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それぞれの話
二度目の彼ら
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リス国では、1人の公爵令嬢の失踪が話題になっていた。
突然家を飛び出したまま、行方知れずだという。
飛び出したのが夜遅い時間だったため、既に何処かへ連れ去られているだろう。
そう誰もが思っていた。
「でもさ、あれだけ学園内で妹と婚約者が仲良くしてたら、逃げ出したくもなるよな」
「あぁ、彼女が可哀想になるほどこれ見よがしに一緒にいたもんな。相手が公爵家の、それも妹だから誰も何も言えなかっただけで、流石に同情するよ」
エリーが失踪してから、ヘイリーとアリーには誰もが距離を取った。
それに、後継者候補が急にいなくなったことで、公爵家は窮地に立たされていた。
アリーはとてもじゃないが、公爵家を継いでやっていけるほど優秀ではないし、姉の婚約者との噂のある娘のところに優秀な子息が婿に来るなんてことはないだろう。
そうやって誰もが公爵家から距離を置いた。
こんな状態で、ヘンリーがアリーとの婚約を許されるはずもなく、ヘンリーは侯爵家で幽閉されることになった。
たった1人の公爵家の後継者であるアリーは、噂が広まることに焦った公爵が決めてきた縁談を断ることを許されなかった。
父親と同じ歳の伯爵家の行き遅れた次男だった。
金使いが荒く、呑んだくれだと評判だったが、事業を手広く行っている家門であり、縁を結ぶことは損ではなかった。
後継者さえアリーが産めば、飼い殺すつもりで了承した公爵だったが、アリーは結婚式当日に逃げてしまった。
慰謝料はとんでもない金額を払うことになった。
可愛い娘が逃げてまで拒んだ結婚を押し付けることは出来なかった。
泣き腫らした顔で、「あんな人と結婚なんて出来ない」そう言われてしまえば、金を払う方が楽だった。
もう親戚から養子を取ろう。
そう考えてアリーより歳上のリンデンという男を養子に迎えた。
伯爵家で教育を受けてきたその子は、充分に公爵家でもやっていけると考えられた。
リンデンの教育が進んでいくと、妻も社交界では酷い仕打ちにあっているらしく、隠居したいと泣くようになった。
静かな領地で暮らすのも悪くはないか。
そう考えて早めに爵位を彼に譲ることにした。
心配なのは、娘のことだ。一緒に隠居するのも提案したが、そうすれば公爵の名も使えなくなる。
当然アリーはそれを拒んだ。
「アリエルのことは私にお任せください。こちらで面倒をみましょう」
仕事も一通り出来るようになったリンデンを疑うこともなかった。
好青年だと専らの評判で、侍従達にも慕われていた。
妻に乞われて田舎の領地に早々に引っ込むと、それ以来、アリエルと会うことは叶わなかった。
リンデンは爵位を手にすると、別人のように変わり果てた。
アリエルの身体は鞭で叩かれた跡が消える間もなく鞭を打たれ、皮膚が裂けていた。
妻を娶ったあとは、アリエルを地下に監禁し、突然公爵家に連れて来られることになった鬱憤をぶつけ続けた。
「何故こんなことをするの!誰か助けて!」
そう叫び続けたアリーもすぐに悲鳴だけをあげる人形に成り果てていった。
リンデンは騎士として働き始めたところだった。
花屋の娘に恋をして、結婚を誓い合っていた。
爵位とは程遠い位置で過ごしてきて、どうにか士爵を賜りこれからというところだった。
公爵家の養子になると決まった時、全てを失った。
公爵家では平民を召し上げることなんて出来るはずもない。
愛人として囲うのも無理だ。
しかし、逃げてしまっては士爵も失うことになる。
愛しい人と逃げた先に、彼女と思い描いていたような幸せな未来はない。
ーーアリエルが姉の婚約者に手を出さなければ、もしくは責任をとって伯爵家の男と結婚していれば、自分が公爵家の養子になる事なんてなかったのに。
アリエルに対する恨みは、日に日に増していった。
公爵家の当主になったとしても、所詮は伯爵家の血だと、家門の者たちの態度は大きくなる。
今まで下にいた者が養子になって当主になっても、突然謙ったり出来るわけがない。
仕事をする度、リンデンの心は荒んでいった。
したくも無い結婚も、断ることは出来なかった。
そうでなければ公爵として、広い領地を運営する事なんて出来なかったからだ。
