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人間の友と

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 この世界は好きな時代の人間界にいつでも降臨することが出来る世界だ。
 殺は昔、人間研究の為に人間の世界に降り立ったことがある。
 その時の時代は殺が過ごしていた地獄より確かに進んでいた、それはきっと殺が適当に時間を操作したからこそ辿り着いた時代だったのだろう。

 彼は人間界から帰ったあとすぐに時代を調べて手帳に書き記した。
 それもこれも全てはあの少女にまた会う為に……。


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 殺は只管に眼前の書類と向き合いサインを記す作業を淡々と無機質にこなしていた。
 その鬼気迫る勢いは周りを圧倒し、仕事をしなければ絶対に殺されるという恐怖の印象を植え付けて人殺し課以外の職員の仕事を捗らせている。

「はぁーー……」

「どうした?殺」

「人間の娘に会いたいだって」

「私の心を勝手に読まないでください」

 そうやってサトリの頬を摘みながら殺は仕事を進めていく。
 真面目な殺が更に仕事熱心になったのには少なからずとも人間の少女が関係しているということを知っているのは閻魔と御影とサトリのみだ。
 だが知っていても会いたい相手は人間、世界が違うのだから会わす気が無いので普通に仕事を押し付ける。

 そしてそれを殺はもちろん知っている。
 でも確かに世界が違う相手同士、会っても何もないうえに寧ろ人間の罪を見てきて嫌になった獄卒が何を言うかわからない。
 だから会わない方が本当は良いのだ。
 そんな時だった。

 ドサッ!!

 鈍い音が開かずの間に波紋のように広がる。
 何かが……大きな重いものが落ちたような音。
 人殺し課の注目が一斉に物音がした方向へ集まっていく。

 誰もが状況を把握しきれなかった。
 その目線の先には大雑把に三つ編みされた髪型やセーラー服が印象的な少女が、頭から落ちてきたのか痛そうに頭を撫でながら泣きながら蹲っている。

 更には人間臭くて、そのことによりまた混乱が人殺し課中に生じてしまっていた。
 だが一人だけその光景に目を見開いて少女にそろり、そろりと静かに近づいていく者がいた。

「美咲さん……!これまた大きくなって」

「……!あやさん!!」

 少女は勢いよく殺に抱きつき、殺は少女を全力で受け止めて暫しの間だが喜びを堪えられずに少女の頭を髪型が今以上に崩れるんじゃないかと思うほど撫でていた。

「あのー、殺。もしかしてその少女は」

「私が会いたいって言っていた人間の少女、美咲さんですよ」

「ですよねー」

 呆然とするサトリたちを放ったらかして殺と美咲は再会を果たしたことを祝っている。
 だがある疑問が今、この部屋にいる美咲以外の者の頭の中に現れていった。
 彼女は死んでもいなければ、幽体離脱もしてはいないのに何故地獄に来ることが出来たのか?
 すると少女が「そうだ!」と言いながらスカートのポケットに手を入れてガサゴソと何かを探し始めた。

「あった!あやさん!私さ、オリジナルの陣を作ったんだよ!これがあればいつでも地獄へ行くことが出来るの」

「オリジナルの陣……」

 殺は自分に差し出された紙を見てみると既存の陣が少し改変されているようなものであった。
 それでもこの歳でこのような陣を行使出来るというのは凄いことだ。
 殺は美咲の頭をもう一度撫でる。
 美咲はまた殺を抱き締める腕に力を込めていく。

「それにしても、殺に会いたいが為にここまでするとは凄えよな」

 サトリはそう呟いて自分の席に戻っていく。
 だが、他の者にとっては生きている人間が珍しくて好奇の眼差しで美咲をじっくり眺めている。
 それに臆する訳でもない美咲は欠伸をしながら畳を求めてごろ寝を始めた。
 彼女は畳が落ち着くのかすぐに眠たそうにうとうとしながら殺の足にしがみつく。
 その姿は愛らしく小動物のようで思わず守ってあげたい衝動に駆られてしまうものだ。

