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[その4] トワ物語

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※第37話、第46話辺りのお話。


大陸の北西に位置するリゾルの村は、百年以上続く歴史ある獣人族だけの村落だ。
そこには約40世帯、200人強の獣人たちが自給自足で暮らしている。
羽根人が15年周期で行う『大闇祓い』の連峰が間近に見えるその周辺は、起伏の激しい地域で気温も低い。更には岩場が多く、土も痩せている。
力仕事を得意とする獣人以外が定住するには厳しい環境であるため、近隣に大きな町などもなく、村は孤立した存在だ。
外から人が訪ねてくるなどは滅多にない事で、あるとすれば、迷い込んだ旅人か、村を襲う盗賊くらいのものだ。
かつて10年程前までは盗賊の類に何度か襲撃され、子供たちや若い女性が攫われたこともある。
その為、鍛錬した村の若い男たちを『警固役』とし、村外に配して村を護っている。
彼らの縄張りは広く、村から数理離れた場所の様子も、彼ら特有の伝達法で情報を得ることができた。


静寂の月、晩秋に差し掛かる頃、警固役の男性たちが数名、村落の入り口付近にある寄り合い所に集まった。
獣の唸り声にも聞こえる『獣人語』で彼らは話し合いを始める。

<昨日、一里先に確認した祖人の一行が村に近づいてきている。身なりから王都の役人のようだが…>

<王都の?嘘だろ…。役人を装って村に侵入するのが目的の輩じゃないのか?>

<まさか…そこまでする奴、いるか?>

<まぁ、もし本当だとしても、またつまらない政治の話でも持ち込むつもりかもな。ヤヌ様へ報告は?>

<…いや、ヤヌ様を煩わせる事も無いんじゃないか?少し驚かせて逃げるようなら、それだけの事だろ>

以前に王都の役人が訪れたのは10年以上も前で、現祖人の王に代替わりする前のことだった。
その時はリゾルの村の特産品に目を付けた王都が、村を買い付けたいという話を持ち込み、村民全員が反対して交渉は決裂に終わった。
今の警固役たちがまだ幼かった頃だが、王都役人の訪問は嫌悪感と共に薄っすら記憶に残っている。
大概の村や街なら歓迎する王都の使者も、リゾルの村ではただの厄介事なのだ。

入念に計画を立てると、翌日、村外に近づいてきた王都の使者たちに警固役は奇襲を仕掛けた。
驚いた護衛のひとりが反撃したのをきっかけに、その場が混沌となると話し合いどころでは無くなった。
必死に用件を伝えようとする役人の言葉に耳を傾ける事もなく、彼らを追い返してしまう結末となった。


その事後報告を受け、リゾルの村長であるヤヌは頭を抱えた。

「また勝手なことを…。トワよ、いつも申しているだろう。交渉できそうな相手ならその話し合いに応じるのが先だと…」

長の館の母屋、上の間に坐したヤヌの前には、若い青年獣人と初老で白髪交じりの村役の男が控えていた。
青年は赤茶色の長い前髪を振り払いながら顔を上げると、不服そうに口を開く。

「…んなこと言ったってよぉ…。ヤヌ様、ちょっと脅かしただけであいつら…。第一、祖人と話し合う必要なんて有るのかよ?…」

「トワ…お前はまたそんな口の利き方を…」

初老の村役がトワを諫める。
トワは警固役であると共に、村を訪れる者の通訳も兼ねた『仲介役』という特別な役割についている。
それはトワが、幼い頃に両親と共に緑の聖都に移り住んだことにあった。

リゾルの村民9割は獣人語しか話せず、他種族と会話ができる共用語を話せるのは、村長のヤヌと、村役の男たち、それから聖都に奉公に出ていた一部の女たちだけだ。

ヤヌは村の将来と発展を考え、できるだけ他種族との交流を深めたいと思い続けているのだが、近隣に他種族が住む村は無い。
一番近い都市である緑の聖都(と言っても、人の足で半月程かかる)へ、留学や働き手として村民たちを送り、少しずつ進展を測るしか手が無かった。

