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夏の出会い、揺れる秋
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「行ってらっしゃい」
そう言って夫を、子供たちを送り出してから、私独りの時間が始まる。
掃除をし、洗濯をし、あれこれと家の事を片付けているうちに、いつの間にか家人たちが帰宅して一日が終わっている。
もう十何年も、これを繰り返している。
あと何十年、これを繰り返すのだろうか?
子育てをしている間は、目まぐるしくて気にも留めていなかった。
子供たちが大きくなり、手を離れてから、日々ただ家事に追われていることに気が付いた。
私はいったい何なのだろう?
堅実な勤め人である夫の妻であり、健やかに育った子供たちの母親。
それはわかる。
そのことに不満はない。むしろ誇らしくも思う。
でも、平尾沙貴恵という、"私" はどこにいるのだろう?
趣味らしいものもなく、ご近所との交流も少ない、ひとりの時間をただ浪費しているだけの存在。
代わり映えのしない日々の繰り返しの中、少しずつすり減っていく "私"
妻でも母でもない自分がこのまま終わってしまう前に、何かを変えようと動いたのは春の終わり。
「働きに出たい」
そう告げると、夫は少しだけ渋い顔をしたが、
「家のことをおろそかにしなければ」
と、思っていたよりも簡単に、外に出ていくことを許してくれた。
夫も私が家にこもっているのもどうかと考えていたようで、下の子が中学生になったのがいい機会と思ったのだろう。
娘と息子にも働きに出ることを告げたが、特に関心は持たれなかった。
子供たちにとって母親など、朝と夕に食事の支度をしてくれて、洗濯や掃除をしておいてくれればいいくらいの存在なのかもしれない。
振り返ってみれば、親子の会話も年々少なくなっていたのに気が付く。
子供たちには子供たちの世界があると、あまり干渉せずにいたのが良かったのか悪かったのか……。
私が働きだしたのは、徒歩だと辛いが自転車などなら楽な距離にあるコンビニエンスストア。
各チェーンが乱立しているから、常時人手を求めているためか、あっさりと採用された。
月曜から金曜、午前十時から午後三時までの、少し変則的なパートタイム。
そんな時間割りでも「これでお昼にちゃんと休める」と、人の好さげな顔をした店長さんは喜んでいた。
お昼前のレジ対応という忙しい時間帯を除けば、わりとお客の出入りは緩やかで、仕事にも早く慣れることが出来た。
同僚には私と同じような主婦のパートや学生さんのバイトが多く、馴染む前に顔触れが代わることも結構あって苦労した。
お昼跨ぎの私は午前と午後のシフトのつなぎ役のようになっていて、それぞれの愚痴の聞き役にされることも。
働くことで自分が必要とされていることを感じ、家にこもっていたころに失いかけていた、日常の張り合いを取り戻せていた。
家族からも「お母さん、なんか生き生きしてきてるね」なんて言われたり。
過ぎていく日々にやりがいを得ることが出来ていた。
夏に入るころ、新しい変化が訪れた。
週末の深夜帯を担当していたバイトの子が、火水木の三日間だけ、朝から夕方までの時間帯に入って来ることに。
新しい同僚は畑中葉治くんと言い、音楽で身を立てようとしているアマチュアバンドマン。
平日の昼間にやっていたバイト先がなくなったために、店長さんに頼んでシフトを入れてもらったそうだ。
丁度、午前のパートさんが家庭の事情で辞めるところだったので、勝手を知っている人間が入ってくれることを店長さんはたいそう喜んでいた。
「平尾さん、ですよね? 畑中っス。これからよろしくお願いします」
畑中くんは、金髪ピアスにラフな服装といった、いかにもミュージシャンを目指していますといった派手な見た目から受ける印象と違って、案外と腰の低い青年だった。
