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第一幕
しおりを挟む痛む頭に目を覚ますと、飛び込んできたのは白い天井。
目を凝らして周辺を観察すると、まるでホテルの一室のように豪華な個室。
しかし、枕元に置かれている「ピッ……ピッ……」と音を発する心電図モニターが、ここは病院だと教えてくれる。
そういえば……夏期講習に来た生徒たちと話していた時、頭が割れるように痛くなって倒れたんだったか?
恐らく熱中症にでもなってしまったのだろう。
三十路なのだし、体力の衰えは仕方ない…はず。
(ジムでも行くかぁ……)
しかもこんな高そうな個室…一体いくらだろうか。教師の薄給を舐めないでほしい。
そう溜息を吐くと口の中に違和感を覚えた。正確に言うと舌に。
気になってもごもごと舌を動かし、口蓋に当ててみると丸い玉みたいなものが舌の上と裏にあると分かった。
玉の正体が気になり、近くに鏡はないかなと首を動かしていると個室のドアが開き女性の看護師さんが入室してきた。
彼女は俺が目を覚ましていることに驚き、慌てて心電図を確認したあと、小さな携帯で連絡をし始める。
「至急!先生来てください!"吉良さん"が目を覚ましました!バイタル問題ありません!」
喜びが混じったその報告を横になったまま聞いていたが、少しおかしな点がある。
俺の名前は"きら"じゃない。それだけはわかるが、じゃあ誰だと名前はわからない。
自分の名前が思い出せないなんて…倒れた時に頭でもぶつけたか?実際頭が割れるように痛むし……
耐えきれず、こめかみにそっと触れてみたら包帯を巻かれていた。
バタバタと廊下から足音が聞こえて来たと思ったら、俺のいる病室のドアが開き、白衣を着た医者とスーツを着た見知らぬ男がベッドの側に飛んできた。
「潤太!痛いところはないかい?先生、どうですか?」
「お待ち下さい。」
そう言うと医者は、俺の目蓋を指で押さえてライトを当てたり、顔を動かさずに指を目で追って、声を出してみてなど指示を出す。
言われた通り指を目で追ったり、声を「あー」と言ってみると、「うん」と納得がいったのか頷いた。
「身体の方は問題ありませんね。ですが頭を打たれているのでそちらの精密検査を用意しましょう。」
「お願いします!よかった潤太……そうだ!社長とあいつらにも教えないと!!」
そんなやりとりが行われ、スーツの男はスマホを取り出し部屋の隅に移動してからどこかへ電話をかけているようだ。
だから俺は"じゅんた"じゃないんだって。あのスーツの男も見覚えないし、一体どうなっているんだ?
そんな疑問を解消すべく、「よかった…」と涙ぐんでいる看護師さんに話しかける。
「あの……"きらじゅんた"って誰ですか?」
そう俺が問いかけると、退室しようとしていた医者まで戻ってきて、真剣な表情で俺を見つめる。
そして看護師と目を合わせたかと思えば、スーツの男まで呼んできた。
「吉良さん。どうして病院にいるか、わかりますか?」
優しい声音で問いかけてくる医者に、俺は熱中症で倒れたからだと答えようとしたが、ふと窓の外の景色に気づく。
青々とした葉はなく、すっかり裸になった木の枝。夏ではなく冬だ。
「わかり…ません……」
どういうことか全く理解ができない。パニック状態になっている俺に、看護師さんがそっと鏡を目の前に持ってきてくれる。
「吉良潤太さん。自分の顔に違和感はありますか?」
「……誰?」
鏡に映っているのは冴えない三十路の現国教師ではなかった。茶髪に毛先が赤く染まった、くりっとした目のイケメン。しかも若い。
ベッドのヘッドを起こしてもらい、身体をもたれさせたまま受け取った鏡に穴が開くほど見つめる。頬を手で触ったり、口を動かしたり、ウインクしてみたり。俺が動かした通りの行動が映る。
(舌の違和感は、どうやら舌ピアスだったようだ。)
間違いなく、これは別人だ。教師である俺はピアスなんて開けたくてもできなかったし、ウインクもできたことはなかった。恐らく夢を見ているんだろう。
そんな俺を見ていたスーツの男は取り乱し、医者に詰め寄っていた。
「先生!これはどういうことですか!潤太に何が!!」
「落ち着いて下さい。恐らく、頭を強く打ったことによる一時的なものでしょう。記憶喪失にも似ていますが、これは……」
「記憶は戻るんですよね?!ああでも!生きてるだけでもよかった……あんなに重い棚の下敷きになって、頭からも血をいっぱい流して…私は心臓が止まるかと思ったよ……。」
静かに涙を流しながら、俺の手を握るスーツの男。心配してくれているのはわかるが、保護者ではなさそうだな。顔は似てないし、言動的に仕事関係とかか?
「潤太…お前はアイドルなんだ!"Opera"という全員がαで結成された4人グループ。2週間前、新年のカウントダウンライブの時、舞台裏で倒れてきた機材の下敷きになって搬送された。」
「アイドル?アルファ?は?え、どういうことですか?」
アルファ…その言葉に冷や汗が出る。
姉に読まされたボーイズラブの漫画に、オメガバースという設定のものがあった。
その世界には男と女の性別のほかに、3つのバース性というものによって分けられる。頂点に立つα、一番多いβ、最も希少なΩ。そしてその世界では、αとΩなら同性同士でも子をなすことができる。
こいつがαだって?確かに容姿は優れているが、はっきり言って利口そうな顔ではなかった。クラスにいるやんちゃだけど人気者、みんな好かれそうな顔だった。
混乱が混乱を呼び、その日は結局経過観察。翌日精密検査を受けることになった。
スーツの男はマネージャーらしく、俺を記憶喪失と受け止めこの世界の情報をくれた。
まずこの身体の持ち主、一応俺ってことにしよう……名前は吉良潤太、23歳。
両親は幼い頃に事故死。スカウトののちアイドルデビューしたが、その理由が『周りの人を幸せにする』ため。
どうやら両親の事故を自分のせいだと思っているらしく、人を幸せにするアイドルになってみないかというスカウトに、一人で生きていくためにもと了承したらしい。
そんな俺が所属しているアイドルグループ『Opera』はデビューして4年の人気絶頂期。リーダーの日暮貴文、日向綾人、鮫島遊星、そして俺の四人は全員α。しかも鮫島遊星は俺の従弟で一緒に暮らしているらしい。
幼い頃に鮫島の家に引き取られ、一緒に過ごした過去もあるらしいが高校進学前に家を出たそうだ。だが鮫島遊星との仲は良好で、アイドル活動中もスキンシップの多いパフォーマンスでファンからも応援されていると聞いた。
「急に23歳と言われても、歌って踊るなんて絶対無理だろ……」
そう呟くが、この広い病室には俺しかいない。
だからこそ独り言を呟いているのだが、夢なら早く覚めてほしい。そう願って、何度か頬を引っ張ったし寝て起きたら……なんて淡い期待はとうに捨てた。
どうやらここは存在する世界のようだ。
窓を開けると冷たい空気が頬を撫で、吐いた息は白く染まる。
退院の日が来た。
「潤太!忘れ物はないかい?人がいないうちに出るよ。」
「あ、はい。」
用意してもらったカジュアルな服に着替えて病室から裏口に置いてある車へ向かう。ほかのメンバーにはまだ会ってないが、一体どんな奴らなのか。
迷惑かけたんだろうな……
車の後部座席に乗り込み、マネージャーは運転席へ。外を眺め、冬景色に思わずボーッと見入ってしまう。
これから俺、どうすればいいんだろう……
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