ヤヌの意向に沿ったトワの両親が、緑の聖都の移住に名乗りを上げた。
しかし、聖都に住むにはそれなりの審査もあり、『獣人族』というだけで、受け入れてくれない場所もある。
そのため、最初は難航すると思われた手続だったが、トワの母は少女時代に聖都に住むエルフの家の奉公人として働いていたため共用語を少し知っており、トワの父はその母から共用語を習い、リゾルの村の『乳製品』の製造技術を、聖都にある食品店に提供することで職を得ることができたのだ。

トワは聖都の学び舎に通い、獣人語も共用語も話せるようになった。
その学び舎は同じ獣人族やエルフ、ドワーフの子が通う場所だった。

緑の聖都の住民は殆どが羽根人とエルフで占められている。
そして、羽根人の都故に、どんな場面でも優遇されるのはやはり羽根人だった。
しかし、商業の発展に貢献するエルフの影響も大きく、都全体が祖人を敬遠する風潮にあった。
精霊の森近くに住むエルフ程、祖人を嫌う傾向にあるからだ。
無論、子供たちにもその風潮は引き継がれる。
皆何かにつけ、祖人や羽根人の悪口を言い合い、憎む者さえいた。
だが、いざ学び舎の中だけの事になると、獣人族が一番下に見られ、トワは理不尽な思いを度々経験したことがあった。

『獣人が祖人に頭を下げても、祖人は獣人に頭を下げない』

獣人たちの間にはこんな言葉がある。
そしてこれは「祖人」だけに限らず、どの種族も当てはまるのが現状だった。

ヤヌもそれは重々理解している。
こちらからの想いはいつも一方通行である事を…。
だからこそ、向こうから接触してくる訪問者の存在は貴重であり、絶好の機会なのだ。

仲介役によって、彼らとの交渉が成立するか、最悪の場合争いになるかが決まる。
村役たちは武装出来るほど若くなく、話し合いが決裂したときにその身が案じられる。
共用語を話せ、武装もできる若いトワは仲介役として適任だ。
だが、他種族への嫌悪感が強いトワは、話もろくに聞かずに追い返してしまうことが殆どだった。


「ヤヌ様ー!」

甲高い子供の声がヤヌの館に響き渡る。
離れと母屋を結ぶ渡り廊下に、二人分の子供の足音が近づいてくると、簾が勢い良く捲られ、飛び込んで来たのはトワの妹ニルハと、弟ナコラだ。
二人はこの館の離れで暮らしている。
トワも最初はここで暮らしていたが、17歳になり成人すると同時に館を出て、今は青年獣人たちが住む集落に居を構えている。

「あ、トワあんちゃん!来てたのかー」

5歳のナコラはトワの姿を見て目を輝かせると、嬉しそうな声を上げながらその背中に飛びついた。

「どうしたの?…あ、もしかして、またヤヌ様にご迷惑かけたんでしょ」

以前ならナコラ同様に飛びついたであろうニルハは、ナコラより二つ上で、最近少し大人びたような口を利くようになった。

「ははは。ニルハちゃんには叶わないな、トワ」

村役が笑いながら、幼い二人の頭を撫でてやると、トワは「はぁ」と溜息を零した。

「お前たちこそ、俺が出て行った後、ヤヌ様に迷惑かけて無いだろうな?」

その言葉に二人はぎくりとした表情になった。

幾ら同じ村に住んでいるとは言え、兄と寝食を共にできなくなった日、ナコラは夜中にオネショをして大泣きし、ニルハもそれにつられて泣いた事は、今でもトワに秘密にしている。


トワたちの両親は、聖都の火災に巻き込まれ、亡くなった。
それ以来、幼い二人にとって、心の支えはトワだけだった。
トワにとっても、二人の存在は掛け替えのないものだ。

(…隠してもバレバレなんだよな…)