彼と仕事している時間は、なかなかに楽しいもので、多少言葉使いに怪しいところはあるけれど、仕事はまじめにこなし、目上の者を立てることを知っている畑中くんに、私は好感を持つようになっていた。
とは言え、それは成長した子供を見る親のようなもので、他意はなかった。
――なかった、はずだった。
あくまで仕事先の同僚にすぎない畑中くんに対して、心が揺らめきだしたのは夏の最中。
「沙貴恵さん」
と、畑中くんが私のことを、下の名で呼ぶようになってから。
きっかけは、夏休みを迎えて入って来た女学生の新人バイトが、私と同じ苗字だったこと。
彼女とシフトが重なる日があり、呼び間違えないためにとった方法が名前呼び。
畑中くんに名で呼ばれるのを、どこか喜んでいる自分に気が付いた。
――何をバカな。
十五も年下の若者に、名前で呼ばれるくらいで浮つくなんて――。
けど、長らく妻や母としての立場だけでしかなかったから、沙貴恵と名で呼ばれるのは、私そのものを求められているようで、嬉しかったのは確かだ。
家族を裏切る気持ちはこれっぼっちもなかったが、ほのかにときめくことを否定できないでいた。
「沙貴恵さ~ん」
暑すぎた夏が終わり、同じ苗字のバイト嬢が去ったあとも、畑中くんは私を名前で呼んでいた。
嬉しい気持ちを抑えて、苗字呼びに戻さないのかと問うたが、
「や~なんか、呼び慣れちゃったんで――」
頭を掻いて苦笑いしながらそう言いつつ、
「嫌っ、スか……?」
と、許しを請うようなまなざしを向けてくる。
ドキリ、と胸が鳴る。
鼓動が早くなるのを悟られないように、苦笑気味に仕方ないわねと応えておく。
嬉しげな顔をする畑中くんを見て高まってくる気持ちを、何とか抑えこむ。
秋らしさを感じるようになったある日、私たちの関係に変化が起きた。
お昼のレジラッシュは過ぎ去りお客さんもはけて、店長さんは休憩。
店内にはレジに並んで立つ、私と畑中くんのふたり。
軽く交わしていた会話が途切れたタイミングで、商品棚の点検と補充のためにレジを離れようとしたとき、畑中くんが私の手をぎゅっと握ってきた。
突然のことに驚いて、頭ひとつ高い彼の顔を見上げる。
畑中くんは前を向いたまま、耳を紅くしながら、
「……少しだけ、こうさせてて下さいっ」
いつもの滑らかな口調からほど遠い、口の中がカラカラになったような声音。
私は何も答えられず、そのまま立ち尽くす。
ほほが、ジワリと紅くなるのが自分でもわかった。
しばらくして、畑中くんは名残惜しそうに、私の手を解放してくれた。
レジから離れた私は、握られて紅くなっている自分の手を、早鐘を打つ胸にそっと押し当て、それから何もなかったかのように仕事に戻った。
ほほの熱さのとれないままに。
「お母さん、最近なにか綺麗に見えるね」
夕餉のひととき、高校二年生の長女・涼香が少しからかい口調で、
「もしかして、パート先でいいことでもあったのかな~?」
そんなことを言い出す。
一瞬ドキリとしたが、何か確信があって言っているのではないことが、表情から察せられたので、
「んー、毎日のように若い男の子に会っているからねー。だからじゃない?」
軽い話題に乗るようしてに応える。
「だって~。どうするぅ、お父さん? モテモテみたいよぉ」
冗談を私が受けたことで興が乗ったのか、ニヤニヤ顔をして夫に話を振る涼香。
「それは心配だな。お母さんを盗られないようにしないと」
やれやれといった顔をしつつも、娘の振りに乗る夫。
「――わたしも、会社で若いOLに囲まれているからな、カッコよくなってはいないか、ん?」
「お父さん、カッコいい~っ」
夫の軽い返しに、茶化すように涼香が応える。
どっと笑いが沸く。
「なんだよ~、それ」
中学一年の長男・悟志も、日頃の無関心顔を捨てて笑っている。
ひとつの笑いがきっかけで、子供たちの学校での出来事やら、私のパート先での笑える話だとか、夫までもが会社で聞いたというネタ話を持ち出す。
家族の食卓で会話がこんな弾んだのは、いつ以来だろうか?
