16 / 130
別れ
5
しおりを挟む
「お水をお持ち致しましたので、あちらで少し休まれてはいかがですか?」
コンラトが丘の中心にあるベンチに誘う。アルベルトはこの場を離れたくはなかったが、視界から外れる場所でもなく、シュゼインを思うとそれがいいと判断して場所を移すことにした。
「坊っちゃんも暑い中長いこと水分も取らずとても偉かったですね。カリーナ様もきっと褒めてくれていますよ」
声をかけられると、シュゼインはより涙が出てくるようだった。
父の首に巻きつくように片手を回し、父の肩を濡らした。
ベンチに着き、向かい合わせのままシュゼインを膝に座らせると、コンラトから受け取った冷えたグラスを渡す。
泣き乱れた喉は一口目を拒絶するように抵抗したのか、シュゼインはすぐに口を離したが、身体が水を欲したのだろう。すぐにぐいぐいと喉をいじめるように水を流し込んだ。
「アルベルト様も坊っちゃまも、一杯とは言わず沢山飲まれた方が宜しいですよ。お二人とも唇の色が悪くなっておいでです」
思い返してみれば朝から一杯の水も飲んでいなかった。親族は皆そうだろう。式は最後まで途切れさせるものではないが、今日は式が始まる前から予定が狂いっぱなしだった。
「シュゼイン、お腹は減っていないか?」
コクンと頷くだけのシュゼインの気持ちはどこか遠くへ行っているようだったが、左手は開くことを忘れたようにアルベルトのシャツを握りしめていた。
シュゼインの頬を涙が伝えば、アルベルトは頬を指で撫でる。何度も繰り返した後、シュゼインの顔を胸に押し付けるようにしっかりとシュゼインを抱きしめて頭の上にキスを落とした。
生温い水の中にいるような孤独を分け合うように隙間なく体をくっつけた2人を、寂しい風が包むように2人の背を温かく撫でた。
「カリーナが寂しがるから戻ろうか。土の布団を被せるのを手伝ってくれるか?」
ぴったりと身体をくっつけたまま、耳元で聞けば、時間を置いてぎこちなく首だけが了承した。
アルベルトがこめかみに唇で触れると、シュゼインは顔をグリグリと胸に擦り付けてもう少しとばかりに腕を背に回した。
小さな決意はいつでも崩れそうだった。もう一度母の顔が見たい。その願いは消えてくれそうもなかった。
父上のこのよれた姿を見たら母上は笑うだろうか。
目元を赤くし、しわくちゃなシャツを着て歩く父の隣を今度はしっかりと自分の足で歩いていた。
「もういいのか?茶なんていくらでも飲めるんだぞ?」
丘から降りてくるのが見えたのか、護衛を何人もつれて気不味そうにウロウロと入り口で待っていたのはジェニメールだった。
「お陰様で無事に送り出せそうです。心より感謝申し上げます」
深く頭を下げると、横に流すように固められていたブルーグレーの髪が一束重力に負けて下を向いた。
ジェニメールは存外に心配していた。
今日の告別式の開始が遅れたことから違和感を持っていた。愛した妻を亡くしたと言ってもこの告別式には伯爵家の当主としてスケジュールを組んでいたはずだ。
想定外すら想定する先見の明があると言えるアルベルトだからこそ特別な地位を与えたのだ。すぐに違和感を覚えた。
簡単に心は切り替えられるものではないのは承知の上でも、おかしいと考えるには充分すぎるほど、ジェニメールの前にいるのは、悲しみの中で貴族としてただただ表面を取り繕うことしか出来ていないありふれた男のようだった。
それは普通のことだ。普通のことだからこそ、そぐわないのだ。
「今日は愛に満ちたいい式だった。明日から暫く休暇を与える。私が許可をするまで、この可愛い息子と喪に服せ」
隣で同じように頭を下げていたシュゼインの髪をくちゃくちゃに撫でくりまわすと、さあさあと自ら皆を急かすように丘へ向かった。
シュゼインはその身体には大きすぎるスコップの根本近くを持ち、僅かな土を流し込むように身体ごとスコップを傾けていた。
真っ赤に腫れた彼の目からはまた涙がながれていた。それでも彼はそれを拭うこともなくスコップを動かしていた。
その間、屋敷へ届けられていた花が運び込まれ、カリーナの眠る墓は淡い紫色で埋もれた。
花畑のように広げられると、残っていたものたちも1人、また1人と別れを惜しみながら帰路についた。