表情や態度を見ればすぐに解る。
そして隠すのは兄へ心配かけないようにしている気遣いだということも。


三人は両親を亡くした後、リゾルの村への帰途も解らず、残された家の家賃が切れるまで、聖都の片隅で約半年暮らした。
幼い二人を護るため、トワは働いて稼ごうとしたがそんな場所も見つからず、時には盗みを働いたこともあった。
捕まり、殴られて帰ると二人が心配する為、嘘もついた。

やがて、本格的に食料が底をつき始めると、トワは意を決してリゾルの村に便りを出した。
ヤヌはその知らせを受けると使いを出し、三人を館に引き取ってくれたのだ。

慣れない村の暮らしに塞ぎがちだったニルハと、当時三歳で兄からひと時も離れようとしなかったナコラを、言葉の通じない村の大人たちは持て余すこともあった。
だが少しずつ、その優しさに触れながら、トワも幼い二人も村に溶け込み始め、穏やかな心を取り戻し始めていた。

しかし、トワは今でも時々夢を見る。

店が炎に包まれる中、救護を優先されたのは羽根人やエルフたちだった。
自ら火の中へ飛び込もうとしたが、泣いて縋って来る妹と弟を置き去りにはできず、両親を救ってくれるよう周囲の大人たちに懇願した。
しかし誰にも聞き入れてもらえず、結果両親は遺体で見つかった。

思い出す度に悔しさと怒りが込み上げる。
『あいつらが父さんと母さんを見捨てた』
そんな思いをずっと抱えているのだ。

「なぁに。ニルハもナコラも良い子にしておる。親の育て方が良かったのだろう。その兄も、根は素直な良い奴じゃからな」

返答に困っている幼い子供たちにヤヌが助け舟を出すと、ニルハとナコラは笑顔になった。
その声にトワは考え事から引き戻され、罰が悪いように項垂れた。
両親の事を引き合いに出されては、これ以上ごねる訳にも行かない。

「…解ったよ…。今度から気を付ける。まずは相手と話をすればいいんだろ?」

「解れば宜しい。頼んだぞ?」

トワはヤヌに一礼すると、正面の座から膝を進めて脇へ身をずらし、妹弟に向き直った。

「で。お前たちは?何かヤヌ様に用事があるんじゃないか?」

「あ。そうだった。ヤヌ様」

ナコラは真剣な顔になると、ヤヌの前に正座した。

「今度生まれる山羊の名前…おいらにつけさせておくれよ」

ナコラの申し出に、ヤヌは白い髭を撫でながら「ほう?」と身を乗り出した。
獣人村では、村民たちが共有する家畜がいる。
馬、豚、山羊、鶏…。
その中でも豚と山羊の世話は子供たち、主に男の子に任され、規則として名前をつけた者が世話をすることになっている。
小さな子供は1頭だけ。少し大きな子供になると、数頭任される。
ナコラは初めてその申し入れをした。
自ら申し出るということは、その世話を買って出る事であり、責任感の表れでもある。
ナコラの隣にニルハも座り、手をついた。

「わたしからもお願いします。わたしも一緒に面倒を見るので。…そうすれば他の子たちとも色々お話できるでしょ?」

聖都で産まれた二人は、共用語が話せる反面、獣人語は余り得意ではない。
なかなか村の子供たちと打ち解けられていないのを日頃から気にしている。
山羊の世話を通して、少しでも村の子供たちと仲良くしたいという気持ちもあるのだろう。
ヤヌは二人を見て、にこやかに笑った。

「良い心掛けじゃな。仔山羊が産まれるのは、あと幾日でもなかったか…。名付けはナコラに任せよう。ニルハと一緒に世話をするんじゃぞ?」

「はい!!!」

ナコラは目を輝かせて、館中に響く声で返事をした。




数日後。
村外を巡回していた警固役のひとりが、寄り合い所に居たトワの元へやってきた。

<川の上流、狩猟小屋に誰か立ち入っている>

<あぁ?あそこに居るってことは、川を下って来たのか?>

この季節、山岳地方を流れる川は、これから迎える冬に備え、まるで氷の魔女の支配から逃げるように急流になる。
その水温は、氷の魔法に魅入られたように、骨の髄まで冷えさせる程だ。
そんな時期に川を下るなど狂気の沙汰としかいいようがない事実に、トワは目を丸くした。
会話を小耳に挟んだ他の仲間が集まって来る。