そんな久しぶりに訪れた家族の団欒なのに、私はどこか後ろめたい気持ちを抱いていた。
涼香に指摘されるまでもなく、肌艶が良くなっているのは自覚していた。
就寝前の手入れと出かける前の準備に、ひと手間かけるようになっていたから。
それは、畑中くんに少しでも綺麗に見られたいという、私の浅ましい気持ちの表れ……。
秋が深まるに連れ、畑中くんが私の手を握る頻度が増えた。
レジに並んでいる際は、ほぼ必ずと言っていいくらいに。
そっと甲を触れさせて、私に拒まれていないことを確かめてから、おずおずと手を重ね、ぎゅっと握ってくる。
彼のすることを、私は黙って受け入れる。
まるで付き合い始めた中学生のようなやり取り。
でも、互いの立場を顧みれば、これが精いっぱい。
畑中くんが私に好意を抱いてくれていることは、ためらいがちな行為から伝わってくる。
正直、彼の気持ちは嬉しい。
私も……言葉にしてはいけないけれど、彼のことを憎からず思っている。
だけど、私は人妻で二児の母親、家庭のある身。
畑中くんもそれをわかっているからこそ、手を握るだけにとどめているのだろう。
でも、いずれ限界は来るだろう。
棚の整理や商品の補充で背を向けていると、熱いくらいの彼の視線を感じるときが度々あった。
低い棚のチェックで身体を屈めているときなどは、かなり露骨な視線を向けられているがわかる。
歳を重ねることで程よくの肉のついた下半身は、腰を下ろした際スラックスを圧迫し、下着の線を浮かび上がらせながらお尻を強調してしまう。
彼の牡のまなざしを感じるのはそんな時。
四十路なりたてのくたびれた女の身体に、魅力を感じてくれているのは嬉しい。
けれど、畑中くんの将来を考えれば……こんなオバサンにのぼせてはいけない。
間違いが起きる前に、私は消えた方が良いだろう。
ここでのパートも潮時なのかもしれない。
楽しい時間だったけれども、このままだと互いの生活を壊してしまうことになりそうで……。
そうなるのが、ただ怖い。
畑中くんに、溺れてしまいそうのが、怖い。
きっと、今が引き際なのだろう。
そう言って夫を、子供たちを送り出してから、私独りの時間が始まる。
掃除をし、洗濯をし、あれこれと家の事を片付けているうちに、いつの間にか家人たちが帰宅して一日が終わっている。
もう十何年も、これを繰り返している。
あと何十年、これを繰り返すのだろうか?
子育てをしている間は、目まぐるしくて気にも留めていなかった。
子供たちが大きくなり、手を離れてから、日々ただ家事に追われていることに気が付いた。
私はいったい何なのだろう?
堅実な勤め人である夫の妻であり、健やかに育った子供たちの母親。
それはわかる。
そのことに不満はない。むしろ誇らしくも思う。
でも、平尾沙貴恵という、"私" はどこにいるのだろう?
趣味らしいものもなく、ご近所との交流も少ない、ひとりの時間をただ浪費しているだけの存在。
代わり映えのしない日々の繰り返しの中、少しずつすり減っていく "私"
妻でも母でもない自分がこのまま終わってしまう前に、何かを変えようと動いたのは春の終わり。
「働きに出たい」
そう告げると、夫は少しだけ渋い顔をしたが、
「家のことをおろそかにしなければ」
と、思っていたよりも簡単に、外に出ていくことを許してくれた。
夫も私が家にこもっているのもどうかと考えていたようで、下の子が中学生になったのがいい機会と思ったのだろう。
娘と息子にも働きに出ることを告げたが、特に関心は持たれなかった。
子供たちにとって母親など、朝と夕に食事の支度をしてくれて、洗濯や掃除をしておいてくれればいいくらいの存在なのかもしれない。
振り返ってみれば、親子の会話も年々少なくなっていたのに気が付く。
子供たちには子供たちの世界があると、あまり干渉せずにいたのが良かったのか悪かったのか……。
私が働きだしたのは、徒歩だと辛いが自転車などなら楽な距離にあるコンビニエンスストア。
各チェーンが乱立しているから、常時人手を求めているためか、あっさりと採用された。
