13 / 45
神殿長の吐露
しおりを挟む
神殿には、信者から年に数度、最上級と言われる酒が献上されている。神への献上の場合、祭壇に供えるのに使用する為に酒は払い下げることはない。しかし、個人への献上の習慣は、薄れてはきているがまだ残っている。
神殿長宛の献上品で唯一手をつけるのが、故郷の田舎町から献上されるワインだった。
「聖女様はお休みになられましたか?」
「はい」
神殿長の位に与えられた私室をノックしたのは、聖女様の信頼を得て神官長の席に座っている神官長ユリエル。仕事は難なくこなし、信仰心の高さから彼よりずっと年上の神官達も、今のところ彼を敵視するような動きはないが、何せ若い。若すぎるので、彼を支える神官を選ぶのに苦労している。私の心痛の種でもあることもまた事実だ。
「一緒にワインを飲みませんか?私の故郷から献上されたものですが」
「はい。一杯だけいただこうかと思います」
ユリエルは他の神官達とは違い、出家してすぐの見習い神官となったと同時に聖女様に仕えた。それから一日たりとも聖女様のお側を離れたことはない。最初は兄が妹を世話するような拙い印象を受けた。私は当時、教会本部長として隣接する教会本部のトップにいて、神殿側へ口を出せる立場になかった。
グラスにワインを注ぐと、ユリエルは一口含む。
「大変美味しいです。神も興味を持っているようです」
昨年、私が神殿長に就任する際、彼は神官長に抜擢された。神託を受けるようになった今思えば、彼が神官長の席にいたことはとてつもない幸運だった。そうでなければ内部は分断したに違いない。
「そうですか。神はここにいらっしゃるのですか?」
「はい。神殿ですから、もちろんいらっしゃいます」
至極当然のことのように言う彼は、もう私より神に近いところにいる。だが、今の彼に神殿長の立場を明け渡すわけにはいかなかった。
「前国王の体制は崩れ、反発は強くあるであろう王子も見つかっていません。国王不在の危うい状態が続けば、この隙を狙って辺境から領地は奪われることになるでしょう。そこで、聖女様には教王として座っていただきたいと思っています。たとえ王子が見つかったとしても、聖女様に結婚のご意志がないので国が安定する事はありません」
「教王…ですか?」
「国王不在で暫定的に私が権利を行使していますが、私の立場はあくまで教会を取りまとめる神殿長です。神が在居する神殿ですから他の国へ神の意思を伝えることも仕事ですから、この体制はそう長くは続きません。国民から一番信頼があり、神の寵愛を受ける聖女様が一番上に立つのは当然のことです」
行方しれずとなった王子と聖女様があのまま結婚していてくれれば、こんな面倒なことにはならなかった。権力の一本化は望んでいた事だったが、このような中途半端な自滅は誰も望んでいなかったのだ。
国王が国民の意思により退位されたが、その原因となった皇太子は手配を掛けても見つからなかった。望まれない国王であったとしても、皇太子が国王として一日でも、二日でも王位に就いていたら、形ばかりは整ったというのに、生死の確認も出来ない。本当に困ったことをしてくれた。
「聖女様のご意志を確認しなければ…」
「聖女様のご意志は関係ありません。今でも名がないだけで、教王の位置にいるのですから、何も変わりません」
もう聖女様以外に、人の上に立てる存在はなかった。私が聖女様を娶れば或いは…だが、そんな事は起こり得ようもない。
「承知…しました」
「一つだけ、聖女様はこれから意思決定の場には赴かなくてはならなくなります。ユリエル、あなたには教王補佐の地位を聖女様から授かることになります。励みなさい」
こうして、皇太子の捜索は表立っては打ち切られ、聖女様が教王となる。
「ユリエル様、一つだけよろしいでしょうか」
「はい。神殿長」
「聖女様が孤児院へ滞在する時間や、自由になる時間は減らさないよう調整ください。聖女様も、友人を作る時間が必要です。そして、ユリエル様もお休みをお取りください。余暇というものは、人を豊かにするものです」
神殿長は、教王の即位と同時に、自分の上に教王補佐という役職を作った。教王となれば、聖女様はあくまで信者である各国国王より上の存在となる。
ユリエルは今までよりも多くの神官と関わることになるだろう。
神殿長はユリエルと聖女様がいつも忙しなく駆け回っているのを見ていた。ただ見ているだけだったことをずっと後悔している。
「検討します」
