元悪役令嬢の私が別人と思われて元婚約者に告白された件について

清里優月

文字の大きさ
上 下
41 / 51

36話 ヒカル、酷い目に合う1

しおりを挟む
 ヒカルは、大学から家に帰宅した。リチャードのせいで寝不足になったので、ベッドで夕飯を作り始める時間までひと眠りしようとマンションのカードキーを差し込んで家を開けた。開けた部屋から焦げた匂いが充満していて、ヒカルは思わず鼻をつまむ。

「く、くさっ! 何、この焦げた匂いは!」

 ヒカルは匂いのもとであるダイニングキッチンへと進む。そこには、泣き出しそうな母ヒカリがいた。ダイニングキッチンのIHクッキングヒーターの上のフライパンにパスタを作ろうと思ったのであろう。だが、今や原型を留めていない真っ黒に焦げた物体へと成り果てている。

「ヒカリお母さん、何これ?」

 ヒカルは呆れた顔で母に尋ねる。

「ミートソーススパゲティ」

 ヒカルにそっくりな童顔の可愛らしいヒカリの顔は今にも泣き出しそうだ。現在41歳だが、とてもその年齢には見えず、30歳前後に見える。その愛くるしさに庇護欲を搔き立てられたアレックスの気持ちがヒカルは理解できた。

「の成れの果て?」

 冷たくヒカルが言い放つと、わっとヒカリは泣き出した。

「ヒカルもアカリも料理上手だから私もしてみようと思ったの……。だけどお料理ってしたことなくて、IHクッキングヒーターの使い方はわかったけど、玉ねぎも人参の切り方も合いびき肉の入れる順番もわからなくて……」

 ぐすぐすと泣きじゃくる41歳の母はまるで少女めいている。ヒカルは頭が痛かった。弁護士としてはやり手なのに料理においては壊滅的な腕だ。

「ネットのレシピを見た? それか料理本とか……」

 ヒカルが困った顔をして、ヒカリに問いかけるとヒカリはきょとんと首を傾げた。それがまた、可愛らしくてヒカルは眩暈がした。

(41歳で20歳の子どもが一人いるのにこの可愛らしさって……)

 つい手を貸したくなってしまう。ヒカルはうーんと頭を振るとパソコンに向かった。

 リチャードは、ため息を吐いていた。リチャードは、カーライル公爵家の跡取りで長子でウィル王家の分家の血筋だ。ウィル王に仕える誇り高い騎士の筈だった。なのになんで、今自分は王弟のアレックスの着替えを手伝っているのだ。リチャードの仕事は騎士としてアレックスの護衛の筈だ。

 初日にアレックスに呼ばれて命じられたのは、アレックスの着替えを手伝うことだった。それは使用人である侍従の仕事だ。高位貴族で王家の血を引くリチャードの仕事ではない。幸いにして、リチャードは騎士の養成学校に学生として在籍していた時、寄宿舎住まいで先輩の手伝いを下級生としてこなしていた経験があったので、アレックスの着替えを手伝えた。

(そもそもアレックス様の使用人を入れるのを嫌がったヒカリ様に手伝えさせればいいだろうが!)

 とリチャードは切れかけるが、相手は王弟の正妃で自分の最愛のつがいで恋人のヒカルの母親である。リチャードは、必死に怒りを堪えた。

 ヒカルとリチャードは違う場所で同時に、嘆息していた。

 インターネットでミートソーススパゲティの詳細に書かれた簡単そうなレシピを検索して、ヒカルはヒカリに手渡す。

「わあ! こんな風に作るの!」

 嬉しそうに笑う母親に最初からレシピを準備しろよとツッコミを入れたいヒカルは、黙り込んでいた。

「さて、もう一回作る前にちゃっちゃっとこの惨状を片付けるよ」

 ヒカルがちらりとヒカリを確かめると、ヒカリは逃げ出そうとしていた。ヒカルは母親の服の袖を掴む。

「お母さん! 自分で散らかしたんだから自分で片付けるよね?」

 ヒカルは微笑むが、その笑みは怖くて、後ろから何かどす黒いものが見えそうだ。いいえと答えたらどうされるかわからない。ヒカリはこくこくと無言で頷く。

(怖い怖い怖い!)

