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公爵の結婚
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雪が舞い、山肌を白く染めたハイブルズ山脈の山々がゴードランと、グスチ、それぞれの城下町を見下ろしていた。
そして、小さな建物たちの真ん中に不釣り合いな大きな城が鎮座する。それがグスチ地区の中枢だった。
2つの領地は帝国内では最北端にあたる領地。
馬も移動手段として使われているが、雪深くなる土地故に、冬は馬よりもトナカイや犬を移動手段として使っているのはこの地区の特徴と言えるだろう。
もう一つ、帝国では珍しくなった光景がハリエットがグスチ地区に足を踏み入れた時は常態化していた。
女性が猿轡をして首に首輪をつけられて歩かせていたり、罪人のように手錠をかけられ、下着のようなぼろ布を着せただけで犬の散歩でもするように引っ張られながら歩かされていた。
特にグスチ地区の隣にあるゴードランは、王領であったこともあり、衝撃は大きかった。
文献よりも酷い扱いを受けている女性から、ハリエットは目を離すことができなかった。
「この女は口数が多い」
「生意気に男に意見をしやがった」
男たちは悪いことをした妻を見せつけるようにして歩いている。
その姿はとても醜く見えた。
ハリエットはワイニー伯爵家に5歳の頃に養子に入ったことになっていたため、帝国の貴族年鑑は、全て差し替えられることになった。
ワイニー伯爵は、決して悪政をしていたわけではなかった。
女性への暴行には厳しく法規制をしいていた。
だが、実際には取り締まる自警団が男なわけで、ほとんど機能しなかった。
ほかにも様々な試行錯誤がなされたが、民衆の圧力に負け、成す術もなく古い考え方が正されることはなかったのだ。
ワイニー伯爵家は、病に臥せった当主、コーネルの補佐の為に皇帝から補佐官が送られていた。
痩せ細り、屋敷を歩き回ることも難しくなったワイニー伯爵の代わり、領地の運営をしていた補佐官は、デリックといった。
「ハリエット様、自警団を解体するとは正気ですか!?」
ワイニー伯爵は、グスチ地区を長らく治めていた一族であり、帝国に吸収される際に、絶対服従と、領民たちの意識改革を誓ってそのまま領主として認められた者だった。
幾度となく続いた戦争で、働き手は不足していた。
その中で、先代たちの悪政の末の貧困状態を打開したいと、帝国入りを志願したのだ。
「ええ。仕事をしない自警団は不要よ。衛兵や傭兵も含めて、これからは全て公務として一括で管理していきます。領主への絶対的な忠誠を誓えない者は必要ありません。それに、官吏の数が少ないのも気になっていましたから」
この地区の問題は働き手が少ない為か、人口に比べて役人が少なすぎた。
それ故に仕事の賃金の基準となるものもなく、領主の考えを浸透させるのも難しかったのではないかと考えたのだ。
公務として、倫理観や領主の意向を教え込んで、その考え方を一般化させることを目指すことにした。
「その財源はどうするのですか?ここは余剰金もない貧しい土地です。人もいなければお金もないのです」
「仕事のあるところに人は集まるものよ。それに、お金は作ればいいわ」
まずは人手を集めることが優先だった。
そうすれば税金の回収額も増える。
しかし、投資するにも外貨も必要だった。
それを解決する為にも他の領地にもグスチ地区の大規模な兵士の募集を広めた。
「そんなに上手くいくものでしょうか」
頭を抱えてしまったデリックは、城の中でも不遇の扱いを受けるハリエットにため息を吐いていた。
ハリエットは、兵士の募集をすれば一時的にでも人の流入は増えると見込んでいた。
兵士だけではない。そこで働く料理人や事務、公務として付随する仕事はたくさんあった。
「これを見て」
「この図柄は?」
「この国の年代別の人口割合よ」
ハリエットは一枚の紙をデリックに差し出した。
そこには数値と一緒に、円グラフが描かれていた。
「視覚化すると歪なのが分かりますね。これはハリエット様が書かれたのですか?」
「ええ。帝都は馬車鉄道の代わりに蒸気機関車というものに変わると聞いたことはあるでしょう?その企画書に使われていたものの一つが、この円グラフ。一つの小さな鉄工所の画期的な資料提案は、絵やグラフというもので分かりやすく書かれていて、それで皇帝の目に止まったのよ」
「あの大規模な変革は鉄工所の提案なのですか!」
「そう。これからは数字を視覚化することで伝わりやすくなるはずだわ。それで、この40代から20代の特に男性の数が不足している。それは肌感覚ではまずいと思っていても、こう見るとかなり深刻なの。子育て世代でもあるし、1番お金を使う世代でもあるわ。兵士たちを雇って自警団を含めて公営化することは、領地運営の安定にもつながるのよ」
国家事業の中でも、帝国の歴史の中で最も資金を使うと言われる鉄道事業は、まだ駆け出しだった。
補佐官として中枢から来た彼でも、まだ知らないことは無理もない。
しかし、グラフというものは、口から口に広がり、隣の王国にまで漏れ伝わっていた。
「こんな辺鄙なところに兵士が来てくれるか…」
「どこにでも、仕事を探している者はいるものよ」
ハリエットは確信していた。
どんなに辺鄙な土地でも、何週間かけても、それが例え隣の国であろうと、安定した仕事が得られるとすれば足を運ぶ者は多くいると。
更に他の領地の人間と価値観を擦り合わせていけば、開けた思考も馴染みやすくなる。
こうして小さな改革を繰り返していたハリエットであったが、一年が経っても、二年が経っても、彼女を世話する者はワイニー家には現れることはなかった。
それは、彼女が女性であったからだ。
「ハリエット様、そろそろ、城の中も整理してみては?」
デリックが幾度となく提案しても、ハリエットが首を縦に振ることはなかった。
病に臥せるワイニー伯爵を考えれば、彼を支える者達を入れ替えることは酷なことに思えたのだ。
ワイニー伯爵は、信念を持ってグスチ地区を治めていたのは、どの資料からも読み取ることが出来た。
それに、快く得体の知れないハリエットを迎え入れ、顔を見に行けば本当の娘に会ったかのように顔を綻ばせる彼を排除するかのような行動は控えるべきだった。
「私にはウィルソンもいる、それにデリック、あなたもいるわ。侍女の1人くらいそろそろ心を開いてくれてもいいのだけど、ダメね。ワイニー伯爵だけでなく、御子息も人柄が良かったみたいだから、突然出てきた私を受け入れるのは難しいみたい」
ハリエットに食事すら出てくることはないこの城が変わったのは、ハリエットがワイニー家に来て二年半後だった。
そして、小さな建物たちの真ん中に不釣り合いな大きな城が鎮座する。それがグスチ地区の中枢だった。
2つの領地は帝国内では最北端にあたる領地。
馬も移動手段として使われているが、雪深くなる土地故に、冬は馬よりもトナカイや犬を移動手段として使っているのはこの地区の特徴と言えるだろう。
もう一つ、帝国では珍しくなった光景がハリエットがグスチ地区に足を踏み入れた時は常態化していた。
女性が猿轡をして首に首輪をつけられて歩かせていたり、罪人のように手錠をかけられ、下着のようなぼろ布を着せただけで犬の散歩でもするように引っ張られながら歩かされていた。
特にグスチ地区の隣にあるゴードランは、王領であったこともあり、衝撃は大きかった。
文献よりも酷い扱いを受けている女性から、ハリエットは目を離すことができなかった。
「この女は口数が多い」
「生意気に男に意見をしやがった」
男たちは悪いことをした妻を見せつけるようにして歩いている。
その姿はとても醜く見えた。
ハリエットはワイニー伯爵家に5歳の頃に養子に入ったことになっていたため、帝国の貴族年鑑は、全て差し替えられることになった。
ワイニー伯爵は、決して悪政をしていたわけではなかった。
女性への暴行には厳しく法規制をしいていた。
だが、実際には取り締まる自警団が男なわけで、ほとんど機能しなかった。
ほかにも様々な試行錯誤がなされたが、民衆の圧力に負け、成す術もなく古い考え方が正されることはなかったのだ。
ワイニー伯爵家は、病に臥せった当主、コーネルの補佐の為に皇帝から補佐官が送られていた。
痩せ細り、屋敷を歩き回ることも難しくなったワイニー伯爵の代わり、領地の運営をしていた補佐官は、デリックといった。
「ハリエット様、自警団を解体するとは正気ですか!?」
ワイニー伯爵は、グスチ地区を長らく治めていた一族であり、帝国に吸収される際に、絶対服従と、領民たちの意識改革を誓ってそのまま領主として認められた者だった。