ユリエルの笑顔を見たことがなかった。友人と話しているのも見たことがない。聖女様と共に起き、同じ食事をし、そばにいて主人に仕えることしか知らない人生は、聖職者の鏡とも言えたが、彼は子供の頃から変わらぬ生活をしていて、外のことをあまりにも知らなかった。
神託を受けて戸惑って泣くユリエルを見て、初めて彼がまだ若き青年だったと思い出した。普通は同じ見習い同士で仲良くなり、仕事を超えてコミュニケーションを取るようになる。彼にはそれが許されなかった。最年少で見習いとなったその偶然だけで、彼には聖女様しかいなくなってしまったのだ。
そして聖女様も、王子がアカデミーに通うときに、本来ならば一緒に通うべきだった。周りには大人しかおらず、孤児達は奉仕すべき対象で、聖女様は彼らからすれば崇拝すべき対象でしかなかった。友人と出会える場は聖女様にはなかった。これは神殿側の大きな過ちだったのだ。
すでに大人になってしまった聖女様とユリエルの心からの笑顔が取り戻せるように、私は過去の神殿の過ちの責任を負う立場。彼らの行く末を案じずにはいられなかった。
教王補佐となった彼を誘い、私室でワインを飲んだり、チェスをしたり、時には神官や騎士を呼んでトランプをするようになった。知識だけでしか知らない遊びを目を白黒させながら経験するのも人生の勉強に違いない。
神殿長宛の献上品で唯一手をつけるのが、故郷の田舎町から献上されるワインだった。
「聖女様はお休みになられましたか?」
「はい」
神殿長の位に与えられた私室をノックしたのは、聖女様の信頼を得て神官長の席に座っている神官長ユリエル。仕事は難なくこなし、信仰心の高さから彼よりずっと年上の神官達も、今のところ彼を敵視するような動きはないが、何せ若い。若すぎるので、彼を支える神官を選ぶのに苦労している。私の心痛の種でもあることもまた事実だ。
「一緒にワインを飲みませんか?私の故郷から献上されたものですが」
「はい。一杯だけいただこうかと思います」
ユリエルは他の神官達とは違い、出家してすぐの見習い神官となったと同時に聖女様に仕えた。それから一日たりとも聖女様のお側を離れたことはない。最初は兄が妹を世話するような拙い印象を受けた。私は当時、教会本部長として隣接する教会本部のトップにいて、神殿側へ口を出せる立場になかった。
グラスにワインを注ぐと、ユリエルは一口含む。
「大変美味しいです。神も興味を持っているようです」
昨年、私が神殿長に就任する際、彼は神官長に抜擢された。神託を受けるようになった今思えば、彼が神官長の席にいたことはとてつもない幸運だった。そうでなければ内部は分断したに違いない。
「そうですか。神はここにいらっしゃるのですか?」
「はい。神殿ですから、もちろんいらっしゃいます」
至極当然のことのように言う彼は、もう私より神に近いところにいる。だが、今の彼に神殿長の立場を明け渡すわけにはいかなかった。
「前国王の体制は崩れ、反発は強くあるであろう王子も見つかっていません。国王不在の危うい状態が続けば、この隙を狙って辺境から領地は奪われることになるでしょう。そこで、聖女様には教王として座っていただきたいと思っています。たとえ王子が見つかったとしても、聖女様に結婚のご意志がないので国が安定する事はありません」
「教王…ですか?」
「国王不在で暫定的に私が権利を行使していますが、私の立場はあくまで教会を取りまとめる神殿長です。神が在居する神殿ですから他の国へ神の意思を伝えることも仕事ですから、この体制はそう長くは続きません。国民から一番信頼があり、神の寵愛を受ける聖女様が一番上に立つのは当然のことです」
行方しれずとなった王子と聖女様があのまま結婚していてくれれば、こんな面倒なことにはならなかった。権力の一本化は望んでいた事だったが、このような中途半端な自滅は誰も望んでいなかったのだ。
国王が国民の意思により退位されたが、その原因となった皇太子は手配を掛けても見つからなかった。望まれない国王であったとしても、皇太子が国王として一日でも、二日でも王位に就いていたら、形ばかりは整ったというのに、生死の確認も出来ない。本当に困ったことをしてくれた。
「聖女様のご意志を確認しなければ…」
「聖女様のご意志は関係ありません。今でも名がないだけで、教王の位置にいるのですから、何も変わりません」
もう聖女様以外に、人の上に立てる存在はなかった。私が聖女様を娶れば或いは…だが、そんな事は起こり得ようもない。
「承知…しました」