<狩猟小屋の保管食を狙ってきた盗賊とか?>

<例えそうだとしても、今は何も置いて無いからな。放っておけば良いが…>

<問題は、村へ襲撃してくるか…だな>

仲間の会話に耳を傾けていたトワは、目撃した者に問いかけた。

<どんな格好をしていた?武装していたか?人数は?>

<…いや…武装と言う感じでは無かった。良く解らない格好だな…。あまり見かけない…。人数は四~五人くらいだ…あとは子供かな?小さい奴も居たな>

<祖人か?>

<…それもはっきりとは…見た目は祖人っぽかったが…>

外見で祖人と間違われるのは羽根人くらいだ。
だが、羽根人がここまで旅をしてくるなど考えが及ばない。
遠目ではエルフ、ドワーフ、小人も祖人に見えたりすることもある。
彼らの場合、意味もなく村を襲撃することはまず無いだろう。
小さい奴というのが祖人の子供だとしたら、どこかの親子が総出で旅をしている間に迷い込んだ可能性が高い。
何に於いても、警戒するほどの者たちでは無いのかもしれない。

<…解った。とりあえず様子を見よう。害は無いと思うが、怪しい奴なら極力村への立ち入りは防ぎたい。…ま、話してみて、だがな…>


翌朝、警固役たちは武装を整え待機する。
トワも支度をしていると、ニルハとナコラが訪ねてきた。

「トワあんちゃん…どこか行くのか?」

「あぁ、村に近づく余所者が居るから、様子を見てくる。…どうした、何かあったのか?」

どこか不安そうなナコラの表情を見て問いかけると、傍らのニルハがおずおずと話し出した。

「昨日の夜から、子山羊が産まれそうなんだけど…まだ掛かりそうなの…マエラ、とっても苦しそうで…」

マエラとは、ナコラが名付けようとする子山羊の母親の名で、約半年前に産まれたばかりだった。
この時も、ナコラは名付け親になりたかったのだが、同い年のアフラカに先を越されてしまったのだ。

「そうか…マエラは初産だったな…」

トワはそう言うとナコラの目の高さにしゃがみ込み、その肩に手を置いた。

「…ナコラ。どんな動物でも、初めて子供を産む時は時間が掛かるものだ。アフラカを手伝って、助けてやれ。もし何かあった時は俺を呼ぶんだ。いいな?」

「…うん…解った…」

まだ不安を抱えていそうな小さな背中を見送り、トワたちは村を出た。
まさかその産まれてくる子山羊の命を救う、羽根人たちとの出会いがあるとは思わずに…。

   ∽ ∽ ∽ ∽ ∽

(…そして、まさか俺が『再生の館』で働くことになるとはな…)

時は豊穣の月を迎えた頃、トワは辻馬車から外の景色を眺めていた。
務めている『再生の館』は、蒼の騎士団が大闇祓いに向かう間は閉鎖となるため、初めて里帰りの希望を出したのだ。
蒼の聖都から出発した馬車の窓には、まだ緑が残る湖地方の景色がゆっくりと流れて行く。
穏やかな時の中で、一昔前の事を想い出していた。

「あいつら、少しは大きくなったかな…」

村に残してきた幼い妹弟との再会は約8カ月ぶりになる。
その間、手紙などのやり取りで、ナコラがいろいろ字を覚えていることは実感していたし、ニルハが手作りのストールを送ってきた時は、こんなこともできるようになったのか、と感無量にもなったものだ。

里帰りを聞いた蒼の聖殿からは、天馬で送ることも提案された。
すぐにでも帰りたい気持ちもあったが、緑の聖都からリゾルの村に戻った時は、このまま一生村の中で暮らすのだろうと思っていたため、外の世界を見られる機会は逃したくなかった。

