サフォネリアの咲く頃

水星直己

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第四章

[第57話]闇の顕現

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連峰から脱した羽根人たちが降り立ったのは、その裾野に広がる秋色に染まった野原だった。
枯れ草の中に秋の花が顔を覗かせ、連峰から吹く西風にそよいでいる。
不思議とここには、地震の被害は及んでいないようだった。
皆、その平坦な地に人心地すると、怪我を負った仲間の手当を始める。

「皆、無事か?」

ルシュアは疲労困憊ながらも、各騎士や天使たちの元へ歩み、改めてその状況を確認した。

「…すみません。ミゼラが足首を折ったようです」

苦しむミゼラの足を応急処置するボルザークがルシュアに報告する。
弓部隊のリケルオが、後輩たちの状態を確認しながら表情を曇らせた。

「ルファラが利き腕の指を二本骨折…これでは弓は…」

ルシュアが覗き込むと、弦を引く指が紫色に腫れあがり、ルファラは痛みを堪え額に脂汗を浮かばせていた。

「こっちは何人か擦り傷を負ったが全員無事だ」

クーガルやセンゲルから更に報告が上がる。
天使たちは気分を害した者はいるが、怪我をした者は居なかった。
馬車の中のデュークやミハナも、眠ったままで異変は無い。
誰一人欠けることなく、連峰からの脱出が確認できた。
ルシュアは息つく間もなく次の指示を出す。

「ここから北上し、リゾルの村を目指す。カルニス、ニカウ。二人は天馬で先乗りして、トワに状況を伝えてくれ」

「…は、はい!」

カルニスとニカウは一頭の天馬に二人で跨ると、その場から飛び去っていった。

「…すまないが、歩けるものは極力、自力で移動を頼む」

その時、イルギアとディーアが意識を取り戻し、癒しの天使から拘束を解いてもらうと馬車から出てきた。

「!…二人とも、平気か?」

「…俺なら、もう、大丈夫だ…」

「僕も、平気です…」

「いやいや、その様子じゃ二人ともまだ無理だろ」

倒れそうなディーアをムードラが支えると、同じくイルギアを支えたクーガルも大きく頷く。

「歩くくらいなら、何とかなる。馬車には怪我を負ったばかりの者を優先してくれ…そうすれば、治療もできるだろう」

「…解った。そうしてもらえると助かる」

馬車の中なら、癒しの施しを受けながら移動ができる。
一台目の馬車に、騎士の怪我人と癒しの天使、二台目の馬車にはミハナと、気分を崩した数名の天使たちが改めて乗り込んだ。
皆と歩調を合わせるのが困難なセルティアとリカルアは、術師と共に天馬に相乗りした。
サフォーネとキシリカは癒しの要員として、騎士たちの乗る馬車に同乗する。

「ワグナ、お前も平気なのか?」

いつの間にか隣に並んで歩くワグナに気が付き、ルシュアは驚く。
ワグナが苦笑いで返してくるのは、やはり完全では無いのだろう。
その肩を抱えるように強めに叩くと、ルシュアはそのまま前を向いて歩き続けた。


「あんちゃん!天馬だ!天馬が近づいてくるよ!」

リゾルの村では、獣人たちが畑仕事をしている最中だった。

「…あぁ?天馬って…なんで今頃?大闇祓いが終わるのはまだ一月先だろ…」

ナコラが空を指さして叫ぶ姿を横目に見て、トワは半信半疑ながらも天を仰いで目を見張った。
天馬に跨った二人に見覚えがある。
再生の館でサフォーネの護衛についてきた騎士たちだ。
トワは農具を放り出し、天馬が舞い降りる場所へ駆け寄った。

「おい。どうした、何かあったのか?」

大闇祓い中の羽根人がやってくること自体尋常ではない上に、二人の様子も相当疲弊している。
トワの問い掛けに、カルニスが手綱を操りながら馬上から答えた。

「連峰で…山が崩れる程の大地震が発生し、俺たちの中に異変を生じる者が出てきた。大闇祓いは止む無く中止。蒼の騎士団と天使団を一時、この村で受け入れてもらいたい」

「…な、なんだそりゃ…?わ、解った。とにかく、ヤヌ様に伝えてくる。ニルハ、ナコラ、この人たちを頼む」

トワは驚きながらも事態を把握したようで、カルニスとニカウを妹弟に任せると、長老の元へ走り出していった。


一方、蒼の聖殿では緊張感が高まっていた。
長の容体悪化を聞いて駆け付けたアリューシャたちは、執務室の奥にある寝室に入ると、天蓋付き寝台の前で主治医の話に耳を傾けた。

