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思惑
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朝食が運ばれてもシュゼインは動けずにいた。天使を手放すことがどうしても出来なかった。
気付いたら昼食を持って家令のコンラトが隣にいた。
「シュゼイン様、お食事が喉を通らないようであれば、先にお話をさせていただいてもよろしいでしょうか」
少し呆れたような顔を隠さず、彼はテーブルに食事を置くと、返事を待つことなく流れるようにお茶の準備をする。
それでも腰を上げないシュゼインを見兼ねて、コンラトは手を差し伸べた。
細くて長い指が、下がったままのシュゼインの手をしっかりと握り、上体を起こすように引っ張る。
「ハイランス伯が本日中にこちらにいらっしゃいます。王都に滞在していらしたようで、遅い時間になるかと思いますが、アルベルト様とお話をされる予定です」
思っていたよりもとても速い。約束を取り付け、ハイランス領へ着くのは数日後だろうと考えていた。
都合よく王都にいたとして、話の内容を考えても足を運ばせるなど考えられないことだった。
それほどの愚行を強いてまで早急に話を通すべきだと判断したということだろう。
「そうか。私が会うことは叶うだろうか」
長く同じ姿勢で座り続けていたから腰から太ももにかけて鈍い痛みがあった。
今まで感じていなかったわけではなく、自覚してしまえばいつまでも座っているわけにはいかないと、気付かないふりをしていた。
「アルベルト様のお考え次第かと。シュゼイン様のお気持ちを伝えることはお約束致します。」
コンラトはシュゼインを1人がけのソファに座らせると、先程用意していた茶をティーカップへ移す。
安らぐような香りが鼻をくすぐった。
「お疲れのようですので、ジャスミンティーに致しました。」
カップへ口付けるのを確かめた後、家令が許可もなく反対側のソファへと腰掛けた。
そんなことは初めてだった。特に不敬とは感じないが、何を考えているのかと警戒の色を隠せなかった。
「失礼いたしました。私も歳をとりまして長くなる話を前についつい腰を下ろしてしまったのです。ご容赦下さい」
座ったまま頭を下げたコンラトはすぐに頭を上げ、僅かに緩ませた顔でシュゼインを見つめていた。
少し意地の悪い顔を一瞬覗かせた気がしたが気のせいだったかもしれない。
「問題ない。それで、長くなる話とは先程の話の続きということか?」
持っていたカップを一度置き、サファイアのようだと形容されるコンラトの目を探るように見るが、彼もまた同じような目でシュゼインを見ていた。
「アウストリア公爵令嬢のことでございます。」
昨日何か話し足りなかったことがあったのだろうか。
結婚することになるであろう名前を出されても特に親しいわけでもない。
昨日の話以上に語れることは一つもないと考えていた。
「公爵家とはいえ、アルベルト様にかかれば本来なら話を捻り潰すことは、蟻を潰すほど簡単なことだったでしょう。あちらに思惑がある以上やましい行いは必ずある。そこを付けばいいだけのことだったはずです」
思ってもいなかった言葉が家令から飛び出し、シュゼインはゴクリと喉を鳴らした。
どうにかできる方法があったのか…と。今からでもどうにかならないかと、昨日なくしたはずの期待が胸を高鳴らせた。
「それが出来ない理由を聞いているのか?」
コンラトは優秀な男だった。薄いブラウンな髪は白髪がいくつも混じってはいるが、垂れた目が優しさを感じさせ、ゆっくりとした話し方な一方低く落ち着いた声を使い、彼の話に誰もが耳を傾ける。
アルベルトを慕い、自ら考えて行動する優秀な部下だと周囲の評価は高い。
商いをしても、文官としても上へ行けた人間だろうと、誰もが欲しがる人材だった。
「ステファニー嬢の姉に当たるフランソワ嬢が、第一王子であるユージェニー殿下との婚約が内定しており、近々発表される予定であるそうです。この話はまだ内密にお願い致します。」
まだ噂にもなっていない目から鱗というような話だった。
王太子に最も近いとされる第一王子と公爵家との縁談が決まったとしても何もおかしくはない。
しかし、同じ家から、宰相候補筆頭といわれるアルベルトの息子へ娘を出すとなれば、勢力図が大きく変わる。
少ない公爵家の中でもちょうど真ん中に位置するアウストリア家が力を持ちすぎてしまう。
そんなことを周りが許すはずもなければ、逆にどちらの話も無くすことにもなりかねないのだが、無くなるとなれば第一王子との婚約の方になるだろう。
ステファニー嬢の妊娠が確かならばそれを無くすことは出来ない。
それが嘘や別の者の子であったとしても、ワーデン家が騒ぎ立てることはできない。それほど伯爵家と公爵家には開きがある。話をワーデン家から断ることが出来ない以上、王家含めて止めることはできない。
それを良しとしない貴族から、ステファニー嬢や、シュゼインが身の危険に晒されることはあるかもしれないが、それはアウストリア家にとって不利益しかない話である。
ならばおかしい。アウストリア家がシュゼインを狙ったのは宰相候補筆頭のアルベルトと縁を繋ぐ為だと考えていた。
しかし、第一王子との婚約が内々に決まっていたのなら愚策に過ぎない。
アルベルトが宰相に就任したとしても、王家と繋がりを持つ方が当たり前に利がある。
その中でワーデン家まで手中に収めようとすれば窮地に立たされるのはどう考えてもアウストリア家である。