『再生の館』に召集されたときも天馬で迎えられ、滅多な事では体験できない空の旅は満喫済みだ。
今回は道中を楽しみながら帰ることにしたのだ。


クエナの町に到着すると、トワは辻馬車を降り、共用馬車を管理する施設に立ち寄った。
王都管理の辻馬車はクエナの町を経由して緑の聖都に向かうものと光の聖都に向かうものだけで、それ以外は民間で商っているものしかない。
そしてその賃金は多少割高になる。
魔物遭遇の際の用心棒などを雇うためだ。
『再生の館』の給金で、それなりに十分な貯えもできていたトワにとっては、それも苦では無かった。

西方面へ馬車を出してくれるという御車がひとり見つかった。
その御車が住む家へ直接交渉しに行くと、出てきたのは中年のドワーフだった。
事情を聴いたドワーフの男は大きく溜息を落とし、肩を聳やかしながら答えた。

「お客さん…自分で言うのもなんだがね…そんな大金叩いてまで利用する馬車じゃないよ?用心棒は雇うけど、俺の命を護るためのものだからね。お客さんの命の保証は無いよ?」

民間で馬車を走らせるのは、要望があった時くらいのものだ。
そして、何かあった時にお客の命を優先するということを謳わないのが現実だ。
そんなことを明け透けに言う御車に、トワは逆に好感を持った。

「構わねぇよ。俺もそれなりに腕には自信があるしな。この麦の丘の近辺までで良い。そこから先は仲間伝手に迎えを呼ぶさ」

地図を指し示したトワから賃金を受け取ると、男は満足そうに笑顔を返した。

「よし、分かった。出発は明日の朝だ。今日はうちで休んでいきな」


翌朝早く、トワたちは出発した。

「ほほぉー。里帰りか…。なるほどねぇ。…じゃぁ、ご妹弟も楽しみにしてるだろうねぇ」

旅を共にするのはお喋り好きなドワーフの御車と、無口な用心棒のみ。
御車は昨日のうちに用心棒を探したらしいが、いつも声を掛ける相手なのだろう。
二人は顔馴染みのようだった。
用心棒は黒づくめのフードとマントで種族が判らなかったが、その身長と体格から巨人族の生き残りでは無いかとトワは推測した。
巨人族はほぼ絶滅と言われているが、時折大陸の端で見かける噂を聞いた事がある。

(…まさかこんな形で貴重な種族に会えるとはな…巨人族の用心棒とは良い人材を見つけたもんだ)

マントから覗く腕の太さは、トワ自身の太腿と変わらない程だ。
トワはこれほどの適職は無いと思った。

人里を離れれば景色も変わり、廃村も目立ってくる。
魔物に襲撃されたのか、それとも不作で村を棄てることになったのか、ある廃れた集落では、シシドラと遭遇する場面もあった。
しかし相手は群れから外れた二頭だけで、用心棒とトワの活躍で難を逃れることはできた。

「いやぁ、お客さんお強い。これならこの先も大丈夫そうだ。とにかく、幸運を祈るよ」

目的地の丘まで辿り着くと、トワは御車たちと別れた。
丘陵が続く地形を、沢沿いに北西に向かって移動する間に、トワは野生の鳥を捕まえた。

「しばらくの間、辛抱してくれ?」

一羽の鳥の足にリゾルの村特有の組紐を結び付けて放つと、そのまま自身の足で村を目指す。
この辺一帯は、獣人族の縄張りと言っても良いほど、土地勘がある。
仲間たちも同じルートを使って移動をするため、鳥の目印を見つけた者が迎えに来るはずだ。
蒼の聖都を出発する前に便りも出している。
恐らくこの辺まで巡回している警固役も居るだろう。

<トワー!>

翌日、起伏のある谷間に仲間の声が響いた。

<ここだ!>

獣人語で返すと、馬に乗った仲間が二人、崖の上から現れた。
トワが崖を軽やかによじ登って行くと、ロープが下ろされ、それに掴まる。
仲間に引き上げられたトワは、馬の後部に乗ると、半日かけてリゾルの村へと帰還した。