「急に体温が上昇し、脈が早まっております…。呼吸も荒く…肺炎を起こしているかもしれません…」

「…そんな…」

100歳を超える身体に相当な負担が加わっているのは、見た目にも分かる。
苦しそうに呼吸をする長の姿に、アリューシャは涙ぐんだ。
ソムルカも到着すると、シャモスと二人で部屋の片隅に寄り、緊急事態に備えての話し合いが始まった。
ババ様が長の額に手を翳す様子にアリューシャが不思議そうに見上げる。

「…もう殆ど無いのだけど…私もかつては浄清と癒しの力を持ち合わせていたのよ?…ただの気休めにしかならないけど…」

ババ様の声が涙で詰まるのを聞き、アリューシャは祈るように手を組んだ。


「見えてきた!あの集落だ…」

小一時間歩いたところで、リゾルの村が見えてきた。
ルシュアが声を上げると、それを合図に翼を押し広げて飛び立つ者も出てきた。
ここからの距離なら、疲れ切った羽根人たちの翼でも辿り着けるだろう。
一人、また一人とつられるように翼を広げ、飛び立っていく。
その姿を目にしながら、安堵の息をついたルシュアだったが、不意に背筋を走った悪寒に、思わずその場で足を止めた。

「…こ…れは…?」

背筋が痺れるような震えが腰から頭の方へ駆け昇り、首から頬にかけて総毛立つ。
飛んでいた羽根人たちも、身体が縮こまる感覚に、その場に降り立った。

「…あ、あぁ、あ…あれは…何だ…?」

馬上のシルベアが声を慄かせる。
皆が感じた悪寒。
連峰の方から伝わってくるその邪気に、恐る恐る視線を向けると、森から突き出た黒い塊が存在していた。

「…お、大穴が移動した…?」

「…違う、あれは穴なんかじゃないぞ…」

「魔物…?いや『影』だ…!…だが、あの大きさは…」

それは森を突き抜けるほどの、巨大な魔物の『影』だった。
まさに今眠りから覚めたように、その『影』はゆっくりと頭をもたげ、天を仰いだ。
先が細く突き出た顔の輪郭、その頭には双角が携えられている。
長く伸びた首の下は肩までしか見えないが、頑丈そうな体に禍々しい翼が備わっている。

「あれって…まさか…」

「う、嘘だろ?……バーズ…?」

「!…そんなはずない!あれは作り話…伝説の魔物だ!」

誰もが子供の頃に見た絵本の中に、その魔物は存在した。
『始まりの天使』たちにより、その魔物は封印され、大陸に平和が戻るというお伽話を読み、羽根人なら騎士や天使になることに憧れを持つ。
遥か遠くに見える『影』は、その絵本に出てくる魔物の特徴にあまりにも似ていた。

『影』は遠目からも解るほど、体を大きく捩ると、その長い尾を振り上げ、森の木々に叩き付けた。
鳥たちが飛び立ち、遠く鳴き声が響く。
その長い首は山の麓の方へ向けられ、躊躇し動けずに居る羽根人たちを捉えた。

「!!!」

全員が、射すくめられたように息を呑む。
一歩ずつ山肌を移動し、その『影』が近付いてくる。

「…っ!皆、村に急げ!」

ルシュアが号令を出すと全員我に返り、硬直していた足を一歩踏み出させる。
馬車も徐々に加速を始めた。

徒歩移動していた三人娘たちも慌てて歩を進める。
横を走っていく馬車に置いていかれないようにと小走りを始めると、トマークとシャンネラが近づいてきて二人がかりで、フィンカナを担ぎ上げた。

「え、何?」

驚くフィンカナはそのまま宙に放られ、反射的に翼を広げると目の前に現れた馬車の幌にしがみついた。
続けてカヌシャ、ティファーシャ、他の天使たちも数名、騎士たちによって馬車の幌に乗せられた。