「一つだけ、聖女様はこれから意思決定の場には赴かなくてはならなくなります。ユリエル、あなたには教王補佐の地位を聖女様から授かることになります。励みなさい」
こうして、皇太子の捜索は表立っては打ち切られ、聖女様が教王となる。
「ユリエル様、一つだけよろしいでしょうか」
「はい。神殿長」
「聖女様が孤児院へ滞在する時間や、自由になる時間は減らさないよう調整ください。聖女様も、友人を作る時間が必要です。そして、ユリエル様もお休みをお取りください。余暇というものは、人を豊かにするものです」
神殿長は、教王の即位と同時に、自分の上に教王補佐という役職を作った。教王となれば、聖女様はあくまで信者である各国国王より上の存在となる。
ユリエルは今までよりも多くの神官と関わることになるだろう。
神殿長はユリエルと聖女様がいつも忙しなく駆け回っているのを見ていた。ただ見ているだけだったことをずっと後悔している。
「検討します」
ユリエルの笑顔を見たことがなかった。友人と話しているのも見たことがない。聖女様と共に起き、同じ食事をし、そばにいて主人に仕えることしか知らない人生は、聖職者の鏡とも言えたが、彼は子供の頃から変わらぬ生活をしていて、外のことをあまりにも知らなかった。
神託を受けて戸惑って泣くユリエルを見て、初めて彼がまだ若き青年だったと思い出した。普通は同じ見習い同士で仲良くなり、仕事を超えてコミュニケーションを取るようになる。彼にはそれが許されなかった。最年少で見習いとなったその偶然だけで、彼には聖女様しかいなくなってしまったのだ。
そして聖女様も、王子がアカデミーに通うときに、本来ならば一緒に通うべきだった。周りには大人しかおらず、孤児達は奉仕すべき対象で、聖女様は彼らからすれば崇拝すべき対象でしかなかった。友人と出会える場は聖女様にはなかった。これは神殿側の大きな過ちだったのだ。
すでに大人になってしまった聖女様とユリエルの心からの笑顔が取り戻せるように、私は過去の神殿の過ちの責任を負う立場。彼らの行く末を案じずにはいられなかった。
教王補佐となった彼を誘い、私室でワインを飲んだり、チェスをしたり、時には神官や騎士を呼んでトランプをするようになった。知識だけでしか知らない遊びを目を白黒させながら経験するのも人生の勉強に違いない。
1
お気に入りに追加
613
あなたにおすすめの小説

本当の聖女は私です〜偽物聖女の結婚式のどさくさに紛れて逃げようと思います〜
桜町琴音
恋愛
「見て、マーガレット様とアーサー王太子様よ」
歓声が上がる。
今日はこの国の聖女と王太子の結婚式だ。
私はどさくさに紛れてこの国から去る。
本当の聖女が私だということは誰も知らない。
元々、父と妹が始めたことだった。
私の祖母が聖女だった。その能力を一番受け継いだ私が時期聖女候補だった。
家のもの以外は知らなかった。
しかし、父が「身長もデカく、気の強そうな顔のお前より小さく、可憐なマーガレットの方が聖女に向いている。お前はマーガレットの後ろに隠れ、聖力を使う時その能力を使え。分かったな。」
「そういうことなの。よろしくね。私の為にしっかり働いてね。お姉様。」
私は教会の柱の影に隠れ、マーガレットがタンタンと床を踏んだら、私は聖力を使うという生活をしていた。
そして、マーガレットは戦で傷を負った皇太子の傷を癒やした。
マーガレットに惚れ込んだ王太子は求婚をし結ばれた。
現在、結婚パレードの最中だ。
この後、二人はお城で式を挙げる。
逃げるなら今だ。
※間違えて皇太子って書いていましたが王太子です。
すみません
嫌われ聖女さんはとうとう怒る〜今更大切にするなんて言われても、もう知らない〜
𝓝𝓞𝓐
ファンタジー
13歳の時に聖女として認定されてから、身を粉にして人々のために頑張り続けたセレスティアさん。どんな人が相手だろうと、死にかけながらも癒し続けた。
だが、その結果は悲惨の一言に尽きた。
「もっと早く癒せよ! このグズが!」
「お前がもっと早く治療しないせいで、後遺症が残った! 死んで詫びろ!」
「お前が呪いを防いでいれば! 私はこんなに醜くならなかったのに! お前も呪われろ!」
また、日々大人も気絶するほどの魔力回復ポーションを飲み続けながら、国中に魔物を弱らせる結界を張っていたのだが……、
「もっと出力を上げんか! 貴様のせいで我が国の騎士が傷付いたではないか! とっとと癒せ! このウスノロが!」
「チッ。あの能無しのせいで……」
頑張っても頑張っても誰にも感謝されず、それどころか罵られるばかり。
もう我慢ならない!