「トワあんちゃーーーん!」

村に着くと、ニルハとナコラが両手を広げて駆け寄ってきた。

「ニルハ!ナコラ!元気にしてたか?」

飛びついてくる二人を受け止めて、トワはしっかり抱きしめた。
二人とも僅かに身長が伸びている。
会わない間に成長しているのが充分に解った。
それを噛み締めながら二人の顔を見ると、いつもなら泣きべそを浮かべるだろう顔は、晴れやかな笑顔になっていた。

「元気にしてた!おいら、いい子にしてたぞ!」

「わたしも!勉強もたくさんしたのよ?」

「そうか…。偉いな、二人とも」

代わる代わる頭を撫でていると、その傍に一頭の山羊がやってきた。
白い毛の可愛らしい顔は雌山羊であることが判る。
そのお腹は大きく膨らんでおり、子を孕んでいるようだ。

「……メンメか…?こいつが一番成長したな」

すっかり大人になったメンメが応えるように大きな声で鳴く。
ナコラはメンメの頭を撫でながら、誇らしげに顔を上げた。

「そうだろ?メンメの子供はまたおいらが名前を付けるんだ」

「…あら、ナコラにはまだ二頭を世話するのは早いんじゃない?」

茶々を入れるニルハに、ナコラは反論する。

「だ、大丈夫だよ!アフラカも一緒に世話してくれるって…おいら、できるよ!」

「そうねぇ。みんなと一緒なら、できるかもね。アフラカのお兄ちゃんも居るし…わたしも協力するわ!」

二人の会話から、他の子供たちとも仲良く過ごせているのが伝わると、トワは安心したように頬を綻ばせて立ち上がった。

「さぁ、土産もたくさんあるぞ?ヤヌ様にも挨拶しないとな」

トワは二人を連れて歩き出すと、ヤヌの館へと向かった。


ヤヌの館には、村役たちが全員集まり、トワの帰還を祝う食事の支度で、女たちが厨房を駆けまわっていた。

「息災であったか、トワ…」

「…はい。何とか務めを果たしています」

母屋の上の間でヤヌに頭を垂れて報告するトワの姿は、以前より落ち着いた雰囲気を持っていた。
少しだけ言葉遣いや態度も大人びた様子に、一緒に控えていた村役の男も安堵の息を吐く。

トワが『再生の館』での務めや出来事を話して聞かせると、部屋の壁沿いに座っていた村役たちも耳を傾けた。
トワの報告を一頻り聞いたヤヌが口を開く。

「再生の種の影響力は、ここまで聞き及んでいる。何しろ、ここの地が発端じゃからな…そこを訪ねて、他の種族が来ることも増えてきおった」

「!…それじゃ、この村にも…?」

「あぁ、迎え入れて数日滞在してもらったこともあるぞ」

「な…俺が居なくなった後、誰が仲介役を…?まさか、誰か危ない目に遭ったりとかは…」

トワが村を出ると決まった時に懸念していた問題だった。
ヤヌは「心配無用」と送り出してくれたが、その後の事は妹弟の便りにも無く、気に駆けていたことだ。

そこへ、館の奥からひとりの体格の良い少年が現れた。
トワに向かい合って座ると、手を付き、頭を下げる。

「!」

「カラルクだ。お前の後継者になればと思っている」

トワの傍らに控える初老の村役が紹介すると、カラルクは顔を上げ、片言の共用語で話し出した。

「俺…仲介役、なるため…勉強してる…。トワ、ここ居る間、いろいろ教えてくれ…」

「…カラルクって…アフラカの兄貴、だよな…?…え?こんなにでかかったか?」

カラルクは確かまだ12歳の少年で、家畜の世話の統括役として、年少の子供たちの面倒を見ている筈だが…。

「あぁ、そうだな。トワが出て行った頃から、カラルクも急に背が伸びたな」

「もう武装訓練もやらせて良いんじゃないか?何ならついでに成人式をやっても良いかもな」

周囲の村役たちが、そう話しながら笑い出す。
武装訓練は14歳から。成人は17歳から。
どの条件も満たせそうなほど、カラルクはトワとほぼ体格が変わらなかった。
ぽかんとしているトワに、村役がその耳元で囁いた。

「カラルクはニルハちゃんから共用語を教わってるみたいでな。それならば何れ、仲介役にと…」

その言葉を聞いて、トワは急に立ち上がった。

「!…どうした?トワ?」

トワはわなわなと震え出すと、カラルクに人差し指を向ける。

「お、おま…良いか!仲介役になることは認めるとして…。ニルハは簡単にはやらないからな!」

歳周りからして、ニルハの将来の相手と噂されていたカラルクが、既にもう大人の出で立ちで登場してきた上に、自分の知らない間に二人が仲良くなっているという話を聞けば、トワも動揺する。
だが、当の本人の中身はまだ12歳の子供のままか、その暴言にカラルクはきょとんとしていた。
取り乱すトワを落ち着かせようと村役がその肩を叩く。

「おいおい、気が早いぞトワ…。まぁ、お前たちの両親の馴れ初めを聞けば、心配する気持ちも解らなくもないがな」

その発言に周囲が更に笑いに包まれる中、ヤヌが再び口を開いた。

「まぁ、カラルクが一人前になるのは、まだまだ先じゃ…。お前の穴埋めには時間は掛かるが、それまでは皆で協力をしていく。村は大丈夫じゃ」

思いがけない事に狼狽したが、その言葉にトワは一つ息を整え、改めてヤヌに向き直った。

「今となっては、あの羽根人たち…いや、大陸を救う手助けができるのが俺の誇りで、天命と思っている…。村の事、獣人族の未来は遠くから祈るつもりだ…」

「…そうか。良い覚悟じゃな。そうとなれば、トワの里帰りと、お前の友人たちの無事を祈って祝杯を挙げよう」

ヤヌの合図に、厨房から料理がどんどん運ばれると、その場で宴が始まった。
出される料理や食材、酒。それらが村の状態を示している。
その豊かな宴席と皆の笑顔に、トワは心から安堵した。
料理を運んでくる女たちの中にニルハも居た。

「トワあんちゃん、見て見て!これ、わたしが作ったのよ?」

ニルハが運んできた料理は、以前、羽根人の天幕でご馳走になった時のものと似ていた。

「お!すごいじゃないかニルハ。料理も覚えたのか…。そうか、良い…あぁ、その、何だ…」

ストールも拵えられ、調理もできるようになり、すっかり『良いお嫁さんになれるぞ』と言ってしまいそうな場面に、トワは慌てて口を噤んだ。

「まぁともかく、ここへ座れ。そしてカラルク…お前が座るのはここじゃない。向こうへ行け」

ニルハから料理を受け取ったトワはそのまま隣に座らせると、その隣に座ろうとするカラルクを追い払った。
それを見ていた村役たちから再び笑いが起こる。

山羊の世話が終わったナコラが遅れてやってきた。
村役に促されて、トワの傍らに座ろうとするナコラを、トワは片腕で引き寄せて自分の膝へと座らせた。
続いて反対の腕でニルハを抱き寄せると、トワは二人の頭に顔を埋めた。

「え?…トワあんちゃん?どうしたんだ?……ニルハねえちゃん?」

「…さぁ?」

思いがけない愛情表現に戸惑い、二人は顔を見合わせる。
僅かな時間、二人の存在を噛み締めたトワは、顔を上げて微笑んだ。

「何でもねぇよ。さ、美味いもんたくさん食わせてもらおうぜ。村に居る間、俺もいろいろ仕事するからな。お前らには負けねぇぞ?」

二人を開放すると、トワは料理を頬張り始めた。
ニルハとナコラも笑顔を浮かべると「うん!」と元気な声で返した。

季節はこれから秋が深まって行く。
獣人族の村は収穫や冬ごもりの支度に忙しくなるだろう。


~おわり~
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私は旦那様を愛していました。 今日は三年目の結婚記念日。帰らない旦那様をそれでも待ち続けました。 私は旦那様を愛していました。それでも旦那様は私を愛してくれないのですね。 これはお別れではありません。役目が終わったので交代するだけです。役立たずの妻で申し訳ありませんでした。

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