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44話 再会と別れ3

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「嫌っ!」
 ヒカルは頬を膨らませて、ふんと顔を背けた。その仕草が実の母親ヒカリを連想させる。普段なら可愛らしい仕草に微笑ましく思えるが、リチャードは絶句していた。さっきまで泣いていて、自分に愛を告白していたのにこの変わりようはなんだ。リチャードは、自分の胸の中のヒカルを呆然と見つめていた。

「……ヒカル、さっき俺のことを愛していると言わなかったか?」
 もしかして自分の聞き間違いかとリチャードは、疑い始めた。ヒカルは、こくんと頷く。どうやら自分の都合のいい妄想ではないらしい。リチャードは、内心ほっとする。
「ならどうして?」
 リチャードは、問い返す。表向きは、平静に見えるが心中は必死である。ヒカルは、暫く沈黙して口を開く。
「……だって」
「だって?」
「リチャードさんは、私がオーレリー=ジャージだったことを忘れてるの? 私は元悪役令嬢なのよ! そんな女を連れて帰ってどうするの! それに私だってずっと天空界にいたのよ! 今更ウィル神界へ戻りたくないわ!」
 ヒカルは懸命にリチャードを説得しようとする。リチャードは紫の王眼でヒカルを見抜く。
「じゃあ、ヒカルは、俺が他の女性と結婚して平気なのか?」
 ヒカルは、黙り込んだ。

「……嫌」
 むすっとした顔のままヒカルは、ぼそっと一言呟く。それがおかしくて、リチャードは噴き出した。
「それにリチャードさん、皇太子に推されているのを私に黙ってじゃない……。何でも勝手に決められたら困るよ。結婚って一人じゃできないんだよ?」
 笑われたのにむっとして、ヒカルはリチャードを再び睨みつける。

「済まない。前皇太子が危ないのを天空界側に漏らす訳にいかなかった……。それに前にヒカルに逃げられたから今回も正妃になりたくない、面倒くさいと言われて逃げられるかと怖くて言えなかった……」
 半年の間にリチャードは、ヒカルの性格を熟知していたらしい。素直で大人しく優しい性格だが、ヒカルは強情だ。それは、ヒカルの中の光の王族の血が濃いせいもある。光の王族は、みな外見が麗しく、男性は繊細な美貌で女性は可憐で清楚に見えるが、中身は相当頑固でこだわりが強い。リチャードは、少し前にそのヒカルの性質を甘く見ていて痛い目にあった。妖精のような可愛らしい清楚な外見に気を取られていて、自分に抵抗しないと思っていたのだ。

 それが蓋を開けてみると、ヒカルは今どきの天空族の少女だった。男女同権の教育を受けた気の強い性格で、リチャードのプロポーズを何回も跳ねのけたばかりか、恋人関係にあった自分に黙って天空界へ帰国した。その手口は鮮やかだった。天空界の独特なシステムのメールや携帯を使って、荷物も宅急便で自分に悟られまいと水面下で動き、さっさと帰国したのである。気付いた時には、忽然と姿を消された。置いて行かれたリチャードは、ヒカルの気丈さと強かさに衝撃を受けた。

 今ではリチャードは気付いている、ヒカルに一目惚れした。あの時の鮮やかな金色の淡い色彩を身に纏った可憐な天使の少女が脳裏から離れなかった。彼の知っているどのウィル神族の高位貴族の女性とも違う、高貴さとその気の強さに惹かれたのだった。自分では信じられない位、ヒカルに執着して天空界まで追ってやってきて、やっと手に入れたと思ったら彼女はその手からすり抜けていく。自分はヒカルを下に見ていたつもりではなかったが、いつの間にか思い通りになると思い込んでいた。ウィル神族は、男性上位社会だ。だから女性は、下に見られる。しかし、天空族になったかつての婚約者オーレリー、ヒカルは男女同権の社会に馴染んでいた。自分を下位に見るリチャードの内心をヒカルに見透かされて、嫌と叫ばれた。

「ヒカル相手だと、何で思い通りにいかないんだ。ヒカルに会うまでは、俺は、何でも器用にこなしていたのに……。育ってきた環境が違うせいか……」
 ヒカルを今も腕の中にしていながら、リチャードはため息を零す。自分たちは愛し合っているのに、育ってきた環境が違うばかりに噛み合わない。ヒカルはむうっと頬を膨らませて、ふんと顔を横にした。

「違うよ、リチャードさんと私はお互いに自分を晒すのを怯えて、話し合わなかったからでしょう? 育ってきた環境なんて関係ないよ」
 ヒカルの口にしたその答えは、単純明快でリチャードは、思わず噴き出した。ヒカルに出逢うまでこんなに笑ったことなどない。ヒカルはやっぱり面白い。
「ははは! ヒカルはやっぱり俺の知っているウィル神族の女性とは違うな! 面白い」
 ヒカルは、リチャードが大爆笑していることに何か解せない。自分は、今まで言えなかったことを思い切って意見しただけなのに。えいっとヒカルは、リチャードの頬を引っ張った。いつもは涼し気な色気のある二枚目の顔が台無しだ。

「ヒ、ヒカル……。痛い、一体何がしたいんだ……」
 リチャードは、ヒカルの行動に混乱する。ヒカルは、べーっと舌を出して悪態をついた。
「リチャードさんなんて大っ嫌い。大嫌いで大好き……」
 リチャードは、ヒカルの告白モドキに再度噴き出す。ヒカルは、頬を赤らめる。悪態をついたつもりなのに何を告白しているのだ自分は。

(リチャードさんって、笑い上戸なんじゃあ……)
 自分の行動が斜め上を行っているせいとは、気付いてないおめでたいヒカルである。
「人を抱き締めたまま笑い続けるの、止めてくれない?」
 ヒカルは、むすっとした表情でリチャードに話しかける。リチャードは、ヒカルの言葉に笑うのを止めるが、ヒカルを見て再度噴き出す。
「リチャードさん!」
「わ、悪い……」
 ヒカルは、ふといいことを思いついた。笑い続けているリチャードの唇にえいっと背伸びをして、自分の唇を重ねた。リチャードに
何回もやられたことのある方法だ。触れるだけの稚拙なキスだ。リチャードは、前触れもないヒカルのキスに呆然とする。唇を離す。リチャードは顔を真っ赤にして、自分の唇を手で押さえている。

(ざまーみろよ)
 ふんとヒカルはほくそ笑む。だが、ヒカルは後の事を考えてなかった。ぐいっとリチャードに抱き寄せられて、口づけられる。啄むような優しいキスだが、次第にキスが深くなる。口をこじ開けられて、歯列を舐められて、口内を蹂躙される。気付くと肉厚のリチャードの舌が自分の舌に搦められて、舌を何回も吸われる。唾液が溢れてくるまで吸われた。唇を貪られて、息が出来ない。甘い快感が身体を走り、眩暈がしそうだ。

「ヒカルから誘ってくれるとは嬉しいな……」
 リチャードは、にやりと人の悪い笑みを浮かべる。ヒカルにその気がないのはわかっているのにわざと言っているのだ。ヒカルは、息をはあはあと吸うが与えられた甘い快楽に頭がぼーっとして、リチャードの騎士団の制服の上着にしがみついた。

「ヒカル……。愛してる……」
 リチャードがヒカルを抱き寄せて、耳に囁く。ヒカルは、顔を上げる。真剣な光を帯びたリチャードの濃い純粋な紫の双眸に見つめられる。
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