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オルボアール
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庭園の中央に置かれたベンチにアルベルトと2人で腰をかけ、葉のさざめく音や鳥の囀りに耳を傾けていると、広い世界で2人しか存在しないかのようにすら感じる。
まだ緑色をした葉が湿気を含んだ風に遊ばれながら目の前を通り過ぎていった。
毎日のように会っていたはずなのに、家以外で彼と時間を共有したことはなかった。
今ならその意味を理解出来る。気付かなかった自分に呆れ、笑いすら込み上げてくる程だ。
「アルベルトとこうしてベンチに座っているなんて不思議ね」
「前は毎日のようにこうしていたじゃないか」
「そうね」
本当にそう思ったのか。そんなことはどうでもよかった。私を愛していない男に何も期待するものではない。
意図したものとは違う答えが返ってきても訂正することも無駄に思えた。
何かを期待しないということは、世界から彩が消えていくようなものだ。
感情の起伏がない。諦めることすらない。理解してもらう必要もない。
単純な言葉のやり取りしかない会話に、意味は存在し得ない。
「クロッカ」
困惑したようなアルベルトの声が振動と一緒に聞こえる。
するりとアルベルトの腕に手を入れ、アルベルトの指に自分の手を絡ませると、アルベルトの腕に自分の耳を塞ぐように押し付けていた。
頭の中は空っぽだった。身体が勝手にそうしなければならなかったかのように動いたのだ。
「まだ私の婚約者なのでしょう?」
こんな風にアルベルトの体温を感じたことはなかった。
腕に手を添えてエスコートしてもらったことはあっても、手を繋いで歩いたこともなく、こうして同じベンチに座ったこともなかった。
今思えば、彼の行動は分かり易かった。
きっと、私の愛されたいという希望が、期待が、彼の分かり易い行動に目を瞑らせていたのだ。
決して手を離されることはなかったが、戸惑ったようにピクリとしたあと、強く握り返すことはなかった。
「すまない」
「もう謝罪はいいわ」
謝られたって心は満たされることはない。
もう、そんな言葉は聞きたくなかった。
「アガトン殿下と結ばれるにしても、2人で会うのは王国では避けるべきだ」
アルベルトは何を勘違いしているのだろうか。
私が誰を好きでいるのか、もう分かっているだろうに、アガトン殿下に気があると思うだなんて、無神経なことをサラリと言ってのけるその舌を引きちぎってしまいたい。
その言葉に驚かないのは、その無神経さにもう慣れてしまったのか、それとも勘違いを感じ取っていたからなのか。
「私はあなたのことが好きな女よ?」
するりと口から出た言葉は、まるで呪詛のように交わった手に力を入れさせる。
好意を口にするだけならば、簡単に紡ぎ出せるものだと思ってもいなかった。
「すまない」
「謝罪を求めたわけじゃないわ」
アルベルトがどんな顔をしているのか、見なくても分かる。
「アガトン殿下とは親しくさせていただいています。ですが、接し方を間違えたことは一度もありません。今朝の事も、殿下の醜聞になるようなことはありませんよ」
「クロッカ、そうじゃない」
クロッカの手が初めてギュッと握られる。
クロッカは顔を上げる事もなく、握られた手をじっと見つめていた。
「王国で同じように殿下と会っていれば、いずれ私との婚約を解消した時に要らぬ憶測を呼ぶことになる。王国で記事になれば、クロッカの地位を脅かすような噂になりかねないんだ。慎重に慎重を重ねるべきだ」
アルベルトの声は塞がれていない左耳に落ちるように降り注いできた。
王国では伯爵令嬢の男遊びだと紙面に書かれることもあるかもしれないということだ。
王国を出る際には涙を流して婚約者を見送ったとされるアルベルト。
それなのにその婚約者であるクロッカはアガトン殿下と2人で出掛けていた。
一度婚約破棄をしているクロッカの醜聞が、記事の信憑性に拍車をかけることになるだろう。
どこまでも婚約破棄をした事実がクロッカの行動を制限するのだ。
帝国では許される行為が、王国では大変なことになる。
これは怒るのも無理はなかったと反省させられることになった。
「私は友人と食事に行く事も許されないほどの醜聞を抱えていたということを思い出しました」
この後二度目の婚約破棄が控えている。
気を引き締めていたつもりでいた。成長したつもりでいた。美しくなったつもりでいた。
その重ねて来た努力を全て墨で塗りつぶされてしまったかのような衝撃だった。
