窓辺の歌うたい

狭山アリス

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第1話

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 ーー帝国領、首都センテイリア。
 世界で最も犯罪件数が少ない街であり、また最も法が多い国でもあるここに一人の青年が居た。
 青年は少し下を向きながら体を軽く柔軟させると、深く息を吐く。

「兄ちゃん、本当に構わないんだな?」
「ええ。少し日銭に困っていましたので」

 黒髭の大男に対して、武器を構えるのは身長170程度の細身の青年だ。
 その身体からはおおよそ力というものが感じられず、そんなからの目の前にいる巨岩のようにすら見える大男にはきっと押し潰されるしかないだろう。

「さぁ今回の闘技場大目玉はこの二人の対戦だ! はったはった!」

 けして豪華とは言えないもののある程度の設備が整えられた場所で、両者はお互いに武器を取り出しジリジリと距離を詰めていく。
 彼らが今いるこの場所と同じように、帝都では国民の反乱を未然に防ぐための政策として、街中のあちこちに大小さまざまな規模の闘技場が存在する。
 場所によってルールは様々だが基本的に流血程度で止まる事はなく、意図的な殺害が推奨されている場所は一応存在しないことになっているが、それでも犠牲者は一定数居るのが実情だ。

「やっちまえぇぇ!!」
「ぶっ殺せ!」
「おいおい勝負になるのか?!」
「それじゃあいくぞお前ら! ーー試合開始ッ!!」

 様々な言葉を投げ掛けられているものの、青年の方に目立った動きはない。
 試合の開始だけが審判によって伝えられると、青年が一瞬ブレたように見え次の瞬間には大男が倒れ込むようにして気絶する。

「ーーんだよっ」
「あーあ、ハズレかよ、面白くねー」

 一瞬の攻防ではあったが、周りにいた見物客達はその姿を見て、ハズレの試合であったかとため息をつきながら直ぐに辺りへと霧散していく。
 強さの指定に上限がない以上は、こういった試合になる可能性はなくはない。
 ただでさえ最近は学園の一件で他国から王達が集まると様々なところが騒ぎ立てているのだ、それに便乗して様々な猛者達が金の匂いを嗅ぎつけてここ帝都にやってきている。
 場を取り仕切っていた男はそんな試合結果に不満を漏らすものたちに頭をひとしきり下げると、袋に入れた金を持って青年の方へ寄っていく。

「報酬はこれだ。勘弁してくれよ、うちの闘技場荒らすのは」
「いえいえ結構良い試合でしたよ、一撃もらってたらさすがに危なかったです」
「一撃振られてからそういう事は言ってくれ。頼むからうちにはもう来ないでくれよ」
「すいません」

 頭をぽりぽりと掻きながら気まずそうにそう言ったこの闘技場をしきるオーナーに対して、青年は申し訳なさそうにお金を手に取りその場を後にする。
 手の中に残ったのは金貨が十数枚、贅沢しなければ十年くらいは生きていけそうなその金貨の量に当分の飢えは凌そうだと青年は笑みを浮かべた。

「それにしても意外とこの世界困ってる人少ないなぁ」

 腰のベルトに金貨が入った袋を取り付け、そんなことを幹は小さな声でぼやく。
 彼がエルピスと交わした契約に基づき始めた贖罪の旅が早いことでもう7ヶ月も超えたところか。
 共和国、連合国、連邦に公国、果ては首長国に至るまで殆どの国を渡り歩き、魔法や技能スキルで困っていた人を助けてきた幹だが、正直その贖罪の旅も頭打ちになってきている間はいなめない。
 幹の力で助けられるのは魔物の被害に困っている人や近くに盗賊団が居て困っている、いわば力が必要な困難に直面している人物だけだ。
 お金のやり取りからくる問題や、それ以外でも個人間の争いなどは幹もさすがに対応しにくい。

「晴人だってもう少し何か方法を提示してくれても良いだろうに、人を殺した罪を償うには一体何をすれば良いって言うのさ……」

 幹が殺してきた人物は雄二にとって都合が良くない人物、つまりはその大半が良い人と呼ばれる部類の人間であった。
 善人のみと言うわけではないが、明らかに他人に信頼され他人を信頼し、人類の明日をより良いものと変えていける人物達を殺していたのだ。
 悪人だったら殺しても心が痛まないと言う話ではないが、単純に命の価値を考えた場合その人達の命の価値に見合うだけの働きを今後自分ができる自信が幹には無いのだ。
 ぽつりとこぼした言葉に反応してくれる者は誰もおらず、幹の心には言い難い寂しさが募っていく。

「ねぇお兄さん、ねぇ。そこの貴方よ、黒い髪のまるで女の子のような。まるでというより本当に女の子のような、触れれば折れてしまいそうなそこの貴方、もし時間があれば私に付き合ってくださらない?」

 そんな幹の心の隙間を縫うようにして、小さな女の子がいきなり幹の前に現れる。
 〈気配察知〉を街中では殆ど使用していない幹は、目の前の少女が一体いつから、どれだけ後をついてきていたのか知るよしもない。
 普段ならばそんな客引きのような行為をする女の子には何が何でもついていかないのだが、だがいま幹は一人で孤独に震え誰かが隣にいてほしかった。

