白花の君

キイ子

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回廊

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 「進んで」

 突如聞こえた声。
いや、聞こえたというよりは響いた声に私の意識が明白になる。
真っ暗な空間の中、出口も入り口も見えない長く永く続く回路のようなここに呆然と立ちすくんでいた。

 ここはどこだろう。
どうしてここにいるのか、どうやってここに来たのか。
何も思い出せない。
私は誰だ?
私の姿は?  私の声は……?
何も分からない。

 そっと自分の手のひらを見る。
大きな手。
成人した、男の筋張った腕。

 違う、これは私じゃない。

 「進んで」

 足が勝手に一歩を踏み出す。
途端にまた、姿が変わった。

 細い腕。
柔らかい手、綺麗に整えられた爪。
そっと顔を触ってみる。
スッと通った鼻筋、大きな目。

 違う、私はこれじゃない。

 「ダメですね、私では抵抗されてしまう」

 意味のある言葉、今までと違う、明確に自分以外にかけられたであろう言葉。
放たれている音は耳に入っているのに、言葉の意味が理解できない。
ずっと、頭の中に靄がかかっているような……

 「変わりましょう……進みなさい」

 また、女の声。
先ほどとは違う女のもの。
何か、細い糸でも絡まっているかのような違和感を感じながら、導かれるように進む。
振り払おうと思えば、出来てしまうほど弱い違和感。

 ふと、背後から聞こえてきた囁き声に気を取られ歩みを止める。
ひそひそと囁き合う小さな声、無数の。
気になり振り返った先にあったものに思わず息を飲んだ。
息も止まるほどに、美しい光景がそこにはあった。

 あふれんばかりの光に照らされ揺れ踊る小さな白い花が見渡す限りに広がる花畑。
その中央には一軒の家がある。けして小さくは無い、けれど質素さを感じる木の家。
その家に寄り添うようにしてそびえる大樹。 その枝には光り輝く果実が実る。 魔術を行使するものすべてが喉から手が出るほどに望む世界樹の果実が。
どこか懐かしさを覚える光景。
魔術師の箱庭。 私の箱庭……御師様の、願望、だった。

 ああ、頭が痛い、割れるようだ。
思い出せない、思い出さなきゃいけないのに、忘れてはいけないのに。
私の頭を撫ぜる優しい手があった。
私が撫でた、柔らかく跳ねる髪を持った小さな頭があった。
……いや、違う、私はあの頭を撫ぜることは出来なかった、私は、私は、あの子を突き放さねばならなかったから。

 激しい郷愁の念に駆られる。
静かに流れる小川で魚をとった、水しぶきを上げながら、同門の徒と笑い合った。
優しい兄弟子たちが、姉弟子たちが、私たちを見守っていた。
 帰りたかった、私は。
何時だって帰りたがっていた。

 気が付いたときには走り出していた。
戻りたかった、戻りたいんだ、今も。
何一つ残らなかった。 誰一人。

 手を伸ばす先に幻影が見える。 私に手を差し伸べる男の姿が。
見覚えのあるはずの人、どうしても、思い出せない人。
その姿は、手が届くまさにその瞬間霧のように揺れ、そして全く別の、いや、正確にはその人によく似た少年へと変わった。
その少年の相貌を確認した途端、胸に鋭い凶器を突き立てられたかのような激しい痛みをおぼえる。

 「ライル」

 触れてはいけない。
咄嗟に思ったその感情に従うように手を引っ込める。
下げられる手のひらに合わせて悲し気に歪む少年の顔。
ああ、こんなところまで……。

 これは、この光景は実際にあるものではないはずなのに、言ってしまえば私の記憶から映し出されているものに過ぎない筈なのに。
……いや、だからこそか。
私は――。

 ああ、私は何を言っている?
わからない。
思い出せない。 この子のことを知らない、思い出せない、はずなのに。
この子のことを、よく知っているはずなのに。

 「先生」

 うっすらと開かれた少年の唇から紡がれた言葉。
強い意志を感じさせるまだ高い声。
その声が、音が私を呼ぶ。
君は、私を呼ぶときいつだって、どこかいじらしさのようなものをそこに含ませていた。
……私は、その声に、言葉に応えたことは一度だってなかったが。

 「せんせい」

 私にじゃれつくほかの弟子とは違い、一歩引いたところから私を呼んだ。
私に振り払われるのをいつも恐れていた子供。

 あの頃はまだ、運命など捻じ曲げられると信じていた。
だからこそあの子に、あの子から向けられる信頼と尊敬に応えなかったのに。
結局こうなるのなら、運命に逆らうことなど出来ないとわかっていたら、諦めることになると、分かっていたならあの子のその手を取っていたのに。

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