 妹のアカリも怖いが、アカリに育てられたヒカルも良く似ている。ヒカリは、青ざめていた。

 一方のリチャードだ。

「ですから私はアレックス様とそのご家族の護衛であって、侍従ではありません! これでもアレックス様とは親戚です。私に侍従の仕事をさせないで下さい!」

 さすがに我慢の限界になったリチャードは、アレックスに苦情を申し入れた。これにはさすがにアレックスも黙り込む。

「……すまない。リチャードが黙ってやってくれるのでつい甘えていた。だが、侍従を家に呼んだらヒカリがなんというか……」

 頭が痛いと言い募るアレックスに自分でやろうという意思はなく、リチャードはほとほと参った。そして、さすがのリチャードも切れた。

「アレックス様、自分でやろうという意思はないのですか……」

 ゆらりとリチャードが動き出す。リチャードの後ろからどす黒いものが見えて、アレックスははいと大人しく回答せざるを得なかった。

 自分のエプロンを取り出して、一枚をヒカリにヒカルは渡す。

「さて、お父さんとリチャードさんが帰ってくる前に片付けて作るよー! お母さん言っとくけど、逃亡したら後で怖いよ?」

 にっこりとヒカルは微笑んで、スポンジを母親に渡した。ヒカリはそれを受け取り、ぽかんとしている。

「これ何?」

 ヒカルはがっくりと肩を落とす。

(あー、わかってたけどそうよね! 光の王家の王女様だもんね! ヒカリお母さんは!)

 光の王家らしくない義母のアカリとそのアカリに育てられたヒカルには、理解しづらい実の母の生態である。

 こうやってヒカルとリチャードは、ヒカリとアレックスを再教育する羽目になる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

責任を取らなくていいので溺愛しないでください

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
漆黒騎士団の女騎士であるシャンテルは任務の途中で一人の男にまんまと美味しくいただかれてしまった。どうやらその男は以前から彼女を狙っていたらしい。 だが任務のため、そんなことにはお構いなしのシャンテル。むしろ邪魔。その男から逃げながら任務をこなす日々。だが、その男の正体に気づいたとき――。 ※2023.6.14:アルファポリスノーチェブックスより書籍化されました。 ※ノーチェ作品の何かをレンタルしますと特別番外編(鍵付き)がお読みいただけます。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

夫と息子は私が守ります!〜呪いを受けた夫とワケあり義息子を守る転生令嬢の奮闘記〜

梵天丸
恋愛
グリーン侯爵家のシャーレットは、妾の子ということで本妻の子たちとは差別化され、不遇な扱いを受けていた。 そんなシャーレットにある日、いわくつきの公爵との結婚の話が舞い込む。 実はシャーレットはバツイチで元保育士の転生令嬢だった。そしてこの物語の舞台は、彼女が愛読していた小説の世界のものだ。原作の小説には4行ほどしか登場しないシャーレットは、公爵との結婚後すぐに離婚し、出戻っていた。しかしその後、シャーレットは30歳年上のやもめ子爵に嫁がされた挙げ句、愛人に殺されるという不遇な脇役だった。 悲惨な末路を避けるためには、何としても公爵との結婚を長続きさせるしかない。 しかし、嫁いだ先の公爵家は、極寒の北国にある上、夫である公爵は魔女の呪いを受けて目が見えない。さらに公爵を始め、公爵家の人たちはシャーレットに対してよそよそしく、いかにも早く出て行って欲しいという雰囲気だった。原作のシャーレットが耐えきれずに離婚した理由が分かる。しかし、実家に戻れば、悲惨な末路が待っている。シャーレットは図々しく居座る計画を立てる。 そんなある日、シャーレットは城の中で公爵にそっくりな子どもと出会う。その子どもは、公爵のことを「お父さん」と呼んだ。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...