聖女さんは、とうとう怒った。
女神に頼まれましたけど
実川えむ
ファンタジー
雷が光る中、催される、卒業パーティー。
その主役の一人である王太子が、肩までのストレートの金髪をかきあげながら、鼻を鳴らして見下ろす。
「リザベーテ、私、オーガスタス・グリフィン・ロウセルは、貴様との婚約を破棄すっ……!?」
ドンガラガッシャーン!
「ひぃぃっ!?」
情けない叫びとともに、婚約破棄劇場は始まった。
※王道の『婚約破棄』モノが書きたかった……
※ざまぁ要素は後日談にする予定……
【完結】無能な聖女はいらないと婚約破棄され、追放されたので自由に生きようと思います
黒幸
恋愛
辺境伯令嬢レイチェルは学園の卒業パーティーでイラリオ王子から、婚約破棄を告げられ、国外追放を言い渡されてしまう。
レイチェルは一言も言い返さないまま、パーティー会場から姿を消した。
邪魔者がいなくなったと我が世の春を謳歌するイラリオと新たな婚約者ヒメナ。
しかし、レイチェルが国からいなくなり、不可解な事態が起き始めるのだった。
章を分けるとかえって、ややこしいとの御指摘を受け、章分けを基に戻しました。
どうやら、作者がメダパニ状態だったようです。
表紙イラストはイラストAC様から、お借りしています。

初めから離婚ありきの結婚ですよ
ひとみん
恋愛
シュルファ国の王女でもあった、私ベアトリス・シュルファが、ほぼ脅迫同然でアルンゼン国王に嫁いできたのが、半年前。
嫁いできたは良いが、宰相を筆頭に嫌がらせされるものの、やられっぱなしではないのが、私。
ようやく入手した離縁届を手に、反撃を開始するわよ!
ご都合主義のザル設定ですが、どうぞ寛大なお心でお読み下さいマセ。

聖女に巻き込まれた、愛されなかった彼女の話
下菊みこと
恋愛
転生聖女に嵌められた現地主人公が幸せになるだけ。
主人公は誰にも愛されなかった。そんな彼女が幸せになるためには過去彼女を愛さなかった人々への制裁が必要なのである。
小説家になろう様でも投稿しています。

宮廷から追放された聖女の回復魔法は最強でした。後から戻って来いと言われても今更遅いです
ダイナイ
ファンタジー
「お前が聖女だな、お前はいらないからクビだ」
宮廷に派遣されていた聖女メアリーは、お金の無駄だお前の代わりはいくらでもいるから、と宮廷を追放されてしまった。
聖国から王国に派遣されていた聖女は、この先どうしようか迷ってしまう。とりあえず、冒険者が集まる都市に行って仕事をしようと考えた。
しかし聖女は自分の回復魔法が異常であることを知らなかった。
冒険者都市に行った聖女は、自分の回復魔法が周囲に知られて大変なことになってしまう。
エリナの物語
シマセイ
ファンタジー
マリウス王国デュラン公爵家の三女エリナは、側室の娘として虐げられてきた。
毎日のように繰り返される姉妹からの嫌がらせに、エリナはただ耐えるしかなかった。だが、心の奥底では、いつかこの屈辱を晴らす日を夢見ていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる