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友情
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ゴードランへ向かっていた私は、引き返すようにグスチへと戻った。
目の前では、アガトン殿下が応接室に通されていた。
「ハリエット嬢…」
座っていた気配のないアガトンが視界に入った瞬間、私の手足は震えていた。
本当にアガトンが目の前にいる。
「どうして…教えてくれなかったの?」
久しぶりに顔を合わせはアガトンに、幼さは微塵も感じられなかった。
背は伸びて癖毛の黒髪を上げてた姿は色気すら感じる。
大きくなった姿を見て、私はそれだけの月日が経ったのだと思い知らされた。
「ごめん。泣かないで」
カタカタと音がしそうなほど震えた手で口を押さえていた私の手を、アガトンが温めるかのように優しく包み込む。
「巻き込んで…ごめんなさい…私を…許さないで…」
私はこのまま頑張れば上手くやっていけると思っていた。でも、それは思い上がりもいいところだった。
最初から上手くやってくれていたのは周りだけで、出来上がった舞台の上で踊るのが私の仕事だ。
それはずっと変わらないのだ。
誰かに迷惑をかけて、誰かの人生を犠牲にして、私はここにいるのだと思うとこれからどう頑張ればいいのか分からない。
アガトンを犠牲にしてウィリアムと自分がここにいるような状態に三年も気づかなかった自分が情けなかった。
「ハリエット…僕は巻き込まれてなんていないよ。巻き込んで欲しいと思っていた位なんだ…」
ハリエットはグスチへ来るまでの大変な道のりを思い出していた。
アガトンが実際どこからゴードランまで移動したかは分からないが、もしかしたら山を越え、湖を越え、整った道もない村落ちの道を騎乗して来たのかもしれない。
長旅だったのは間違いないだろう。
何を言ってもアガトンは私を責めたりすることはないだろうと思えば、それ以上何も言葉にできなかった。
ただ、流れる涙はしばらく止めることが出来なかった。
「そういえば、正式にゴードランの地を賜ることが決まったんだ。このタイミングでハリエットに会えて本当に良かったよ」
「正式にって…今から変えることは出来ないの?」
「変えるも何も、北部の領地は昔から僕の希望だったんだ」
「昔から?」
北部の酷い有様は、周辺領主も手を焼くほどだった。
盗賊の生まれ故郷とまで言われるのは、元々流刑地として犯罪者を送り込んでいた名残だ。
北部生まれの野蛮人と中央のあたりでは言われている。
「そうだよ。だから、就任式には招待状を送るから必ず来て欲しい。周辺貴族も招待するから、初めての社交の場として使ってほしい」
「アガトン…」
ハリエットはその後も笑顔を見せることはなかった。
その後、事務的な手紙の返事が返ってくるだけのハリエットを心配して、二度ほどアガトンはグスチを訪れたが、ハリエットはマナーとも言える笑顔を見せることはなかった。
ハリエットは自分が帝国にいることが正解なのか分からなくなっていた。
ハイランス領へ、生存だけは知らせる算段をつけていたにも関わらず、活発に行なっていた活動も今は動いていないようだ。
「ゴードランの硝子、グスチの磁器と呼ばれるのが目標ね」
それでも目の前の仕事はしっかりこなしている。
悩む時間や受け入れる時間も必要だろうと、アガトンは深く立ち入ることはなかった。
硝子も磁器も、両地で作られている陶器も、使っているものは共通するものも多い。
今日はその材料のうちの珪石の輸出入の無税化を取り決めた。
産地となる山は複数あり、工房の近くの山でも今まで税金がかかっていたのは、お互い様だった。
「お互いにとってデメリットのない話だ。寧ろ、先に利益の出るのはゴードランになる」
「えぇ。でも、磁器は貴族に好まれているし、最終的に得をするのはグスチかもしれませんよ?」
「構わないよ。でも本当にいいのかい?グスチの珪石がゴードランを通じて他領に流れることもあるかもしれない」
「現時点では地理的にすべてゴードランを通らなければ帝国内で取引は出来ないもの。リスクにはなり得ない。北方帝国向けなら、ゴードランにも同じことが言えるもの」
一つの国でもあったゴードランとグスチは同じ悩みを持つ。
協力し合わなければお互いの発展は難しい領地だ。
資料を読み、印の押された契約書に目を落とすハリエットは真剣そのものだった。
「確かに。お互い地理では苦労するね」
「えぇ。だから、殿下の領主就任式は楽しみにしていますわ」
「ハリエットはエスコートの相手はどうするの?デリックは領地に残るんだろう?」
就任式自体はパートナーの必要はないが、その後行われるパーティにはパートナーが必要になる。
社交界の掟だ。
もちろん、本当のデビュタントは社交界の始まりである春に皇帝陛下へ謁見することなのだが、今回は社交界への顔見せの意味だから、婚約者でなければならない理由もない。
ただ、相手を間違えれば暗黙的に受け取られてしまうこともある為、相手選びは慎重に行わなければならない。
ウィルソンは一応騎士だから参加資格はあるが、伯爵令嬢のパートナーとしては向かない。
「パートナーはなんとかなる予定ですから大丈夫です」
「無理をしなくても、こちらで用意も出来るからね」
アガトンが心配をしてくれるほど、わたしは自分の愚かさに気付くことになる。