今までとは違う人間関係を築かなければならない。
そのストレスの発散先はアリエルしかなかった。
自分達が黙っていれば、公爵家は上手くいく。
そうやって侍従達はアリエルのことには目を閉じていた。
「どうして誰も助けてくれないの?お父様とお母様を呼んで!」
その声が届くことはない。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
ヘンリーは幽閉された別棟から、雲が流れるのをただひたすらに眺めていた。
「エリーはどこへいったのだろう」
アリーのことが頭を過ぎることはなく、思い浮かぶのは笑うことも無くなったエリーの顔だった。
「エリーはどんな風に笑っていたかな」
記憶にあるのは貼り付けたように口角を上げる顔だけだ。
楽しそうに笑う姿は幼い頃の記憶しかない。
どうして笑っている顔を思い出せないのだろう。
大切にしてきた婚約者なのに思い出すことが出来ない。
他の人が言うような、蔑ろにしてきたことなんてないはずだったのに、どうしてか思い出せない。
誕生日には宝石を贈り、パーティーがあればドレスを贈ってエスコートした。
交友関係の広いエリーに付き合っていれば、自らの交友関係も広がっていた。
だけど、友人との関係はだんだんと希薄になっていたように思う。
エリーと結婚すれば公爵家も侯爵家も安泰なのに、友人と呼べる者は少ないままだった。
エリーは噂のことを気にしていたのだろうか。
アリーと仲良くしていても、当主であるエリーの父親は何も言わないどころか感謝するくらいだったし、噂は噂でしかなかった。
エリーを大切にしていたし、その妹と仲良くすることは不自然なことじゃなかった。
これから家族として過ごしていくのだし、仲がいいに越したことはない。
アリーと学園で昼食が取れるのも一年だけのはずだったから、拒む理由はなかった。
アリーは自分が学園を卒業した後も、学園に通い続けるのだ。
一緒に昼食をとるのも、一年だけ。
当然許されると思っていた。
ベンチで並んで座って話しているうちに、近づきすぎてしまうこともあったかも知れない。
それでも外では触れ合うこともなかったし、一線は引けていたはずだ。
アリーと2人きりになれば話は違ったが、エリーを正しく婚約者として接していた。
アリーと過ごす時間は楽しかった。
クルクルと変わる表情と、軽やかに笑う姿に魅了された。
それでも、エリーと穏やかに過ごす時間も大切にしていた。
どうして幽閉されなければならないのだろう。
別館のドアには鍵をかけられ、決まった侍従が簡単な掃除と食事を持ってくるだけの日々だ。
別館の外に出ることも叶わず、屋敷の中を歩き回ることしかすることがない。
本は遠い昔に全て読み終わった。
新しい本が届くこともないこの屋敷で、あと何年過ごさなければならないのだろうか。
果てしない時を思い浮かべて空を見上げる。
それから19年後、ヘンリーは幽閉から解放される。
地面の柔らかさがヘンリーの足を掴むようだった。
草はこんなにも柔らかいものだったか、人の歩く音がそこかしこから聞こえることの歓喜は素晴らしいものだった。
昨日、父の葬儀が行われたらしい。
1番上の兄が爵位を譲り受け、サスティン侯爵家は代替わりした。
「やあヘンリー、外の空気はどうだ?」
「あぁ、リベルト兄さん?か。外の空気は最高だね。全てが新鮮に思えるよ」
ヘンリーは両手を上げて喜びを表現したが、リベルトの顔は緩むことはなかった。
「それはよかった。もうあの別館にいる必要はない。全てから解放される。喜べ弟よ」
「あ…あぁ。嬉しいよ」
喜べ、そう言われているのに嬉しい気持ちはこれっぽっちも生まれなかった。
リベルトは表情一つ変えない。
貴族らしい。そう思えばそうだろう。いや、貴族とはそう言うものだったろうか。
あまりにも1人でいたので、それすらも忘れていた。
「ヘンリー、お前を廃嫡とする。かつてお前が行った不貞行為による我が家門全体の損失はあまりにも大きかった。私も、弟のガッシュも、縁談をまとめるのにどれほど金を積むことになったか、想像もできないだろう?」
縁談に金を積む?後継者であるリベルトは持参金をもらうことはあっても払うことはないはずだが、理解に苦しむ。
「分かっていない。そうだろうな。お前はあの別館で現実を見ずに過ごせていたのだから」
「あぁ、俺は何も知らない。責めるならせめて説明してほしい」