「生きている人間は何か面白そうですわー」

 そうやって笑うMは早速だが仕事をサボろうとする。
 殺はそれをすぐに阻止しようとしたその時だった。

「うーん」

 気持ち良さそうに眠りについていた美咲が起きかけてしまったのだ。
 更に言えば今の美咲は殺の足にしがみついている。
 つまりは、殺が叫んだり動いたりすれば彼女が起きてしまう。
 それに気づいた馬鹿三人は殺に仕事を押し付けてお菓子を食べたり漫画を読んだり、各々好きなことを行い始める。
 殺はそれを恨めしそうに見つめながら目の前に広がる増えた仕事を眺めて溜め息を吐くしか無かった。

「……一緒に片付けてやる」

「ありがとうございます。陽」

 まともなのが一人でも居るだけで殺は取り敢えず心の平和が保たれる。
 更には小夜子と冥王と美鈴が仕事を手伝うと挙手をしてきて皆に手伝ってもらうことになった。
 この空間の中で厚かましくグータラ出来ないだろうと踏んでいた殺だが、あの三人は予想を遥かに超える馬鹿だった。
 結局は自分の好きなことをやり通して眠ってしまっていた。

 それに呆れながらも布団をかけるようにと指示をくだしているあたり、なんやかんや言っても彼らを邪魔者ではなく大切な者と認識している。
 殺は「明日は扱き使うからゆっくり眠ってください」そう囁きながら仕事をこなしていった。



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「うーー……」

 紅い闇が空を覆い隠す。
 携帯で時間を確認すれば人間の世界が暗い深夜の時間帯になっていて、ようやく自分がどれだけ寝ていたのか気づいた美咲は勢いよく飛び起きる。

「おはようございます」

 どこからともなく聞こえた声に一瞬身を震わした。
 声の下を辿れば殺が立っていた。
 声の主が殺だったことを確認した美咲は安堵を覚えて胸を撫で下ろした。
 周りも見渡せば残業で疲れたのか、みんな眠りに落ちていた。

「あやさん」

「そろそろ帰らねばならないのでは?人間の方が心配されていると思われますが」

「私には誰も居ないよ……おばあちゃんが死んじゃったから」

「それは知っていますよ」

 殺は悲しそうに美咲を見つめる。
 当の本人は空虚に想いを馳せてしまい中身が空っぽになっていた。
 少女を気にかけていたのは少女のおばあちゃんだけ。
 それを知っている殺は何も言うことは出来なかった。
 だが、言わなければ……口を開けて殺は言い放つ。

「貴方を気にかけてくれる方はまだ居ませんが、これから現れるかもしれません。だから希望だけは持っていてください」

「持つだけならタダだよね……」

「ええ、そうですよ」

 少女は下を向く。
 その目は一体どんなものを映しているのか?どんな表情をしているのか?分からない。
 次に上を向いた少女は笑顔で言葉を溢した。

「あやさんは私を要らない子扱いしない?」

 笑顔の少女はまさしく狂気を映し出す鏡のようだ。
 狂気しか現さない……希望なんて持っているのか疑問に思えてしまう。
 だが殺は、そんなことは如何でも良い風に語る。

「私は要らない子扱いしませんよ。ずっと貴方に会いたかったのですから」

「……そっかー、ありがとう!」

 狂気を映していた少女は普通に戻る。
 あれは只の思春期なのだろう、思春期に嫌なことが起きれば誰しもあんな風になってしまう。
 殺は少女の頭を撫でながら「貴方は大丈夫ですよ、私が居ます」そう穏やかに話した。

 少女は嬉しそうに殺の頭を背伸びして撫でる。
 殺は少し屈んで少女の身長にあわせて撫でてもらう。

「ふふっ、あやさん身長高いー」

「成長しましたからね」

「成長ずるいー」

 少女は笑う。
 楽しげに笑顔を振りまく。
 殺はその笑顔が消えないようにと願いながら美咲を抱き締めた。



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「じゃあ、そろそろ帰るね」

「達者で……それといつでも遊びに来て良いですからね」

「……!良いの?!やったーー!」

 くるくる回る少女を微笑ましく思いながら見送る。
 陣が書かれた紙を破れば術が解ける。
 紙が静かに破られる。

「あやさん!また今度!」

「ええ、また」

 光が少女を包み跡形もなく消えていった。
 殺は部屋の天井を見上げながら祈った。




「どうか、あの子に幸せが訪れますように」




 くだらない神頼みは叶うのか?
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