クロッカも、シュゼインの手を握った後、連れ去られるように教会を後にした。
最後の1人が帰路につくのを見送ったあとも、アルベルトはその場から動かなかった。
ブルーグレーの髪を隠していた黒いハットを阿弥陀に被り、暮色に包まれた彼は、闇に溶けていくようだった。
シュゼインも同じように父と、それから母から離れようとはせず、アルベルトの側で蹲っていた。
コンラトが丘の中心にあるベンチに誘う。アルベルトはこの場を離れたくはなかったが、視界から外れる場所でもなく、シュゼインを思うとそれがいいと判断して場所を移すことにした。
「坊っちゃんも暑い中長いこと水分も取らずとても偉かったですね。カリーナ様もきっと褒めてくれていますよ」
声をかけられると、シュゼインはより涙が出てくるようだった。
父の首に巻きつくように片手を回し、父の肩を濡らした。
ベンチに着き、向かい合わせのままシュゼインを膝に座らせると、コンラトから受け取った冷えたグラスを渡す。
泣き乱れた喉は一口目を拒絶するように抵抗したのか、シュゼインはすぐに口を離したが、身体が水を欲したのだろう。すぐにぐいぐいと喉をいじめるように水を流し込んだ。
「アルベルト様も坊っちゃまも、一杯とは言わず沢山飲まれた方が宜しいですよ。お二人とも唇の色が悪くなっておいでです」
思い返してみれば朝から一杯の水も飲んでいなかった。親族は皆そうだろう。式は最後まで途切れさせるものではないが、今日は式が始まる前から予定が狂いっぱなしだった。
「シュゼイン、お腹は減っていないか?」
コクンと頷くだけのシュゼインの気持ちはどこか遠くへ行っているようだったが、左手は開くことを忘れたようにアルベルトのシャツを握りしめていた。
シュゼインの頬を涙が伝えば、アルベルトは頬を指で撫でる。何度も繰り返した後、シュゼインの顔を胸に押し付けるようにしっかりとシュゼインを抱きしめて頭の上にキスを落とした。
生温い水の中にいるような孤独を分け合うように隙間なく体をくっつけた2人を、寂しい風が包むように2人の背を温かく撫でた。
「カリーナが寂しがるから戻ろうか。土の布団を被せるのを手伝ってくれるか?」
ぴったりと身体をくっつけたまま、耳元で聞けば、時間を置いてぎこちなく首だけが了承した。
アルベルトがこめかみに唇で触れると、シュゼインは顔をグリグリと胸に擦り付けてもう少しとばかりに腕を背に回した。
小さな決意はいつでも崩れそうだった。もう一度母の顔が見たい。その願いは消えてくれそうもなかった。
父上のこのよれた姿を見たら母上は笑うだろうか。
目元を赤くし、しわくちゃなシャツを着て歩く父の隣を今度はしっかりと自分の足で歩いていた。
「もういいのか?茶なんていくらでも飲めるんだぞ?」
丘から降りてくるのが見えたのか、護衛を何人もつれて気不味そうにウロウロと入り口で待っていたのはジェニメールだった。
「お陰様で無事に送り出せそうです。心より感謝申し上げます」
深く頭を下げると、横に流すように固められていたブルーグレーの髪が一束重力に負けて下を向いた。
ジェニメールは存外に心配していた。
今日の告別式の開始が遅れたことから違和感を持っていた。愛した妻を亡くしたと言ってもこの告別式には伯爵家の当主としてスケジュールを組んでいたはずだ。
想定外すら想定する先見の明があると言えるアルベルトだからこそ特別な地位を与えたのだ。すぐに違和感を覚えた。
簡単に心は切り替えられるものではないのは承知の上でも、おかしいと考えるには充分すぎるほど、ジェニメールの前にいるのは、悲しみの中で貴族としてただただ表面を取り繕うことしか出来ていないありふれた男のようだった。
それは普通のことだ。普通のことだからこそ、そぐわないのだ。
「今日は愛に満ちたいい式だった。明日から暫く休暇を与える。私が許可をするまで、この可愛い息子と喪に服せ」
隣で同じように頭を下げていたシュゼインの髪をくちゃくちゃに撫でくりまわすと、さあさあと自ら皆を急かすように丘へ向かった。
シュゼインはその身体には大きすぎるスコップの根本近くを持ち、僅かな土を流し込むように身体ごとスコップを傾けていた。
真っ赤に腫れた彼の目からはまた涙がながれていた。それでも彼はそれを拭うこともなくスコップを動かしていた。