ヘンリーが訳も分からず説明を求めると、リベルトの拳が飛んできて、身体ごと地面に叩きつけられた。
「父の甘い処分のせいで、何も分からないままいられてよかったな。お前の不貞行為のせいで、俺は結婚式を控えていた婚約者とは破談となり、社交界での居場所を失った。不貞を許してきた家に嫁ぐなんてとんでもない。そう言われ続け、どれだけ惨めだったかお前に分かるか?ガッシュは裁判官になる夢も諦めるしかなかった。不貞を許してきた家での教育で、正当な意見が述べられるわけがないと言われ、法律の勉強を諦めるしかなかった」
不貞行為。そう言われてハッとした。
アリーとは、ただ仲良くしているだけのつもりだった。
触れ合うこともごく自然に増えていって、罪悪感もなくブレーキがかかることもなく当たり前の行為だと思っていた。
政略結婚なのだから、妻を尊重していれば他の女性を愛人にしていても文句を言われることはないと思っていた。
まだ結婚もしていないのに、当然許されるだろうと思っていた。
当主も許している行為が、他の誰かに咎められるだなんて思ってもいなかった。
誰もが共感するだろうと、そう思っていたことが、ただの不貞行為だと言われたことがショックだった。
「何をそんなに驚く?こんなの序の口だ。俺たちが受けてきた屈辱はそんな簡単に説明できるものじゃない。侯爵家は信用を失い、釈明のために父は謝罪行脚だった。それでも今まで築いてきたものがお前のせいで全て崩れ、関税を上げられ皺寄せは領民に向かった。お前のせいで死んだ人がどれだけいるか分かるか?今じゃミルクは高級品だ。チーズやバターもとても平民には手が出せる値段じゃない。もうずっとだ。領民に我慢を強いている。それなのにお前は別棟でのうのうと生きている。そんなこと許されていいわけがない」
乳製品は北からの輸入だ。厳格な一夫一妻制で知られる。
王室でさえも側室を娶ることは許されない。
ましてや愛人を囲ったとなれば殺されるような国だ。
「すまない!本当にすまなかった」
倒れたまま頭を地面に擦り付けることしか僕には出来なかった。
とんでも無いことをした。
そんなことに19年気付かずに過ごしていた自分が恥ずかしかった。
「あぁ、やっと謝罪が聞けて嬉しいよ。全く許す気にはなれないが、一つ教えてやろう。お前が手を出した妹の方は死んだよ。いつだったか忘れるくらい前だ。河原で烏に食われているところを発見された。家紋の入ったハンカチがなければ判別できなかったほど酷い傷だったらしい。どこかの男と駆け落ちしようとして家を出て、暴漢に襲われたそうだ」
「アリーが!?そんな!なんで!!」
ヘンリーは這いつくばりながらリベルトに駆け寄る。それをリベルトは蹴り上げた。
「グウィッ!」
鉄の味が口の中に広がり、思わず土のついた手を口元に添える。
異物感にペッと吐き出すと、赤を纏った歯が手のひらで転がる。
「なんでだと?卑しい女にふさわしい最後じゃ無いか。姉を殺したも同然の犯罪者、誰もお前のように不思議には思わなかったさ。お前はなんで生きてる?エリザベス嬢もいない、アリエルもいない、誰もお前が生きていることを望まないのに、何故お前は生きているんだ。出ていってくれ、二度とお前の顔を見たくない」
リベルトの後ろにいた護衛達が、僕を無理やり立たせると、馬車に乗せられる。
「お願いだから死んでくれ、弟よ」
リベルトの仮面のような表情は、どこかでみたような気がした。
そのまま何日も馬車に揺られたが、人間の扱いをされることはなかった。
家畜のように水を飲まされ、馬車の中で丸まって寝た。
「着いたぞ、ここでお別れだな。坊ちゃん」
馬車から引きずられるようにして外に出されたそこは、何もない草原だった。
まともに食事も摂っていないそんな中で、どこかも分からない土地に棄てられるのか。
そこでやっと自分が流刑にされたのだと気が付いた。
馬車はどんどんと離れていく。
その車輪を辿ればどこかの街にはついただろうが、そんな気力はなかった。
草原に寝転んでアリーとエリーのことを考えた。
2人とも死んでしまったのだ。
どうしてそんなことも知らずに生きてきたんだろう。
これからどうやって生きていこう。
未だに生きようとする自分が滑稽だったが、死ぬことも選べなかった。
エリー、ごめん。
僕は君を全然大切になんかしていなかった。
そのまま揺れる木々の間でヘンリーは目を閉じた。
突然家を飛び出したまま、行方知れずだという。
飛び出したのが夜遅い時間だったため、既に何処かへ連れ去られているだろう。
そう誰もが思っていた。
「でもさ、あれだけ学園内で妹と婚約者が仲良くしてたら、逃げ出したくもなるよな」
「あぁ、彼女が可哀想になるほどこれ見よがしに一緒にいたもんな。相手が公爵家の、それも妹だから誰も何も言えなかっただけで、流石に同情するよ」
エリーが失踪してから、ヘイリーとアリーには誰もが距離を取った。
それに、後継者候補が急にいなくなったことで、公爵家は窮地に立たされていた。
アリーはとてもじゃないが、公爵家を継いでやっていけるほど優秀ではないし、姉の婚約者との噂のある娘のところに優秀な子息が婿に来るなんてことはないだろう。
そうやって誰もが公爵家から距離を置いた。
こんな状態で、ヘンリーがアリーとの婚約を許されるはずもなく、ヘンリーは侯爵家で幽閉されることになった。
たった1人の公爵家の後継者であるアリーは、噂が広まることに焦った公爵が決めてきた縁談を断ることを許されなかった。
父親と同じ歳の伯爵家の行き遅れた次男だった。
金使いが荒く、呑んだくれだと評判だったが、事業を手広く行っている家門であり、縁を結ぶことは損ではなかった。
後継者さえアリーが産めば、飼い殺すつもりで了承した公爵だったが、アリーは結婚式当日に逃げてしまった。
慰謝料はとんでもない金額を払うことになった。
可愛い娘が逃げてまで拒んだ結婚を押し付けることは出来なかった。
泣き腫らした顔で、「あんな人と結婚なんて出来ない」そう言われてしまえば、金を払う方が楽だった。
もう親戚から養子を取ろう。
そう考えてアリーより歳上のリンデンという男を養子に迎えた。
伯爵家で教育を受けてきたその子は、充分に公爵家でもやっていけると考えられた。
リンデンの教育が進んでいくと、妻も社交界では酷い仕打ちにあっているらしく、隠居したいと泣くようになった。
静かな領地で暮らすのも悪くはないか。
そう考えて早めに爵位を彼に譲ることにした。
心配なのは、娘のことだ。一緒に隠居するのも提案したが、そうすれば公爵の名も使えなくなる。
当然アリーはそれを拒んだ。
「アリエルのことは私にお任せください。こちらで面倒をみましょう」
仕事も一通り出来るようになったリンデンを疑うこともなかった。
好青年だと専らの評判で、侍従達にも慕われていた。
妻に乞われて田舎の領地に早々に引っ込むと、それ以来、アリエルと会うことは叶わなかった。
リンデンは爵位を手にすると、別人のように変わり果てた。
アリエルの身体は鞭で叩かれた跡が消える間もなく鞭を打たれ、皮膚が裂けていた。
妻を娶ったあとは、アリエルを地下に監禁し、突然公爵家に連れて来られることになった鬱憤をぶつけ続けた。
「何故こんなことをするの!誰か助けて!」
そう叫び続けたアリーもすぐに悲鳴だけをあげる人形に成り果てていった。
リンデンは騎士として働き始めたところだった。
花屋の娘に恋をして、結婚を誓い合っていた。
爵位とは程遠い位置で過ごしてきて、どうにか士爵を賜りこれからというところだった。
公爵家の養子になると決まった時、全てを失った。
公爵家では平民を召し上げることなんて出来るはずもない。
愛人として囲うのも無理だ。
しかし、逃げてしまっては士爵も失うことになる。
愛しい人と逃げた先に、彼女と思い描いていたような幸せな未来はない。
ーーアリエルが姉の婚約者に手を出さなければ、もしくは責任をとって伯爵家の男と結婚していれば、自分が公爵家の養子になる事なんてなかったのに。
アリエルに対する恨みは、日に日に増していった。
公爵家の当主になったとしても、所詮は伯爵家の血だと、家門の者たちの態度は大きくなる。
今まで下にいた者が養子になって当主になっても、突然謙ったり出来るわけがない。
仕事をする度、リンデンの心は荒んでいった。
したくも無い結婚も、断ることは出来なかった。
そうでなければ公爵として、広い領地を運営する事なんて出来なかったからだ。
今までとは違う人間関係を築かなければならない。
そのストレスの発散先はアリエルしかなかった。
自分達が黙っていれば、公爵家は上手くいく。
そうやって侍従達はアリエルのことには目を閉じていた。
「どうして誰も助けてくれないの?お父様とお母様を呼んで!」