「トマーク…!みんな…」

馬車に並走しているトマークたちに呼びかけると、決意を含んだ笑顔が返ってきた。

「メルティオ副隊長!幌に天使たちが居ます!あまり速度は上げずに!」

トマークたちは御者台のメルティオに声を投げかけると、踵を返してルシュアの元に戻っていった。
その声に手綱を持つメルティオの手に力が籠る。

「…言われるまでもなく、既に馬車が悲鳴を上げてるっての。…クソっ、本来なら俺が残る所をあいつら…」

身体に不調を来しているメルティオたちは、馬車の御者として徒歩移動を免れていた。
自分の不甲斐なさに舌打ちしながら、メルティオは慎重に天馬に鞭を入れた。

加速していく馬車を見届けたルシュアは、セルティアを乗せた天馬の速足に並走しながら、手綱を握る術師に向かって叫ぶ。

「ゴルディ!村に入ったら結界を頼む!…それから…アリューシャへ連絡し、緑の聖殿へ応援を要請してくれ!」

ルシュアはそう告げると、天馬の臀部を手の平で強く叩き、駆足を促した。

「ルシュア!」

疾走する馬の上で叫ぶセルティアの声を遠くに聞きながら、ルシュアは立ち止って腰の剣を抜いた。

『影』は、既に山を脱し、その全貌を顕にしている。
竜のような頭、四足獣のような体、蝙蝠のような翼、体と首の長さに匹敵する長い尾。
それはやはり伝説の魔物そのものだ。

「…無理だ…あんな物、見たことがない…」

膝を付くキューネラをワグナが無理やり立たせ、肩を担ぎながら村へと足を進めさせる。
それを見送りながら、ルシュアが声を上げる。

「戦える者はここに残れ!奴を村へ近づけないよう食い止める!!」

「はい!!」

傍に集まった勇ましい返事は若手の騎士ばかりだったが、ルシュアは心強く剣を構えた。



「行くぞ!」

ルシュアが飛び立ち、山の方へ向かっていく。
その存在に気がつくと、影はゆっくりと向きを変えた。
長い尾を撓らせると、威嚇するよう地面に叩きつけ、辺りに地響きを轟かせる。

ルシュアはその手前で一度滞空すると、滑空して影の後ろ足を狙った。
削られた影が辺りに飛散する。

「怯むな!まずは足元を狙って削ぎ落とす!…誰か、奴の注意を引き付けてくれ」

「アタシが行くわ!」

ジャンシェンが答え、空へ飛び立つと、その大きな体格に見合わぬ動きで、敵の視界を動き回った。
『影』はその動きに翻弄されるように長い首をくねらせて、ジャンシェンに牙を向けようとする。

「おいおい!こっちにも居るぞ!」

その声に『影』は動きを止めて振り返る。
反対側にはリュシムが滞空し、煽るように剣を振りかざしていた。
ジャンシェンとリュシムが互いの動きを読みながら、絶妙なタイミングで『影』の牙を交わす間、他の騎士たちは四肢を削ぎ落としに掛かる。

弓から剣に持ち返たトマークは、シャンネラと組んで戦闘態勢に入る。
ヒューゼラがひとりで立ち向かおうとすると、ヴィーガルがその前に立ちふさがり目で合図を送る。
ミガセとムガサも加わった。
騎士たちは二人組になると自然と前衛後衛に別れ、間合いを取りながら攻撃を続けた。

「…くそ!こんなにデカイやつ…切りが無い」

魔物が巨大故に、削ぎ落としても削ぎ落としても、また影が復刻するような錯覚に囚われる。

「近づき過ぎるな!間合いを保て!」

誰が誰に指示を出しているのか、そこまで気を留められない。
徐々に息が切れ始めたトマークの動きが一瞬遅れた。

「トマーク!危ないっ!」

シャンネラの声が聞こえた瞬間、その視界を黒い物が途轍もない速さで遮ってきた。
何かの衝撃にトマークは弾き飛ばされる。

「…ぐっ…かっ」

幾度か己の身体に加わる衝撃。
トマークが毬のように地面を跳ねながら、転がった先に見たのは飛び散った数本の白い羽…。
その先には、微動だにせず横たわるシャンネラが居た。

「…シャンっ…」

名前を叫ぼうとしたが、息が詰まって声が出ない。
自分とシャンネラを弾き飛ばしたのは『影』の尾。
あれだけジャンシェンとリュシムが囮になっていても、尾の動きは止められなかった。

「トマーク!シャンネラ!」

ルシュアは二人を案じてそちらを振り返るが、『影』の前足が襲い掛かってきて救助を阻まれる。

倒れている二人に『影』の尾が再び襲い掛かろうとする。
その巨大な鞭が大きくしなる一連の動きがゆっくり見えるのに、体は動かない。

(…っ、やられる…!)