「アウストリア公は何を考えているのか…」
頭を抱えるしかなかった。
気付いたら昼食を持って家令のコンラトが隣にいた。
「シュゼイン様、お食事が喉を通らないようであれば、先にお話をさせていただいてもよろしいでしょうか」
少し呆れたような顔を隠さず、彼はテーブルに食事を置くと、返事を待つことなく流れるようにお茶の準備をする。
それでも腰を上げないシュゼインを見兼ねて、コンラトは手を差し伸べた。
細くて長い指が、下がったままのシュゼインの手をしっかりと握り、上体を起こすように引っ張る。
「ハイランス伯が本日中にこちらにいらっしゃいます。王都に滞在していらしたようで、遅い時間になるかと思いますが、アルベルト様とお話をされる予定です」
思っていたよりもとても速い。約束を取り付け、ハイランス領へ着くのは数日後だろうと考えていた。
都合よく王都にいたとして、話の内容を考えても足を運ばせるなど考えられないことだった。
それほどの愚行を強いてまで早急に話を通すべきだと判断したということだろう。
「そうか。私が会うことは叶うだろうか」
長く同じ姿勢で座り続けていたから腰から太ももにかけて鈍い痛みがあった。
今まで感じていなかったわけではなく、自覚してしまえばいつまでも座っているわけにはいかないと、気付かないふりをしていた。
「アルベルト様のお考え次第かと。シュゼイン様のお気持ちを伝えることはお約束致します。」
コンラトはシュゼインを1人がけのソファに座らせると、先程用意していた茶をティーカップへ移す。
安らぐような香りが鼻をくすぐった。
「お疲れのようですので、ジャスミンティーに致しました。」
カップへ口付けるのを確かめた後、家令が許可もなく反対側のソファへと腰掛けた。
そんなことは初めてだった。特に不敬とは感じないが、何を考えているのかと警戒の色を隠せなかった。
「失礼いたしました。私も歳をとりまして長くなる話を前についつい腰を下ろしてしまったのです。ご容赦下さい」
座ったまま頭を下げたコンラトはすぐに頭を上げ、僅かに緩ませた顔でシュゼインを見つめていた。
少し意地の悪い顔を一瞬覗かせた気がしたが気のせいだったかもしれない。
「問題ない。それで、長くなる話とは先程の話の続きということか?」
持っていたカップを一度置き、サファイアのようだと形容されるコンラトの目を探るように見るが、彼もまた同じような目でシュゼインを見ていた。
「アウストリア公爵令嬢のことでございます。」
昨日何か話し足りなかったことがあったのだろうか。
結婚することになるであろう名前を出されても特に親しいわけでもない。
昨日の話以上に語れることは一つもないと考えていた。
「公爵家とはいえ、アルベルト様にかかれば本来なら話を捻り潰すことは、蟻を潰すほど簡単なことだったでしょう。あちらに思惑がある以上やましい行いは必ずある。そこを付けばいいだけのことだったはずです」
思ってもいなかった言葉が家令から飛び出し、シュゼインはゴクリと喉を鳴らした。
どうにかできる方法があったのか…と。今からでもどうにかならないかと、昨日なくしたはずの期待が胸を高鳴らせた。
「それが出来ない理由を聞いているのか?」
コンラトは優秀な男だった。薄いブラウンな髪は白髪がいくつも混じってはいるが、垂れた目が優しさを感じさせ、ゆっくりとした話し方な一方低く落ち着いた声を使い、彼の話に誰もが耳を傾ける。
アルベルトを慕い、自ら考えて行動する優秀な部下だと周囲の評価は高い。
商いをしても、文官としても上へ行けた人間だろうと、誰もが欲しがる人材だった。
「ステファニー嬢の姉に当たるフランソワ嬢が、第一王子であるユージェニー殿下との婚約が内定しており、近々発表される予定であるそうです。この話はまだ内密にお願い致します。」
まだ噂にもなっていない目から鱗というような話だった。
王太子に最も近いとされる第一王子と公爵家との縁談が決まったとしても何もおかしくはない。
しかし、同じ家から、宰相候補筆頭といわれるアルベルトの息子へ娘を出すとなれば、勢力図が大きく変わる。
少ない公爵家の中でもちょうど真ん中に位置するアウストリア家が力を持ちすぎてしまう。
そんなことを周りが許すはずもなければ、逆にどちらの話も無くすことにもなりかねないのだが、無くなるとなれば第一王子との婚約の方になるだろう。
ステファニー嬢の妊娠が確かならばそれを無くすことは出来ない。
それが嘘や別の者の子であったとしても、ワーデン家が騒ぎ立てることはできない。それほど伯爵家と公爵家には開きがある。話をワーデン家から断ることが出来ない以上、王家含めて止めることはできない。
それを良しとしない貴族から、ステファニー嬢や、シュゼインが身の危険に晒されることはあるかもしれないが、それはアウストリア家にとって不利益しかない話である。
ならばおかしい。アウストリア家がシュゼインを狙ったのは宰相候補筆頭のアルベルトと縁を繋ぐ為だと考えていた。
しかし、第一王子との婚約が内々に決まっていたのなら愚策に過ぎない。
アルベルトが宰相に就任したとしても、王家と繋がりを持つ方が当たり前に利がある。
その中でワーデン家まで手中に収めようとすれば窮地に立たされるのはどう考えてもアウストリア家である。
「アウストリア公は何を考えているのか…」
頭を抱えるしかなかった。
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