その声が届くことはない。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
ヘンリーは幽閉された別棟から、雲が流れるのをただひたすらに眺めていた。
「エリーはどこへいったのだろう」
アリーのことが頭を過ぎることはなく、思い浮かぶのは笑うことも無くなったエリーの顔だった。
「エリーはどんな風に笑っていたかな」
記憶にあるのは貼り付けたように口角を上げる顔だけだ。
楽しそうに笑う姿は幼い頃の記憶しかない。
どうして笑っている顔を思い出せないのだろう。
大切にしてきた婚約者なのに思い出すことが出来ない。
他の人が言うような、蔑ろにしてきたことなんてないはずだったのに、どうしてか思い出せない。
誕生日には宝石を贈り、パーティーがあればドレスを贈ってエスコートした。
交友関係の広いエリーに付き合っていれば、自らの交友関係も広がっていた。
だけど、友人との関係はだんだんと希薄になっていたように思う。
エリーと結婚すれば公爵家も侯爵家も安泰なのに、友人と呼べる者は少ないままだった。
エリーは噂のことを気にしていたのだろうか。
アリーと仲良くしていても、当主であるエリーの父親は何も言わないどころか感謝するくらいだったし、噂は噂でしかなかった。
エリーを大切にしていたし、その妹と仲良くすることは不自然なことじゃなかった。
これから家族として過ごしていくのだし、仲がいいに越したことはない。
アリーと学園で昼食が取れるのも一年だけのはずだったから、拒む理由はなかった。
アリーは自分が学園を卒業した後も、学園に通い続けるのだ。
一緒に昼食をとるのも、一年だけ。
当然許されると思っていた。
ベンチで並んで座って話しているうちに、近づきすぎてしまうこともあったかも知れない。
それでも外では触れ合うこともなかったし、一線は引けていたはずだ。
アリーと2人きりになれば話は違ったが、エリーを正しく婚約者として接していた。
アリーと過ごす時間は楽しかった。
クルクルと変わる表情と、軽やかに笑う姿に魅了された。
それでも、エリーと穏やかに過ごす時間も大切にしていた。
どうして幽閉されなければならないのだろう。
別館のドアには鍵をかけられ、決まった侍従が簡単な掃除と食事を持ってくるだけの日々だ。
別館の外に出ることも叶わず、屋敷の中を歩き回ることしかすることがない。
本は遠い昔に全て読み終わった。
新しい本が届くこともないこの屋敷で、あと何年過ごさなければならないのだろうか。
果てしない時を思い浮かべて空を見上げる。
それから19年後、ヘンリーは幽閉から解放される。
地面の柔らかさがヘンリーの足を掴むようだった。
草はこんなにも柔らかいものだったか、人の歩く音がそこかしこから聞こえることの歓喜は素晴らしいものだった。
昨日、父の葬儀が行われたらしい。
1番上の兄が爵位を譲り受け、サスティン侯爵家は代替わりした。
「やあヘンリー、外の空気はどうだ?」
「あぁ、リベルト兄さん?か。外の空気は最高だね。全てが新鮮に思えるよ」
ヘンリーは両手を上げて喜びを表現したが、リベルトの顔は緩むことはなかった。
「それはよかった。もうあの別館にいる必要はない。全てから解放される。喜べ弟よ」
「あ…あぁ。嬉しいよ」
喜べ、そう言われているのに嬉しい気持ちはこれっぽっちも生まれなかった。
リベルトは表情一つ変えない。
貴族らしい。そう思えばそうだろう。いや、貴族とはそう言うものだったろうか。
あまりにも1人でいたので、それすらも忘れていた。
「ヘンリー、お前を廃嫡とする。かつてお前が行った不貞行為による我が家門全体の損失はあまりにも大きかった。私も、弟のガッシュも、縁談をまとめるのにどれほど金を積むことになったか、想像もできないだろう?」
縁談に金を積む?後継者であるリベルトは持参金をもらうことはあっても払うことはないはずだが、理解に苦しむ。
「分かっていない。そうだろうな。お前はあの別館で現実を見ずに過ごせていたのだから」
「あぁ、俺は何も知らない。責めるならせめて説明してほしい」
ヘンリーが訳も分からず説明を求めると、リベルトの拳が飛んできて、身体ごと地面に叩きつけられた。