「良いよ、どうしたの」

 甘い、甘い罠だった。
 気が狂ってしまいそうな程に甘い、計算され尽くした完璧なタイミングで完璧な人物が現れる。
 帝国に居る人間ならば誰もがその名前を知る有名人、だが最近になって帝国に来た幹は名前こそ知れど目の前の人物が誰であるかは分からない。

「ありがとうお兄さん、嬉しいわ。私ね、いまおもちゃが無くて困っていたの。前までは面白いおもちゃがあったのに、それは壊れてしまったの。
バラバラに、見るも無惨に、呆気なくね。悲しくて哀しくてすっごく困っていたの、でもお兄さんの方が面白そう。もしよろしければお家に来てくださらない?」
「ーー何を言っているのかな?」

 とは言ってもここまで言われれば幹も目の前の少女の異常性に気がつく。
 暗闇すらも飲み込まんばかりに明るさを消し去った黒い目に上目遣いで見つめられ、幹の体は無意識に少し後ずさった。
 改めて見ればかなり身なりが整っており、黒い服を基調としたドレスにはお洒落に疎い幹ですら見たことのあるブランドの名前が刻まれている。

「お兄さん。逃げるのはダメよ、逃げられないわよ? だってお兄さんはもう私のものなのだから、私だけのものなのだから」
「ちょ、なにこの子! 誰か居ませんか!!」
「ダメよお兄さん大きな声を出しちゃ。誰も貴方を助けてくれないの、だって私に逆らったらこの国で生きていけないもの」

服の袖をガシリと掴み、何がなんでも逃さないと目の前の少女は笑みを浮かべる。
その不気味さは武器に手をかけてしまいそうになる程だ。
そんな少女に対して幹は心からの疑問をそのまま口に出す。

「君は一体何者なの?」
「私はセンテイリア帝国第一皇女エモニ・マクロシア・センテリア。よろしくねお兄さん」

 少女のような見た目からは思いもつかないほどの妖艶な笑みを見せ、しなだれかかるようにして幹の胸にエモニは飛び込む。
 幹がよけないことを知っているようなエモ二の態度にいぶかしげそうな顔を浮かべると、エモ二も同じように不思議そうな顔をする。
 本来起きるはずの事が不発に終わってしまったような、そんな表情だ。

「お兄さんもうだれかと約束しているのね。しかも私の契約よりも上位の契約だなんて、なんて面白いのかしら」
「契約……? 晴人のかな」

 幹がこの世界で契約した人物といえば、一番最初に頭の中に浮かんでくるのは王国であった晴人の事だろうか。
 神の力を持っている晴人の事だ、幹の知らない特別な契約方法を用いていたとしても疑問はない。
少し前の記憶に浸っているせいで、目の前の少女もまた強制的に契約を結ばせようとしていたという現実から逃避し、幹は彼女の話を続けて聞いていく。

「晴人っていうのねその人。ああ楽しそう、でもあなたはもっと楽しそうよ。貴方を契約で縛れないならお金で縛ることにしましょう、そうしましょう。だってあなた今しがた闘技場に出ていたものね、私なら不自由ない暮らしを約束できるわ」
「お金なんていらないよ、生きてくのに最低限あればそれ以上はいらない。僕は罪を償うために旅をしてるんだ、邪魔しないでくれ」
「罪? あなた罪を犯したの? いったい何の罪を背負ってしまったの?」
「人を殺したんだ。たくさん、君みたいな小さい子供も殺したんだこの手で」

 なぜこんなにも大切な事をいまあったばかりの少女に打ち明けることができるのか分からないまま幹の口からは隠していた事実が漏れ出ていってしまう。
 いっそ狂えてしまえばどれほど楽だろうか。
 おぼろげな記憶ではあるが雄二達とともにいた時、同級生の幾人かは既に狂ってしまっていた。
 それが演技であれ本当に狂ってしまったのであれ、幹からしてみれば何も考えなくてよくなるその状況は喉から手が出るほどにうらやましい。
 だがそれは罪から逃げる事だ、その罪を一度背負うと決めた幹にはもはや投げ出すことなど許されるはずもない。

「私と同じね。私もいっぱい殺したの、貴方の罪も私が一緒に背負ってあげる。だから私の物になって」
「嘘だ、君みたいな女の子がそんな……人を殺すなんて」
「そんな特別なことでもないわ。だって帝国の第一皇女なんて生きてたら困る人がたくさんいるもの」

 四大国以外の国が争うのと同じように、四大国もそれぞれお互いに裏では日々殺し合いを行っている。
 その中でも帝国は共和国と連合国に国のあり方からして真っ向から喧嘩を売っているようなものなのでその攻撃は苛烈さを増し、エモ二も何度その命を狙われたか数えるのも苦労するほどだ。
 だからこそこの都市は尋常ではない警備が常に張り巡らされており、この都市の治安は比較的良いものとなっているのだが。

「……分かった。なら君の物になるよ」
「本当に!? 嬉しいわ!」
「ただしーー」

 人形のようなその顔にようやく人間らしい表情を張り付けながら喜ぶ彼女に対して、幹はそれだけでは終わらないと彼女の言葉に割って入る。

「世界会議が終わるまで。それが僕から君に出す条件だ」
「そう。残念だわ。でもいいの、貴方がそうすることを私は分かっていたから」

 目の前の少女はきっと救うべき女の子だ。
 殺す側から救う側に回ったのならば、目の前の少女のような子供を救わなくて誰を救うというのか。
 その結果自らが死ぬことになったとしても幹に後悔はない。
ーー後悔などないのだ。
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