幾度となく続いた戦争で、働き手は不足していた。
その中で、先代たちの悪政の末の貧困状態を打開したいと、帝国入りを志願したのだ。
「ええ。仕事をしない自警団は不要よ。衛兵や傭兵も含めて、これからは全て公務として一括で管理していきます。領主への絶対的な忠誠を誓えない者は必要ありません。それに、官吏の数が少ないのも気になっていましたから」
この地区の問題は働き手が少ない為か、人口に比べて役人が少なすぎた。
それ故に仕事の賃金の基準となるものもなく、領主の考えを浸透させるのも難しかったのではないかと考えたのだ。
公務として、倫理観や領主の意向を教え込んで、その考え方を一般化させることを目指すことにした。
「その財源はどうするのですか?ここは余剰金もない貧しい土地です。人もいなければお金もないのです」
「仕事のあるところに人は集まるものよ。それに、お金は作ればいいわ」
まずは人手を集めることが優先だった。
そうすれば税金の回収額も増える。
しかし、投資するにも外貨も必要だった。
それを解決する為にも他の領地にもグスチ地区の大規模な兵士の募集を広めた。
「そんなに上手くいくものでしょうか」
頭を抱えてしまったデリックは、城の中でも不遇の扱いを受けるハリエットにため息を吐いていた。
ハリエットは、兵士の募集をすれば一時的にでも人の流入は増えると見込んでいた。
兵士だけではない。そこで働く料理人や事務、公務として付随する仕事はたくさんあった。
「これを見て」
「この図柄は?」
「この国の年代別の人口割合よ」
ハリエットは一枚の紙をデリックに差し出した。
そこには数値と一緒に、円グラフが描かれていた。
「視覚化すると歪なのが分かりますね。これはハリエット様が書かれたのですか?」
「ええ。帝都は馬車鉄道の代わりに蒸気機関車というものに変わると聞いたことはあるでしょう?その企画書に使われていたものの一つが、この円グラフ。一つの小さな鉄工所の画期的な資料提案は、絵やグラフというもので分かりやすく書かれていて、それで皇帝の目に止まったのよ」
「あの大規模な変革は鉄工所の提案なのですか!」
「そう。これからは数字を視覚化することで伝わりやすくなるはずだわ。それで、この40代から20代の特に男性の数が不足している。それは肌感覚ではまずいと思っていても、こう見るとかなり深刻なの。子育て世代でもあるし、1番お金を使う世代でもあるわ。兵士たちを雇って自警団を含めて公営化することは、領地運営の安定にもつながるのよ」
国家事業の中でも、帝国の歴史の中で最も資金を使うと言われる鉄道事業は、まだ駆け出しだった。
補佐官として中枢から来た彼でも、まだ知らないことは無理もない。
しかし、グラフというものは、口から口に広がり、隣の王国にまで漏れ伝わっていた。
「こんな辺鄙なところに兵士が来てくれるか…」
「どこにでも、仕事を探している者はいるものよ」
ハリエットは確信していた。
どんなに辺鄙な土地でも、何週間かけても、それが例え隣の国であろうと、安定した仕事が得られるとすれば足を運ぶ者は多くいると。
更に他の領地の人間と価値観を擦り合わせていけば、開けた思考も馴染みやすくなる。
こうして小さな改革を繰り返していたハリエットであったが、一年が経っても、二年が経っても、彼女を世話する者はワイニー家には現れることはなかった。
それは、彼女が女性であったからだ。
「ハリエット様、そろそろ、城の中も整理してみては?」
デリックが幾度となく提案しても、ハリエットが首を縦に振ることはなかった。
病に臥せるワイニー伯爵を考えれば、彼を支える者達を入れ替えることは酷なことに思えたのだ。
ワイニー伯爵は、信念を持ってグスチ地区を治めていたのは、どの資料からも読み取ることが出来た。
それに、快く得体の知れないハリエットを迎え入れ、顔を見に行けば本当の娘に会ったかのように顔を綻ばせる彼を排除するかのような行動は控えるべきだった。
「私にはウィルソンもいる、それにデリック、あなたもいるわ。侍女の1人くらいそろそろ心を開いてくれてもいいのだけど、ダメね。ワイニー伯爵だけでなく、御子息も人柄が良かったみたいだから、突然出てきた私を受け入れるのは難しいみたい」
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