トマークが覚悟を決めた時、不意に誰かに抱きかかえられた。

「大丈夫か!」

「…ムー、ドラ…隊、長…」

天使たちの避難を見届けたムードラが戻ってきた。
ムードラはトマークを抱えたまま尾の攻撃を避けると、『影』の攻撃範囲から外れた場所に静かに下ろした。

「シャン…ネ…が……」

トマークの声にならない声を読み取り、ムードラが視線を向けると、トッティワがシャンネラを慎重に抱きかかえ、ムードラの元へ駆けつけてくるところだった。

「!!…シャンネラ…」

シャンネラは吐血したまま気を失っていた。

「恐らく、肋骨をやられている…。早く内蔵の出血を止めないと…」

トッティワの見解にトマークは青ざめた。
ムードラは剣の鞘を使ってシャンネラの体を固定すると、トッティワの肩を叩いた。

「トッティワ、シャンネラを頼む。トマーク、お前も村へ行け!」

「…!お、俺は…」

まだ戦える。いや、戦わなくてはならない。
今動ける自分たちが闘わなければ、皆を護れない。
そう思ってムードラを見たが、その顔は横に振られた。

「その腕では駄目だ」

言われて己の腕に視線を落とし、左腕が折れていることにやっと気が付いた。

「…あぅ…っ…」

トマークはその痛みに蹲ると、ムードラがその腰の短剣を取り、腕を固定してくれた。

「急げ!俺はルシュアを加勢してくる」

ムードラはそう言うと翼を広げてその場を飛び立っていった。
トマークは痛みと悔しさで涙を流しながら、トッティワと共に村へと駆け出すしかなかった。

その様子を見ていたルシュアは、ほっとしながらも『影』からの攻撃に応戦し続けていると、尾の動きを掻い潜りながら、ムードラが傍へやってきた。

「ルシュア…このままでは、我々の方が先に全滅するぞ!」

「…解ってる!とにかく、村に結界を張るまで時間を稼ぐしかない…」

大穴に近寄り、不調のままのルシュアにもそろそろ限界が見え始める。
ムードラは気を高めて剣を構えた。

「解った…何としてでも食い止める!」

そこへ、一度村に足を運んでいたカルニスとニカウが戻ってきた。
二人は『影』を見据えて硬直する。

「…こんな…でかいのか…」

「………」

「そこの二人!ぼさっとするな!!我ら蒼の騎士団に掛かればどんな敵でも勝てない筈はない!」

気後れしそうな二人にムードラが喝を入れると、その場にいた皆が釣られるように闘気を上げた。
その様子を見て、ルシュアは口の端を上げる。

「影を削ぎ落しながら退路も確保しろ!行くぞ!」

その号令に、騎士たちは幾度となく『影』に立ち向かっていった。


「…う…」

デュークはぼんやりする頭で目を開けた。
周囲の慌ただしさ、見える景色が理解できずに居ると、覗き込んできたサフォーネと目があった。

「デューク!」

その声にキシリカも様子を見に来た。

「…一体…何が…?」

その身を半分起こそうとすると、激しい頭痛が襲い掛かり、片手で頭を抑える。
キシリカはその体を支えた。

「デューク…まだ貴方は起きてはなりません…」

「…キシリカ…様…?」

デュークが倒れてからこれまでの間、多くの事態が変わった。
困惑しているだろうその不安を取り除くように、キシリカは頷いて言葉を続ける。

「あれから大闇祓いは中止され、私たちは連峰を脱出…今はリゾルの村に避難しています。…村に来る途中、巨大な魔物が…『影』が現れ、皆は今闘っているところです」

「…!…大闇祓いは中止…?…影?…どういうことだ…?」

部屋の真向かいには避難している天使たちと、それを世話する獣人たちが居る。
その状況がまだ飲み込めない。
トワが気が付いて近づいてきた。

「デューク。驚いたぜ、大丈夫か?」

「…トワ?…じゃぁ、ここは本当に…」

「あぁ、ここはヤヌ様の館がある敷地内だ。村の住人も徐々に集まってきている。この建物にはあんたらの仲間、天使と怪我を負った騎士たちが収容されている。今、術師ってやつらが懸命に結界を張っている所だ」