月曜から金曜、午前十時から午後三時までの、少し変則的なパートタイム。
そんな時間割りでも「これでお昼にちゃんと休める」と、人の好さげな顔をした店長さんは喜んでいた。
お昼前のレジ対応という忙しい時間帯を除けば、わりとお客の出入りは緩やかで、仕事にも早く慣れることが出来た。
同僚には私と同じような主婦のパートや学生さんのバイトが多く、馴染む前に顔触れが代わることも結構あって苦労した。
お昼跨ぎの私は午前と午後のシフトのつなぎ役のようになっていて、それぞれの愚痴の聞き役にされることも。
働くことで自分が必要とされていることを感じ、家にこもっていたころに失いかけていた、日常の張り合いを取り戻せていた。
家族からも「お母さん、なんか生き生きしてきてるね」なんて言われたり。
過ぎていく日々にやりがいを得ることが出来ていた。
夏に入るころ、新しい変化が訪れた。
週末の深夜帯を担当していたバイトの子が、火水木の三日間だけ、朝から夕方までの時間帯に入って来ることに。
新しい同僚は畑中葉治くんと言い、音楽で身を立てようとしているアマチュアバンドマン。
平日の昼間にやっていたバイト先がなくなったために、店長さんに頼んでシフトを入れてもらったそうだ。
丁度、午前のパートさんが家庭の事情で辞めるところだったので、勝手を知っている人間が入ってくれることを店長さんはたいそう喜んでいた。
「平尾さん、ですよね? 畑中っス。これからよろしくお願いします」
畑中くんは、金髪ピアスにラフな服装といった、いかにもミュージシャンを目指していますといった派手な見た目から受ける印象と違って、案外と腰の低い青年だった。
彼と仕事している時間は、なかなかに楽しいもので、多少言葉使いに怪しいところはあるけれど、仕事はまじめにこなし、目上の者を立てることを知っている畑中くんに、私は好感を持つようになっていた。
とは言え、それは成長した子供を見る親のようなもので、他意はなかった。
――なかった、はずだった。
あくまで仕事先の同僚にすぎない畑中くんに対して、心が揺らめきだしたのは夏の最中。
「沙貴恵さん」
と、畑中くんが私のことを、下の名で呼ぶようになってから。
きっかけは、夏休みを迎えて入って来た女学生の新人バイトが、私と同じ苗字だったこと。
彼女とシフトが重なる日があり、呼び間違えないためにとった方法が名前呼び。
畑中くんに名で呼ばれるのを、どこか喜んでいる自分に気が付いた。
――何をバカな。
十五も年下の若者に、名前で呼ばれるくらいで浮つくなんて――。
けど、長らく妻や母としての立場だけでしかなかったから、沙貴恵と名で呼ばれるのは、私そのものを求められているようで、嬉しかったのは確かだ。
家族を裏切る気持ちはこれっぼっちもなかったが、ほのかにときめくことを否定できないでいた。
「沙貴恵さ~ん」
暑すぎた夏が終わり、同じ苗字のバイト嬢が去ったあとも、畑中くんは私を名前で呼んでいた。
嬉しい気持ちを抑えて、苗字呼びに戻さないのかと問うたが、
「や~なんか、呼び慣れちゃったんで――」
頭を掻いて苦笑いしながらそう言いつつ、
「嫌っ、スか……?」
と、許しを請うようなまなざしを向けてくる。
ドキリ、と胸が鳴る。
鼓動が早くなるのを悟られないように、苦笑気味に仕方ないわねと応えておく。
嬉しげな顔をする畑中くんを見て高まってくる気持ちを、何とか抑えこむ。
秋らしさを感じるようになったある日、私たちの関係に変化が起きた。
お昼のレジラッシュは過ぎ去りお客さんもはけて、店長さんは休憩。
店内にはレジに並んで立つ、私と畑中くんのふたり。
軽く交わしていた会話が途切れたタイミングで、商品棚の点検と補充のためにレジを離れようとしたとき、畑中くんが私の手をぎゅっと握ってきた。
突然のことに驚いて、頭ひとつ高い彼の顔を見上げる。
畑中くんは前を向いたまま、耳を紅くしながら、
「……少しだけ、こうさせてて下さいっ」
