白花の君

キイ子

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 崩れ落ちた。
はらはらと溢れ続ける涙を拭うことも出来ない程に、激情が胸の奥底からあふれてやまない。
戻った記憶は極僅かなものでしかないはずなのに、様々な感情が私の中で渦巻いている。

 人を、愛した記憶。
そしてその思いを踏みにじった、記憶。
今は、今はただ、あの子たちに会いたかった。
会わなくてはならないはずだ。

 そうでなければ私は、前に進めない。何もできない。
激情に駆られるまま立ち上がり、走り出す。
どこへ行けばいいのかなんて分からない。いや違う、分かっていた。どこにだって行ける、なんでもできる。
私を阻むことが出来る者などここには居ない。

 息をする度に喉元までせり上がる嗚咽を飲み込みながら、ひたすら走る。
視界が滲み、ぼやける。それでも足を止めることはしない。

 会いたい。
ルカに、ダイアンに、ライルに。
どうして気付かなかったのだろう。
どうして、分からなかった、あんなのはただの自己満足に過ぎない。
手を離すべきでは無かった。
這ってでも、帰るべきだったんだ、私は。

 「待って! 待ってください、フェルガ!!」

 背後から叫ぶロエナの声に、迷わなかったと言えば嘘になる。
それでも、止まれなかった。
目の前に迫る歪に身を滑らせる。
本能的にこれが私の、私たちの生きた世界に繋がっていると、わかっていたから。




 嵐が通り過ぎた後のような有様を見せる神の揺り籠にて、驚くべきことに神官たちは皆異様なまでに落ち着いてフェルガの駆けて行った歪の跡を眺めていた。
一人、また一人とため息を吐いて、散らかる神域の後片付けに取り掛かる。
たった一人を除いて、その場にはいつも通りの光景が戻っていた。

 「あの子は本当相変わらずね」
 「不敬だよ、レーネ姉さん」
 
 その場に泣き頽れるロエナの周りには数人の神官が集まって彼女を囲んでいる。
レーネと呼ばれたその人も、口ではそんなことを言いながらも、その手は優しくロエナの背を撫でていた。

 「そんなに泣くものじゃないわ、ほぉら、目が溶けてしまうわよ」
 「だって、だって、レネの姉様っ、だって、フェルガが……フェルガが、っ行ってしまったん、ですもの」

 しゃくり上げ、ぼろぼろと涙を流しながら訴えるロエナはまるで幼子のようで、普段の様子からは想像もつかないほどに弱々しく見えた。
それを慰めるかのように、他の神官たちも声を掛け合う。

 「あの子は私たちの誰よりも強いさ、大丈夫、またここに帰ってくるよ」
 「そうよ、あの子が帰って来た時、あなたがそんな有様じゃ笑われてしまうわ」
 「ようやく、ようやく会えたのにっ!」

 ただただ嘆くロエナの頭をレーネの手がそっと撫でる。
まるで小さな子供をあやすような優しい手つきで。
レーネの視線は自然とフェルガの消えた歪みへ向かっていた。
ロエナの頭の上に頬を預け瞳を閉じた。

 「何も出来ないのは辛いわね……私たちには待つことしか出来ないもの」
 「帰りを待ってくれている存在が在るのは嬉しいことだと思うけどね」
 「レイン様」

 後ろからぬっとあらわれたレインは苦笑いを浮かべながら、着替えありがとうと言ってレーネに手を振っていた。
その服はもうすっかり乾いていて、さっきまで血塗れだったとは思えないほど綺麗に見える。

 「あ、あの……ありがとうございます、助けていただいて」
 「いーよ、あのレベルの暴走はただの神官にはどうしようも無いしね……でもびっくりしたぁ。 羽化の際に暴走をする子がいるにはいるけど、さすがに主神に分類される神の暴走は激しい激しい」

 「申し訳ありません……」

 少しおどけたように言うレインに謝罪したのはロエナだった。
レインはその謝罪に対してため息を吐いたかと思うと直後にふにゃりと笑い、言う。

 「まあ、君に関しては大いに反省が必要だろうね。気持ちは分かるよ。 俺に対する謝罪はいらない。 でも、君の行いはこの神域にいる全ての者に、しいては君の仕える神をも危険にさらした事実は忘れないように」
 「……はい」

 (しかしこれはまずいことになったな)

 落ち込んだ様子のロエナを見ながらレインは目を細め考える。
最初の羽化を終えたばかりの神が下界に落ちた。
まだ柔く弱い雛が。しかも、今回ばかりはかなり厄介なことになっている。
まず第一に、フェルガという神はレイン以外の他の神と交友がないということ。
第二に、唯一現状を知る自分が、フェルガの揺り籠、神域にいること。
第三に、他人の神域は、その地の主人たるその神の承諾がなければ出入りが出来ないということ。

 レインはここに来た時、突然神域の結界を破って入ってきたかのように見えたが、そんなことは無い。不可能だ。
単純にフェルガ側から許可が出て、それを確認した直後に訪れただけの話である。
そして今、レインはフェルガに神域を退出する許可をもらっていない。

 こういう時、レインはいつも真っ先に一の神に頼る。
あまり他者への介入を好まない自分と違って、彼の人は手助けを乞われれば必ず応える。

 だが今回は、少しタイミングが悪い。
一の神が他人の要請に応えない時が数千年に一度ある。
彼ないし彼女が自身の生まれた世界に入るとき、その生をやり直すとき。ちょうどその周期に今回のフェルガの誕生が被ったのだ。
だからレインはフェルガに接触し、彼の面倒を少しばかり見る選択をした。
彼の人が廻廊にすら本体を現さなかったから。

 「さて、どうしたものかなぁ」
 
 歪を見つめる。
この場にいる誰もがそれを見つめ神を思った。
幼い神を、愛おしき雛の神を。歪の向こうで何が起こっているのかなど知る由もない。それでも祈るのだ。だからこそ無事を祈る。
この安全な揺り籠からすり抜け駆けて行った、フェルガ・リーラスという子供の未来を。
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