫なのか?」

 陽が殺を見つめて心配そうに声をかける。
 殺は少し辛そうにしながら「大丈夫です」などと気丈に振る舞って笑う。
 だがそれでも止まらない咳に殺も病かと疑い病院に行かねばならないかと考えた。

「無理はすんなよ」

「仕事はしっかりやりますから殺様は休んだ方が良いと思いますわ」

 サトリとMは真面目な顔つきでそう言えば殺の分の仕事に手をつける。
 御影に至っては心配しすぎで急いでネギを買ってきて首に巻こうとしていた。
 殺はこの様子だと仕事を休んでも大丈夫な様な気がして休暇を考える。
 実際に仕事の速さもいつもと段違いだ。

「では、今日は早退しましょうか……ゲホッ!」

「早く帰るんだ!」

 殺は震える手で帰り支度を始める。
 皆はそんな殺が見てられなくて支度を手伝う。

「ありがとうございます」

「いいってことよ」

 笑顔でそう答えるサトリに殺は救われる様な気がして支度を早々に終わらし、ふらつく足を引きずって帰路に着いた。


~~~~


「ゲホッ、ゲホッ」

 広い家具が少ないシンプルな部屋の中で一人で殺は寝ていた。
 家に帰って寝ても咳は治らなかった。
 それだけではない。
 倦怠感、発熱、体の震え、頭が割れるのではないかと思えるほどの頭痛が彼の身を苦しめた。
 風邪のひき始めの様な症状にいつ治るのかと悩みながら従者が用意した風邪薬を一気に飲み干す。

 ゴクリと音がなるほどに勢いよく薬を飲み干せば布団に突っ伏して考え事をした。
 今頃、人殺し課の皆は何をやっているんだろうかと一人で虚しく考える。
 一人で昼間から今の時間まで寝ていると寂しくなるものだ。
 殺は帰ってからずっと長い時間を一人で過ごしていた。
 すると障子の向こうから従者の声が響く。

「殺様、お見舞いの方がお見えになってますよ」

「ゴホッ……入ってどうぞ」

 即答で許可を出す彼はお見舞いの者が来たことに心を踊らせていた。
 ずっと心細かったからこそ殺にはお見舞いが嬉しかった。
 それに病になれば更に不安になる。

「殺ー!お見舞いに来てやったぜ!」

「プリンもあるんじゃぞ!」

「お花も買って来ましたわ!」

「仕事はしっかり終わらせたから安心しろ」

 勢いよく障子を開けて雪崩れ込んできた人殺し課の職員が思い思いの言葉をかけていく。
 プリンに花、それに仕事をしっかり終わらせたことが殺には歓喜に等しいことでつい微笑んでしまう。
 いったい彼はどれ程の笑顔をプレゼントされてきたことか、そう思って更に顔を緩めた。

「プリンですか、丁度食べたいと思っていたのですよ」

「それは良かった」

 殺はもらったプリンを食べる用意をする。
 プリンは有名店のこだわりの蕩けるプリンで一口食べただけで頬っぺたが落ちたのではないかと錯覚してしまうくらいだった。

「美味しい……ゲホッ、ゴホッ」

「あー、落ち着け!」

 サトリと御影が殺の背中をさする。
 長年に渡り一緒に居たからこそ、こういう時の対応はとれるものだ。
 殺は皆に感謝する。
 病の時こそ大切なモノに気づかされるものだと彼は考えた。

「お見舞いに……ゲホッ、来てくれてありがとうございゴホッ……ます」

「大切な仲間を気遣えなくて何が仲間ですの?」

 Mは少しだけ穏やかな顔をして殺の前で明るくいつも通りに振る舞う。
 他の者も、皆が心配しながらも出来るだけ殺の前では明るくする。
 それが彼には嬉しかった。

「本当に……ゴホッ、ありがとう」

 お礼は言える時に言わなければ後悔すると彼は知っていたからこそ伝えたかった。
 自分は幸せ者だ、良い縁に恵まれたんだとつくづく思った。
 本日何度目かわからないお礼を彼は言おうとした。
 その時だった。

「ぐぁぁぁぁぁぁ!」

「「「「殺(様)?!」」」」

 今までとは違う激しい頭痛が襲う。
 頭の中でナイフが独りでに暴れているのではないかと思うほどに鋭い焼ける様な痛み。
 初めての痛みに殺は悶絶しながら暴れ狂う。
 あの殺が暴れるほどの痛みだ、生半可なものではないことは明らかだった。

「ぁぁぁぁぁぁ!!!!」

「どうした?!大丈夫か?!」

 心配の声も届かない程に殺は苦しむ。
 するとだんだん殺を煙の様な何かが覆い尽くしていった。

「いったい何が起こってるんだ……!?」

 真っ白な煙が殺を包む。
 それは姿が見えなくなる程に。
 微かに聞こえる殺の呻き声が唯一の彼の生きている証拠で、それ以外はわからなかった。

 煙が薄れる。
 少しずつ視認が出来る様になった彼の姿に皆が驚愕する。

 夜色の艶やかな髪、それはいつもの血塗れの紅ではなかった。
 黒い禍々しい目がその場に居たものをうつす。
 彼は戻っていた、忌々しい惨劇の前の麗しい姿に。
 姿が変わった所為か、気を失った彼は美しい黒だった。

「あ……や?」

「これ……は?」

「くっくっく、美しいだろう?」

「「「「!?」」」」

 殺にとって、皆にとって一生会いたくない者の声が響いた。
 橙色の瞳が人を馬鹿にする。
 中国の民族衣装を揺らして笑う彼は酷く狂気的だった。

「久遠……!」

 御影が憎い者を殺す様な声で久遠を呼ぶ。
 いや、殺そうとも思っていた。

「黒髪に戻れば連れ去るって言っただろう?だから来た」

「帰れ!!」

 サトリがプリンの容器を投げて叫ぶ。
 だがあっさりと避けられれば殺に近づかれた。
 風が強く吹き荒れる。
 久遠の手から吹く強風は皆の目を塞ぐには充分だった。

「殺はもらうぞ!」

「待て!」

「待たない、もう日本には帰らないし、家から出さないから会えないぞ」

 そう言って楽しげに久遠は笑う。
 時空の歪みが殺の部屋いっぱいに広がる。

「じゃーな」

 時空の歪みに消えていった久遠は殺を抱えて、とても幸せそうに笑っていた。

 残された人殺し課の仲間は皆が項垂れていた。
 自分が油断しなかったら殺が連れ去られることはなかったと……。

「どうしましょう……」

「……閻魔のところへ行くぞ」

 御影はそう呟いた。
 事態は早く収束しなければならない、殺を助けなければならない。
 だからこそ、閻魔に早く中国に送ってもらわなければならなかった。

「早く助けるぞ」

「ええ、助けましょう」

「絶対に……」

「悪縁を断ち切る」

 人殺し課の皆の目は怒りとしか言い様がないほどに激昂に満ち溢れていた。