もう後戻りも出来ないというのに後悔ばかりが浮かんで、ウィルソンにも申し訳なく思っていた。
目の前では、アガトン殿下が応接室に通されていた。
「ハリエット嬢…」
座っていた気配のないアガトンが視界に入った瞬間、私の手足は震えていた。
本当にアガトンが目の前にいる。
「どうして…教えてくれなかったの?」
久しぶりに顔を合わせはアガトンに、幼さは微塵も感じられなかった。
背は伸びて癖毛の黒髪を上げてた姿は色気すら感じる。
大きくなった姿を見て、私はそれだけの月日が経ったのだと思い知らされた。
「ごめん。泣かないで」
カタカタと音がしそうなほど震えた手で口を押さえていた私の手を、アガトンが温めるかのように優しく包み込む。
「巻き込んで…ごめんなさい…私を…許さないで…」
私はこのまま頑張れば上手くやっていけると思っていた。でも、それは思い上がりもいいところだった。
最初から上手くやってくれていたのは周りだけで、出来上がった舞台の上で踊るのが私の仕事だ。
それはずっと変わらないのだ。
誰かに迷惑をかけて、誰かの人生を犠牲にして、私はここにいるのだと思うとこれからどう頑張ればいいのか分からない。
アガトンを犠牲にしてウィリアムと自分がここにいるような状態に三年も気づかなかった自分が情けなかった。
「ハリエット…僕は巻き込まれてなんていないよ。巻き込んで欲しいと思っていた位なんだ…」
ハリエットはグスチへ来るまでの大変な道のりを思い出していた。
アガトンが実際どこからゴードランまで移動したかは分からないが、もしかしたら山を越え、湖を越え、整った道もない村落ちの道を騎乗して来たのかもしれない。
長旅だったのは間違いないだろう。
何を言ってもアガトンは私を責めたりすることはないだろうと思えば、それ以上何も言葉にできなかった。
ただ、流れる涙はしばらく止めることが出来なかった。
「そういえば、正式にゴードランの地を賜ることが決まったんだ。このタイミングでハリエットに会えて本当に良かったよ」
「正式にって…今から変えることは出来ないの?」
「変えるも何も、北部の領地は昔から僕の希望だったんだ」
「昔から?」
北部の酷い有様は、周辺領主も手を焼くほどだった。
盗賊の生まれ故郷とまで言われるのは、元々流刑地として犯罪者を送り込んでいた名残だ。
北部生まれの野蛮人と中央のあたりでは言われている。
「そうだよ。だから、就任式には招待状を送るから必ず来て欲しい。周辺貴族も招待するから、初めての社交の場として使ってほしい」
「アガトン…」
ハリエットはその後も笑顔を見せることはなかった。
その後、事務的な手紙の返事が返ってくるだけのハリエットを心配して、二度ほどアガトンはグスチを訪れたが、ハリエットはマナーとも言える笑顔を見せることはなかった。
ハリエットは自分が帝国にいることが正解なのか分からなくなっていた。
ハイランス領へ、生存だけは知らせる算段をつけていたにも関わらず、活発に行なっていた活動も今は動いていないようだ。
「ゴードランの硝子、グスチの磁器と呼ばれるのが目標ね」
それでも目の前の仕事はしっかりこなしている。
悩む時間や受け入れる時間も必要だろうと、アガトンは深く立ち入ることはなかった。
硝子も磁器も、両地で作られている陶器も、使っているものは共通するものも多い。
今日はその材料のうちの珪石の輸出入の無税化を取り決めた。
産地となる山は複数あり、工房の近くの山でも今まで税金がかかっていたのは、お互い様だった。
「お互いにとってデメリットのない話だ。寧ろ、先に利益の出るのはゴードランになる」
「えぇ。でも、磁器は貴族に好まれているし、最終的に得をするのはグスチかもしれませんよ?」
「構わないよ。でも本当にいいのかい?グスチの珪石がゴードランを通じて他領に流れることもあるかもしれない」
「現時点では地理的にすべてゴードランを通らなければ帝国内で取引は出来ないもの。リスクにはなり得ない。北方帝国向けなら、ゴードランにも同じことが言えるもの」
一つの国でもあったゴードランとグスチは同じ悩みを持つ。
協力し合わなければお互いの発展は難しい領地だ。
資料を読み、印の押された契約書に目を落とすハリエットは真剣そのものだった。
「確かに。お互い地理では苦労するね」
「えぇ。だから、殿下の領主就任式は楽しみにしていますわ」
「ハリエットはエスコートの相手はどうするの?デリックは領地に残るんだろう?」
就任式自体はパートナーの必要はないが、その後行われるパーティにはパートナーが必要になる。
社交界の掟だ。
もちろん、本当のデビュタントは社交界の始まりである春に皇帝陛下へ謁見することなのだが、今回は社交界への顔見せの意味だから、婚約者でなければならない理由もない。
ただ、相手を間違えれば暗黙的に受け取られてしまうこともある為、相手選びは慎重に行わなければならない。
ウィルソンは一応騎士だから参加資格はあるが、伯爵令嬢のパートナーとしては向かない。
「パートナーはなんとかなる予定ですから大丈夫です」
「無理をしなくても、こちらで用意も出来るからね」
アガトンが心配をしてくれるほど、わたしは自分の愚かさに気付くことになる。
もう後戻りも出来ないというのに後悔ばかりが浮かんで、ウィルソンにも申し訳なく思っていた。
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