夏目仁兵衛という男(短編)

和田光軍

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本能寺の変

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「信長はどこだっ!?」
「言うわけないだろう、光秀…ここは俺の首で手を打ってくれないか?」

燃え盛る本能寺を舞台に、男が二人刀を構えて相対していた。
片方は明智光秀、織田家に仕えている武将で現在謀反を起こしている男。
もう片方の男の名はーーー

「来いよ光秀。俺が、織田信長だ」



××××××××××



時は天正10年、有名な戦国武将、織田信長が表舞台から姿を消すことになる事件が起こった年。
21世紀を迎えた今でも謎が残る出来事に、ある武将が立ち会っていた。
その男の名前は夏目仁兵衛(なつめ じんべえ)、素性は尾張の農民の三男坊、幼い時からの付き合いで織田信長に仕えている軍師である。
しかし、どの歴史書を読んでも彼の名前は出てくることはない。
なぜなら彼は、本来農民のまま人生を終えるはずだったからである。

夏目仁兵衛、またの名を夏目仁。
彼はいたって普通の男子高校生だった。
夏休みに入る前日に目が醒めると、知らない天井、知らない人、そして自由に動かない身体の自分がいた。
軽度のオタクでもある彼は即座に理解した、ここは異世界であると。
そして落胆した、ここは異世界ではなく過去の日本であると。

何故か赤子として過去の日本へと生を受けた仁は仁兵衛と名付けられ、元気にすくすくと育ち、5歳の頃には村の子どもたちを纏めるリーダーとなっていた。
元いた時代に戻る術はないが、途方にくれることなくこの時代で生き抜くことを誓っていた。
父親や兄の畑仕事の手伝いはもちろん、いずれ名を馳せる武将になるべく、槍や刀を振るう訓練を毎日欠かさず行っていた。
そんな彼が運命の出会いを果たすのは、それから5年後のことだった。



××××××××××



「じ、仁兵衛、どうするのだ。明智殿がここを攻めてきておるぞ!」

ここは山城国の本能寺、毛利を攻める羽柴秀吉の救援に向かう途中立ち寄り、一夜を過ごしているところに、明智光秀の謀反の知らせが入った。
境内に緊張が走る中、奥の間で休息を取っていた男も突然の謀反に驚き慌て、側に控えていた仁兵衛に問い詰めていた。
男の名前は織田信長、「神速」と呼ばれる尾張の軍勢を率いる天下人となる男だ。
織田信長は冷酷非情、第六天魔王と揶揄されているが、ここにいる男は気が弱く血を見るのが大の苦手という臆病な男であった。
その素性を知っているのは傅役だった平手政秀、彼の妻である濃姫、そして幼い頃からの付き合いである仁兵衛の三人だけである。
家臣は寡黙で発言に重みのある主君を尊敬し支えているのだが、実際は人見知りが激しく、家臣からの報告にも緊張して顔が強張り
失言がないよう慎重に言葉を発しているだけである。

「お、俺が何か粗相をしたのであろうか!?」
「落ち着けよ、信長。お前に落ち度はない。元より光秀はお前を裏切るつもりだったんだよ」
「何故じゃ!恨みでなければ何故明智殿は謀反など!」

信長は仁兵衛の言葉にさらに混乱していた。
家臣に裏切られる心当たりがないのだから仕方がないだろう。
混乱している信長とは対照的に、仁兵衛は冷静に成り行きを見守っていた。
未来から来た仁兵衛にとって、光秀の謀反は想定内だったからである。

「いくら否定しても謀反してるんだ、久秀だって理由もなく謀反しただろう。割り切れ、信長」
「しかし!松永殿の時とは違うじゃないか!柴田殿も丹羽殿も羽柴殿もここにはおらぬ!俺たちは無勢じゃ!」
「そうだな、多勢に無勢だ。野戦したらすぐに討ち取られるだろう」

数で劣る戦で勝つには、数を補う戦力、天候などの運、そして勢いが必要である。
信長は今までの戦でも少数の武将を引き連れて勝った戦はあった。
しかし、今回は戦力も運も、勢いも全て明智軍にある。
織田軍が勝つには奇跡が起こるしかあり得ない状況となっていた。

「お、俺にここで死ねと言うのか、仁兵衛!」
「そんなわけないだろう。『何があっても死なせない』…それが俺とお前の約束だろ?その約束は俺が死んでも守ってやる。お前の前にいる男は誰だ?」
「…仁兵衛。夏目仁兵衛…」
「そうだ、今まで俺がお前の期待を裏切ったことがあるか?」

仁兵衛の問いかけに信長は首を横に振る。
信長は幼馴染である仁兵衛を誰よりも信頼しているのだ。
仁兵衛の言葉を否定したことは織田家当主になってから一度もない。
言い争いになったのは幼い時以来のことである。

「心配するな、信長。ちゃんと策はある。お前は死なないが、織田信長はここで消えてもらうことになるが…な」
「それはどういうことじゃ?俺は死なないのであろう?」
「あぁ、お前はここから逃げ延びて、南蛮寺に逃げ込め。後で弥助が向かう予定だ」

仁兵衛は今日、この日のためにあらゆる手を尽くしていた。
南蛮寺の協力はその一つであり、ルイス・フロイスに信長の保護を頼んでいた。
弥助も黒人奴隷だったことから海の外のことはこの時代の人間よりも詳しいはずだ。
信長の本性を知ったら驚くだろう、それでも仁兵衛は、心優しい二人の外国人なら信長を受け入れてくれると信じている。

「そのあとはフロイスたちと一緒に船に乗って海の外へ出て行くんだ。織田信長という男はこの国を去る、永遠に表舞台に立つことはない。それなら、光秀もお前を殺すことはないだろう」
「仁兵衛はどうするつもりじゃ?ここに残るとは言わないだろう?」
「当たり前だろ?俺だって死にたいとは思わないからな」

仁兵衛はうっすらと微笑み、信長の肩に手を置いて諭すように答えた。
もちろん、嘘である。
光秀を足止めしておかないと、いずれ南蛮寺を嗅ぎつけるはずだと、仁兵衛は確信している。
このお人好しで人見知りで、奥手な男を守るためには何かを犠牲にしないといけない。
それが、たとえ自分の命であっても。

「火の手が回るのが早いな、ここももうじき火の海になる。信長、お前にはここから逃げてもらう。しばらく洞窟が続くが、出口には忍びが待機しているから彼らについていけばいい。それくらいはできるな?」

仁兵衛は角の畳を裏返し、あらかじめ用意していた抜け道を信長に見せる。
この抜け道はこの日のために本能寺の住職を懐柔し、村人を雇って前々から掘り進めていたものである。
もちろん、この抜け道を知っているのは織田軍の中では仁兵衛だけで、光秀はもちろん他の武将にも見つからないように内密に用意していた。

「いいか、信長。後ろを振り向くな。何があっても前に進め。何があってもだ。もう後戻りはできないと思え」
「仁兵衛…やはりお前は…」
「話は終わりだ。続きは海の外から帰って来てから、土産話と一緒に聞かせてもらう。じゃあな、信長…」
「仁兵衛!待て!」

一人で逃げ出すことに抵抗を示す信長を抜け道へと押し出し、帰ってこれないよう畳を元に戻す。
信長が抜け道から出たあとは、忍びに封鎖するよう伝達は済んでいる。
仁兵衛はもうすぐ現れるであろう光秀を待ち構えていた。
そして、その時はやってくる。

「…仁兵衛ぇ…」
「光秀、お疲れさん。とりあえず一服しよう、積もる話もあるだろう?」
「そんなものは必要ない。信長はどこだ?あいつを討ち取って俺が天下人になる…」
「つれないこと言うなよ。同じ未来から来た者同士、仲良くしようや」

明智光秀、彼もまた仁兵衛と同じく未来からこの時代に転生した人物である。
仁兵衛がそのことに気づいたのは、信長の義弟である浅井長政に裏切られた金ヶ崎の戦いのときであった。
歴史上、この敗戦での殿軍は羽柴秀吉(当時木下秀吉)と池田勝正、そして明智光秀が務めていたのだが、このとき光秀は従軍せずに京に残っていたのだった。
後に問い詰めることはしなかったのだが、光秀が金ヶ崎の退き口のことを知っていたと悟り、光秀もまた、仁兵衛がこの時代の人間でないことを悟ったように思えた。