「父の甘い処分のせいで、何も分からないままいられてよかったな。お前の不貞行為のせいで、俺は結婚式を控えていた婚約者とは破談となり、社交界での居場所を失った。不貞を許してきた家に嫁ぐなんてとんでもない。そう言われ続け、どれだけ惨めだったかお前に分かるか?ガッシュは裁判官になる夢も諦めるしかなかった。不貞を許してきた家での教育で、正当な意見が述べられるわけがないと言われ、法律の勉強を諦めるしかなかった」
不貞行為。そう言われてハッとした。
アリーとは、ただ仲良くしているだけのつもりだった。
触れ合うこともごく自然に増えていって、罪悪感もなくブレーキがかかることもなく当たり前の行為だと思っていた。
政略結婚なのだから、妻を尊重していれば他の女性を愛人にしていても文句を言われることはないと思っていた。
まだ結婚もしていないのに、当然許されるだろうと思っていた。
当主も許している行為が、他の誰かに咎められるだなんて思ってもいなかった。
誰もが共感するだろうと、そう思っていたことが、ただの不貞行為だと言われたことがショックだった。
「何をそんなに驚く?こんなの序の口だ。俺たちが受けてきた屈辱はそんな簡単に説明できるものじゃない。侯爵家は信用を失い、釈明のために父は謝罪行脚だった。それでも今まで築いてきたものがお前のせいで全て崩れ、関税を上げられ皺寄せは領民に向かった。お前のせいで死んだ人がどれだけいるか分かるか?今じゃミルクは高級品だ。チーズやバターもとても平民には手が出せる値段じゃない。もうずっとだ。領民に我慢を強いている。それなのにお前は別棟でのうのうと生きている。そんなこと許されていいわけがない」
乳製品は北からの輸入だ。厳格な一夫一妻制で知られる。
王室でさえも側室を娶ることは許されない。
ましてや愛人を囲ったとなれば殺されるような国だ。
「すまない!本当にすまなかった」
倒れたまま頭を地面に擦り付けることしか僕には出来なかった。
とんでも無いことをした。
そんなことに19年気付かずに過ごしていた自分が恥ずかしかった。
「あぁ、やっと謝罪が聞けて嬉しいよ。全く許す気にはなれないが、一つ教えてやろう。お前が手を出した妹の方は死んだよ。いつだったか忘れるくらい前だ。河原で烏に食われているところを発見された。家紋の入ったハンカチがなければ判別できなかったほど酷い傷だったらしい。どこかの男と駆け落ちしようとして家を出て、暴漢に襲われたそうだ」
「アリーが!?そんな!なんで!!」
ヘンリーは這いつくばりながらリベルトに駆け寄る。それをリベルトは蹴り上げた。
「グウィッ!」
鉄の味が口の中に広がり、思わず土のついた手を口元に添える。
異物感にペッと吐き出すと、赤を纏った歯が手のひらで転がる。
「なんでだと?卑しい女にふさわしい最後じゃ無いか。姉を殺したも同然の犯罪者、誰もお前のように不思議には思わなかったさ。お前はなんで生きてる?エリザベス嬢もいない、アリエルもいない、誰もお前が生きていることを望まないのに、何故お前は生きているんだ。出ていってくれ、二度とお前の顔を見たくない」
リベルトの後ろにいた護衛達が、僕を無理やり立たせると、馬車に乗せられる。
「お願いだから死んでくれ、弟よ」
リベルトの仮面のような表情は、どこかでみたような気がした。
そのまま何日も馬車に揺られたが、人間の扱いをされることはなかった。
家畜のように水を飲まされ、馬車の中で丸まって寝た。
「着いたぞ、ここでお別れだな。坊ちゃん」
馬車から引きずられるようにして外に出されたそこは、何もない草原だった。
まともに食事も摂っていないそんな中で、どこかも分からない土地に棄てられるのか。
そこでやっと自分が流刑にされたのだと気が付いた。
馬車はどんどんと離れていく。
その車輪を辿ればどこかの街にはついただろうが、そんな気力はなかった。
草原に寝転んでアリーとエリーのことを考えた。
2人とも死んでしまったのだ。
どうしてそんなことも知らずに生きてきたんだろう。
これからどうやって生きていこう。
未だに生きようとする自分が滑稽だったが、死ぬことも選べなかった。
エリー、ごめん。
僕は君を全然大切になんかしていなかった。
そのまま揺れる木々の間でヘンリーは目を閉じた。
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だが、もう遅い。なんてったって、私を断罪したのはあなた達なのですから。
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