トワの言葉を遮るように、デュークは体を半分起こした。
痛みに顔を歪めながら部屋の中を改めて見渡すと、横たわっている天使や座り込んだまま顔を埋めている天使たち…その反対の隅ではミゼラとルファラ、キューネラが治療を受けていた。
メルティオ、シャウザ、ルーゼルも居たが、これから戦いに出ようと身支度している。
それを見たデュークも立ち上がろうとしたが、膝ががくりと折れて力が入らなかった。

「駄目です!まだ薬が効いている…力は発揮できません」

キシリカが諫めていると、そこへトマークとシャンネラが担ぎ込まれてきた。

「すまない。こいつらも看てくれ」

トッティワの声に皆、扉の入り口に視線を向ける。
顔を上げた天使たちの中から、フィンカナが飛び出してきた。

「トマーク…!」

再び会えたことに安堵する間もなく、その怪我の状態を見て絶句する。
トマークは呆然自失な表情で、辿り着いたその場でへたり込んだ。
トッティワが抱えていたシャンネラをそっと床に下ろすと、癒しの天使が迎えに行ったが、想像以上の怪我の様子に息を呑んだ。

「…!トマーク…シャンネラ…一体、何が…」

二人の様子にデュークも目を見開き、這うようにして二人の元へ近寄って行く。
シャンネラは顔面蒼白で呼吸も細くなっていた。
サフォーネは駆け寄ると、その肋骨辺りに手を翳す。

「…シャン…がんばって…サフォ、たすける…」

サフォーネが気を送る様子を見たトマークは、少しほっとしたか、表情が緩むと再び涙を溢れさせた。

「…俺が出遅れて…シャンネラが庇って一緒に…。あの『影』は…倒せない…無理だ…俺たちは…」

弱音を吐くトマークの元へ、荒々しく近づく足音があった。
メルティオはトマークの襟元を掴み、その頬を平手打ちしようと腕を振り上げたが、その打ちのめされた顔を見ると躊躇い、静かに下ろした。

「…しっかりしろ!騎士がそんなことでどうする…最後まで諦めるんじゃない!」

メルティオはそう言うと、シャウザとルーゼルに頷き、出発しようと踵を返した。

「ま、待ってください!…敵は…どんな奴なんですか!…こんな…皆が追い込まれるほどの『影』とは…」

呼び止めるデュークの声に一度振り返ったメルティオは、口の端に笑みを浮かべた。

「デューク、お前はここに居てくれ。無理をするな…と言えればいいんだが、あとで無理をしてもらわねばならなくなるかもしれないからな…」

メルティオはそう言って、デュークの傍らにいるキシリカを一瞬見つめたが、そのまま館の外へと飛び出していった。
シャウザとルーゼルも後を追う。
一緒に大穴の邪気を受けている筈の三人が万全の筈はない。
デュークが歯を食いしばって立ち上がると、キシリカとトワが両側から支えた。

「すまない、トワ…。外の様子が見たい…」

戸惑ったトワだが、キシリカが諦めたように頷く様子を受け、肩を貸したままデュークを館の外へと連れだした。

ヤヌの館は母屋と離れが二つあり、デュークたちはその一つの離れに集められているようだった。
三つの館を繋ぐ縁側に立って見渡すと、村の中は騒然とし、獣人たちが皆、母屋の方へ避難していくところだった。
庭では三人の術師たちが、何層にも結界を施す中、ゴルディが館の縁側の端で必死に水晶玉に交信を試みていた。

「…ゴルディ…繋がらないのか?」

デュークが声を掛けると、ゴルディは額の汗を拭いながら顔を上げた。

「どうにも…繋がりにくい。魔烟の影響にしては違う気もするのだが…」

ふとその時、デュークの背筋に悪寒が走った。
結界のベールの向こう、村の端に黒く巨大な塊が近づいてきている。

「……あ…れが、そうなのか…」

デュークはまるでその闇に呑み込まれそうになる感覚に、その場に立ち尽くした。


~つづく~
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