いつもの滑らかな口調からほど遠い、口の中がカラカラになったような声音。
私は何も答えられず、そのまま立ち尽くす。
ほほが、ジワリと紅くなるのが自分でもわかった。
しばらくして、畑中くんは名残惜しそうに、私の手を解放してくれた。
レジから離れた私は、握られて紅くなっている自分の手を、早鐘を打つ胸にそっと押し当て、それから何もなかったかのように仕事に戻った。
ほほの熱さのとれないままに。
「お母さん、最近なにか綺麗に見えるね」
夕餉のひととき、高校二年生の長女・涼香が少しからかい口調で、
「もしかして、パート先でいいことでもあったのかな~?」
そんなことを言い出す。
一瞬ドキリとしたが、何か確信があって言っているのではないことが、表情から察せられたので、
「んー、毎日のように若い男の子に会っているからねー。だからじゃない?」
軽い話題に乗るようしてに応える。
「だって~。どうするぅ、お父さん? モテモテみたいよぉ」
冗談を私が受けたことで興が乗ったのか、ニヤニヤ顔をして夫に話を振る涼香。
「それは心配だな。お母さんを盗られないようにしないと」
やれやれといった顔をしつつも、娘の振りに乗る夫。
「――わたしも、会社で若いOLに囲まれているからな、カッコよくなってはいないか、ん?」
「お父さん、カッコいい~っ」
夫の軽い返しに、茶化すように涼香が応える。
どっと笑いが沸く。
「なんだよ~、それ」
中学一年の長男・悟志も、日頃の無関心顔を捨てて笑っている。
ひとつの笑いがきっかけで、子供たちの学校での出来事やら、私のパート先での笑える話だとか、夫までもが会社で聞いたというネタ話を持ち出す。
家族の食卓で会話がこんな弾んだのは、いつ以来だろうか?
そんな久しぶりに訪れた家族の団欒なのに、私はどこか後ろめたい気持ちを抱いていた。
涼香に指摘されるまでもなく、肌艶が良くなっているのは自覚していた。
就寝前の手入れと出かける前の準備に、ひと手間かけるようになっていたから。
それは、畑中くんに少しでも綺麗に見られたいという、私の浅ましい気持ちの表れ……。
秋が深まるに連れ、畑中くんが私の手を握る頻度が増えた。
レジに並んでいる際は、ほぼ必ずと言っていいくらいに。
そっと甲を触れさせて、私に拒まれていないことを確かめてから、おずおずと手を重ね、ぎゅっと握ってくる。
彼のすることを、私は黙って受け入れる。
まるで付き合い始めた中学生のようなやり取り。
でも、互いの立場を顧みれば、これが精いっぱい。
畑中くんが私に好意を抱いてくれていることは、ためらいがちな行為から伝わってくる。
正直、彼の気持ちは嬉しい。
私も……言葉にしてはいけないけれど、彼のことを憎からず思っている。
だけど、私は人妻で二児の母親、家庭のある身。
畑中くんもそれをわかっているからこそ、手を握るだけにとどめているのだろう。
でも、いずれ限界は来るだろう。
棚の整理や商品の補充で背を向けていると、熱いくらいの彼の視線を感じるときが度々あった。
低い棚のチェックで身体を屈めているときなどは、かなり露骨な視線を向けられているがわかる。
歳を重ねることで程よくの肉のついた下半身は、腰を下ろした際スラックスを圧迫し、下着の線を浮かび上がらせながらお尻を強調してしまう。
彼の牡のまなざしを感じるのはそんな時。
四十路なりたてのくたびれた女の身体に、魅力を感じてくれているのは嬉しい。
けれど、畑中くんの将来を考えれば……こんなオバサンにのぼせてはいけない。
間違いが起きる前に、私は消えた方が良いだろう。
ここでのパートも潮時なのかもしれない。
楽しい時間だったけれども、このままだと互いの生活を壊してしまうことになりそうで……。
そうなるのが、ただ怖い。
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きっと、今が引き際なのだろう。
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