~~~~


「……ん?ここは?」

 殺は目を覚ます。
 体を起こせば鈍い痛みと倦怠感に襲われる。
 それに何故か、手と足が重い。
 足が動かずにガシャリと音が鳴った。
 殺は足下に目をやる。
 すると足が鎖に繋がれていたのだ。
 どおりで動けないわけだと殺は思った。
 手も手錠をかけられている。

「おはよう、殺」

「なっ!?……久遠」

 殺は瞬時に自分の髪が黒に戻ったことを理解した。
 久遠も殺が状況を理解したことをわかって微笑む。

「やっと俺様たち幸せになれるんだぜ」

「何が幸せだ、監禁をしている時点で無理矢理でしょう?この独り善がりが」

 殺は蔑む目で久遠を見ては罵倒する。
 すぐに久遠は顔を歪める。

「なあ、なんで俺様じゃあ駄目なんだ?こんなに愛してるのに」

「……」

「狂う程にお前を愛してるんだぜ?毎日毎日、お前のことを考えた。それなのにお前は最近知り合った死神を選ぶの?長年の仲の俺様を捨てて」

 久遠の目は焦点が合っていなかった。

「なあ、なんで?なんで俺様じゃあ駄目なんだよォォォォォォォ!!いったいどれほど、お前に捧げたと思ってんだ屑がぁぁぁぁぁぁ!!なあ、俺様を選べよ!なあ!」

 久遠は殺の胸ぐらを掴み揺らす。
 彼はとても狂っていた。
 そして笑っていた。

「俺様を選べ、殺」

 そういう彼はとても儚げだった。
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