クロッカ・マーガレット・ハイランスの婚約破棄は初恋と共に

佐原香奈

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父と息子

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クロッカが彼の婚約者に決まったのはまだ5歳の頃だった。
それはちょうど10年前、内務大臣補佐だった父が復興省長という新しく作られた役職に着任し、しばらく経った頃だった。


ワーデン領は国で一番の被害を出したサリスト川とは接していなかったが、小さな川が氾濫した。どこの領地もそうだろう。被害のない地域の方が少ないほどだった。
上流で大雨が降れば雨の降っていなかった土地でも突然濁流が襲ってくる。
晴れているのに、突然水とも思えないあらゆるものに襲われるとは思ってもいなかったに違いない。
被害は甚大すぎた。

洪水が起きた地域は流行病に苦しんでいた。
船もなくなっては荷を運ぶことも出来ない。
薬もなく食べ物もなく今まで栄えていた河川流域ほど荷が届きづらくなっていたのも事実だった。

サリスト川に接していなかったワーデン領でさえ、食料の確保が難しかった。
緊急用の貯蔵庫から配給し飢えを凌いで耐えるしかなかった。
ワーデン領主でもあったアルベルトは国と自領、両方の対策に追われた。
家令であるコンラトでは判断が難しいことも多かったはずだ。
シュゼインの母、カリーナもアルベルト不在の中、領主代行として眠れぬ夜を駆け抜けるように領民のために働いていた。

日が経つにつれ被害が増していくように感じた。市場は寂れていた。店は少なく、欲しいものは手に入らない。
街はどこも静かだった。
ただ静かに死者を弔う人々の姿が記憶に残る。

離宮を一時的に解放し、当てのない領民を受け入れていた。
シュゼインが伯爵という地位を意識したのはこの時かもしれない。


帰ってこない父、顔を合わせる時間もほとんどない母、顔を合わせる侍女や執事、離宮を出入りしている領民も全ての人が疲れているように見えた。


ワーデン領で反乱が起こらなかったのは、金で買えるならと出資を惜しまず早くから食料を手に入れる努力をし、身を削って働いているワーデン家の姿があったからだろう。


陸路での物流が整い始めた頃、アルベルトからの手紙の最後に河川流域の商業都市のあるハイランス領にしばらく滞在すると書かれていた。


王都から一番近い物流拠点であったハイランス領は、市場が流されるだけではなく、二つの栄えた地区が沈んだ。
水が引いた後、生き残ったものも流行病にかかり、多くの被害が出た。
ハイランス領主であるエドレッドの力だけではとても被害を抑えることも難しかった。
薬もなく物資もない。
王都へと流れていた物流が止まったことにより、エドレッドのもとには王都からも多くの苦情が寄せられていた。
真面目な彼はさぞ追い詰められていたことだろう。そしてその問題を背負うことになるアルベルトも。


シュゼインはよく覚えていた。
ハイランス領から一時帰宅したアルベルトのやつれた顔と自分に向けられるとびっきりの笑顔を。


「シュゼインに素敵なお土産があるんだ」


ハイランス領から戻った父からの土産は天使のように微笑むクロッカの絵姿だった。
暗闇から少しずつ抜け出そうとしていた時だったからか、シュゼインには眩しく見えた。
自室に飾り毎日拝むようにクロッカを見つめていた。
シュゼインにとって彼女は天使だった。
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