帝国に来て忘れてしまっていた。私は婚約者に捨てられた女だ。
世間の見る目はとても厳しい。
そんな事も忘れていたのかと、自分の甘さに締め付けられることになった。
まだ緑色をした葉が湿気を含んだ風に遊ばれながら目の前を通り過ぎていった。
毎日のように会っていたはずなのに、家以外で彼と時間を共有したことはなかった。
今ならその意味を理解出来る。気付かなかった自分に呆れ、笑いすら込み上げてくる程だ。
「アルベルトとこうしてベンチに座っているなんて不思議ね」
「前は毎日のようにこうしていたじゃないか」
「そうね」
本当にそう思ったのか。そんなことはどうでもよかった。私を愛していない男に何も期待するものではない。
意図したものとは違う答えが返ってきても訂正することも無駄に思えた。
何かを期待しないということは、世界から彩が消えていくようなものだ。
感情の起伏がない。諦めることすらない。理解してもらう必要もない。
単純な言葉のやり取りしかない会話に、意味は存在し得ない。
「クロッカ」
困惑したようなアルベルトの声が振動と一緒に聞こえる。
するりとアルベルトの腕に手を入れ、アルベルトの指に自分の手を絡ませると、アルベルトの腕に自分の耳を塞ぐように押し付けていた。
頭の中は空っぽだった。身体が勝手にそうしなければならなかったかのように動いたのだ。
「まだ私の婚約者なのでしょう?」
こんな風にアルベルトの体温を感じたことはなかった。
腕に手を添えてエスコートしてもらったことはあっても、手を繋いで歩いたこともなく、こうして同じベンチに座ったこともなかった。
今思えば、彼の行動は分かり易かった。
きっと、私の愛されたいという希望が、期待が、彼の分かり易い行動に目を瞑らせていたのだ。
決して手を離されることはなかったが、戸惑ったようにピクリとしたあと、強く握り返すことはなかった。
「すまない」
「もう謝罪はいいわ」
謝られたって心は満たされることはない。
もう、そんな言葉は聞きたくなかった。
「アガトン殿下と結ばれるにしても、2人で会うのは王国では避けるべきだ」
アルベルトは何を勘違いしているのだろうか。
私が誰を好きでいるのか、もう分かっているだろうに、アガトン殿下に気があると思うだなんて、無神経なことをサラリと言ってのけるその舌を引きちぎってしまいたい。
その言葉に驚かないのは、その無神経さにもう慣れてしまったのか、それとも勘違いを感じ取っていたからなのか。
「私はあなたのことが好きな女よ?」
するりと口から出た言葉は、まるで呪詛のように交わった手に力を入れさせる。
好意を口にするだけならば、簡単に紡ぎ出せるものだと思ってもいなかった。
「すまない」
「謝罪を求めたわけじゃないわ」
アルベルトがどんな顔をしているのか、見なくても分かる。
「アガトン殿下とは親しくさせていただいています。ですが、接し方を間違えたことは一度もありません。今朝の事も、殿下の醜聞になるようなことはありませんよ」
「クロッカ、そうじゃない」
クロッカの手が初めてギュッと握られる。
クロッカは顔を上げる事もなく、握られた手をじっと見つめていた。
「王国で同じように殿下と会っていれば、いずれ私との婚約を解消した時に要らぬ憶測を呼ぶことになる。王国で記事になれば、クロッカの地位を脅かすような噂になりかねないんだ。慎重に慎重を重ねるべきだ」
アルベルトの声は塞がれていない左耳に落ちるように降り注いできた。
王国では伯爵令嬢の男遊びだと紙面に書かれることもあるかもしれないということだ。
王国を出る際には涙を流して婚約者を見送ったとされるアルベルト。
それなのにその婚約者であるクロッカはアガトン殿下と2人で出掛けていた。
一度婚約破棄をしているクロッカの醜聞が、記事の信憑性に拍車をかけることになるだろう。
どこまでも婚約破棄をした事実がクロッカの行動を制限するのだ。
帝国では許される行為が、王国では大変なことになる。
これは怒るのも無理はなかったと反省させられることになった。
「私は友人と食事に行く事も許されないほどの醜聞を抱えていたということを思い出しました」
この後二度目の婚約破棄が控えている。
気を引き締めていたつもりでいた。成長したつもりでいた。美しくなったつもりでいた。
その重ねて来た努力を全て墨で塗りつぶされてしまったかのような衝撃だった。
帝国に来て忘れてしまっていた。私は婚約者に捨てられた女だ。
世間の見る目はとても厳しい。
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