「あえて聞かせてもらうけど、何故信長を裏切った?」
「何故?決まっているだろう、俺が明智光秀だからだよ。これはゲームなんだ。俺は明智光秀になって天下を狙う、その役割を演じたまでだ。この後秀吉に討たれることになるのが正史だが、今回は違う。俺は未来を知っているからな。秀吉が備中国からここまで来るのに10日ほど。本来なら摂津衆は秀吉に与するが、俺はそいつらを味方につけた。戻ってくる秀吉を足止めしている間に、俺は戦略を整えて迎え撃つ。まずは勝家だな、そのあとで秀吉と長秀を討ち取れば…天下は俺のものだ!」

光秀は高らかに笑いながら手を掲げて拳を握りしめる。
この様子だと細川藤孝も丸め込んでいるのだろう。
光秀が天下人になるには時間の問題だった。
このままだったらの話だがーーー。

「なかなかの策だが、穴だらけだな。そんなことじゃお前に天下は取れんよ」
「………何が言いたい?」
「俺や官兵衛が黙って見守るとでも思ってたのか?」

羽柴秀吉の軍師、黒田官兵衛。
今は亡き竹中半兵衛と並んで天才と称される男である。
仁兵衛は官兵衛に全てを話していた。
そう、本能寺の変の後の出来事も。
天才と称されるだけあって、官兵衛は仁兵衛の意図をすぐに察し、行動に移していた。
秀吉を天下人にする…そのためにできる最善の手を。

「光秀。秀吉ならすでに姫路城にいるんだよ。官兵衛が小早川隆景と和睦を結んでいてね、天下二分の計ってやつだ。今から摂津衆を動かしたところで、秀吉の進軍を妨げることはできない。それに、勝家にも長秀にも一益にも…もちろん家康にも手紙を送っていてな。お前が戦力を整えているうちに、羽柴軍も戦力が揃うぜ」
「き…貴様…」

先ほどまでの余裕ぶった態度は消え失せ、光秀は歯ぎしりをしながら仁兵衛を睨みつける。
信長には逃げられ、自身が天下に上り詰めるためにしてきた工作が無効化されたのだから仕方がない。
このままだと久秀の二の舞になるのが目に見えている。
光秀がこの場を凌ぐためにはすぐに信長を討ち取り、その事実をもって畿内の武将を纏め上げ、大至急戦力を整えるしかなかった。

「信長はどこだっ!?」
「言うわけないだろう、光秀…ここは俺の首で手を打ってくれないか?」

仁兵衛は刀を鞘から抜き、構える。
火の手が奥の間まで回っており、周りは炎に包まれていた。
光秀も刀を抜いて仁兵衛を見据える。
しばらく二人とも動くことなく相手と向かい合い、時が来るのを待っていた。
炎に包まれた柱が崩れ落ちたとき、二人は駆け寄り刀を振り合う。

決着がつくのはすぐ後のことだった。



××××××××××



「ちくしょう…ちくしょうちくしょうちくしょうちくしょう!仁兵衛!貴様が余計なことをしなければ!天下は俺のものだったんだよ!ちくしょう!」

頚動脈を切られ、畳にうつ伏せで倒れこむ仁兵衛に八つ当たりをするように、光秀が叫びながら仁兵衛の身体に刀を突き刺す。
何度突き刺そうと仁兵衛が応えることはなかった。

「ふざけんな…ふざけんな!秀吉だけじゃなく勝家たちも来るだと?…時間が足りない…このまま秀吉に奇襲を…いや、仁兵衛の話が本当ならあいつは今姫路城…城攻めするには戦力が足らない…!」
「光秀様っ!ここはもう危のうございます!至急お逃げください!」
「うるさい!黙れ!」
「光秀様!」
「くっ…信長ぁ!」

光秀は配下の足軽たちに連れられて本能寺を後にする。
討つことができなかった主君の名を叫びながら…。
本能寺は火事により倒壊し、しばらくしてから秀吉の命を受けた足軽たちが、信長と仁兵衛の遺体を捜索するも見つかることはなかった。



××××××××××



「仁兵衛…お前も俺を残して逝くのか…」

姫路城の一室にて、黒田官兵衛が閉じていた目を開けて外の景色を眺めていた。
以前聞かされた仁兵衛の話が事実であるならば、もうじき伝令が走ってくるだろう。
官兵衛は懐に入れていた六文銭を取り出し、外へと放り投げた。

「安らかに眠れ、仁兵衛。願わくば彼岸でまた出会えることを…」

半兵衛、仁兵衛との想い出を胸にしまい、官兵衛は秀吉の元へと向かう。
秀吉を天下人にするために。
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