その間、屋敷へ届けられていた花が運び込まれ、カリーナの眠る墓は淡い紫色で埋もれた。
花畑のように広げられると、残っていたものたちも1人、また1人と別れを惜しみながら帰路についた。
クロッカも、シュゼインの手を握った後、連れ去られるように教会を後にした。
最後の1人が帰路につくのを見送ったあとも、アルベルトはその場から動かなかった。
ブルーグレーの髪を隠していた黒いハットを阿弥陀に被り、暮色に包まれた彼は、闇に溶けていくようだった。
シュゼインも同じように父と、それから母から離れようとはせず、アルベルトの側で蹲っていた。
3
お気に入りに追加
733
あなたにおすすめの小説
愛しき冷血宰相へ別れの挨拶を
川上桃園
恋愛
「どうかもう私のことはお忘れください。閣下の幸せを、遠くから見守っております」
とある国で、宰相閣下が結婚するという新聞記事が出た。
これを見た地方官吏のコーデリアは突如、王都へ旅立った。亡き兄の友人であり、年上の想い人でもある「彼」に別れを告げるために。
だが目当ての宰相邸では使用人に追い返されて途方に暮れる。そこに出くわしたのは、彼と結婚するという噂の美しき令嬢の姿だった――。
これは、冷血宰相と呼ばれた彼の結婚を巡る、恋のから騒ぎ。最後はハッピーエンドで終わるめでたしめでたしのお話です。
完結まで執筆済み、毎日更新
もう少しだけお付き合いください
第22回書き出し祭り参加作品
2025.1.26 女性向けホトラン1位ありがとうございます
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました
さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。
王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ
頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。
ゆるい設定です
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
婚約者に選んでしまってごめんなさい。おかげさまで百年の恋も冷めましたので、お別れしましょう。
ふまさ
恋愛
「いや、それはいいのです。貴族の結婚に、愛など必要ないですから。問題は、僕が、エリカに対してなんの魅力も感じられないことなんです」
はじめて語られる婚約者の本音に、エリカの中にあるなにかが、音をたてて崩れていく。
「……僕は、エリカとの将来のために、正直に、自分の気持ちを晒しただけです……僕だって、エリカのことを愛したい。その気持ちはあるんです。でも、エリカは僕に甘えてばかりで……女性としての魅力が、なにもなくて」
──ああ。そんな風に思われていたのか。
エリカは胸中で、そっと呟いた。
【完結】もう誰にも恋なんてしないと誓った
Mimi
恋愛
声を出すこともなく、ふたりを見つめていた。
わたしにとって、恋人と親友だったふたりだ。
今日まで身近だったふたりは。
今日から一番遠いふたりになった。
*****
伯爵家の後継者シンシアは、友人アイリスから交際相手としてお薦めだと、幼馴染みの侯爵令息キャメロンを紹介された。
徐々に親しくなっていくシンシアとキャメロンに婚約の話がまとまり掛ける。
シンシアの誕生日の婚約披露パーティーが近付いた夏休み前のある日、シンシアは急ぐキャメロンを見掛けて彼の後を追い、そして見てしまった。
お互いにただの幼馴染みだと口にしていた恋人と親友の口づけを……
* 無自覚の上から目線
* 幼馴染みという特別感
* 失くしてからの後悔
幼馴染みカップルの当て馬にされてしまった伯爵令嬢、してしまった親友視点のお話です。
中盤は略奪した親友側の視点が続きますが、当て馬令嬢がヒロインです。
本編完結後に、力量不足故の幕間を書き加えており、最終話と重複しています。
ご了承下さいませ。
他サイトにも公開中です
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる